絵を描くときと言うのは、なにやらそれ相応の雰囲気やインスピレーションがなければならないと思ってくれちゃっている人は意外に多い。確かに時と場合によってはそれはとても重要なことであるし、そういう高尚なシチュエーションがないと描けない絵描きもいるかもしれない。

 前にも書いたのだけど、描かなければならない絵があって、無理矢理机に向かって描くことがある
 それではあまりいい絵ができないだろうと思われる人も多いのだけど、決してそんなことはないのである。そもそも締め切りを抱えるイラストレーターは、ほとんどがそういうシチュエーションであるし、それでイラストレーターが描き出す絵は、二流の絵かというと、とんでもない話で。
 自分もイラストなどを依頼されて、短い期間に要求された枚数と設定の絵を描かなければならないことがあったり、迫りくる個展にそれなりの点数が必要なために、焦って描いたりもする。イラストの仕事というのはほとんどが締め切りまでが短い。季節モノだったりで、わかってるんだからもっと早くから依頼してくれよ、と思うモノでもギリギリのモノが多い。

 そうやって、描く絵が浮かばなかったり気分が乗らなかったりでも、無理矢理机に向かってあれこれラフ案を練ったりして、徐々に乗ってきて、結果的に、「それ相応のやる気が出てから描く絵」よりも良い絵ができることは多い。仕事でやっている人は、そんなことはわざわざ書かなくても当たり前のことだったりするが。

 最初の頃は、そういうのが我ながら不思議だったりしたのだ。気持ちに余裕を持って描いた絵よりも、強引にひねり出した絵の方が良い絵ができることも多いのは何でだろうと。
 それが最近の脳科学の研究結果などを見て納得できた。そのままでいると人間は(脳は)やる気が出ないのは当たり前らしい。基本的にやる気は、とにかくやり出さないと出ないモノなのだ(下記参照)。やる気がなくても、やり始めると脳は連鎖的に活性化してのめり込んでいく(「外発的動機付け」という)。最初からやる気がないというのは、性格というよりも脳がそういうものであるというのが基本なのだった。
 これができたら○○できる、○○がもらえる、などというご褒美を期待しての動機付けも同じようなものだと。

 何かを作り出すときに、面倒なので頭の中であれこれと練ったりするだけの時があるのだけど、それよりも落書き的なラフで良いから、実際に行動に出て描き出してみる、等をした方が遙かに良い成果が出るのは経験的にもわかっていたことだけど、こうしてそれが脳の機能の問題として明らかになったりすると、人間の根本も単純なモノなんだなぁと不思議だったりおもしろかったり…。


やる気の出し方

池谷 「やる気」を生み出す脳の場所があるんですよ。側座核(そくざかく)と言いまして、脳のほぼ真ん中に左右ひとつずつある。ちょうどリンゴの種みたいなちっちゃな脳部位です。ここの神経細胞が活動すればやる気が出るのです。ところが、側座核の神経細胞はやっかいなことになかなか活動してくれないのです。どうすれば活動をはじめるかというと、ある程度の刺激が来た時だけです。つまり「刺激があたえられるとさらに活動してくれる」と言うことでして……やる気がない場合でもやりはじめるしかない、ということなんですね。そのかわり、一度はじめると、やっているうちに側座核が自己興奮してきて、集中力が高まって気分が乗ってくる。だから「やる気がないなぁと思っても、実際にやりはじめてみるしかない」のです。
糸井 やりはじめる前に、やる気がないのは当然なのですか?
池谷 はい。やっていないから、やる気が出なくて当たり前です。作業しているうちに脳が興奮してきて、作業に見合ったモードに変わっていくという。
 掃除をはじめるまでは面倒くさいのに、一度掃除に取りかかればハマってしまって、気づいたら部屋がすっかりきれいになっていた、などという経験は誰にでもあると思います。行動を開始してしまえば、側座核がそれなりの行動を取ってくれるからです。
 側座核は海馬(かいば)と前頭葉に信号を送り、アセチルコリンという神経伝達物質を送っています。この物質がやる気を起こします。実は、ぼくたちの身のまわりにはアセチルコリンのはたらきを抑えてしまうものがたくさんあります。いちばん顕著なのは、風邪薬、鼻炎の薬、下痢止めの薬などですね。だから、今日は勝負の日だという時……たとえば受験とか初デートとかの時には、「風邪をひいてるからちょっと飲んでおくか」という判断は、まずいかもしれません。頭がぼーっとしてくるし、ついでに眠気まで出てくるから。
 今はアセチルコリンのはたらきを抑える成分の入っていない風邪薬もあるので、薬局で薬剤師に「脳のアセチルコリンを抑えない薬をください」と言えば親切に教えてくれるはずですよ。ちなみに、アセチルコリンのはたらきを抑えてしまうのは、有名なもので言うとジフェンヒドラミンやスポコラミンなどです。興味があったら薬の箱の裏の線分表示で確かめてみてくださいね。それが入っていたら眠くなります。
(池谷裕二・糸井重里著 『海馬~脳は疲れない~』)