人は何のために生まれてきたのか、自分が生まれて生きていく意味はなんなのか?・・・
 なんてこたぁ、ほとんど考えたことはないのだけど、絵についてもそうだった。

 教室で参加者に言うことも、趣味で描きたいという人に言うことも、だいたいは「自分が楽しければ良い」ということである。これは間違ってはいないと思う。では、究極的に絵を描くのは何のためなのか?ということは、ほとんど考えたことはなかった。自分の場合は、絵だけでなく物作りもするので、そのどちらも同じことのはずなのだが。

 ぼんやりと喫茶でコーシーを飲みながら本を読んでいて、ふと、そんなことについて頭をよぎったのだった。エッセーなのだが、本の中には、もしこの世に自分しかいなかったら、という考えについて書かれていた。孤独であるとか、そういう半端なものではなく、例えば究極の核戦争が起きて、全地球に自分1人だけが生き残ってしまったら、という様なことである。
 そうなったとき、それでも生きる気力があるのか?という問題もあるのだけど、がんばって生きていくとして、そのほかの最低限生きる以上の、余暇に値するような行動をするのだろうか?と思ったのだ。
 気晴らしに何かをするにしても、自分だったら絵を描いたりモノを作ったりするか?と。

 おそらく自分は描きも作りもしないだろうと思う。現在絵を描いたり、モノを作ってるのは何のためなのか?を考えると、間違いなく誰かに見てもらうためなのである。「いや!誰かのためじゃない、自分は自分を高めるために描いてるのだ!」という人もいるかも知れないが、その人だって誰かに見てもらうために描いてるのは間違いない。絶対に誰も見てくれる人がいないとわかっていて、絵など描く気になるか?と思うのだ。絵というのは、音楽や文学などと同様に自己の表現手段である。表現する相手がいないのに描く意味などあるのだろうか?

 確かに、誰かに見てもらうのが目的でない場合はある。自分は作り物のとき、自分の満足のために作ることがある。まったく割にも合わないことを、手間暇かけて作り上げたり、だからといってそれを見せると言うことがないときもある。
 でも、それはそのものが見せる目的ではないと言うだけであって、その次に人に見てもらうためのステップだったりする。絵の場合も、習作というのがあるが、本番の絵を描くためのいわば練習の絵である。習作は見せるための絵ではない。

 もちろん、絵に限らず、音楽や文学でもそうで、当たり前だが「創作」するのは、誰かに見てもらうためである。結論的には、きわめて当たり前のことなのだけど、意外にこの単純な事実はクリアに考えられたりはしないのでは。
 ただ、おそらくゴッホあたりはそうだったのかもしれないけど、病的に描かずにはいられない人もいるのは事実で、その場合は見てもらうことは目的ではないのだろうか?
 そういう人でも、絶対に誰にも見てもらえないとわかっていたら、描くのだろうか?

 しかししかし!
 よく考えたら、自分も小さい頃に、誰に見せようと思ってもいないのに、ひたすらに飛行機の写真を模写していた事があった。毎日毎日ただひたすら、写真と寸分違わないプロポーションの飛行機を描こうとしていたのだ。
 同じく、誰に見せようという意図もなく、ただ描くことに熱中している子供は多い。うまくできたら誰かに見せようという魂胆があるわけでもない。
 ん~む、難しい問題だ。というか、難しく考えすぎか^^;