恐ろしい社会  (2006.6.9)

 「何でもかんでもコンピューター」社会のことである。最近の言い方だと「ユビキタス」ってことか。東大の坂村健教授が張り切って進めてる様に見える方向だけど、平たく言えば「どこでもコンピューター」である。ICタグをあらゆるモノにつけて、世界中のモノをネットワークで結んだり、すべての人が平等にコンピューターの恩恵に浸れる様な、明るい未来みたいな社会だったり。
 だけど、個人的には恐ろしい社会になる要素をばらまくことにならないか?と思ってたりする。かつて、IT関係の仕事に関わっていただけに、よけいにその落とし穴に敏感なのである。個人情報のばらまきとか、そういう次元の話しではないのである。

 先日、エレベーターの死傷事故が発生した。事故を起こしたエレベーターの製造会社シンドラーは、ヨーロッパを中心に世界的にシェアの高いメーカーだが、どうやらここの製品は日本だけでなく、世界中でトラブルがあるらしい。機械的なトラブルも多いが、明らかに制御ソフトの不具合によると思われるモノも多い。扉が開かずに右往左往、、、いや、上下動を繰り返したりという、動作のおかしなケースである。しかし、そのような制御するソフトウエアに起因するトラブルや事故は、あちこちに散在している。

 身の回りの日常に使う機械を見渡してみると、どんどんコンピューター制御のモノになりつつある。携帯電話しかり、ラジオやオーディオはもちろん、家電製品のほとんどがそうであろう。純粋な「機械式」に比べて、ソフトウエアで制御するモノは、高機能を実現しやすく、何より生産がしやすい。(ソフト開発担当者への負担は莫大になるが)
 多くの人が気づいていることだが、そういう家電製品が増えてきたら、よくわからないトラブルも増えてきている。機械式の時なら、ほとんど故障もなかったような製品でもトラブルが増え、しかもソフトウエアはブラックボックスなので原因の特定は困難である。携帯電話も年々高機能になるに連れ、動作も重くなり不具合も増えているのは実感しているでしょう。

 どれもこれもソフトウエアでの制御の問題である。ソフトウエアはどんなものであれ、必ず人間が作り出さねばならず、最初からまったくミスのないソフトウエアというのはほぼあり得ない。そりゃ、ごく単純なソフトなら完璧なものはいくらでもあるが、いまやどんなものでも複雑なソフトウエアが必要になり、いわゆるバグ(プログラムのミス)はあって当たり前、後からアップデートなどで対処するのが普通である。
 自分も新しく買い換えたPHSが、非常に高機能になった反面、バグらしきモノをいくつもかかえているのがわかるし、普段使っているプリンターも、思いもよらぬ時に暴走する。プリンタードライバーのバグで、おかしなプリントになったりわけのわからない動きをするのである。メーカーに問い合わせても、ほかでは無い現象なので対処もしてもらえない。

 さてさて、エレベーター事故であるが、これは特殊な事故ではないと思われる。おそらくこれから先、どんどん身の回りの機械類がソフトウエア制御されるに連れ、思わぬ事故は増えるはずなのだ。(もちろん、シンドラー社のエレベーターの場合は、利益追求のためのずさんな品質管理体制も問題だったと思われるし、機械的な不具合も多かったようだが。)
車も、昔の単純なシャフト、ギヤ、ワイヤーなどの連動での制御に変わり、ほとんどがコンピューター制御になっているでしょう。そして、その制御の不具合での事故というのもあるし、そういう不具合でのリコールも増えているのでは?
 報告例は少ないかも知れないが、航空機関系でのソフトウエアの不具合によるトラブルもあるはずだし、スペースシャトルなどの発射前に不具合が見つかって延期というのだってある。

 何でもかんでもコンピューター制御になると言うことは、思いもよらぬ事態を引き起こす事は間違いはないと思うのだ。「ユビキタス」なんて言って、明るい未来像を描いているのは、どうにも悪い意味で楽観的すぎると思っている。どんなモノにも、必ずミスはつきもので、車やいろんな機械類も、誰でも手軽に操作できて安全なもの、にはなり得ないのだ。危険なものであるという前提に立たないと、ますます思いもよらぬ事故は増えるし、ソフトウエア制御なんてブラックボックスで、専門家以外は対処不能なモノがあふれたらどうなると思うのだろうか?

パソの無いペース  (2006.6.12)

 あちこちで誰もが言ってるだろうし、自分も何度か似たような事を書いてきた。パソはそれなりに使いこなせば、確かに便利だ。特に知りたいことをネットで探すのには極めて重宝する。自分もパソを始めてから、そしてネットも始めてからの恩恵はかなりあるわけで、良い所もたくさんあると思う。

 でも、やはり情報が多すぎるのは否めない。(ネットでの情報は信憑性に確証もない。)
莫大な量の情報の取捨選択や扱いについてはよく言われるけど、やはりそれ以前にそもそもが情報が多すぎる。物心ついた頃から、膨大な情報に囲まれて育った世代はどうなのか知らんけど、大人になってからパソが普及した自分としては、極めて異常な環境なのは間違いない。

 パソをつけると、まずブラウザとメールソフトを起動する。メールはチェックしてしまえば、基本的には入ってくる情報はそれで終わり。ブラウザでは、自分が管理するモノが数カ所あるため、まずそこを見回り、ついでにそれに関連する所とか、気になった所を徘徊する。ついでに天気予報を見たりとか、ついでに見ておこうというところを見たりする。ついでがやたらに多い。考えたら、どうしても必要というわけではない。自分のHP関係などは、掲示板の書き込みに対するレスや、異常がないかどうかを見る必要はある。でも、それ以外は特に仕事などで調べなければならないモノを除けば、あくまで「ついで」である。

 パソコンは起動にそれなりの時間を要する。テレビのようにスイッチを入れたらすぐに見える状態にはならない。一時期使用していた国産パソコンOSのBTORNは、スイッチを入れて20秒もすれば起動したけど、ウインドウズだと早くても1~2分で、他のも似たり寄ったりである。ちょっと思いついたから、とスイッチを入れて起動を待つには面倒なので、起動したときになるべくいろいろな「ついで」をやってしまおうとする。
 結果、特に必要もない情報をドンドン取り込むことになる。パソをいじるのはそれなりに好きなのでなおさらなのだった。

 最近、必要があって一週間先の天気予報を随時チェックしていた。週間予報が一般的になったのは、そんなに昔のことではないと思う。その頃多くの人が、一週間分の天気予報がわからないからといって、そんなに不自由していたとも思えない。わからないのが当たり前なので、それで過ごしていたはずなのだ。かなり精度の高くなった今の気象予報でさえ、一週間先の天気はかなり外れる。それなのに、その情報を見て気を揉んでる自分がいる。どう気を揉んだ所で、天気はなるようにしかならないのだ。予報をチェックして備えた所で、予想したのと違う天気になっても自分ではどうしようもないのだ。

 例え話が天気予報になったけど、そんな感じで確実性のない情報で翻弄されることはかなりあるなぁと実感。そんなこんなで、パソをつけたときもよけいな情報は探らず、パソ自体も使う時間を減らすと、ホントに1日が長くなるなぁと。時間の流れが少し緩やかになるような。

 なんて事は時々思っちゃぁまた同じ事を繰り返し、そのたびに同じ感慨にふけるんだろうけど^^;;。

原子力空母  (2006.6.16)

 2008年の米海軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)への原子力空母配備問題で、横須賀市長が配備を容認する考えを表明したという。配備されるのは、原子力空母「ジョージ・ワシントン」である。

 ふ~む、アメリカの初代大統領の名前じゃん。欧米の人名って、こういうときにそういうモノにネーミングされても違和感ないよなぁ。日本だったらさしずめ、原子力空母「伊藤博文」ってとこでしょう。もちょっとインパクトを求めるなら、原子力空母「田中角栄」ってか。なんかかっこわる~、だし、性能もイマイチの空母な気がする^^;。かといって、原子力空母「聖徳太子」だともっと変か。大陸の朝廷の元へ交渉に行きそうな空母みたいで。
 アメリカ人なんかは、そもそもがそういうモノに人名をつけたりする習慣があるから、それほどの違和感は持たないのかなぁ?

真紅の太陽  (2006.6.20)

 次のような記述がある。

「1961年当時、現北九州市八幡区の住宅地の城山小学校の観測点では、月平均1平方キロ当たり最高85トン、平均64トンという、信じられないほど大量の煤塵(ばいじん)が降っていた。ここの小学校の児童のえがく太陽の色は黄色であった。煤塵のために真紅の太陽を子供たちは見たことがなかったのである。」
(『昭和の歴史10 経済大国』宮本憲一著)

 日本の高度経済成長が急激に進み、その一方で深刻な公害も始まった頃の話である。(元々「公害」という日本語は無かったのだが、公害が深刻になってきてこの言葉が生まれた)
 一見、その汚染のひどさの記述に注意を奪われそうなのだが、自分は同時に「黄色く描かれた太陽」「真紅の太陽」という記述に「はぁ?」と思ってしまった。
 真紅の太陽を見たことがある人はいるのだろうか?一般に日本の子供がお絵かきをすると、太陽を赤く描く傾向がある。しかし、これは世界的に見ても珍しいのではないか。アメリカでは黄色に塗るのが一般的だと聞いた。現実の太陽からすれば、黄色に塗る方が正しい色に近い。
 日本人が「太陽は赤い」と思っているのは、日の丸のせいだと思われる。晴れた日中の太陽の色なら限りなく白く、若干黄色の波長に近い。アメリカは歴史が浅いので、伝統文化に縛られたイメージで太陽を見ていないということか。
 朝日や夕日は赤いと思っている人も多いが、よく見てもらえばわかるように、よほどでないと赤く見えることはない。水平線に沈む間際や、よほどの条件が重なったときに「赤っぽく」は見えることがあるけど、間違っても真紅などではないはずである。朝日や夕日の通常の色だと、黄色かややオレンジに近いくらいが普通か。それでも、かなり白に近い。

 冒頭の記述にある、子供の描いた黄色い太陽というのは、空気中に大量の煤塵が舞っているため、通常の朝日や夕日が黄色やオレンジに染まるのと同じ状態になっていたのだろう。(朝日や夕日が赤みがかって見えるのは、地平線や水平線上の塵の層を太陽光が通ってくるからである)
 なので、この著者が「真紅の太陽」と言っている部分はおかしいが、子供が黄色い太陽を描いたのは、子供たちの観察が正しいことになるわけで。それとも、観察して描いたにもかかわらず、昼間の風景で真紅の太陽を描いたら、子供の観察眼は正常だとこの著者は言うのだろうか??
 と、本筋に関係ない所でいちゃモンをつけたくなってしまったのだった^^;。でも、何気にそういう先入観や偏見を書いたり言ってる識者って多いんだよなぁ。

エレベーターが…  (2006.6.23)

 例のエレベーター事故騒ぎ依頼、乗ったエレベーターがどこの製造かを見ることがある。先日も、乗ってきた老夫婦のご主人が製造プレートを見て「シンドラーじゃないな」なんて言っていた^^。

 さてこないだ、西武系のビルで1番下の階である地下2階からエレベーターに乗った。当然、エレベーターは上からやってきて、今度は上へ行くしかない。1階のボタンを押したのだが、「下へ参ります」とエレベーターはほざく。
 「あん?」と、もう一度階数表示などを確認したが、これより下はない。下へ行けるもんなら行ってもらおうじゃないか、とほっておくと、下の矢印表示を点灯したままドアは閉まり動き出した。

 次の瞬間「ガクン!」とショックがあり、止まった。 そして、「上へ参ります」とほざいて上へ動き出した。

おいおい、シンドラー製か?とプレートをみたら国内大手メーカー製だった。ありゃ明らかに、制御プログラムの不具合なり。

完全な大人?1  (2006.6.26)

 そういえば小学生くらいの頃は、親をはじめとする大人というモノは、完璧なもんなのだろうと思っていた。いや、錯覚していたという方が正確か。
 世の中のことはだいたいわかっていて、子供であるこちらの事は120%以上お見通しなのではないかと錯覚していた。もちろん、この世の真理をすべからく知っていると言うことではなく、子供の自分から見たら、何から何までわかっているのだろうと。

 小学校3年頃だったと思うけど、テレビドラマを見ていて、その中で17~8の娘が背中がかゆいと言って、母親にかいてもらうシーンがあった。若干シリアスなドラマだったと記憶しているけど、母親は背中をかいてあげながら、娘の思い(悩み)を正確に読み取っているシーンだった。その場面を見ながら、何を思ったか自分は、どこがかゆいかで自分の内面をさとられてしまうことがあるのか、と錯覚していた。考えてることと、かゆい所の部位が連結してるという事があるのやもしれんと。んなもんで、親や大人の前でうっかり背中もかけないと思ったりした。^^:
 自分だけなのか他にもそういう人は多いのか、なんかそういうアホな思いこみや錯覚って多かったなぁ。
 部屋で何か隠れてやっていようが、もしかすると親は隠しカメラや何かを仕掛けて監視することもお手の物で、大人ならそれくらいの事をするのはお手の物なのではないか?と錯覚もしていたり。

 まぁ、そんな錯覚はいつまでも持っていたいたわけではなく、やがて大人は大人でアホであり、何もわかってないのだと真実を知ったり^^。うちの母親なぞは、僕の好物や苦手なものが何であるかをいまだに知らない。そういうことを考えたことがなかったのだろうし、見ていればわかりそうなのに考えなかったのだろう。今はこちらが食事の世話をしているわけだが、何が好きで何が嫌いなのかなんてものは、一週間も世話して食べる様子を見ていれば、大概わかるモンなのに。
 父親に至っては、単身赴任が多く、こちらの思春期を中心に半分は別々に暮らしていたので、最期まで僕の価値観というモノは理解できなかったようだ。というか、他人の価値観を理解しようとはしなかった人なのだが。

 自分も、大人と呼ばれる部類になって久しいのだけど、子供の頃思っていたことがいかに錯覚であったかを改めて痛感^^;;。大人に比べ、あのくらいの頃の子供は不完全な人間なのではないというのも良くわかったり。

完全な大人?2  (2006.6.30)

 前回は子供の頃に思っていた大人像だが、今回は自分も大人になってからも錯覚していた話。
 12~3年ほど前だったか、精神世界方面(ニューエイジ)に興味を抱き、少々のめり込み気味だった。幸いだったのは、自分の場合はあくまで興味本位ではまったこと。というのは、新興宗教にはまるように精神的なよりどころを渇望してのめり込み、泥沼にはまる人も多いからで、そういう人はたくさん見てきた。
 何がきっかけだったか忘れたけど、面白い世界があるという感じではまり、これこそがこの世の真理を突いているのではないか?なんて思ったりもしていたのだ。今でもあるのだろうけど、ニューエイジにはセミナーやワークショップが無数にある。今の一般の人々が生きている精神のレベルより、次元の高い所へ進むための(と、うたっている)ワークショップと思ってもらえれば間違いないかと。んで、そういうセミナーやワークショップを終えると、いわゆる「悟った」境地に達し、他人は自分を人生の達人と見る、みたいな誘い文句だったりする。
 面白そうだし、本当にそういう方面のベテランは「悟って」いるのかも、と錯覚していた。んで、割合ヒマとお金のある時期だったので、おもしろ半分にいくつかのワークショップに参加してみた。
 まぁひとことで言って、面白かった。だが、大いに考えさせられるモノも多かった。面白かったワークショップは、主に身体を中心にして心身のバランスを整えるようなもので、主催者もまともだった。神秘的なモノを求めて来る参加者も多かったが、主催者はそういう人にもなるべく日常に足をおろすように諭していた。
 大いに考えさせられるその他のモノは、参加中は面白いのだが、よく考えると「その場限り」なのだ。こういうモノに限らず、いろんな修行や訓練があるものだが、もっとも厳しいのは、いつもの日常生活なのだと改めて気づいたのだ。ワークショップなどの場は、あくまで練習みたいなモノ。どんな失敗をしても、その場だけのことであり、参加者もお互いに了解している。ところが日常というのは、すべてが一発勝負、一期一会、一度だけの事。人生の「今の部分」は無かったことに、というわけにはいかない。なので、何度でも同じワークショップに戻ってくる人が多い。ハッキリってぬるま湯の傷の舐めあいの場なので、日常から逃げて来るには実に居心地がよい。結局、日常からの逃避が高じて後に自死してしまった友人もいた。

 その方面のあらゆるモノに参加したわけではないから、一方的な批判になっているけど、それでは参加しない方が良かったか?というと、参加して良かったと思っている。その中からでも、自分なりに肥やしになるモノはあったし、そこで友人になった人もいるし、なによりその世界の人達が「悟って」いるわけではなく、むしろそんな世界のことなんか知らない一般の人の方よりも、この世を難しくしてドツボにはまっている人が多いのだ、ということがわかっただけでも大いなる収穫だった。
 もし、より良い人間になりたいとか、もっと悟りたいなどと思ったら、特別な施設も設定も要らない、普通の日常が一番の訓練の場なのだというのが良くわかったのだった。ちなみに、自分は訓練しようなどとは思っていないので念のため^^。

 そしてそして、その直後に絵の教室を徐々に始める事になったのだけど、女というのがいかに強い生き物なのかを実感。参加者のほとんどは主婦なのだが、子供を産み育てた母親というモノの「強さ、したたかさ」、そして日常に張り付くように根を下ろして生きている強さを感じたのだった。^^;(もちろん、男と比較してという意味だが。)
その直前に、全てがバラ色で自分はよりよく生まれ変わったのだ、と悲壮感の漂う笑顔の、地に足の着かないニューエイジャーをたくさん見てきたので、なおさらそう感じたのである。

ノスタルジー  (2006.7.3)

 先日、母君が入院した。40度の高熱を出してのことだったが、二泊での退院とあいなった。普段はその母君を介護しているため夜歩きは出来ない。なので、入院中の二夜は気分転換もかねてあちこち出歩いていたのだった。夜遊びをして回っていたわけではにゃいのである。

 最初の夜は友人宅へ遊びに行き、二夜目は久々に夕暮れサイクリングとしゃれた。その日は一日、身体が重だるかったのだった。それまで、うっかり風邪や疲労で寝込むわけにもいかなかったので、その分の疲れが一気に出たのやも知れぬ。それでずっと部屋でグデ~っとしていたのだが、らちもあかないし食事を作る気もしなかったので、外食をかねてチャリングに出かけたのだった。

 いやいや、本当に久々の感覚だった。薄暮というのは大好きなのだが、それに加えて住宅街や店先から夕暮れ時の料理の香りが漂ってくるのだが、久しく忘れかけていた感覚だった。
 薄暮も進んでくると、妙な活気というモノを感じる。人々が、一日の終わりにさしかかって活動している雰囲気が何とも良いのだ。何となく環七を北上していたのだが、アジアの夕暮れの趣もあったりして、二重三重に懐かしい感じだったり。
 普通の日中の環七は、車が多くて空気が汚いという印象の通りなのだが、薄暮の中での風景は何ともいえない趣がある。

 特に目的があって環七を走り始めたわけではない。ただ、15年くらい前に印刷製版職人の仕事をしていたとき、専属で仕事をしていた会社にチャリやバイクで通っていた道だったので、なんとなく走り始めてみただけで。
 雰囲気はほぼ同じなのだが、所々当時とはまったく変わってしまっているところもあり、「へぇ~~!こんななったんだ!」という感慨も。そして思い出したことがあった。当時帰りが遅くなると、良く立ち寄って食べていた定食屋があった。カウンターだけなのに妙に店が広かった。そこで良くサバ焼き定食を食べた記憶がある。他にも食べたはずだが、サバ焼きがとてもうまかったので、それしか覚えていない。そこの店主も何となく良い雰囲気で、それで安心して立ち寄っていたような。

 かなりおおざっぱな場所の記憶しかなかった。もう無いかも知れないので、適当なところまで走ったら諦めて引き返そうかと思っていた。走っているとどんどん思い出してきて、「そうだ、この先のはず」とピンと来た。そして「ラーメン」ののぼりと看板が見えた。実は、このときまでラーメンがメインの店だとはまったく忘れていたし、「ラーメン屋だったっけ??」という感じで。しかし自転車を止めて中を見ると、確かにその店だった。あの店主もいる。

 サバ焼きがうまかったのは覚えているが、この日はサバは食べる気がしなかったので、他のモノにした。15年前に既に白髪で、50はとうに過ぎているだろうと思われた店主のおっさんは、驚いたことにほとんど同じ姿だった。顔がわずかに当時よりむくんでる感じはするモノの、見事に15年の月日を超えて、おっさんはそこにいた。店内の様子もまったく当時のまま。カウンターもその向こうの厨房も、席の後ろの箱類も、雑然と置かれた雑誌も、驚くほどにそのまんまであった。唯一印象が違ったのは、店に入ったのはいつも夜遅くで、空に明るさの残る時間帯ではなかったことくらいか。

 時々立ち寄っていた店だが、おっさんと言葉を交わしたということはないし、今回も交わしたわけではない。店主は常連たちと無駄話をしながらも、それでいてしっかりきっちりとその常連達に対する感謝の気持ちをかかえているのが良くわかる。常連も馬鹿話をしながら、酒を飲みながらでも、店主や他の常連と誠実に人間づきあいをしているのをとても感じたのだった。

 久々に良い懐かしいことの続いた夜だった。店ももう無いかもしれないと思っていただけに、嬉しい限りだった。またこのおっさんの店にも食べに来よう。

苦手科目  (2006.7.10)

 中学一年の時、英語が超苦手だった二人の同級生の会話。

A男 「ボク、英語やりたくないの。日本人ですから。」
B男 「なーっ!」

^^;;

頓服(とんぷく)   (2006.7.18)

「トンプクで飲んでください」
「……は?」
「トンプクで」
「トンプクってなんですか??」

 1~2年前の話だったと思う。母親が狭心症を起こし、救急車で病院に運ばれた。狭心症というのは、発作が収まってしまうとあらゆる数値は正常に戻ってしまい、いくら検査しても異常はわからない。
 だが、発作を起こしていた時の状況を説明すると、明らかに狭心症であり、次回同じような発作を起こしたら「この薬をトンプクで飲ませてください。」と薬を渡された。

 その時始めて「頓服(とんぷく)」という言葉を聞いた。自分自身、幾度と無く医者の世話になり、様々な薬を処方されてきたわけだが、そのような単語を聞いたのは初めてであったのだった。この単語を知らない人もいると思うので説明をすると、通常の薬の服用のように食前食後という飲み方ではなく、症状が出たときなどの必要なときに服用するということである。

 そういう薬の飲み方をしたことはあるが、「頓服」といういい方は聞いたことがなかった。それまではあまり使われず、最近使われるようになった言い回しというわけでもないのだろうけど、それ以来何度も薬局や処方などで聞くことが多くなった。それまでは耳に入っても、意味不明の単語として聞き流していたのか?^^;

 こんなのは自分だけかと思ったら、意外にそういう人は多いらしく「自分もこないだ知った」とか、「数年前に知った」という人が周りにいる。
 しかし冒頭に書いたように初めて聞いた時は、「トンプク」ってなんか間抜けな冗談のような響きの言葉なので、まじめな説明を受けているようには感じなかったのだった^^; 「てんぷくトリオ」を連想するような人なら世代もわかるな^^。

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