自分はイラストレーターをやっているので、個性というのはかなり大事な要素だったりする。ただ、何をどう個性だと定義するか、本当の本人の個性なのか、という問題になるとかなり難しい。グラフィックデザイナーから画家に転身した後は、違う世界に飛んで行っている横尾忠則氏はかつて「完全に模写をしたつもりでも、わずかに原画と違う部分が残る。それが個性である。」と言った。「なるほど!」とも「そうか?」とも思える。ただ言えるのは、個性は作るものではないということ。まぁこの言い方も誤解を生みやすいのだけど。
 有名なイラストレーターで駆け出しの頃に、編集者やプロデューサーに徹底的に作られた人もいる。別に思うように作り上げて利用しようとしたわけではなく、才能を見出し開花するのを手伝ったのである。なので上から作り上げた個性ではなく、突っつかれて花開いた個性である。この場合は「個性」を作り上げたのではないと理解している。

 もちろん自分もそうだったが、他人と違う個性を出そうと躍起になったこともあった。だいたい自分で考えるそういう方法はたかが知れていて、画風や画材を変えてみるとか変わった構図のものを考え出してみるとかが多かったり。もちろんそういう試みは大事だと思うが、要は何のためにそんなことをするかである。
 友人の絵描きで、画廊側から「もっと個性を出しなさい」と言われたのがいる。それを聞いて「おかしな事をいうなぁ」と思った。個性は出そうと思って出るものではないだろうと。いろいろな制作活動の中で個性が出てくるものであって「個性を出す」目的で出そうとするのはおかしいと思うのだった。まぁもっと深い意味を込めて言ったのかも知れないが。

 自分の場合、イラストレーターとしては平凡な絵を描く方だと自覚している。ハイセンスなイラストが描けるわけでも、流行の最先端のものが描けるわけでも、ポップなものが描けるわけでも、すごいCGが作れるわけでもない。まるで無い無いづくしじゃぁ^^;;
 そういうのがイラストレーターとしての自分の弱点であることも自覚していた。でもここ数年、複数の編集者から同じ事を言われた。「流行ものやポップなもの、CGで描くイラストレーターはいくらでもいるが“普通の絵”を描ける人はあまりいない」と。それでこちらにたどり着いてくれたというクライアントが少なくない。「他のイラストレーターの見本をたくさん見たけど、同じものが多い」と話してくれた方もいた。自分の絵は珍しい部類らしいのだ。ニッチ(すきま)産業になっているらしい^^;;
 自分はそれしかできないし、それを自分の味と認識してやってきただけなのである。ある編集者に「(いとうさんの作品は)決してメジャーになるタイプではないけど、いつの時代にも必要とされる。」と言って頂いたときは、最高の褒め言葉と感じた。

 で、個性の話だが、本人そのものなのであるという当たり前の話だったり。抽象的になってしまうがその人らしいモノが個性で、結局は内面の問題である。表現技術の鍛錬も大事だけど、自分の内面といかに向き合えるか、なのだと思う。なので「個性」を「出そう」とするのは間違いで、個性は結果として出てくるモノなのだと思ったり。絵だと、画風や技法の違いを個性と見る人は多いが、それは単なる表現手段の違いであって、個性そのものは本人の内面なのである。

 もちろんあくまで理想論に近いことを書いているのであって、現実的に稼ぐ手立てとして、他との違いを出すために「個性」と呼ばれるものを作り上げることはあるだろう。それはそれでその人にとって必要ならば他人がとやかく言うことではない。クライアントから違うパターンを求められて作る場合だってある。ただその場合、あくまで表現方法が変わるのであって「個性」が変わるというのとは違うと理解している。「個性」をどう定義するかによって論点は全然違ってくるけど。