オン会・ボケ自慢  (2002.9.12)

 当方の掲示板(現在は閉鎖)において、徘徊・・・い、いや、訪問者の忘れ物やボケ話が続き、このまま流れて消えてしまうのももったいないので、掲載にふみ切りました(ふみ切りが必要なほど、勇気の要ることなのか?)。大家(「おおや」じゃありませんよ)のnunoさんが言い出しっぺかと思ったら、まりんさんでしたね。書き込み順に掲載してます。今後増殖の可能性あり!?( ̄□ ̄;)!!


まりんさん(2002.9.10)
どうも以前から電車に忘れ物をしやすい。幸い都内とかではなく、帰ってきて降りる時なので、終点で回収されるのだが。で、今夜も久しぶりに大ボケしてしまった。終電の一本前だったので、取りにも行けず。。。明日の朝(もう今日じゃん)、早起きして取って来ねば・・・
お持ち帰りの仕事だったのに、しくしく。
後日談・・(9.11)
結局、お持ち帰りのお仕事は6時に起きて取りに行きましたとも。寝たのは4時だったのにさ。さぁやっつけようとしたら、縮小コピーとった時に原本忘れてきてるしさ。寝不足はおのぅミソが使えない。

Ryoichi (2002.9.10)
 まえに、個展に出す絵を井の頭線に忘れてきたことがある。幸い、全線が短いので直ぐに返ってきた。なにしろ各駅でも終点から終点まで25分だもんねえ。
 (2002.9.11)
 銀行のCD機で、5万円くらい下ろしたとき、通帳を見ながらその場を立ち去ろうとして、後ろのおっさんが、「ちょっとちょっと;;、お金忘れてるよ」と。そんなことが二、三度。;;
今年、静岡へ行くのに、東京駅の券売機で新幹線の切符買って、おつりの小銭はゲットしたけど、お札を取り忘れた。5千円がパー。東京に帰ってから紛失物係りに行ったけど、もちろん戻らず・・・・。

nunoさん(2002.9.11)
 教室に持っていくものよく忘れるので、袋に分けて入れて部屋のあちこちに~(^^;
 でも、さあ!出かけようって、車運転していて・・・あれ?今日はどこの教室だっけ?午後からの教室を午前に行ったりとか・・・まったく逆方向を走っていたりとか・・・
顔はわかるけど名前の出てこない人すごく多いの。やっぱりアルツかなぁ・・・

kakoさん(2002.9.11)
 >nunoさん!落ちついて居られる様なのにお仲間で嬉しいです。最近お話しをして居て、外枠から説明している内に何を話そうとしていたか忘れる事が多くなりました。だから相手に「ねぇ~最初何話していたんだっけ?」笑えない話しです。

Ryoichi (2002.9.11)
 忘れないように、というものに限って忘れるのよくありますねえ。大事なので、特別なところにおいたりするからわからなかったり。このレス、一度さんざん打って、もう一回見たら、ボタン押してなかったらしく、投稿されてなかった。・・・
前に、竹炭をたくさんもらって、珍しいものだから、絵を描いて、ニスを塗ってきれいにしようと、いったん全部洗って、床に並べた。大事だからと新聞紙を上にかけたら、竹炭が見えないからしっかりふんずけた。。こないだは、バリ島の象牙の彫刻を新聞紙に包んでおいて、やっぱりふんずけてこわした。

はちみつさん(2002.9.11)
 通帳のコピーが必要になってデパートでコピーを取ったところまではよかった。はさんだ通帳を取り出すのを忘れたままコピーを取った紙だけ持って帰った。で、銀行から電話があってはじめて忘れた事に気が付いた。生活費が入った通帳なのに…(^^;)
 いい人に拾われてよかったなぁって(;^_^A アセアセ・・・
小さい頃から忘れ物の常習犯でした(笑)いまだになおりませんわぁ~ォホホ

ネコ舌の人生  (2002.9.12)

 言っておきますが、ネコ舌なんです(誰に釘をさしてんだ?)。簡単に舌をやけどします。

 大学時代、構内の広場に、紙コップ式のコーヒーの自販機がありましたが、あれしきのコーヒーで何度舌をやけどしたことか。(というか、学習が足りんのか?)中華が好きですが、特にナス炒め系は苦手ですねえ。いや、好きなんですが、中華は油で包まれているものが多く、そうなると冷めにくい。しばらくボーっと料理を見ているのもアホみたいなので、無理にフーフー冷ましながら食べるのですが、口の中は大変です。
 面白いことに、ネコ舌の人が一生懸命冷ましながら食べるときって、食べる速度が普通より速くなるような気がするのだが。一生懸命フーフー冷まして、ハフハフと次々に食べて、いつのまにか猛スピードで食べてたり。気のせいか?

 そうそう、ネコ舌の本家本物のネコですが、ノラネコと飼いネコではノラの方が、よりネコ舌だそうです。考えたら当たり前ですが、飼いネコは温かかったり、少々熱いエサを貰うことはあっても、野生のネコはそんなことはありません。せいぜい捕まえた獲物の体温程度。家ネコの方が熱いものには慣れてるんですね。

 もうひとつ、ネコ肌なんです。熱い風呂は苦手。だから温泉行っても、熱い湯船は苦手だし、のぼせるからすぐに上がってしまう。ゆっくり温泉につかるときは、出たり入ったりの繰り返し。体温は低いほうなんですが・・。

 そういえば、定食や丼ものを頼むと、味噌汁がついてきますが、あれも熱くて。。。周りを見ても、そんなに神経質に冷ましているのは自分くらい。もしかすると野生だったのか?・・・

ほっといたれよ、タマちゃん  (2002.9.13)

 相変わらず「タマちゃん、タマちゃん」と、最近は全国紙にまで写真で載っている(多摩川に現れたアザラシ)。タマちゃん専任のレポーターにされた、各局のテレビ職員は、たまったもんじゃないだろうなぁ、と同情してしまう。何しろいつどこに現れるかわからず、ほとんどは何もない状況ですごしているのだろうし。勤務時間だってあって無いようなものなのでは?

 今日の新聞に専門家の意見として「ほっといてあげたほうがいい」と言うのがあった。
元気なのだから保護するも何も無いというのだ。住みづらくなれば北へ帰るだろうと。そのとおりだと思うのだが。もうひとつ、「(都会には)野生動物がいるのが不自然という意識が強すぎるのでは?」というのもあった。

 解剖学者の養老猛司氏は「都市とは、自然の存在を許さないもののことだ」と言っている。これ、意外だと思うだろうけど、その通りなんですね。少しでも「自然状態」のものがあったら、すぐに人工的にふさいでしまう。土の部分はコンクリートで覆い、雑草は抜いてしまう。そして絵に描いたような人工的な「模擬自然」を作ります。おそらく都市に存在する唯一といっていい自然は「空き地の雑草」だと思うのだけど、それは雑草として処理されますね。「雑草」なんてひとくくりにしているけど、多種多様な植物なんですよね。でも、経済的に役に立たないから「雑草」なんでしょうね。

 都市というところは、ことごとく自然状態のものは排除しているのです。そのくせ、自然があったほうがいいというので、わざわざ人工的に作り出す。自分たちに都合のいい「自然」の状態でないと困るのです。そもそも、都市はあらゆるものを人間がコントロールする場所です。本当の自然が勝手に生きてくれたんじゃ困るのでしょう。

 話が大幅にそれたけど、タマちゃんも、もっと自然の残っている地方で出現したら、これほどの大ニュースにはならなかっただろうし、いつまでも報道などされないんじゃないかなぁ?「おぅ、珍しいもんがあらわれたなぁ」くらいで。そのうちに慣れてしまうのでは。逆にいうと、都市部はあのような野生動物がいることに抵抗を示しているのかもしれない。表面上は喜んでいるけど。
 「北へ帰してやれ」という声が多いが「都市にいてはいけない」という意識が根底にあるのかも。これは、一人一人の意識がそう思っているということではなく、「都市」というひとつの大きな共同意識が。
 「タマちゃん報道」に関しては、このご時世に能天気なことを、という批判もあるのだろうが、それはそれで結構なことだとは思うのです。能天気な民族で結構じゃないですかねぇ。いつも、自分の国が正しいの、あそこはけしからんのと息巻いて殺伐としているよりは。能天気で、そのまま自滅して滅んでしまうかもしれないが、好んで戦争ふっかけてのさばるよりは・・・。

 昨年見た、JR東海の広告ポスターの中の「コピー」がとても新鮮で心に残りました。

桜の開花が
 ニュースになる国って
  素敵じゃないですか

教えるということ  (2002.9.16)

 先日、行きつけの喫茶店で、常連さんと絵の教室の話になりました。その方は、前に少しだけ、ある絵描きの先生に教わりに行ったそうです。
 あるとき富士山を描きに行って、その方は夕焼けの富士山が黒く感じたので、黒い富士を描きました。そのとき先生は「黒い富士山なんて無い」と言って、直させました。それで(その先生自体は尊敬していたのだけど)この人に習うのはちがうと思ってやめたそうです。
 こういう話は良く聞きます。その先生はかなり写実に描くことを強制していたようなので、その方には確かに合いません。黒い富士山が無いことなどはわかっているのです。黒く感じたから、またはそう描きたかっただけなのです。

 うちの絵の教室に来ている方の子供は、かなりユニークな絵を描きます。小学校のときに海の中にカブトムシを描いたり。その子は小学校のときに転校を経験しているのだが、元の学校の先生はそういう絵を見ると「おもしろい」と言ってくれたそうです。
 ところが、次の小学校では「海の中にカブトムシなんかいないだろう!」と言われたそうです。どうもこういう事を指摘する先生って、考えていることが理解できません。どういうつもりでそういう指摘をするのか?カブトムシが海にいない事など、その子だってわかっています。面白がって描いているのです。その学校の先生は、そういう事をちゃんとしておかないと、子供が海の中にカブトムシがいると思い込んでしまう、とでも思っているのでしょうか?子供は頭が悪いから何から何までちゃんと教えておかないといけない、とでも思っているのだとしたら、頭の悪いのはその先生のほうなんですがネエ。

 僭越ながら絵の教室なんぞをやってますが、自分が教室でやることは、指導ではありません。だいたい、ろくに指導できる技量もノウハウもありません。教室を離れたときに、自分で自分なりに楽しめるようにしてあげたいだけです。
 先月、小学四年の女の子が夏休みの宿題のために工作をやりに来ました。大人でもろくに使えない人がいるような工具を次々に使わせました。のこぎりに始まって、キリ、ドリル、切り出し、ボール盤(固定式のドリル)、ルーター(歯科医が使うような削る機械)etc.. 簡単な使い方を教えて、後は危険が無いように見ているだけ。ちょっと手や足を切りそうなくらいなら黙ってやらせます。ちょっとくらいの怪我なら使い方を身体で覚えるのに効果的だし、本人も自分の力でやりたがっていたからです。(実際、のこぎりが滑って、ひざに軽い擦り傷をつくった)
 結果的に、そんな小さい子供としては驚くような出来のものを完成させました。よく言われることですが、子供に刃物を持たせるのが危ないのではなく、使い方を学ばせないのが危ないのです。その子は筋も良かったのですが、後半は、ボール盤のドリルの刃も、すべて自分でセッティングしたりして、小さな職人然としていましたね。結局、その間90%くらいは、ただ作業を見ているだけでした。

 そんなこんなで、以前読んだ、将棋の米長邦雄氏の言葉を思い出しました。
 弟子をとって、こいつは伸ばそうと思ったら、何も教えないのだそうです。弟子が自分の頭と経験で学んでいくのを見守るだけ。逆にこいつは自分をおびやかしそうなヤバイ素材だから「つぶしてしまおう」と思ったら、それは実に簡単で、何から何まで手取り足取り教えるのだと。そうやって「先生に教えてもらった」弟子は、ある程度までは急激に伸びる。
でもどんなに伸びても、教えた自分を超えることは決して出来ない。そして応用がきかなくて自分でつぶれていく。自分で学んで伸びた弟子は、師匠を超える可能性を無限に秘めていると。実際に、何から何まで教えてつぶした弟子はいないと思いますが。。

 それから、誤解のなきように付け加えますが、最初に書いた「富士山」の先生の話。その先生は写実を教えようと言うのですから、指導が間違っているわけではありません。「黒い富士」を描いた人が、教室を選び間違えただけです。その方は、そういうものを自由に描ける教室へ行くか、自分で自由に描けばいいのです。

教わるということ  (2002.9.19)

 前回は、教える側の立場について書きましたが、今回は教わる側について。なぜか、今までに美術の先生とイラストレーターに、絵を教えたことがあります。と言っても、もちろん普通のように絵を教えるわけがなく、自分の描く、特殊な色鉛筆の技法を教えたのです。
 最初に断っておきますが、自分の描く色鉛筆の技法は、イラストレーターとして活躍されている黒井健さんが考案された技法です。「手袋を買いに」や「ごんぎつね」の絵本イラストでも見た方は多いと思います。

 NHK教育テレビの趣味講座で10年ほど前に「イラスト入門」というシリーズがあり、アンパンマンの作者である「やなせたかし」さんの司会進行で、毎回一線で活躍されているイラストレーターをゲストに迎えて放映されてました。ある回でのゲストが黒井健さんでした。そこで、このHPのコーナーでも紹介している色鉛筆の油ぼかし技法を公開されてました。それを見て、自分の描く絵に合いそうだと思って、やってみたのが始まりでした。
 自分で試行錯誤しながらやるので、あの技法で一通りなんでも描けるようになるのには、それなりの年数がかかりました。しかし、ほぼその技法を自分なりにマスターして、それを他人に教えてあげると、その人は実に簡単に描けるようになります。

 たまに、そんな大事な技法を簡単に教えてしまって良いのか?と言う人もいます。でもたかが技法なんです。絵を描くための手段に過ぎません。
 技法が特殊だからと、それを他人に教えるのを拒むとしたら、それはそれだけの器でしかないのだろうし、作品ではなく技法が評価されているだけの事です。水彩や油絵だって、最初は特殊な技法だったはずです。でも、それを秘密にする現代人はいないでしょう。

 もちろん、日本の伝統工芸の中にもあるように、技法そのものが意味を持っているものもあります。その場合でも、その技法を他の人が修得したからと言って、その人の作家生命がおびやかされるものではありませんね。まあ、そういう方は職人であり自分のことを「作家」とか「芸術家」だなんて思ってないはずですが。

 そもそも、あの(色鉛筆の)技法が特殊だからと言って、それを他人に教えて、相手がプロであっても同じ絵が描けるわけがありません。どんなに似たような作品になっても、個性が違うのだから、同じ絵にはなりえません。どのような技法であれ、自分の絵は自分にしか描けません。自分の教室に来て絵を描く人の作品も、その人にしか描けない個性の絵ばかりです。こちらから見ても、おもしろい良い絵だなぁ、と思うものがたくさんありますが、僕には描けません。おもしろい描き方をする人がいると、それを自分の絵に取り入れることも少なからずありますよ。

 話が大幅に枝葉にそれていますが、あの色鉛筆技法は、丁寧に教えてあげればきわめて簡単です。絵にコンプレックスを抱いていたりして、描く自信のない人に、あの技法をやらせるとほぼ間違いなくその日のうちに、色鉛筆でたいした絵が描けるようになります。やってみた人でないと分からないのですが、普通に絵を描いている感覚とは違うので、その辺で今まで持っていた抵抗感がなくなるのだとも思います。そして思ったより簡単に、良い雰囲気の絵が描けてしまうので、本人はもちろんびっくりですがこちらもびっくりです。
 最近は、こちらもその変化には慣れっこですが、最初のうちは、やらせておきながら、あまりに上手く描けるようになってしまうので、目を丸くしてしまいました。
 自分自身が「絵を描いてみたい」という気持ちさえあれば、ほぼ間違いなく、その人らしい絵は描けます。これは、その色鉛筆技法に限らずです。僕のところでやってみた事のある人は、はっきり分かると思いますが。
「ぜったい、あたしが、最初のできない人になるわ」と言っていたあるおばさんも、今では息子の経営する民宿で自分のポストカードを売ってたりします。^^)

 今までで、一番初日の最初の絵を上手く描いた人は70歳くらいのご婦人でした。ほとんどの人が色鉛筆技法を修得できると言いましたが、できなかった人が最初に書いたイラストレーターと美術の先生です。なぜか?
 70歳のご婦人は「自分は絵は全くわからず、まったく描けない」と自覚してますので、こちらの説明や話を謙虚にすべて受け身で聞いています。説明して描かせると「こうですか?」と、ちゃんとその通りにやります。逆にイラストレーターと先生は、こちらの言うとおりにできないのです。先生は、あまりに常識外れな技法なため、こちらの言っていることが理解できませんでした。他にも「アーティスト」と自認する方にも教えたのですが、そういう方やそのイラストレーターの方は、自分の世界を持っているので「他人の教える話」などに聞く耳を持ってません。中途半端に聞き流して、自分流にやろうとするので出来ないのです。

 たいていは、僕の色鉛筆画の中から、初心者でも模写できそうなものを模写させるのですが、70歳のご婦人は遠目に見たら、どっちが原画だったかわからないほどに模写できました。できなかった「アーティスト」たちは、色の出し方さえ上手くできませんでした。でも、教えてくれというから、教えたんですが・・・。

 別に先生やアーティスト一般がこういう傾向にある、と言っているわけではありません。人の話を聞く耳を持っている「アーティスト」はちゃんと普通の方と同じにできました。まあ、そのかたは自分を「アーティスト」だとは自認してませんでしたが。

 自分は、活字中毒に近いほど読書が好きですが、本を読むときにも同じことが言えるんです。自分の考えで読み進んでいるときは、ほとんど本の内容はちゃんとくみ取ってませんから。

ヘイ、タクシー!  (2002.9.20)

 タクシーって結構好きです。なんか乗って走っているときのタクシー独特の雰囲気と言うか、車内の香りも嫌いじゃありません。
 本日は、母君を月一回の病院の診察へ連れて行く日。やっと拾ったタクシーは、割合ハキハキと応対のいい運転手さんでした。すこしせわしない人でしたが(「運ちゃん」と言われるのは、あの人たちはかなり嫌なんだそうです)。
 しばらく走ると、忘れてた、というような感じで
「あっ、○※○*の×※□△○で、□※×します」と、早口でまくし立てる。
「はぁ?」と、聞き返すと、
「○○交通社の△△が御案内いたします」
 最近、お店なんかで、いろいろな変わった挨拶が多くなったけど、タクシーでは初めて聞いた。タクシーでこんなこと言われても、あまりに意外で何を言われているのかちょっと把握できないかも。

 4、5年前、恒例の秋の個展が終わって搬出のとき、飯田橋のギャラリーの前でタクシーを拾って、荷物を積んで帰った。そのときの運転手さんは、50台半ばくらいの方だったと思うが、とても誠実な人でした。話の一つ一つにも、気遣いを感じ、久しぶりにタクシーに乗って、いい気分で帰ることが出来ました。
 タクシーの運転手さんの後ろには「エコーカード」というそのタクシー会社への意見や苦情などを、書いて送れるハガキが用意されている。時々、腹のたつ運ちゃんの時は、よっぽど名指しで苦情を書いてやろうか?と思うことはある。でもその時は、感謝を伝えるためにハガキを持って帰り、その運転手さんの名前と感謝の気持ちを書いて出した。
 1、2週間した頃、タクシー会社から電話があった。感謝のエコーカードに対する御礼の電話だった。運転手さん本人からではなかったが、その運転手さんもたいそう喜んでいて、いっそう仕事に励んでいる、とのことでした。

 このときは、乗ったこちらもエコーカードを送られた運転手さんにも、うれしかったことではあるのですが、よく考えたらその程度で乗客側がいい気分で乗れた、と言うのも困ったもんではあるのだが・・・。要するに、他の運転手の接客態度が褒められたものでない、ということでもあるわけで。

 バブルの時に、印刷製版職人の仕事を専属でやってたときには、しょっちゅうタクシーで帰るという事をやった。格好といい容姿といい、運ちゃん側から見れば「若造」に見える自分がタクシーに乗ると、軽く見られる場合がある。失礼とまではいかないが、明らかに軽く見られている場合があるのだ。

 タクシーの運転手さんと言えば、沖縄の運転手さん。よくしゃべります。沖縄本島と石垣島でよく利用するのだが、どちらも愛想がいいのはもちろん、よくしゃべる。
 東京でも、愛想が良くてよくしゃべってくれる運転手さんはいる。でも沖縄のように、しゃべるときにいちいちバックミラーでこちらの顔を覗き込んだりはしない。沖縄の運転手さんは、相槌を求めてくるかのように、バックミラーに映る顔を覗き込んでくるのだ。
 沖縄に行っても、並みの観光なんてまずしないのだが、3回目くらいに行ったとき、人並みに本島南部の観光名所にタクシーで行ってみた。前にも行った戦争平和記念公園を訪問のあと、タクシーで二ヶ所を回ってもらった。最初に「ひめゆりの塔」へ行ってから、どこだか忘れたが、もう一箇所の予定で。
 で、ひめゆりの塔の前で車が止まった。車内で運転手さんが「ひめゆりの塔」について、一通りレクチャーしてくれる。
 さて、降りて見に行こうかとしたら、そのまま発車。オイオイ、と思っていると、運転者さん曰く。
 「あんたくらいの若い人がココを見るのは、まだ何十年か先でいいよー。あっはっは」

元気な患者たち  (2002.9.23)

 駅二つ向こうに、整骨院がある。いや、整骨院くらい近所にもあるが、そこは非常に元気がいい。頭のてっぺんから声を出す、歯切れのいい院長をはじめ、10人はいようかというインターンはもちろん、受付のお姉さんも元気一杯だ。誰がインターンか医者かはよくわからん。
 最近は、お世話になる理由も無かったので行っていないし、先日ヒジを痛めたときは、駅前の整骨院にした。前述のところでは、歩いて少々遠いのだ。それに混む。混む一番の理由は、じきに述べます。

 まず院に入ると受付のお姉さんが「こんちわ!」っと元気よく声をかけてくれる。呼ばれて診察室に入ると、5、6人の医者と言うかインターンと言うか、若いのが次々に「こんちわ!」「こんにちはー!」「こんちゃ!」と治療をしながら声をかける。ああいうところの人は医者と言うべきなのか、なんと言うべきなのか?厳密に言うと医者ではないので、とりあえず整骨師と呼んでおきます

 治療が終わって退室するときも「おだいじにー!」の大合唱だ。巷の、良くわからない店員の挨拶合戦とは違い気持ちのいい声掛けである。

 で、同じく患者が元気がいい。整骨院と言うのはやはり老年の患者が多いのだが、待合室では楽しそうにおしゃべりしているし、治療室に入っても、整骨師達や電気治療で時間を食っている同士でおしゃべりしている。
 それはそれで、なかなか和やかでいいのだ。元気に治療が出来ようってもんだ。
 ただ、困ることもある。朝は9時に始まるのだが、8時半過ぎあたりから、毎度おなじみの爺さん婆さんたちが、開くのを待っている。こちらもそれを見越してそのあたりの時間に並びに行く。整骨師が多いので、一度に6、7人は治療が出来る。
 でも、数分の出遅れで、その第一陣に入れない。こちらもそんな朝に並ぶと言うのは、その後仕事に行かねばならないから、仕方なく並んでいるわけです。
 で、9時15分前くらいになると、玄関が開き、中で待てる。元気な患者達のおしゃべりが始まる。「あんたはお若いのに、どこが悪いの?」なんてことも聞かれたり。

 ある常連の爺さんがある時、隣の爺さんに言っていた。
 「私は、ココに来るのが楽しみなんですよ。」
・・・・・おいおい、気持ちはわかるよ。でも、朝一番に来るってぇのは、急いでいる人が多いんだから、そういうのは暇な時間帯にしてよ。

悪夢の船旅  (2002.9.26)

 それは1994年の夏のことでした。何を思ったか、沖縄まで船で行ったのでした。東京有明港→那覇→石垣島 の往復、全部船で民宿4泊分がついて45000円くらい。もちろんまだ飛行機の早割チケットなどない頃です。那覇までは48時間、那覇から石垣は18時間くらいの行程です。

 言っときますが船には弱いのです。バスも弱いです。以前、知床に行ったとき、漁船を観光用に流用している船で、知床をグルッと海岸線沿いにウネウネと回る、あまり一般に知られていないやつに参加して、、、死にました。たまに路線バスで軽く酔ってしまうこともあります。
 では、なぜ、船で沖縄へ行くなんて自殺行為をしたのか?何にも考えてなかったのです。大型船だから、そんなに揺れもひどくないはずだというB級情報と、運賃の安さにも惑わされ・・・。このときの全日程は約2週間。予定だと、そのうちの半分近くを移動に費やすわけです。

 有明を午前中に出港するのだが、何しろまともな船旅は始めて。青函連絡船が廃止になる直前にたまたま乗ったくらいで。
 港には、暇だし、船が出港する港を見たいという友人が見送りに来ていた。友人は、この先の悪魔の船旅を予想もしなかっただろう。おまけに用事を思い出して、出港前に帰ってしまった。

甲板の犬 船は琉球海運。賄賂を貰ってもお世辞にも綺麗とは言えないし、貨物のついでに人間を輸送してないか?という感じ。
 出港してからは、しばらくは太平洋側の海岸線に沿って船は進む。神奈川の海岸線の横を進むときには、そのあたりの友人に電話するくらいの余裕ぶり。通路には、口にサックをはめられた犬がつながれていた。そういう決まりなのでしょう。

 さて、船は順調に進み、食事が用意できたという館内アナウンスが流れる。毎回アナウンスに促されて食堂に行かなければならないようだった。
 寝る場所は、二段ベッドが並ぶ狭い部屋。同じくらいの年代が多く、何人かとはすぐになれました。人見知りのボクにはめずらしい。

 初めての長距離船の旅は、新しい発見の連続だった。最も驚いたのは甲板に出たときだった。もう、陸なんかまったく見えない太平洋に出ているのに、目の高さにトンボが飛んでいる。なんで、こんなところにトンボが?と思っていると、それはトンボではなかった。何しろ思いがけないものを見たのと、海の上で距離感が狂っていたのだ。甲板の上を飛んでいるトンボに見えたものは、向こうの海の上を飛んでいた「トビウオ」だった。しかも、かなり低い位置を飛んでいた。
 船の前方が波をかき分けると、船に直角に逃げるように、トビウオが海から飛び出して飛んで逃げていく。その光景は信じられないほどのものだった。海から飛び出した、おそらく30センチほどのトビウオが、海面から数十センチの高さを保ったまま、100m以上もスーッと飛んでいくのだ。その光景が、尽きることなく繰り返されていた。トビウオは羽ばたいているようには見えず、ヒレを広げてグライダーのように滑空していった。海中の捕食者から逃げるためと、空気中のほうが抵抗が少ないので、空中に出て逃げるのでしょうけど。

 九州と同じ緯度のあたりだったと思うが、イルカ泳ぎをする十数頭のイルカも遠くに見えた。イルカ泳ぎというのは、海面上にジャンプを繰り返しながら泳ぐ、あの独特の泳ぎですね。遠いので、はっきりイルカかどうかは確認できなかったが、多分イルカだと思う。最初、カツオかマグロか?とも思ったが。

 異変はじきに起こった。船の揺れが激しいのだ。同じ部屋の男も船にはあまり強くないということで、酔い止めを持って来たという。自分はそんなものは用意していない。繰り返すが、何にも考えてなかったのだ。
 揺れはどんどん激しさを増す。同室の男は「やばそうだから(酔い止めを)飲んじゃったよ」と言う。やばいかなぁ、と思いながらも、まだ人生を甘く見ている自分はそれほど心配してはいなかった。その男は、少ししか酔い止めを持っていなかったので、貰うわけにもいかないし。でも考えたら、船の中で売っていたんでしょうけどね。

 さて、揺れはどんどんひどくなってきて、自分ももう耐えられなくなってきました。船員室のような部屋のベッドに横になります。そして、洗面所とのお友達関係が、濃密になっていくのでした。船内の揺れは激しさを増し、壁に手をついて歩かなければならないほどの揺れになりました。と言っても、自分がグロッキー状態だったからなのか、悪魔の記憶が脚色されているのかは定かではありません。でも、後で聞いたところでは、沖縄出身の船に慣れている人が酔っていたという。台風の後の余波だったようです。

 自分は何度も洗面所を往復し、もう胃液さえも吐くものがなくなっている。それでも吐き気は止まらない。しかも船内には悪魔の声が響くのです。時間になるとあの食事案内のアナウンスが。。
 毎回、時間になると食事を促す「お食事の用意が出来ました、皆様食堂の方へ・・」という悪魔の声が響く。腹もたつのだが「人間、『食欲』さえあればどうにかなるんだ」と、死の床で実感したのでした。

 結局この間約30時間、船の揺れは激しく自分は悶絶していたのだった。48時間中の30時間である。その間強く思ったことがある。

 「この先の人生の夢は一切いらないから、陸に着いてくれ~」

甲板の牛 那覇からは、予定通り石垣まで船で行ったのだった。今度はしっかりと那覇で酔い止めを買って。いや~、酔い止めがあんなに効くなんて知らなかった。三半規管はしっかり酔ってゆれている自覚はあるのに、気持ち悪くならないのだ。おまけにむちゃくちゃ眠い。
 那覇の常宿から乗り込んだ6人を乗せた船は、甲板に黒牛を乗せていた。そして深夜、みんなで見た星空は圧倒的だった。立ち入り禁止のデッキへあがって怒られたが。
宮古島の公衆トイレ  途中、宮古島で降りた二人を見送り、時間があるので宮古島の港の近所をうろうろしながら、残りは石垣島へ。(右の写真は宮古島名物の公衆トイレ)
 そして石垣島で、それぞれの方向へ散っていった。このときの一人が、モルテン・ポールセンというノルウェー人で、日本語と日本文化を勉強中。「守天宝留泉」という見事な当て字で命名して差し上げた。ノルウェーに帰国後、「この漢字を見せると、友人になる日本人がすぐに名前を覚えてくれる」と、喜んでおられました。彼からの手紙は、いつも差出人が「守天」になっていた。(手紙は英語なのだが、実にシンプルでわかりやすい英語だった.。後で知ったが、ノルウェー人の英語はとてもわかりやすいのだそうだ。)

 で、その後ですが、那覇までは船で戻りました。酔い止めを飲んでいてむちゃくちゃ眠く、そのときは一人だったので、ほとんど爆睡。
 さすがに那覇から東京まで、また船に乗る気はせず、チケットは捨てて飛行機で帰ったのだった。

でも、今思う。今度はちゃんと酔い止めを飲んで、沖縄まで船で行ってみたい。(懲りないやつ)

もうすぐ石垣島
もうすぐ石垣島

ポイントカードのススメ  (2002.9.28)

 最近はどの店へ行っても、その店独自のポイントカードがある。たいがいは、買った代金の数%がポイントとして貯まり、次に使えたり、一定のポイントで数百円分の金券として使えますね。
 レジで精算するときに、たいていポイントカードの有無を聞かれます。スーパーなんかでは、持っていなければ、そのまま普通に精算しますが、その他の店では、カードを作ることをススメられますよね。店側は、ポイントカードを作らせることで、お客をなるべく自分の店に縛り付けたいわけだけど、自分のばやいは、買い物を優先してしたい店のカードのみ作るから、一応選んではいるわけです。

 そういえば、レジで違う店のカードを出しているおばちゃんの光景は、日常ちゃめし事ですね。かく言う自分は、ボーっと考え事していて、家のカギを開けるはずが、右手に鉄道のプリペイドカードを出して持っていたなんてことも。。。

 現在自分が持っているポイントカードは、某コンピューター量販店、画材屋関係二件、東邦日曜大工センター、以上です。スタンプカードなら、中古CD屋チェーンのもありますが、あれは無条件でくれるから。あっ、駅前のラーメン屋や日用品屋のスタンプカードもあった。表参道の絵本専門店「クレヨンハウス」のもあるな。スタンプカードの場合、忘れるとすぐに新しいのにスタンプ押してくれちゃったりするから、二枚も三枚もあったりして。

 ポイントカードを持ってなくて、作るのをススメられるときって、いらなければ「いりません」で、いいんですけどねえ。なんか、断る理由をいちいち付けてしまう。
 「あまりこっちの方へ、来ないんで・・」とか、手の込んだ言い訳だと、「今日は忘れてきました。」なんて。スタンプカードだったら、新しいのに押してくれるか、レシートにスタンプ押してくれますけど、もとよりカードなんて持ってないんだから、そのままゴミ箱。

 ひとこと「いりません」と言わないで、もっともらしい、カードを作らない言い訳をするのって、ことを荒立てたくないというより、小市民の感覚なのかしらん? いや、小市民だったら、ちょっとでも得しそうなカードは作るよな・・。

「夢よ…」  (2002.9.29)

 前にも書いたけど、よく夢を見る。リアルではっきりとした夢を一晩にいくつも。
 どちらかというと、冬のほうがよりたくさん見るような。冬のほうが眠りが浅く、夜中に目がさめることが多い。それで、そのたんびに覚えているのかもしれないけど。

 眠りに落ちるときというのは、だんだんと落ちていくのではなく、ある一線を境に「ストン」と落ちるらしい。徐々に眠くなって、意識が遠くなってはいくが、眠る瞬間を経験した人はいないと思う。徐々に意識が遠くなって、そのまま眠りに落ちるのではなく、「ストン」と落ちるというのだ。

 普通に眠りにつこうとしている時でなくても、うつらうつらして、夢もどきを見ることがある。そのような時は、たいてい覚醒している意識が入り混じっていたりして混在している。そして、覚醒意識の方が優勢になってくると、その夢もどきが覚めてきて、はっきり目覚める。

 面白いのは、意識は戻ってきているのに、夢はそのまま見続けていることだ。この辺は、他の人が同じような経験をしているのかどうか、定かでない。意識はほとんど戻っているのに、夢はそのまま受動的に見ている。このときは、ずっと目は閉じている。
 さらに面白いのは、目をあけた瞬間に夢が消えるのはもちろん、直前まで覚醒した意識で見ていた夢のことも一瞬にして忘れてしまう。
 そのことに気づいたのは、そう昔のことではない。それ以来何度も、記憶を保ったまま、目をあけるということを試したが、うまくいったことがない。はっきりと意識がさめていても、目を閉じている限りは、そのうつらうつらの夢を見続けているし、記憶もある。でも、どうしても、目をあけた瞬間に忘れる。
 だから、面白い夢のときは、そのまま目をあけないで、はっきりした意識の中で夢を見ていたりする。あまり意識がはっきりしすぎると、消えてしまうが。

 もうひとつ面白いのは、通常の睡眠の中の夢は、目覚めてもよく覚えているし、いったん忘れた夢でも、何かの時に、不意に思い出したりする。だから、どうも通常の睡眠の中の夢と、うつらうつらの状態の夢は、種類が違うようだ。

 夢でもうひとつ。夢の中で、自分が夢を見ているとわかる時がまれにある。この場合の夢は、通常の睡眠の夢の話。確か顕在夢とか言ったかな?
 夢を見ていると自覚できると、面白いことに、その夢を操作できるときがある。受動的に見ているのではなく、次の展開などを自分の好きなように操作できるのだ。まあ、今までにそういうことは数回もなかったと思うが。それに、目覚めてから「なんで、もっとこういう風にしなかったのか?」と思ったりするのだった。

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