いーしやきーいも~  (2002.10.19)

 夜、11月の個展で叩き売りをしようと笛を大量生産していた。大量っつぅても十数本ですが。
 この近所は割合静かな住宅街である。近所で車のアイドリングをしている音が、かなりウルサク感じるほどに。

 その静寂の中を何かが近づいてくる。毎度おなじみの、拡声器の音量をいっぱいに上げた「焼きイモ屋」のトラックだ。そのアナウンスがあまりに面白いので、作業どころではない。急いでパソコンを立ち上げる。家の近所をゆっくり進んでいるので、起動に間に合った。

やきぃーもぉ~ やきぃーもぉ~ やきぃーもぉ~~~
いーしやきぃ~いもぉ~ぉ やきぃーもぉ~
やーきぃーたてぇ~の ほっかっほかっ!
ほっかほかっのっ ほっくっほくっ!
いしやきぃー いしやきぃ~おいもーだよ~
きょーぉのおいもも おいしぃーよ~
やきぃーもー やけたーっ!!

「さぁさぁ らっしゃいらっしゃい!
石焼き芋ですよぉ
甘くておいしい
本場薩摩(?)のやきいもですよぉー」

やきぃーもぉ~ やきぃーもぉ~ やきぃーもぉ~~~
いーしやきぃ~いもぉ~ぉ やきぃーもぉ~
(以下、繰り返し)

たまに焼きイモ屋は通るが、あまり気にしていない。
今日のは聞かずにはいられなかった。
おそらく、あちこちの家で爆笑していたことだろう。

そういえば、昔も面白いのを聞いたことがあった。
最後のほうで
「早くしないと行っちゃうヨー
 これがさいごだよ~」

 *****************
それにしても、焼きイモ屋のアナウンスというのは、あれはかなりな騒音だと思うのだが、うるさいという苦情を聞いたことが無い。
やっぱり虫の声と同じく、日本の秋の風物詩として認知されていて、騒音でも気持ちのいいものなのでしょうね。

アメリカの自己責任能力  (2002.10.21)

 いきなり余談から始まりますが、生徒手帳。あの中に記載されている校則というのが、どこも似たり寄ったりだというのは、よく言われていたことでした。最近はその話をあまり聞かないので、そういう傾向がなくなったのか、それとも単にその話題に飽きて鎮静しているのか?
 あれ、なぜみんな同じような内容かというと、生徒手帳を作る業者に手帳の見本があり、学校側がだいたいその通りにしてしまうことが多いからなんです。ほとんどそのままか、ちょっと自分の学校らしい校則なんかを加えるくらいで。今は、そのあたりどうなっているのかは知りませんが。

 面白いのは、どこかの高校の生徒手帳の中の校則に「校内で日本刀を振り回してはならない」というのがあったそうな。なんなんだ?と思うが、それ以前に、校内で日本刀を振り回した者がいたからと。
 そんなことがあったからって、いちいち規則に加えるなんて、なんて日本は幼稚なんだ、と思いました。何かにつけ、みんなそう思っていると思います。

 ところがよく考えると、もっとひどい国があったのです。どこあろうアメリカ。漢字で「米国」。中国語で「美国」。韓国語で・・・知りまっしぇん。

 過日アメリカで、肺がんに侵されたアメリカ人が「肺がんになったのはタバコを吸いすぎたからだ。その危険なタバコを製造し続けているのはけしからん」と、タバコ会社のフィリップ・モーリスを訴えて、勝訴しました。そして数兆円の賠償金をもぎ取った。自分はこのニュースを知って「アホか!?」と思ったもんだったのだった。

 先日、新聞の読者投稿欄に、この件を賞賛する声が載っていた。人命を危険に陥れるタバコを売り続ける会社に対する制裁として、この勝訴を評価しているのだ。それはそれでわかる。
 でも、自分が「アホか?」と思ったのは、その危険を承知で喫煙していたくせに、その危険を自分がこうむったら、今度は相手を非難するというアメリカ人の気質だ。タバコ会社がその危険性を隠蔽していたわけではない。むしろ社会的な常識だったのに。

 よく、日本人は自己責任の精神が希薄で、アメリカ人は自己責任の国だといわれるが、自分から見たらアメリカは世界一自己責任のとれない国だと思う。とれない、というより「とらない」と言ったほうが妥当かな?

 それ以前にも、ファストフードで老女がテーブルで、自分がひっくり返したスープでやけどして、数兆円の賠償金をもぎ取ったことがあった。この場合確かにやけどするようなスープを出すのも落ち度があるが、額がばかげている。アメリカの賠償金の場合、企業に対する制裁の意味もあるらしい。
 もっと呆れたのは、雨に濡れた猫を乾かすために電子レンジに入れたというお話。もちろん猫は即死である。この時は「電子レンジに猫を入れないように、という説明が書いてなかったのが悪い」ということで訴えている。勝訴したかどうかは覚えてないが。おそらくそんなことで勝訴する国だ。(と、言いたいところだが、実はこの件の裁判の記録は存在しない。おそらく訴訟好きのアメリカ人を揶揄した作り話と思われる。)

 こんな話は山ほどある。要するに、何か問題があったときは、いつも自分が正しくて、相手に責任を取らせようという社会だということだ(今の世界情勢における、あの国の態度を見てもわかる)。裁判大国だからそうなったのか、そういう気質だから裁判大国になったのかは、何ともわかりましぇんが。まぁ韓国も似たようなところがありますけどね。すべて自分たちが正しくて、マズい状況の時は「日本が悪いニダ!」と。

 自己責任というのは、危険を承知で、好きでタバコを吸っていたのなら、その結果タバコが原因で病に冒されたときは、自分のその行動を反省することなのだ。そしてそれから、タバコの危険性を社会に訴えていく、などの行動をとればいいのであって、前述のように自分に落ち度はなかったという態度はいかがなものか?
 加えて、銃で自分の身は自分で守るというのも、自己責任とはまったく意味の違うことだと理解してほしいなぁ。あれは、経済的な理由で規制しないんだし。もちろん国の成り立ちの文化的背景の問題もあるけど。

先生  (2002.10.25)

「先生」:手元の新潮国語辞典(現代語・古語)には

(1)自分より先に生まれた人。年長者。
(2)学芸に長じた人の敬称。
(3)師事する人・教師の敬称。
(4)医師・弁護士等に対する敬称。
(俗語)ばかにした気持ちをふくめていう他称。

と、ある。

 いつから、どういう意味で使われるようになったのか?というのが知りたかったが、そういうものを収録するのを旨とするこの辞典にも載っていなかった。
 一般には学校の先生に対して使われることが多いと思うが、その当の先生が、自分で自分のことを「先生は~」などと言うのは、ほとんど聞いたことが無い。中学のときに、一人か二人の先生が「先生は~」と言っている人がいたくらいで。大概は「わたしは」「僕は」「俺は」「あたしは」ですな。

 教え教えられの関係にあるものが、師を「先生」と呼ぶのは、まあ普通だろうと思う。
自分も、絵の教室なんぞをやっている関係上、そのように呼ぶ人もいる(呼ぶ人のほうが少ないのはいいことだが)。社会通念上、便宜的にそう呼ばれているだけだから、それほどの抵抗は無い。
 でも、創作しているということで「先生」呼ばわりされるのは、ちょっと気持ち悪い。最初に書いた用法で(2)にあたるということでしょう。

 以前、銀座の画廊から個展開催のお誘いを受けたとき、電話の向こうで「伊藤先生ですか?」と言うので、何のことかわからず、マジで間違い電話かと思った。そのように呼ばれたのは初めてだった。その画廊主はその世界では作家の方をそのように呼ぶのが普通なので、礼儀としてそう呼んだのであって、「気持ち悪い」と言うと、次からは普通に「伊藤さん」と呼んでくれた。

 まあこの場合でも、一般向けではなく、内部同士でそのように呼ぶのは別に支障は無いと思っている。(自分がそのように呼ばれると、違和感というか、嫌悪感さえ覚えるが)
 でも一般に向かって「○○先生」と表現するのはどうかと思う。「○○さん」「○○氏」で充分だと思うのだ。「先生」という呼称をつけるというのは、一般の例えば読者や観覧者より、作家のほうが偉いと表現しているようなものだ。

 活字中毒に近いせいもあって、よく神田神保町の本屋街へ行く。その三省堂のエスカレーターを利用すると、いつも気になっていることがある。

 その本屋では、よくサイン会が催されるのだが、サイン会でサインした作家の写真パネルが、エスカレーター横の壁に飾られている。写真の下には作家名と本のタイトルが記載されている。作家名には「○○先生」と書かれているのが多い。多いというのは、いろいろあるからだ。

 囲碁や将棋の方面の著者だったら「○○九段」とか書かれている。問題なのは「○○さん」と書いてあるのが、多数いるということである。いったい三省堂は、どこで「先生」と「さん」を分けているのか?答えは簡単で、職業としての文章作家には、だいたい「先生」で、それ以外はほとんど「さん」なのだ。
 「夢ワイン」を以前に出版した江川卓氏は「江川卓さん」である。しかし面白いことに、椎名誠氏も「さん」なのだ。彼は一線で活躍する職業としての文章作家なのだが、三省堂は本屋のくせにそれを知らないと見える。タレントか他の職業の人が、たまたま小説やエッセイを書いて売れているだけと思っているのか?
 他にも忘れたが、似たようなケースがあった。どうも、同じ文章作家でも、三省堂がランク付けをして、偉いと思っている人には「先生」をつけている、と解釈するとスッキリつじつまがあう。

 はっきりいって三省堂のこの姿勢は、相手の職業や立場によって態度を変えている、せこい会社だという印象を受ける。会社全体がそうだといっては乱暴だから、神保町の本店がそうなのだと言っておきます。少なくとも10年は、そのパネルの記載が変わっていないし。どうしても敬称をつけるのなら、全員「先生」にするか「さん」にするかにするべきだと思う。個人的には「さん」にしてほしい。

 一番抵抗があるのは、政治家を先生と呼ぶことだ。多くの政治家が腐敗しているから、と言う意味からではなく、本来政治家は我々の代弁者であり「先生」ではないから、と思っているのです。前述のように、内部同士でそのように呼ぶのなら、まだ許せる。まあ報道機関から「先生」と言う呼称が出ることは無いから、通常は内部だけであるが。
 しかし、たまに地域の議員への要望を促す郵便物が届くが、その中の表現が嫌悪感をもよおすものなのだ。区議会議員を通じて、政府に○○の要望を突きつける!みたいな要旨で、返信ハガキが入っていたりする。その返信ハガキのあて先が「○○区議会議員 ○○先生」になっているのだ。こんな厚顔無恥な表現が良く出来るものだと思う。
 まあ、弁護すれば、そのように記載したのは議員事務所ではなく、連絡会のようなところなのだと思うが。そうでなく、自分宛てに返信を要請するなら、常識的に「○○ 行」であろう。

 ちょっと天邪鬼だけど、政治家を「先生」と呼ぶのは疑問があるので、先の返信ハガキを送るときには「○○先生」の「先生」を二重線で消して「様」と書き換えて送っている。そこまでしなくても、とは思うが「先生」宛てのままで送るのは、自分のポリシーが許さないので。

河童再燃  (2002.10.27)

 河童の里、岩手の遠野では、今また河童が熱いらしい。河童を写真撮影したものが公開されたのだ。と、言っても掲載したのは、天下の「東京スポーツ」だが。
 読者が、今度はどんな風にだましてくれるのか?と半ば期待しているスポーツ紙だ。まあ、朝日新聞にでも出たのなら驚きですがね。

 テレビの朝刊紹介で見ただけだが、河童の写真は、いわゆる我々日本人がイメージする河童らしきものが写っている。身長は推定150cm。よくわからないのが、撮影者は匿名だということ。これに対して、遠野の河童をこよなく愛するおじさんは、それは河童ではない!と。氏によると、身長が高すぎるというのだ。河童の身長は70cmくらいのはずだと。どのような研究で導き出したのか興味のあるところだ。

 そして、生け捕りをした場合は1000万円の賞金が出ることになった。(ちょっと安すぎないか?)出資者は遠野放送。その後の河童の帰属は、放送局のものになると。(大爆)
 生け捕りの際の条件がまた笑かしてくれる。釣り針や、網などを使わない等。体を傷つけないためだ。極めつけは、
 ・生け捕った後は、新鮮な生のきゅうりを与える(爆)。
 ・頭の皿の水を絶やさない(核爆)。
など、大いにボケてくれる。まあ、マジではないと思うが、これくらいの洒落っ気はほしいですね。

 今から20年位前、欧米の生物学者が、もし恐竜類が絶滅せずにそのまま進化していって、今の人間の位置にいたならどうなっているかを推測したものがあった。その予想図は河童に良く似た姿になった。頭にお皿、背中に甲羅こそ無いものの、その他の特徴は河童に良く似ている。それで、河童の信憑性が真実味を帯びてきたこともあった。

 河童熱が再燃している遠野では、河童の出没するとされている川「カッパ淵」にカメラが設置され、24時間監視されている。その模様はインターネットで24時間見ることが出来る。もちろん夜中は真っ暗なので、意味があるのかどうか?《もうやめてしまったようだ^^;;(2014.1確認)》

日常の果て  (2002.10.29)

 今回は非常にローカルな話で恐縮ですが、自分は世田谷の下北沢(しもきたざわ)駅の近くで生まれ育ちました。
 父親の仕事の関係で、4~6歳をインドネシアのジャカルタで過ごしましたが、現地では自転車に乗るときは、敷地内だけに限られていました。どこかへ行ってしまいかねないし、簡単に盗まれてしまうからだったと思います。

 そんなわけで、本格的に外出用に自転車を買ってもらったのは、帰国後の小学校一年のときでした。今でもはっきり覚えているのですが、駅前のスーパー「忠実屋」(現在はダイエー)の3階で、赤いフレームの自転車を買いました。値段は9500円。当時スーパーなどで景品交換用にくれていた「ブルーチップ」が一挙に増えた。(今でもあるのか?)多分、一緒に買いに行った父親と歩いていたからなのか、乗らずに押して帰った記憶がある。

 自転車を手に入れると一気に行動半径が広がります。まあそれでもやはり、通学路付近や今まででも歩いていっていた範囲が多いのですが。今、地図で見返してみても、当時の自転車での行動半径はせいぜい500m以内だったのではないかと思う。
 4~5年生になると友達と自転車で遠出することが増え、新宿・渋谷などにも乗っていくようになりますが、小学生にとって5km弱の距離は、変速機のない自転車に乗っていくには大変な距離でした(普通の自転車だし)。

 話は戻って、自転車を買った小学校一年のある日、いつもよりは少し遠方へ走っていきました。下北沢駅から三軒茶屋(さんげんぢゃや)というところを結ぶ「茶沢通り」というバス通りがあるのですが、その道を三軒茶屋に向かって行きました。
 三軒茶屋の区域に入る地点に「代沢(だいざわ)十字路」という、大通り同士が交差する交差点があります。茶沢通りは、その交差点を頂点として、なだらかな坂道になっています。
 三軒茶屋に向かって、いったん「代沢十字路」という頂点を越えた後に、三軒茶屋区域に入って今度は下っていくのです。

 そのときの自分は、三軒茶屋という地区を知らなかったので、単にそちら方面へ探検のつもりで走っていたのです。時間も早いし、余力も十分だったので、当然交差点を超えて、向こう側まで行くつもりだったのだと思う。ところが、交差点へあと2~30メートルというところで、自転車を止めました。そこには、目に見えない壁がありました。
 壁といっても、深刻な意味の壁ではなく、なんとなくその時の自分では、その「山」を越えて向こう側へ行くのは無理だ、という感じがしたのです。(無理というのは、力不足という意味の「無理」ではありません。)そして、引き返して帰ったのでした。

 うちから、その交差点までの距離は、たかだか750mくらいのものです。しかも、そのときは自転車だったのだから、なんてことはない距離なのです。でも、そのときの自分には、「一人で気軽に行ける果て」のような気がしました。おそらくそれは「距離」の問題ではなかったのだと思います。
 その交差点が、小さな丘の頂上のような雰囲気なので、その頂を越えることで、今までの自分の日常と違う場所へ入る、というようなニュアンスを感じたのです。「一人で遠くへ行ってはいけません」という、普通の親がする注意(そんなことは言われたことはなかったが)に従った、という感じではありませんでした。自分で、自分の日常の果てを感じたのです。

 もちろん今だったら、そのときの距離の数倍は普通に「歩いて」いってしまいますし、日常の果てなどは、特に躊躇もなく越えていきます。いま思い返してみても、そのとき交差点を超えなかったのは、勇気の問題でもありません。
本当に単に、そのときは超えるのをやめようと思った、というだけのような気がします。いつから、そのことに躊躇をすることがなくなったのか。徐々になのか、突然なのか、そのあたりの事は覚えていません。

選挙妨害?  (2002.10.31)

 先日、街頭演説をしていた議員だか候補だかに「うるさい」というので暴行した青年が逮捕された。この場合の容疑は「選挙妨害」なのでしょう。この青年の行動の是非について、ここで述べるつもりはないが、確かにあれはうるさい。

 うるさいからと言って、やめさせようとすると選挙妨害にあたるらしい。中学時代の国語の時間、校舎の表を選挙カーが、拡声器いっぱいの音量で通りかかった。そのとき、同級生の一人が冗談めかして、表に向かって「静かにしてー!」とわめいた。先生は「おいおい、それ言っちゃいけないんだよ」と、あわてて諭していた。

 あれ、音量の制限というのはないのだろうか?いくら選挙運動中だからって、騒音を撒き散らしていいというのもよくわからん。
 だいたい、住宅街なんかで騒音を撒き散らしていっても、反感を買うだけだと思うのだが。
それ以上に、名前を刷り込むという広告効果を狙っているのか?選挙運動に参加したことのある友人が言っていたのだが、運動中はかなりハイテンションになっていて、無茶無茶盛り上がっているそうだ。ヤブヘビで議員辞職に追い込まれた辻本清美議員も、選挙運動が終わったときに、事務所でみんなに「楽しかったねエーー!!」と言っていた映像があったが、あれは本当なのだろう。

 それでも最近は以前ほど騒音を撒き散らしていくことはなくなったが、街頭演説の多い地区などは、毎回我慢を強いられているのではないか?と思っているのだが。有権者には、それに対して文句をいう権利ってないのかな?頭痛で休んでいるのだから、静かにしてほしいとか、そういう細かな希望はあるはずだけど。それを言ってもいけないのだろうか?病気で休みたいのだから静かにしてくれと言って、妨害だ!と反論する馬鹿な候補はいないと思うが。いや、わからんな。何しろ、選挙運動をやっている人たちは、異常なテンションになっているらしいから。

 もひとつ疑問に思うのが、朝のラッシュ時に駅前で行われている演説。あの時間にあの場所で演説を聞いている暇な人間がどれほどいるのか?それを承知でやっているのか、それとも、あの人種はそういうことに思い当たらないのか?それを承知だったら、単に売名行為以外の何物でもないが、まあ選挙運動は究極の売名行為だからいいのか。「街頭演説○千回!」なんてキャッチフレーズを掲げてる候補者の、その意義がイマイチ理解できなかったり。中身は全然問題にしていないわけだし。

いまどきのスズメ  (2002.11.1)

 「スズメ(雀)」
現在の分類では、「ハタオリドリ科」になっている。現在と書いたのは、日本鳥類目録の第三版(1942年)では「スズメ科」、第四版(1958年)では「キンパラ科」になっており、改訂される度に変更されているからである。要するに、身近なわりに、意外にまだよく分かっていない鳥なのだ。ハタオリドリは、アフリカのサバンナに主に生息している。

 現在、世界には15種のスズメ類がおり、日本にはほぼ全土に生息する「スズメ」と、北海道の森林と本州中部以北の山地に生息する「ニュウナイスズメ」がいる。日本の「スズメ」とヨーロッパの「イエスズメ」は別種なのだが、ほぼ同じ生態を示している。逆に、日本の「ニュウナイスズメ」とヨーロッパの「スズメ」が同じ生態を示している。日本とヨーロッパの「スズメ」は同じ種なのに正反対の生態を示しており、同じ種でも生息地によって、生態が大きく違っているのだ。
 近年、日本に「イエスズメ」が進出して、在来の「スズメ」の生息範囲を脅かしていると読んだことがある。一見、姿は同じなのだが、「イエスズメ」の方が一回り大きいとか。

 さて15種のスズメ類の中で、日本でおなじみの「スズメ」は完全に人間に依存している。人間の住んでいないところには生息していない。というか生きられない。このような動物を「シナントロープ(人類同調種)」と呼ぶ。
 かつて人間が住んでいた村などで、過疎化や村が捨てられたりして人間が住まなくなると、スズメもそこから姿を消す。
 逆に、今まで人間が住んでいなかった土地に、人間が住むようになると、どこからかスズメもやってきて住むようになる。そのようなスズメはどこからやってくるのか?というのは、おもしろい問題なのだが、今回は省略。

 その日本の「スズメ」。スズメは人間に完全に依存しているが、しっかり一線を引いている。野性の状態では、決して人間に慣れるわけではない。餌付けをしても、ある距離以上は決して近づかず、しっかり人間を警戒しているのはご存じの通り。

 それが、7~8年くらい前から「おや?」と思うことが多くなった。近づく距離がどんどん近くなってきているのだ。以前から山下公園では唯一、野性のスズメが人間の手に乗ってえさを食べる場所がある。でも、あくまでその場所だけで、同じスズメでもその場所でなければ決して手に乗ったりしない。
 それが、どこの公園でもベンチなどに座っていると、スズメの方から近くまでやってきて、餌を要求するようになった。さすがに鳩のように手から餌をもらうような真似はしないが、昔に比べたら手の届きそうな距離である。そして「何にもないよ」という仕草をすると、そのスズメが抗議をするのだ。「ピーピーッ!!ピーピーッ!!」と。「ざけんなよ!手ぶらで来んじゃねえよ!」とでも言っているかのようだ。

 カラスが異常に進出してきて、他の野鳥もどんどん都市部に進出してきている。都市は、野鳥にとって意外に住みやすい場所なのだ。そのために、スズメも餌不足なのか、それとも他の野鳥のように、人間から餌をもらうメリットを大いに利用するようになったのか?
 また、このような状態が野鳥にとって、良いとか悪いとかの議論にもなるのだろうが、ちょっとその事は置いといて、スズメの仕草を観察されると、その変化に気づくかもしれない。

飛行機が大好き!  (2002.11.4)

 小さい頃から飛行機が大好きでした。飛行機といっても旅客機のことです。(旅客機というのも、もう、古い言い回しな気がしないでもないが)

 一番好きだったのはダグラス社の傑作「空飛ぶ貴婦人」と言われた「DC-8」。予断ですが、ダグラス社は後にマクダネル社と合併して「マクダネル-ダグラス社」となり、後半は「MD-80」などのような呼び名のものを生産しています(その後どうなったんだったか?)。
 DC-8はとっくに航空業界から引退していますが、その洗練された品のある姿はまさに「貴婦人」と呼ぶにふさわしい。何ゆえこの旅客機が好きだったかというと、日航のDC-8に乗った際、機内でもらったDC-8の絵葉書の影響です。

 特に小学校一年の頃、その絵葉書の中のDC-8を、もう毎日のように模写していました。毎日描いていても「今日は、機首部分のカーブがうまくない」「向こう側に見える翼の位置や角度がおかしい」などと、試行錯誤しながら描いてました。完璧に絵葉書の写真の通りに描かなくては気がすまなかったのです。手前に伸びる翼は、先入観で知っている翼の形状とはまったく違い、短く扁平に見えますが、どうやったらその通りに描けるかと考えながら描き、その過程で先入観を捨てて見えるままに描くしかない、というのを学んでいたような気がします。
 加えて、JALの鶴マークが好きだったのですが、あれもいつも模写し、円の中に絶妙のバランスで収まっている鶴のデザインを、あらゆるカーブに気をつけながら描いて、その頃は、ほぼソラでマークをきわめて正確に描けました。そのようなものを描いて、誰かに見せて褒めてもらおうとした等は一切なかったので、本当に自分の中での納得のために、忠実に模写することに没頭していたのだと思います。

 いつのまにかそのような模写もやらなくなったのですが、相変わらず飛行機は好きだった。空港も大好きで、たまに羽田空港なんかに雰囲気を味わいに行ったりすることもある。また悪い病気で、航空機が好きだと、それがどういう原理、構造、操縦方法で飛ばすのかが気になって、その方面の本を読み漁ったり。テレビゲームなどは好きでなかったので、シュミレーションをやろうと思ったことはないが。

 なんと行っても搭乗するのが最も好きで、もちろん窓側。
 就職して関西支店配属になり、東京への出張というのも良くありました。会社からは新幹線の指定席の乗車賃が支給されます。ここで飛行機好きの自分は、その運賃にわざわざ自腹で上乗せして、飛行機に乗っていた。大阪市内から伊丹空港までの移動、そして羽田からの移動を考えたら、移動時間は大して変わりません。でも飛行機に乗ることに意義があった。
 ちょうどその頃、日航機123便が御巣鷹山へ墜落するという大惨事が発生した。

 それ以前から、もし単独(一機だけ)で最大規模の航空機事故が発生するとしたら、日本の航空機だという予測はあったのです。というのは、たとえばジャンボことボーイング747は、通常は350人くらいの定員でした。それが日本国内という短距離で就航させる場合搭乗時間が短いので、ファーストクラスも無くていいし、食事サービスも軽食でいいため、設備を省略して、その分客席が増加できた。それで世界最大の500人乗りなどという747が日本への特注として製作されたのです。

 その頃東京出張に往復していた自分は、その前後の日に逆方向の便に乗っていた。そしてその大惨事で皆が航空機を敬遠したとき、自分はこりもせず乗り続けた。123便と同じ線でその前の時間の便だったと思う。(121便だったと思う)
 機内はもちろんガラガラ。自分の席を探していたおっさんがスチュワーデスに、、、おっと、もうこの呼称はご法度だった、えーと、(女性)客室乗務員に「ガラガラだから、どこ座ってもええやろ?」と聞いていた。お姉さんは、沈んだ声で「はい、結構でございます。」

 そして、もうじき大阪につく頃。通常なら「この度は、日本航空○○便をご利用いただきまして、まことにありがとうございます。 ~~~ またのご搭乗をお待ちいたしております」などと、『いい空の旅だった』という機内アナウンスがあるものだ。それが、この日は気流が悪く良くゆれたため、「~~~ 本日はあいにく気流が悪く、快適な空の旅がお楽しみいただけなかったことが残念です。」と、ただでさえ重苦しい航空事情に加え、二重三重にさびしい空の旅になってしまった。

 自分とは逆に、飛行機は大嫌いという人ももちろん多い。元巨人の江川卓氏もその一人。
「あんな鉄の塊が飛ぶんですよ!信じられますか?」と。

 かつてヘリコプターの実用に試行錯誤していた頃、ご丁寧に、ヘリコプターは絶対に飛ばないことを物理的に証明した物理学者がいたそうだ。結果は見ての通りで、流体力学などで考えても、航空機の翼やプロペラの形状などからして、飛ばないわけがないのです。もっと言えば、ちゃんと設計製作された航空機が駆動したら、飛ばないように抑えるほうが大変です。
 大型の貨物機が就航した数十年前、とても飛べそうもない姿の貨物機の機長が、管制塔に離陸許可を求めた。管制官はマジで「飛べるものなら飛んでみろ」と言ったという逸話もあります。あながち冗談でもなかったようです。

先進国と後進国  (2002.11.7)

 先進国と言う単語を辞書で引くと「経済、文明の進んだ国」というような定義がなされています。対する言葉としては「後進国」です。一般には「発展途上国」という言葉が使われますが、これは明らかに取り繕うために作られた言葉で、内心は「後進国」と思っているはずでしょう。
 先進国をもっと詳しく現実的に定義すると「資本主義社会で、高度に工業化した国」のことを言いたいのだと思います。

 前にも書きましたが、この単語は非常におかしな単語で、「先進国」の定義自体が矛盾している。高度に工業化した資本主義社会というのは、ほぼすべての国民が、ある特定の分野方向のみに特化し、何が何でも物を消費させて、自転車操業をしている社会だと思うからです。
 そもそも「経済」をさして「進んでいる、遅れている」というのはいいとしても「文明が遅れている」というのは、なんと奢った考え方か・・・。

 自分は決して社会・共産主義者ではありません。でも資本主義社会というのは、明らかに誤った死に急ぐ社会形態だと思っています。学生時代から、常々「なんで経済成長0ではいけないのか?」と思っていました。0のままでも、平衡状態でいいのではないか?と思っていたのですが、要するに成長を続けないと存続できない社会形態である、と後で気づいた。

 以前、沖縄の宿でアメリカ人青年と、何気にそんな話になった。自分がなぜ経済成長をしないといけないんだろうね?と言うと。「エッ?セイチョウスルノガ アタリマエデショ?」と、キョトンとしていた。疑問をもつことなく、経済と言うのは成長を続けるのが当たり前で、それが「善」だと思っていたのでしょう。ほとんどの人はそうではないかと思います。

 市民に街頭インタビューなんかをすると、当然のごとく「景気を良くして欲しい」という意見がほとんどです。「経済優先ばかりの社会をどうにかして欲しい」という意見が皆無なのが、いつも不思議に思っています。内心、どうにかして欲しいと思っていても、そんな急に変えられるものではないし、とりあえず現実的な問題として「景気」が良くならないと生活が苦しい、ということなのだとは思いますが。
 かなり以前、ドイツでの街頭インタビューで、ドイツ青年が「今のような、経済ばかりが優先される社会形態はおかしい。この状態を変えなくてはいけない」と言っていたのが、自分が聞いた唯一です。特に、極端な政治思想の持ち主ではなかったように見えました。一市井人としての意見だったと。

 先進国と言う単語を使うにしても「○○先進国」と言うのならわかるのです。「工業先進国」「福祉先進国」「医療先進国」など。たとえば日本は確かに「工業先進国」かもしれないが、あきらかに「農業後進国」になった。アメリカは農業でも大国だが、どう考えても本来の農業ではなく、お金のためや、軍事的な意味も臭わせる「戦略」でもあるでしょう。
 では、社会・共産主義が理想か?というと、現実の世界を見ると見ての通りで。いくらか「自由」が保障されているように「見える」のが資本主義社会のような感じで、まだまだ発展途上で、より理想的な社会になる、、とはどう見ても思えませんねぇ。
 はっきり言えるのは、何においても「規模」を大きくしすぎている、ということだと思います。

ああ勘違い  (2002.11.15)

 以前、チラシ製作専門の会社で専属フリーの製版職人として仕事してました。東京ではまだあまり知られていなかった「コジマ電気」のチラシを良く作った。
 作り終わってホッとしても、「訂正が入った」と何度も変わるので、コジマはものすごく効率の悪い仕事だった。(安値を競っているので、直前で値段訂正が多い)

 チラシの左上に、あの「爆笑太陽」のマークが入る。あるとき、そのマークに沿って

「この会社、あなたの税がいきている」

と言葉が入っていた。なに?なんでコジマのためにわれわれの税金がいきているんだ?と、思い切り疑問に思ってしまった。何度考えてもわからん。

 疑問を抱えたまま、後日何気に読み返したら、「この会社」ではなく「この社会」だった。
税週間だったのね^^;;。

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