強引なクーラー攻撃  (2006.7.21)

 渋谷のとあるラーメン屋に入った。もうじき終わりを迎えるはずの梅雨も、各地で被害をもたらすほどの豪雨を降らせていて、東京もかなり涼しい日々だった。
 小さい店で10人弱が座れるカウンターの他は、4人席が二つ。一人で入った自分は当然カウンターを促される。座って注文をすると、首筋に強烈な冷風が。大きなクーラーが、カウンターの客の背中から首筋当たりをめがけて強風を吹き出しているのだ。カウンターの他の空いてる席を見ても、どこも後ろは大型クーラーが並んでいて、同じ状況。
 これはたまらんと、誰も座っていない4人がけの方の様子を見てみた。そちらはクーラーの真下で、あまり風は来ない。席を移ろうとすると、店のおっさんに注意された。カウンターに座っててくれと。
「この席寒いんで移りたいんだけど」というと「こうやって他のお客さんもカウンターに座ってますんで」という。寒くてもカウンターで我慢してますよ、と言っているようにも聞こえた。「でも、寒すぎるんだけど」と言うと「じゃぁ、結構ですよ」とほざく。移って結構ですよではなく、お帰りいただいて結構ですよ、である。
 アホか!近くのオフィスの連中が連れだって来る可能性も高く、そういう人のために4人がけをあけたいのはわかる。でも、今は誰もそちらには座っていないのである。そして、身体をこわしそうなほど寒いのに、我慢しろと言われてるのだ。もちろん直ちに退店した。

 なんのつもりなのかなぁ?江戸っ子とかの頑固店主というのもいるけど、こういうのは全然違う。頑固店主でも店主なりに、客に満足して帰って欲しいはず。ここまで行くとちょっと馬鹿さ加減にはついて行けん…。

間違い電話  (2006.7.28)

 夜更けに電話が鳴った。どこぞのおばさんの声で

「あの○○○さん(喫茶店の名前か)じゃないですか?」

と、ごく普通の間違い電話。
 おばさん、間違いに気づいて謝って切ろうとするが、「何番におかけですか?」と聞くと、まるで違う番号だった。おいおい、なんやねん?^^;

過剰な演出  (2006.7.31)

 この時期になると、恒例の隅田川花火大会のTV中継がある。いつも出鼻しか見ていないのだけど、時間的にずっと見ていられないのと、見る気にならない理由もある。

 司会者がいるのは良い、まぁ数人のゲストがいるのも許そう。でも、メインは花火なのである。各中継ポイントに配置されて、花火よりも画面に出て意味のないことをやっているタレント連中はなんなのだ?それなりに出てくる意味のある芸人ならまだわかるが…。やるのなら、ただ黙々と淡々と花火を写している方が絶対によい。毎年中継しているのが、制作費を使わないことで定評のあるテレビ東京なのだから、その方がよけいなギャラも使わずにより良い番組が作れるはずだし。

 同じように、なんでこういう奴らが出てるの?というのは多いなぁ。ジャニーズの宣伝番組としか思えない、とあるスポーツの世界大会なんかもしかり。
 今まででもっともひどいと思った過剰演出はプロレスだった。かつてA・猪木が輝いていた新日本プロレスのテレビ中継である。かつてはゴールデン枠でやっていたのだが、視聴率が下降してきた頃、なんとスタジオとリングを繋ぐという方式をやり始めた。番組タイトルも「ワールドプロレスリング」が「ギブアップまで待てない!ワールドプロレスリング」に変わり、バラエティなのか?という惨状で。
 リングの試合会場はいつも通りなのだが、スタジオには山田邦子をメイン司会者にプロレスファンを集め、その興奮を伝えようと言うもの。これは本当に見ていられなくて、次の週からは見るのをやめたほどだった。
 例えば、リング上で選手が大技で投げられてダメージを受けると、瞬時に画面には山田邦子がわざとらしく痛そうに顔をしかめる表情が映し出された。これほどの興ざめ演出も他に見あたらないだろう。
 さすがに数週間後には、元通りの方式の放映に戻っていたようだ。この頃からじゃないのかなぁ?各局でわけのわからん我田引水式の演出や、長たらしい番組タイトルが増えたのは。

 話は変わるけど、ドキュメンタリー番組を見ていると、最後のテロップで「演出:○○○○」というのが出ることがある。あれを初めて見たとき、「あ?やらせだったのか?」と思ってしまった。ああいう場合の演出というのはなんなのだろうか?事実をいかに効果的に画面を繋いで放送するか、を指揮する人なんかしらん?

車のハンドル  (2006.8.3)

 車のハンドルの記憶というのが、結構深く染みついている。男の子の多くはそうだろうけど、車や電車の運転を見るのが好きだった。特に運転手のハンドルやレバーの操作のひとつひとつを、食い入るように見ていたのだった。

 車の運転を眺めていて、いつも不思議に感じていたのが、ハンドルの「あそび」である。車のハンドルは、左右に切ってもガチガチにタイヤに連動しているわけではなく、2~3センチのあそびがある。つまり、例えばハンドルを右に切ると、切り始めて数センチハンドルが動いてから車もそれに反応して曲がるという感じである。そういう「あそび」があるということは、ガキである自分にはわからないし、そもそも理屈としての「あそび」という概念を持っていない。

 ハンドルを切る量とタイヤが方向を変える量も一致しているわけではなく、かなりの量をハンドルを回してその何分の一かが伝わる。そうでないと、ちょっとしたハンドル操作で車は右往左往してえらいことになる。高速走行時などはイチコロである。
 運転手はハンドルを1~2周も回しているのに、車は最大でも直角方向に曲がる位で、しかもグリップをゆるめると、ハンドルはするすると回転して元へ戻り、そのハンドルの戻り方と車が新しい方向で正面を向くタイミングが気持ちよく一致する。それらの、ハンドルのオーバーアクションと車のゆったりした追随を、気持ちよいとさえ感じながら眺めていたのだった。

 長らく忘れている感覚なのだけど、タクシーやバスなどに乗ると、時々その時の感覚がよみがえる。多くの研究や事故の積み重ねでたどり着いた、このハンドルと車の追随のハーモニーなのだが、まさに機能美であり、ひとつの芸術とさえ感じてしまったり。

「変わら?」  (2006.8.7)

 先生なり指導者なりが、生徒などに半ば強制的な返事を求める事が良くある。例えば先生がある事に対して、「やりま?」というと、生徒が一斉に「す!!」と言ったり。この場合「せん!!」という返事は想定外である。

 ちょっと例が陳腐だったけど、良い例が思いつかなかった^^;。でも、ま、似たようなやりとりは良くあったと思う。最近は知らない。で、この例の場合は「せん!!」と答えたとしても、日本語的にはおかしくはない。
 ところが中学時代、ある数学の女性教師は、なにかの定理や公式を説明した後、「~~を~~にしても、結果は変わら?」といつも聞いてきた。「ない!」意外に答えようがないだろが。
 クラスが一斉に「ない!」と答えると同時に、いつも後ろの席の数人が「る!」と聞こえないように言っていた^^;。

睡眠時間  (2006.8.15)

 よく、理想の睡眠時間は8時間というのが喧伝されていた。どうも、医学的な根拠というのは薄かったようで、単にそれくらいは寝たい、1日の3分の1である、という程度の理由だったのか。あるいは、統計的にそれくらいが多かったということか。
 自分も中高校くらいまではよく寝た。日曜ならばお昼までは平気で寝ていて、良く母親に「そんなに寝てると眼が溶けちゃうよ」と言われた。

 社会へ出るとさすがに長時間睡眠というのは無理になり、昼まで寝てたら頭痛がしたり。大学頃も、よく寝そうな気がするけど、工学部だった関係で、手間のかかる課題が多く、また授業も多いので、それほど寝てもいられない。そういえば、高校時代もよく寝てたのは休日くらいで、普段は遅くまでラジオの深夜放送を聴いてたりしていたので、普段は6時間程度だったような。
 何度か書いたけど、自分は寝付きがとても悪いので、規則正しい起床が重要だったり。最も、睡眠時間がしっくりいっていたのは最後のサラリーマン時代の頃で、ほぼ6時間の睡眠の時である。あのころが一番、睡眠の質も時間も良かったように思う。理想的な睡眠時間は人によって違うわけで、数時間で充分という人もいたりする。

 ジジババになれば、普通は当然朝は超早起きであり、昔、うちの婆さんも6時前には家事をやっていた。その年齢に達している母親は、毎日のように眠れないとぼやく。夜中に何度かトイレに起き、朝も早くから目が覚めて眠れないとぼやくのだ。いまだに8時間は寝る必要があると思いこんでいるのだった。^^; 夕べは眠れなかったと言っている時でも、たまたまつけっぱなしのテレビを消しに行っていくと、しっかりいびきをかいているのを目撃していたり。

 そういや、自分は徹夜というものはめったにしない。いわゆる完徹をしたのは、生涯を通じて10回程度ではないかと。大学4年の時、共同で卒論を書いていた連中と一回。就職して大阪でコンピューターの仕事をしていた時に何度も完徹をしていた。なかなか寝付かれず、ほとんど徹夜寸前の時でも、少なくとも最後に1~2時間は寝ていたりするから完徹にはなっていない。でも、そういう時は少し寝たことがかえってきつくなったり。

 大阪で何度か完徹仕事をして朝帰りした時も、普通ならそのまま寝るのだろうけど、せっかく明るいのだから寝るのはもったいないと、そのまま梅田あたりに遊びに行っていたモノだった。若いのぅ^^;;

ズズズ~~!!  (2006.8.21)

 ラーメンである。チョイ涼しかったので、ラーメンを食べてみようと思って新宿のラーメン屋に入った時のこと。しばらくすると、近くでビジネスマンでもやっているらしい風の中年の白人が入ってきた。日本語しか書いていない券売機で、味噌ラーメンと大盛り券を買ったので、こういう場はすっかり慣れているのであろう。

 しかし、食べ始めるとまったく音を立てない。カウンターで隣に座っているのでなんとなく気になる^^; 麺を口まで運んで、含むようにして音を立てないように食べているのである。ズズズーー!!っと、正しい日本での麺の食べ方に抵抗があるのか、それとも音を立てない食べ方が身に染みついてしまっているのか。

 そういや、韓国人は日本そばが大好きらしい。日本そばを食べたことのある韓国人で「日本そばは嫌い」という人はまずいないらしい。んでも、やはり音を立ててするのははしたなくて、音を立てないで食べるという。

 ん~、茶でもコーヒーでも麺でも何でも、ある程度の勢いのある音を立てて食べるのが、日本の食べ方だけど、他国人から見ると、そうとうはしたなく見えるんかねえ。

中古自転車  (2006.8.25)

 仕事で大阪に住んでいた、1986年頃だった。学校を出て就職して、関西支店配属になったために大阪に行ったのだった。そして一緒に配属されて、同じアパートの上下階に入った同僚と自転車を共有していた。ワリカンで買ったのだった。

 2年後に会社を辞め、それでもそのまま気に入ってしまった大阪にしばらく住むことにしたのだが、当然アパートは変わり、自転車も共有というわけにはいかなくなり買うことになった。それほど余裕はなかったので安いやつを買いに行ったのだが、町の自転車屋には中古自転車も置いていた。今時はどうなのだろう?新車でも極めて安くなったから、中古というのは需要はそれほどないようなそうでもないような。

 さてさて、何十年も店を営んでいるような自転車屋のおっちゃんだったのだが、何台かのオススメ中古を見せてくれた。その中の一台はなんと、おっちゃんの娘が乗っていたモノだった。「今年嫁に行った娘が乗っていたんだけどね…」と。別に感慨深げに言ったわけではないが、なんとなくしみじみとしてしまう。「きっちり修繕もしてるからちゃんと乗れるよ」
 特に女性向けという代物でもなく、選択肢としては申し分はなかったのだけど、なんか軽はずみに買って乗るのもなぁ、と^^; しばらくのつなぎに買うつもりだったので。結局、別の中古車を買った。 六千円だった。

 おっちゃんとしては思い入れもある自転車で、本当は手元に残しておきたい思いもあったのかも知れない。でも「自転車屋」の気持ちとしては、自転車が乗れる状態のうちは誰かに乗ってもらって最後まで役立たせてやりたい、という気持ちもあったのだと思う。

 あの自転車は買われたのだろうか?買われた時は、お客が乗っていって見えなくなるまで、おっちゃんはじっと見送ったのだろうか…。

町・街・まち  (2006.8.29)

 絵のモチーフでも「まち」が多い。「町」だったり「街」だったりするが、もともとがまちで生まれ育ったからなんだろうと思う。

 歌の中でも「まち」が出てくるモノに感情移入することが多かったり。良く覚えているところでは、初期の松山千春や山崎まさよし。特に松山千春は初期が好きだったのだが、彼は売れてからも故郷の北海道の足寄を大事にして根付き、活動に便利な都会に出てくることをしなかった。
 毎日の生活の中でいろいろなことがあり、辛いこと悲しいことが多いけど、「この町で生きていく」という歌詞が多い。なんだかそういうところに妙に感情移入してしまう。山崎まさよしの曲の失恋ソング(「ツバメ」)などにも、今はどこにいるかわからない別れた相手を、自分は「この町」で生きながら想っている、というのがあり、やはり妙に感情移入する。

 まぁ好みの問題が大きいからだけど、多くの歌手の歌の中で、この二人の歌詞の「まち」の描き方がやけにしっくりきたりする。自分が描くのも、何気ない絵にならないような当たり前のまちなかの絵が多かったりするので、そういう点が共通するのか。

セミが…   (2006.9.4)

 以前夏に、すっかりセミがいなくなったなぁ…と感じたことがあった。おそらく、あちこちで改築や新築、道路工事などがあったので、幼虫がおダブツになったり、地表をふさがれて出られなくなったのが原因だったのだろうと思った。そんなこんなが数年過ぎると、再びまたセミもいくらか勢いを取り戻してきた。

 そして今年の夏である。セミがいない。もう鳴いても良い時期なのに、ほとんど鳴かなかった。ようやく鳴き始めたと思っても、なんか様子がおかしい。
 他の地域はよく知らないのだが、この辺りだとセミといえばアブラゼミである。もちろん、他にもいろいろいるのだが、圧倒的に夏と言えばアブラゼミなのだった。そしてツクツクボウシも鳴き出し、夕方になるとヒグラシが鳴くのがお定まりのコース。たまにミンミンゼミの鳴き声を聞くこともあったが、数としてはそれほどいなかった。
 本や図鑑ではクマゼミの存在を知っていたけど、東京のこの辺りでは見たことも聞いたこともなかった。そもそもが、もっと南の方のセミだとかで、東日本ではあまりいないような。

 ところがである。ここ数年、やたらにクマゼミの鳴き声を聞く。ミンミンゼミもまったく珍しくなくなった。かわりにヒグラシの声を聞くことはまずなくなった。それでも、アブラゼミは相変わらずうっとうしいほどに鳴いていたのだが、今年の夏はほとんど鳴き声を聞かない…
気候変動の影響をモロに感じたり…。
 なんて書いていたら、窓の外でアブラゼミが「いるぞ!」とばかりに鳴き始めた^^;
でも元気がないなぁ…

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