木場先生  (2012.1.21)

 木場と書いて「こば」と読みます。小学校3年から6年までの担任の先生でした。その当時は若い先生でも十分にかなりのおじさんおばさんに感じるものですね。木場先生はハゲていたのでかなりのおじさんだと感じていました。自分も社会へ出てかなりの年数になった頃、実は木場先生は若ハゲだったのではないか、と思ったりした。結構同じ意見の同級生もいたりした。最近先生の年齢を知ったのだが、やっぱり十分におじさんだったようだ^^;;

 昨年夏頃facebookを始めてから、少なくとも20数年は会っていなかった小中学校の同級生たちとつながった。新年に中学の小さな同窓会(10人程度)があるのを知り急遽参加することに。とても懐かしい面々で、小中と一緒だった友人も何人もいて、共通項が多くタイムスリップした気分だった。そのときに木場先生と今でも年賀状などをやりとりしている友人がいるのを知った。

 小学校のクラスは45人くらいいたが、もう一人「いとう(伊東)」がいたため、自分は先生に「良一」と呼ばれていた。姓でなく名前で呼ばれていたのは自分だけだったと思う。いつも先生には「良一!」と怒られていた^^;;
 当時、将来は絶対に漫画家になるつもりでいて、そう思っていた友人も多かったのかも。先生も漫画の力量を認めてくれていた。今見ると思っていたよりもかなり下手なのだが;;;
 卒業した後は一度だけクラス会で先生に会った記憶がある。たぶん社会へ出た頃だったかと。在学当時はほとんど生徒には見せなかった笑顔で懐かしんでいた。

 先生にいつも怒られていたのは「やればできる子なのにやらない」というのが一番大きな理由だった。でも勉強は嫌いだったし、なぜ勉強するのかもさっぱりわからなかったし・・。そんな感じで何となく勉強するようなしないような状態で学生時代を過ごしていた。なので得意不得意科目がハッキリしていたのだ。
 附属高校に進んで高校三年になるときに、行きたい学科(工学部建築学科)へ行くためには成績が足りない事がわかり、真剣に勉強をした。高校時代の成績は試験の点数をそのまま反映した10段階評価で、工学部へ行くにはトータル(3年の2学期まで)で7.5~8.0の成績が必要というガイドラインだった。自分のそれまでのトータルの成績は7.0に満たなかった(理数系や美術の成績は良かったが、社会科関係は万年赤点;;;)。他の学部に行きたいと思ってもいなかった。それほど建築学科命ではなかったのだけど、とりあえず付属の親玉の大学には他に行きたいと思う学部がなかっただけで。(卒業試験も大学に進むための試験もなく、ただトータルの成績のみが基準だった)
 真剣に勉強をした結果、一学期は全科目平均で9.0という自分でも驚くほどの好成績をあげた。試験期間中、その日が終わるたびに満足感を感じながら帰るなんて、後にも先にもあのときだけだったかと。順位表などは出されないからわからないが、学年で2番くらいの成績ではないかと思われた。常に主席のやつがクラスにいたので、1番でないことはわかっていた^^; 彼はそのとき9.3というとんでもない成績を残したのだ。
 そのとき、かつて木場先生に「やればできるのに」と怒られていた事が腑に落ちた。あぁ自分はマジになったらやるんだなと。1年から3年2学期までのトータルが8.0になり、十分ガイドラインをクリアできる成績になった。ちなみに付属校からの工学部への人気は低かったので、足りないと思っていた成績でも十分に進めたのだった;;;。もひとつちなみに、大学では単位こそ順調にとったものの、成績自体はそこそこでしかなかった。

 その後も時々木場先生の事を思い出す時があり、確かクラス会の時に胃か心臓の手術をした事を話していたと記憶していたので、もしかするともう亡くなってるのかもと思っていた。そんな月日を経て、前述の中学のクラス会で先生の消息を知った。かなり高齢だがまだ健在だと。
 友人には後日、先生の年賀状のコピーを送ってもらって住所も教えてもらった。早速自分のイラスト作品集のサンプル冊子と共に手紙を出した。少なくとも30年くらいは全く音信不通だったので覚えてくれているかどうかも不安だった。頭がどの程度ハッキリしているかもわからなかったし。
 先生からはすぐに返事が来て「良一君のことはよく覚えています。」と書かれていた。かなりの生徒を送り出しているけど、よく怒られたから少しは覚えているかな?と思っていただけにとても嬉しい。
 「すばらしい、たのもしい業績に、心から敬意を示したい気持ちでいます。とてもうれしいです。」と少し頼りなくなった筆跡で書いてくれた。片目が見えにくくなっていて、左足かかとも痛くて歩行困難なご様子が書かれている。高齢(86歳)になるとそういうのもあるだろうな、と思って読んでいたら「これまで毎日1万~2万歩程度歩いていましたが、医者から『歩き過ぎのせいだ』と言われ、今のところ5千歩程度に距離を減らして、歩き回っています」とのこと。おいおい^^;;
 先生は今でも教育研究団体に所属して「化石のような存在ですが、若い教師や活動的な子どもたちから元気をもらっています。」と、まだまだ気持ちは元気な様だった。

 近くはないので来てもらうのは無理かなぁとは思いつつ、この秋の個展の案内を出してみようかと思う。来られなくても、こちらが元気に活動している様子を伝えるだけでも先生にとっては嬉しいだろうし。住所を教えてくれた友人にも先生から、僕の事を喜んでいる手紙が届いたようだ。先生もfacebookをやっていたら友達リクエストを出すんだけどな。(ぉぃ!)

オイシイ  (2012.1.30)

 以前、知り合いになった中国人が「富士そばのラーメン、オイシイ」と言っていた。ん、、なんか微妙におかしい^^;;
 同じく知り合いのミャンマー人は「松屋のカレー オイシイナ」と言っていた。やはりなんか微妙におかしい^^。

いつもいるおじさんたち  (2012.2.15)

 自分は良く喫茶店に行く。ほぼ毎日どこかの喫茶には行く。よほど急いで行動しなければならない事がなければ、午前中はまず喫茶へ行って読書をするか、イラスト仕事のアイディアを練る。
 行きつけの喫茶はたくさんある。行く地域で目的や気分によって選ぶのである。のんびりしたいとき、美味しい珈琲が飲みたいとき、本を読みたいとき、時間をつぶしたいとき、などなど。それらが複合的に合わさった理由の時ももちろんある。
 美味しい珈琲を飲むところとしては、小田急線梅ヶ丘のギャラリー喫茶ゾーエー、新宿の面影屋珈琲店、地元下北沢のやなか珈琲など。あくまで良く行くところで美味しいところである。すばらしく美味しかったけど二度と行きたくない店もたくさんある。また、美味しいから行きたいんだけど照明が暗くて本が読めないとか、全席喫煙でたまらないから行きたくないというのもある。
 味はそこそこだけど、便利だったり落ち着けるとか目的に最適なので愛用してるところは当然多い。そこそこどころかまずいけど利用するところだってある。そういう所は雰囲気が好きだったり、アイディアを練ったりなどに良い場所だったりするからである。喫茶というのは飲み物だけではなく場所も売っているのである。

 ところで、そういう良く通う喫茶の中で三軒の気になる喫茶がある。その三軒、いつも行っているわけではないのに行くとかならず姿を見るおじさんがいるのである。三軒それぞれに違うおじさんだが、こちらが時々行っても必ずいるということは一年中かならず居るということなのだ。これほど不思議なこともない。そこに住んでいるわけでもないだろうに。
 俳優の柄本明さんは下北沢の喫茶でよく一緒になることがある。別に待ち合わせているのではなく、喫茶のテリトリーと入る時間帯が似ているのだろう。でも前述の3人のおじさんたちは、それぞれの喫茶にいつも必ずいるのである。新宿のある喫茶で、一度店員に聞いてみようかと思ったこともある。「あのキタキツネみたいなおじさんは一年中毎日来てるの?」と。

 まぁ、こちらの行く時間帯がいつも同じくらいだから居るのであって、たまに違う時間だといないから、一日中いるわけではないけど、1人は午前にいたり午後にいたりする人もいる。

ドア閉まりま~す  (2012.2.22)

 ある日、東京メトロ銀座線に乗っていた。途中の新橋駅を発車するときのホームアナウンス。

ドア閉まりま~す
駆け込みはお辞めください。
ドア閉めま~す
危険ですから無理なご乗車はお辞めください。
ドア閉まりま~す
無理な駆け込みはお辞めください。
ドア閉めま~す
無理なご乗車は大変危険ですからおやめ下さい。
ドア閉まりま~す
危険ですので・・・・

わかったから閉めろや!

つきあい残業  (2012.3.3)

 最近は無駄な残業はさせないだろうから「つきあい残業」というのは死語になってるのではないのだろうか?サラリーマンをやっていたのは25年くらい前なのでさっぱり知らないのだが。

 自分は社会に出て最初に就職した会社で関西支店配属になった。コンピューターソフトウエアのSEをやる仕事で残業は当たり前、徹夜も珍しくなかった。
当時関西支店は第一生命ビルの中に有り、22時でビルが閉まる。残業の場合はそれまでに帰るか、翌朝まで中にいるしかない。

 あるとき先輩と残業をしていた。時刻は20時を回る頃だったかと思う。後は明日にして、2人ともそろそろ帰ろうかと話していた。
そのとき直属の上司が帰社してきた。書類を机に出してペンを握って僕らを見てにっこりと気合いを入れた。

「さぁ!10時までがんばろうでぃ!」

 “ひえぇ~~~~;;;;” (びっくりした目を合わせる先輩と自分^^;;;;)
そのまま22時まで残業せざるを得なくなってしまったのだった。

この一曲  (2012.3.18)

 誰でも心に残るこの一曲、一番好きな曲というのはあるだろう。自分の場合一曲だけと言われたら中山千夏さんの「あなたの心に」を選ぶ。いつから好きだったのかは定かでないのだけど、リリースされてから遙かな年月を経てからとても好きな曲になった。でも歌詞がよくわかってなかった。今みたいにネットで調べればすぐにわかるものでもなかったし。
 で、どうしてもちゃんとこの曲を聴いてみたくて探しまくった。もうネットをやっていたので探しまくっても全然CDとしては売っていない。当然何かの曲集の中に入ってるのがあるだろうと思ったのだが全然無かった。
 同じく探していたのは、下田逸郎さんの「踊り子」。この曲は中学か高校時代にラジオで聞いてとても好きになった曲だったのだ。下田さんの他の曲は全然知らなかった。
 意外なところでは山口百恵さんの「歌い継がれていく歌のように」。この曲はたぶん高校時代にFMでエアチェック(なつかすい死語だ^^)したのだが、最後が切れてしまっていてとても悔しい思いを長年抱き続けていた。山口百恵さんのCDなんていくらでもあるだろうと思えるのだが意外にないのである。時々全曲集みたいなものが発売されるが、意外に過去のアルバムのCD化がなかったりする。

 さて、それら思い出したときに探した曲たちだが、ある時期から急に手に入り出した。「懐かしの~」なんていう曲集がいろいろいろいろ発売になって、その中に入っていたりするのだった。百恵さんのはその曲が入っているCDがあったのでその曲が欲しいために一枚買った。
 中山千夏さんや下田逸郎さんのは「永遠のフォーク&ポップス大全集」という二枚組CDに入っていたので、それだけのために買った。でも他にも好きだった曲がたくさんあったので収穫だった。
 昔だったら、一曲のためにアルバムを買うのは損した気分だったと思うが、今は逆にそんな買い方が気持ちよかったりするのはなんだろう^^

 そういえば「あずさ2号」などで一世を風靡した「狩人」。最近また復活して活動しているようだが、中学時代のことだった。おそらく日曜の午後遅く部屋でうたた寝をしていた。そのとき爺さんの部屋のラジオから流れていた曲があった。うたた寝なので半分寝ているのだが、まわりの音やなんかは聞こえている。流れていたのは曲は、アナウンサー(おそらくNHKラジオ)の曲紹介では「狩人のお二人の“卒業”」と聞こえていた。うたた寝しながら聞こえていたのだが、とても心にしみいった。曲が良かったのか歌詞が良かったのかは定かでない。でも目が覚めたときに無性にまた聴きたくなったのだ。
 それで翌日からレコード屋を巡っては狩人のレコードを探し「卒業」という曲を探した。しかし全くそれらしい曲に巡りあわなかった。あれは何なのだろう?うたた寝の中だったので聞き間違っていたのか?そのときにヒットしていた狩人のどの曲でもなかったかし、曲の雰囲気からしてB面かアルバムの中の曲なのは間違いないのだが。と、その事をこの項を書いている最中に思い出したので、ネットで探してみた。「狩人 卒業」と検索して。
 そしたら「あった!」 YouTubeで狩人の名曲としてアップしている人がいた。アマゾンなどでも見つけた。しかしタイトルは「卒業メッセージ」だった。「おぉ~、やっと見つけた」と思って聴いてみたが、、、ん?? 違う。もちょっとテンポもあってマイナー調だった記憶なのだが。そして当時のヒット曲のB面だったのだが、何で「卒業」という文字を求めて探していたのに見つからなかったのか?? 曲もうたた寝の中で 聴いていたので、自分の琴線に触れながら自分の中で融合して違う感じに捉えていたのか、はたまた記憶自体が誰でもどんどん変わっていくから、同じ曲を覚えていたようで少しずつ違っていったのか。

 今もなお探している曲としては
うらべさとみさんの「ふるさと」
ルネ・シマールの「緑色の屋根」
なのであ~る。知っている人がいたら、それだけで「おぉ~~!」なのだが。
 「ふるさと」はエアチェックしたものがあるのだが、綺麗な音質で聴きたい。「緑色の屋根」は昭和49~50年頃だと思う。12~3歳くらいの男の子が日本語で歌っている曲である。世界歌謡祭のグランプリ曲だったような。

どうしてひとりで 暮らしているの~~
(中略)
泣かないで~

という曲で、歌詞がわかれば音楽は覚えているので全部歌えるぞ^^。

頂いたお電話で…  (2012.3.28)

 仕事上のやりとりの電話で、相手からかかってきた電話の用件が終わった後に、その件とは別にこちらからの質問などを話したいときがある。そういうときは「頂戴したお電話で申し訳ありませんが」と言いますね。
 友人がある得意先へ電話したときに同じ状況になったときに返ってきた言葉。

「返す刀で申し訳ありませんが…」

 どうもネタではなさそうで、確かにあり得る言い間違いかと。

 自分は社会人になりたての頃(大阪支店配属)、たまたま取った電話で「お世話になっております」と言われて「いえいえ」と返した事がある^^;
 それを聞いた上司や先輩は指導するどころかウケまくってました。
「こいつしっかりお世話しとんねん」と。

打てなさすぎ  (2012.4.12)

 今年の日本プロ野球は、本当に打者が非力。
 巨人やオリックスなどが開幕から10試合も本塁打ゼロとか、負けるチームが完封される割合が突出してるとか、とにかく打者が打てない。
 昨年「飛ばないボール」として統一球が導入されたことで投手天国となったが、今年はさらに拍車がかかっている。かといって昨年より飛ばないボールになったわけではない。要するに日本の打者は元々打力がなかったのだという証拠だと思う。日本ではホームランバッターだった松井秀喜がメジャーでは中距離ヒッターに過ぎなかったように、並の打力のバッターがメジャーに行くと全く打てない。
 野球には一応国際認定球があるが、日本のボールはそれに比べてかなり反発力があって飛びすぎていたのである。だから半端なバッターでもポンポンホームランを打っていたが、国際統一球に近くしたら一気に打てなくなった。非力と言うよりも、ボールが飛んでくれていたので、ちゃんとしたバッティングができていなかったからなのだろう。しかも重量打線が集まっているはずの巨人では球が飛びやすいドーム球場で、球場自体も小さい。今年はそれでも飛ばないが。
 昨年のペナントレース後半は、前半よりもホームランが良く出たようだが、それは打者が「飛ばない」というのを意識しすぎておかしくしていたバッティングを修正したことと、一部のチームは規定内で「より飛ぶ」ボールを発注していたからだとか。

 この冬は寒すぎたのでほとんどバッティングセンターへ行かなかったのだが、たまに少年野球の子達が打っていることがある。その後ろで指導者のおっさんが「振りすぎるな!当てていけ」と指導していた。こんな指導をするから日本の打者は非力になるのじゃないか?と思った。試合の状況やその打者の特徴として、バットにあてて転がすのが大事というケースもあるが、バッティングの基本は「当てに行く」のは絶対に間違いだと思うのだ。
 元楽天監督の田尾氏のバッティング理論はとても腑に落ちるのだけど、極端な言い方をすると、絶対にボールにあわせて当てに行ってはダメで、フルスイングしたところにボールが来てはじき返す、くらいのきちんとしたフルスイングが大事だと。イチローなんかが良くボールに合わせて当てに行っているようなバッティングを見るが、あれはそれとは違うレベルのバッティングだと思われ。

 危惧するのは、あまりにホームランが出ないので、また飛ぶボールに変えるなんてやらないだろうな、ということ。特に某セリーグの老人あたりが口出しして。
 飛ばないボールという統一球にしたことで、打者のレベルが歴然としたのだから、このまま続けていけば本当に高いレベルのバッターがどんどん育つのは間違いない。そもそも投高打低になったのは統一球だけのだけのせいではなく、セパ両リーグでストライクゾーンが統一され、ゾーンが広くなったのが一番大きいという話もある。(なんで両リーグで統一されていなかったんだ?)

 ほとんど禁止薬物のおかげだったようだが、メジャーがホームラン天国になって大味な試合ばかりになっていたところへイチローが乗り込み、走攻守で本来の基本の野球を見直させたという事もある。日本もこれを機にわけのわからないホームラン連発だった野球から、きちんとした野球に脱皮していけば、本当にレベルの高い野球が見られるようになるのではないか。くれぐれも野球をしらないバカな親会社のエライさんが余計な口出しをしませんように。


情けないことに、選手会の方から使用球の見直しを求める声が上がっている。あまりに点が入らないので興行的にもマズいだろと言うことで。オマエら!ルール通りの球になったのだから、それを打ち返してやる!という気持ちは無いのか?他のどこのプロスポーツで公式球と違う球を使っている球技があると言うんだ。

責任と自由  (2012.5.18)

 義理の息子がこの春から社会人になった。彼に贈ったカードに「これからは自分の人生すべてに自分で責任を取らなければならないけど、それは自由になるということでもあります」と書いた。これは自分が社会に出て感じたことだったのだ。

 学生時代は親の保護下にあり、バイトしても雇い主の保護下にある。バイトの仕事で失敗してもこちらが弁償するわけではなく雇い主がかぶる(悪質な雇い主は別として)。一度、バイトで運転していた車をこすってしまい「修復代はバイト代から引いて下さい」と言ったが聞き入れられなかった。建前として言ったのではなく、失敗したのに通常通りお金をもらうことが申し訳なかったのである。
 社会人は長期休みがある学生がうらやましいという事をよく言う。自分は一度も学生がうらやましいと思ったことがない。単純におめでたいのかもしれないが。確かに申請しなくても長期休暇が保証されてるのは良いような気もするが、自分は学生を卒業したことで大いなる自由を手に入れたという感覚の方が強かった。勤め人の場合、失敗したら本人の責任問題ではあるが会社が賠償したりもする。経済的に誰がどう償うかはいろいろあるけど、基本的に責任は本人が取る。学生までだとなんかしら保護下にあるので、無責任で自由なようでいて本当の自由な精神状態ではなかったように感じたのである。学生を卒業して自分の言動に自分で責任をとるということが、そういう精神状態から解放された感じというとわかってもらえるかと。
 それで息子にもそういう言葉を贈ったのである。本当にその言葉の意味を感情で実感するのはもちょっと先になるかと思うけど。

迷惑メールに指定?   (2012.6.9)

 PCから自分の携帯に転送したメールがまるで届かない。自分のPCメルアドは1b-town.comという独自ドメインを使っている。
 ふと思いついて、独自ドメインで無いPCメールで送ってみたら届いた。もしやと思い携帯メールの「迷惑メール設定」を調べてみた。
 「なりすましメール」のみが「高設定」になっているのだが、設定内容を見るとどうやらあちこちのフィルターになりすましメールに使われているドメインがブラックリストになっている可能性もあるとか。そういや自分の独自ドメインでよく迷惑メールが届く。悪用されているのだ。それで「高設定」にするとなりすましと見なされてしまうのか。ためしに設定を解除した後にPCから送ったらすぐに届いた。
 お~~~い;;;;; それは困ったぞ。ということは、迷惑メールのなりすまし拒否を高設定にしているところには、自分のPCからはメールが届かないってことじゃん;;;
 自分のがどうブラックリストに載っているか、対策はどうするかについてはいろいろあるらしいが複雑・・・ ん~~~む・・・・
 もう10年くらい使っていて浸透しているドメインだから変更するのもあれだし・・・

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