無二の症例  (2005.3.18)

 なんだか、買うものや手に入れるもので、ほかにはあまり例のないようなトラブルや不具合の症例に見舞われることが多かったりする。買ったものが不良品だったというのも多いし、「ATOKがおちょくる」にも書いたような、ほかでは絶対に報告例がないだろうなというのがあったり。
 昨年自作したPCの時も、ハードディスクが初期不良で取り替えに行ったし、マザーボードのサウンド部分が不良であった。PC製品は、他の家電品などに比べてもべらぼうに不良品率は高い。それでも、自分はそういうトラブルに見舞われる確率は高いような。
 まぁ、PC関係の場合は、実は不良な部分があっても、使っているユーザー自身が気づいていないというケースはかなり多いとは思う。「そんなもんなんだろう」と思って使い続けているケースも多いでしょうね。
 身近に相談できる人が見あたらないトラブルが多いため、結局それを解決するためにあれこれ調べたり試したりして詳しくなっちゃうわけだけど、ATOKの件なんかは、な~~んにもそんなことで役に立つことはなさそうだし^^;;。

 先日は自転車で分けのわからないトラブルがあった。乗っているのは、もう18年近く乗り続けているスポーツサイクルで、今では一般人の目からは遠ざかっている「ドロップハンドル」のモノである。ギヤーは前2段後ろ6段の12段変速。それが、数週間前から急に動きがおかしくなった。レバーで調整しても、後ろの3段目以降には移れないのである。考えられる調整法を施してもどうにもならんので、自転車屋へ。
 数時間で直ったらしく取りに行った。さぁ直った!と思って乗り始めると、すぐにモトのまんまであるのに気づいた。「おいおい・・・」とため息をついて店に戻り「直ってないよぉ」と言うと、オヤジは怪訝な顔をする。テスト走行をしても問題はなかったという。おまけに、オヤジが乗ってその辺を一周しても問題はない。??と思って自分が乗ると、やっぱりダメなのだ。オヤジは、一段ずつチェンジするように言うが、そんなのは聞いたことがないし、今までは一気に二段、三段飛ばしのチェンジでも大丈夫だったのだ。数回目にオヤジが乗ると、やはり直っていないことがわかったらしい。どうも、自転車を止めたままで車輪を浮かして疑似走行をさせてチェンジすると何ともないのだが、「乗って」走るとダメなのだ。そういう症例は初めてだという。
 最初に直ったと思って帰るときに、後ろギヤの部品の交換もあって2500円を払っていた。再び自転車を預け、また数時間後に取りに行った。どうも、いろいろやってみたけど変わらなかったらしい。「これで様子見てみてよ」という。なに?それで帰れと言うのか?直っていないのに、2500円を取ったままか?修理完了の代金を取っているのに、それをいっさい返金せずに結局なんにも直らなかったで帰れというのか?そのことを問いつめると「やることはやったんだし」という感じで、お金を返すのをいやがっていたが、渋々「じゃ、千円返すよ」と嫌々千円を差し出した。やるだけのことをやってくれたのはわかっているし、それ相応の対価を払いたいとは思う。しかし、このオヤジはプライドがないのか?と思ったのだった。それ以上は追求せず、千円だけを返してもらって、他の自転車屋へ行った。

 次に行ったのは、その自転車を買った店である。最初にここに来たかったのだが、開店が昼ころなので、早くから開いていた先の店に行ったのだ。次の店では、ギヤー部分全部を取り寄せて交換してみたが、直らなかった。取り寄せなどの日数も入れて一週間かかった。そこではいっさいの、代金は請求されなかった。高価な部品まで取り寄せたのだが、修理をすることができなかったので、当然のこととして要求をしなかったのだ。それが当然の姿だとは思うのだが・・・。この店でも始めて経験する症例で、原因が全くわからないという。また、部品を取り寄せては見たモノの、当の自転車の型が古く部品があわなかったのだと。もう、メーカーでもこれにあう部品はないらしい。

 そういうわけで、結局新車を買うことにした。カタログをもらって検討していたのだが、困ったことに気づいた。カタログでは乗り心地などわからないし、すべての写真は真横からなので、ハンドルの幅や形状が全くわからないのだ。メーカーのホームページを見ても、カタログの方が詳しいという困った状況。また、各メーカーに問い合わせても、ショールームのように実物を確認できる所は全く存在しないという。自転車の販売というのは、自転車屋の買い取りなのだそうだ。実物を見たいときは、自転車屋にあるものでしか確認できないのだ。
 自分が検討しているのは5~7万円クラスなのだが、そういうのでも、注文して買うしかないのだ。ん~~、これは何とかならんのか??

 結局思案の末に、同じようなドロップハンドルのモノを注文したのだった。

荒城の月  (2005.3.20)

 「荒城の月」と言えば、瀧廉太郎作曲の名曲である。メロディは知っているのだが、曲自体についてはよく知らなかった。
 この曲のメロディは、何となく知っていたのであって、学校で歌ったり聴いたりした記憶はない。単に覚えてないだけなのか、学校の音楽で扱うのはもっと前の世代なのか?

 アジアのあちこちを旅したり、日本でもアジアの民族音楽を聴く機会が多く、先方の民族音楽家が日本人向けに演奏するときは、必ずと言っていいほど日本の曲を交える。その代表がこの「荒城の月」なのだ。ほかには、♪うさぎ~おいし~あの山~ の「ふるさと」や千昌夫氏の「北国の春」だったり。「北国の春」の場合は、アジアのあちこちで現地語の歌詞でも親しまれているところが多く、当地人が自分の国の歌だと勘違いしているケースもある。

 さて、モンゴル馬頭琴の演奏会で、その民族音楽家が「皆さんもよくご存じの日本の曲をやります、一緒に歌ってください」と、「荒城の月」を演奏し始めた。とまどってしまった。メロディは知っているが、歌詞は全く知らなかったのだった。おまけに、純粋に日本の曲なのかどうかよく知らない人もいたし。一緒に歌えたのは、自分よりちょっと上の世代の人たち。それ以外の人は、ハミングするしかなかったのだった。
 世代を超えて愛されて、誰でも知っている日本の歌というのは確かにあるが、「荒城の月」は古すぎるのかもしれない。いや、良い曲で個人的には好きだけど。
 海外の人が日本人なら誰でも知っていると思っている日本文化についてのステレオタイプと、当の日本人が思っているそれとの間にギャップがあるのは何となくわかる。逆の立場で、こんなケースもある。

 モンゴルの民族楽器「馬頭琴(ばとうきん)」についての民話で「スーホーの白い馬」というのがある。小学校とかの教材にも取り上げられたところが多いらしく、知っている日本人は多い。自分は、大人になってモンゴルへ行くようになり、いろいろ情報が入ってきたときに知ったのだが。日本では有名なので、当然モンゴル人も知っているのだと日本人は思っている。
 それで、馬頭琴の演奏会なんかの時に「スーホーの白い馬」について聞いたり、そういう曲があればお願いしたいというリクエストが多かったらしい。ところが当の演奏家はとまどうばかりだったのだ。なにしろ、彼らにとっては「スーホーの白い馬?なんじゃそれは??」なのである。何故に日本人は誰も彼も「スーホーの白い馬スーホーの白い馬って言うんだ?なんのことだ??」なのである。
 現在のモンゴルは、独立国としての「モンゴル国」と、中国領である「中国内蒙古自治区」がある。もちろんその他にも少数民族としてのモンゴル人は多いが。「スーホーの白い馬」は、その内蒙古自治区の片田舎の民話なのだ。馬頭琴に関する民話は数多くあって、「スーホーの白い馬」はその中の一つに過ぎず、しかもかなりマイナーな民話なのである。モンゴル人に広く親しまれている馬頭琴民話には「フフーナムジル」というのがある。
 そういうわけで、最近は馬頭琴奏者もスーホーの白い馬のことを知るようになり、「スーホーの白い馬」というタイトルの曲も演奏したりする。ただしもちろんそれは、日本人向けのサービスなのであるが。

 日本で広く親しまれている「スーホーの白い馬」は、古くからひとつの絵本が親しまれているが、実はあの絵にはおおくの間違いがある。スーホーが裸足で生活していたり、そういう先入観や偏見による間違いが多いため、新しく描き直すという話もあったけど、どうなったのだろう?

ガキのいたずら  (2005.3.23)

 呼び鈴を押して逃げる。これはいつの時代にもあるいたずららしく、今は「ピンポンダッシュ」というのですね。自分の世代は「ブー逃げ」と言っていた。
 自分の子供のころに、呼び鈴が「ピンポ~ン」という音のやつが普及し始めたころなので、まだまだ「ブー逃げ」だったのだ。当時の我が家も「ベ~~」から「ピンポ~ン」のやつに変わったりした。比較的大きい作りの家だったので、いわゆる通常使う玄関と、来客用の玄関があり、来客用のは最後まで「ジリリリ~~~!」という音のまんまだった。ちなみに、「いたずら」「イタズラ」「悪戯」、、と書き方はいろいろあるが、「いたずら」がニュアンス的にいいような。「イタズラ」だと、なんか小賢しい雰囲気を感じるのだが。

 さてさて、ブー逃げというのは、この近所で数回やったことがあるだけだった。(近所でやるか?^^;;)その類のいたずらというのはあまり経験はないなぁ。いたずらのつもりではなかったけど、生のまんまの爆竹をよその庭に放った。当時は今と違って、庭で燃えるゴミを普通に燃やしている家が多かったのだが、後日、庭で落ち葉やゴミを燃やしていたらしく、そのときに爆竹がはじける音が聞こえたりした^^;。

 いたずらの定番の「イタズラ電話」というのは経験はない。これも、今だったら深刻なイタズラの部類に入りますねえ。
 男というのは、いくつになっても子供なのだと思うが、まだ売れない時代のタモリと漫画家の赤塚不二夫はよくつるんでいたらしい。彼らが暇つぶしにやったというイタズラがおかしかった。全くでたらめに電話した家の相手に
「もしもし、鈴木さんのお宅ですか?」と聞く。当然「違いますけど」との返事。それを数度繰り返す。その後で、もう一方の相方が同じ家に電話して
「あの、鈴木ですけど、私に電話がありませんでしたか?」^^。これも今だったら、かなり問題になるイタズラでしょうねえ。

 高校時代、同級生が連絡事項があって同じ班の男に電話した(男子校だす)。いきなり用件を言い出すので「誰?」と聞くと「オレも知らねえ」と、かけてきたやつは答えた。「変態からかかってきたのかと思って、ゾッとしたよ」と次の日に語っていた。
 かけたやつは何を勘違いしたのか、「次は誰に回すの?」と聞かれたと思ったらしい。最初に名乗らなかったのは、何度もかけていていつも声でわかってくれたからだったらしい。ん~、確かに、「オレも知らねえ」なんて言われたらゾッとするだろうなぁ。^^;;

新人研修  (2005.3.25)

 「コンピューターのお仕事」の「入社」の所にもちょこっとだけ書いたけど、かつてサラリーマンをしていたときの研修の時のお話。

 新入社員は122名だった。本社は原宿の明星ビルの中にあったのだが、大会議室で一緒くたに研修をした。人数が多かったので二部屋に分けたのだったかどうかは覚えていない。ビジネスコンピューター関係の開発会社なので、言語は主にCOBOLかFORTLANであったため、二ヶ月の研修の後半はそのどちらかに分かれて行われてはいた。
 大学の講義だって122名一堂に会しての講義なんて滅多にあるもんではない。いや、そういう講堂もあるし、講義をとっている者もいるはずだけど、まともに出席をしているやつが少ないというか^^;;。

 連日、122名対講師一名での研修講義が続く。学生気分が抜けてないなんて言われてもしょうがないというモンなのだ。
 学校ならば少なくとも90分ごとに休憩はあるのだが、そこは会社内である。時間ごとのチャイムが鳴るわけがなく、講師役が時間を区切るのだ。いい加減一時間をはるかに超え、こちらも疲れてきた。そろそろ休憩が欲しいと誰もが思っていた。
 そのとき後ろから紙が回ってきた。「QK」と書かれていた。それを講師の机に置けと言うのだ。そしてしっかりと紙は前までまわり、講師の机にこそっと置かれた。「そうか、そろそろ休憩にするか」と休憩になった。^^;;。

 会社は、主に企業を対象にしたコンピューターシステム開発の会社である。コンピューターの機械を作るのではなく、その上で動くシステム、ひらったく言えば、一連のプログラムを作るのである。通常パソコンで動くアプリは、それぞれが単独である。よく使われているオフィスソフトでも、ワープロ、表計算、などなど、それぞれが単独で動く。自分が携わった部署は、大型コンピューターでのオンラインシステム開発だったのだが、たとえばスーパーでの商品管理だとしたら、仕入れ、納品、在庫管理、レジでの打ち込みに連動した金銭や在庫管理などなどの一連の、そのスーパーに適したまとまったシステムを作り上げるのである。オンラインシステムなので、一店ではなく、そのスーパーの全国の支店のデーターを同時に扱うようなシステムである。もちろんもっと小さな規模、今だったら市販のアプリケーションで売っている程度の開発もあった。何しろ、社内LANを開発している時期で、社内メールさえなかったころなのだ。その社内LANの開発に携わっている途中で辞めたのだった。

 話はそれたけど、研修の時のお話。確かに学生気分が抜けなくてもしょーがないような状態だったけど、後で振り返ると、それにしてもアホか?というのは多かったですねえ。
 研修の途中、何か問題点などがあるかどうかと言うアンケートが実施された。普通なら、勇気のあるやつなら会社の研修のやり方に意見をするだろうし、そうでなくても、自分なりの研修中に見いだした問題点を書いたりするもんだ。しかしその内容たるやため息ものだった。もちろんまともな内容も多いけど。「トイレのペーパーを持ち帰る人がいる」「嫌われているのに気づかない人がいる」など、ガキレベルのものも多く見られた。それに対して研修担当の社員がどう意見したか、また全体でどう扱われたのかは記憶にない。
 その頃は自分も十分世間知らずだったから、それほどの違和感を感じなかった気もするし、それでも何を言っとんねん(- -;)とは思っていたのだろうけど。

 研修は2泊3日の合宿をはさみ、4~5月の2ヶ月続いた。6月1日に各部署への配属となる。研修中は、連日のように帰りにつるんで飲みに行ったりボーリングに行ったりしていたが、今の自分が見たら、やはりアホ集団に見えたのだろうなぁ。・・・まだスーツに着られている軽い連中だものなぁ・・・。

温泉  (2005.4.2)

 よく岩手に行っていたので、温泉に入る機会も多かった。温泉と言っても、旅番組に出てくるようなモノではなく共同浴場が多かったのだが。平たく言えば温泉の銭湯みたいなもんですね。

 岩手以外で温泉によく入ったのは北海道。夏に知床あたりの露天に入ったのが多かったけど、真冬の露天もよかった。
 屈斜路湖の近くの宿で、夜にはみんなで露天に行った。氷点下15度の中、裸になって湯船までは15~30秒ほど歩いたと思うけど、意外に短時間なら平気なんだなと感じた。
 湯船には照明はなく、漏れてくる明かりでかすかにあたりが見える。よく見ると目の前に白鳥が浮いてる!なんと湖に隣接していたのだった。そこから後の記憶が無いのだが。・・・

 数だけなら岩手で入った温泉が一番多いのだけど、種類では北海道でたくさん入っていると思う。
 あちこち入ってはいるのだけど、実は温泉はそれほど好きなわけではない。温泉の雰囲気は好きなのだが、長くつかっていられないのだった。のぼせるから^^;。だから、同行人がいて長く入っているときは、湯船に入ったり、出て縁に座ったりの繰り返し。

 数は減ったのかもしれないけど、やはり混浴の温泉というのは多い。印象的だったのは岩手の混浴温泉。
 それほど大きい温泉ではないのだけど、なんと脱衣所と湯船のある空間が一緒なのだ。なので、ほどほどに若い女性はそこでほとんどが引き返す。そりゃそうだろうなぁ、、^^;。それでも気にせずに脱いで入ってくるのは、人生経験豊かな女性だけであった。何しろ、湯船でゆったりとくつろいであたりを眺めてると、脱衣風景まで楽勝で見れるのだ。
 そこで考えたのだったが、同じハダカを見られるのであっても、着るところより脱ぐところを見られる方が数倍イヤだろうと^^;。単にフィルムの逆回しのような感じであっても、やっぱり全然意味合いは違うもんなぁ。

祝歌  (2005.4.4)

 以前、モンゴルでキャンプ滞在していたときだった。とある遊牧地を訪ねると、そこでは結婚式をやっていた。長老たちが、朗々とモンゴルの歌を歌う。そして、せっかくだから、何か日本の歌を歌っていけと言う。

 何がいいのか?とあれこれと案を出し合い、「あの素晴らしい愛をもう一度」なんていいんじゃないか?ということになった。愛の歌だし名曲だし。

♪いの~ち かけてと~ 誓~った 日から~~ ・・・・

と、快調に歌い始めていく。いろんな世代の日本人の固まりだったが、ほとんどが歌詞をわかっていて、問題なく歌い進んでいった。

・・・・ ♪あのとき 同じ花を見て 美しいと言った二人の~

と、きれいなメロディーで歌い進んでいく自分たちに、いいねいいね^^と酔っているようでもあった。しかし、、、

♪美しいと言った二人の~ こころ~とこ~ころが~ 今は もう・・・

みんなはそのまま歌いながらも同時に「アレ?^^;;」と、気づいた。と言うよりも、そこへ来るまで誰も気づかなかった。おいおいおい^^;;;; と我々は歌いながらも苦笑して顔を見合わせた。この歌まずいじゃん^^;;;;。

♪美しいと言った二人の~ 心~と心が~ 今はもう かよわ~な~い~ あの 素晴~らしい あ~い~を~もぅ~いち~どぉ~~^^;;;

 ま、歌詞はわからなかっただろうし、いいか^^;;と冷や汗もので歌い終わり、モンゴル人たちの拍手に包まれたのだった^^;;。

「あらかたさ~~ん」  (2005.4.6)

 長崎チャンポンのチェーン店に入った。ちょうど昼時で店内はごった返していたが、食券を買っていると奥に近い方で「あらかたさ~~ん」「あらかたさ~~ん」と店員が誰かを呼んでいるのが聞こえる。
 誰かを呼んでいる声がするのが聞こえるだけで、さして気にしなかったのだが、席について中国人らしい女性店員が注文を取りに来たときも、奥の方で「あらかたさ~~ん」と連呼している。なんだ?と見ると、「ありがとうございました~」と連呼しているのだった。どうやら店員は全員中国人か、そのあたりの出身者のようだった。

 アジア人が日本の店で働いていると、よくこういう発音は耳にする。「ありがとうございました」が、今回のように「あらかたさん」に聞こえたり「ありやとした」「ありあした」とか言うのもよく聞く。「ありがとうあるよ」はさすがに聞かない^^;。本人は「ありがとうございました」と言っているつもりで、口が回らないのか、それとも「ありあとあした」とかいう風に日本語が聞こえているのかはわからない。後者の可能性も大きいが。

 以前、留学生の中国人から、習っている日本語について聞いたことがある。たとえば「英語」の発音は「え~ご」で習ったという。「えいご」ではなく「え~ご」なのだ。いや、確かにそう聞こえるかもしれないが、正しくは「えいご」なのだ、と言うと、「センセイが『え~ご』だと言った」という。言ったのが日本人の先生なのかどうかは知らないが、まぁ確かに、正しい発音は「えいご」でも、おおかたの日本人は「え~ご」と発音してますな。「~」の部分は「い」と「え」の間くらいの発音ですかね。「えいご」と正しくはっきり言うのは、結構窮屈かもしれない。先生は、実用としての日本語会話で「え~ご」でいいのだ、と言ったのかもしれない。正しい日本語発音のメッカであるNHKでも、今時のアナウンサーは発音が怪しくなってきているようで、「え~ご」と言っている人は多いんではないのか?

 そういや、現代の日本人は子音で終わる事が多いという。日本語というのは本来、すべての文章の最後は母音で終わる。「~です(sU)」「~でした(tA)」などである。でも、特に「~です」では、ほとんどの人は「~でs」で終わっているでしょう。前歯の隙間から空気が漏れるような終わり方の発音。最後が「です」とはっきり「す」で終わると、ちょっと力んだ感じにならないだろうか?これも、正しい朗読とかアナウンスの場合は、はっきりとちゃんと「です」と言ってたりしますね。

 言葉というのは、固定されたものではなく、時代とともに移り変わるもので、日本語も母音が遠い昔の7音から5音に減ったりしている。だから「ただしい日本語の発音」という表現もどうなんだ?とは思ったりする。それでも確かにいろいろと、日本語がはっきり母音を表現せずに、中途半端に子音で終わるのは危うく感じたりする事もある。
 固有名詞のローマ字表記は特にそれを感じる。語尾に来る文字で「す」を「s」、「ず」を「z」と表記するのが増えたのは、最初は違和感を感じつつもどんどん浸透しているなと感じていた。最初に意識したのは「清水建設」が「ShimiZ」というロゴになったとき。それ以降、似たような表記が急激に増えた気がする。そこまでするんなら、なんで「し」を「si」にしないんだ?とも思うが。
 でも、ローマ字で「す」を「s」、「ず」を「z」としても良いとなったわけでもないだろうに、それでいいのかなぁ?なんて心配になったり。

国連?  (2005.4.9)

 United Nations 日本語では「国際連合」と訳されている。

 先日、ニュースワイド番組だったと思うが、コメンテーターが「国際連合というのは誤訳ですよ。あれは英語の綴りを見てもらえばわかるように、『連合国家』です」と言っていた。な~~るほど!であった。
 たしかに、何処にも「国際」にあたる単語はないし『連合国』と訳すのが自然でしょう。国連憲章での建前はあるモノの、国連の中での国の力関係や常任理事国などなどの偏った構成を見ると、大戦の戦勝国家連合である。

 「国際連合」なんちゃってると、特定の国に偏らず、全世界の平和のための団体、の様に錯覚してしまう。ま、確かにそのための組織であるはずなのだけど、いかんせん発足の仕方をそのままひきずっているから、未だにおかしな事になってるんだろうし。もしかすると、そのような誤訳をそのまま受け入れているのは日本人だけ???


・United Nations   sachi  4/11(月) 13:46
うーんとね、これは厳密に言うと「連合国家」じゃなくて「国家連合」ね。 つまり、「多くの国や地域が連合して形成された国家」じゃなくて、「様々な国家の連合」。
だから「国際連合」というのは、その「複数国家の(国際的な)連合」という意訳です。だから、建前上は「複数の国家から成り立った連合体なので、どこか特定の国や地域の影響力を受けるものではなく、決議は加盟国による投票という、民主主義的方法をとる」ことになってます。
でも実態はというと、Ryoさんが書いているように、第二次大戦戦勝国(常任理事国)の
意見や力関係にかなり偏ってるんだけどね(^^;。

芸能人に賞金…  (2005.4.14)

 バラエティ番組のレベルダウンは目を覆うばかりだけど、先日、改めて「ん~む」と思うことがあった。(前々から何となく感じていたことだけど)

 クイズや、なんやらかんやらのゲーム的な番組で、出演者が商品なり賞金なりを獲得するのは古今東西(←死語だっちゃ)から普遍的に存在する。一般人がそういうモノに出場して、それなりのモノを獲得するおもしろさはまぁわかる。でも、芸能人や著名人が出演して獲得するのって、よく考えたらおかしくないか?と。
 まさか彼らは、獲得賞金以外に出演料をもらっていないことはあるまい。番組によっては、賞金を遙かに超える出演料を得ているはずである。それなのに、それに加えて番組中のゲームでさらに獲得するのを、一般人である我々が見て喜んでいるという図が、とても奇妙に思えたりした。これって変ではない?

 優勝者には「ペアで○○へ○迫○日ご招待!」なんてのも多いが、そんなモン獲得しても芸能人が行くか?^^;まぁ、ああいうのは、獲得しても旅行会社で払い戻すというのが多いと聞いたが。だって、行き先を聞いても、見ているこちらでさえ「そんなところへわざわざ行きたいか???」と言うのが多かったり。

パソコン歴   (2005.4.16)

 ちょっとびっくりした。パソコンを使い始めてどれくらいか?と数えてみたのだった。なんとなく4年くらいというイメージが強く、でも何年も前からずっと4年って思ってたぞ、と。で、数えたらもう7年になっている。これはびっくりだった。

 始めたのは99年の春だったと思う。最初はIBMのAptivaだった。それにA3スキャナとA3プリンタをつけて買った。A3スキャナなんて、需要があまり無いから選択肢も狭く、一番安いクラスでも15万円(定価)。パソコンよりも高かったのだった。

 それからもう7年だ。これはやっぱりびっくりだった。98年まではパソコンを買おうとか使ってみようなんて、微塵も思わなかった。昔、SEをやっていたこともあって、コンピューターなんてモノを信用していなかったし、そもそも何かに使うという用途を思いつかなかった。かろうじて携帯電話(PHSだが)を使うようになったくらいで、それとても、緊急連絡用でしかなかった。今でも大して変わらないけど^^;。

 99年にパソコンを買ってみようと思った。文字通り「買ってみよう」と思ったのだ。それ以前に、時々絵のサンプルを作るときに、「写真屋」に撮ってもらったりしたことがあったのだが、1枚作るのに5千円位する(ポジフィルムで作ってもらう)。それでも再現性はあまり良くないし。パソコンで自分でスキャンして作れば、それだけで元は取れると思ったのだ。当時で絵は100枚以上はゆうにあったから、仮に1枚5千円かかるのを自分でやったとしたら、それだけでも50万以上。初期投資したパソコンと周辺機器で30万ほどだったので、それだけでも元は取れると単純計算したのだった。使用目的からして、何故にマックでないのだ?と思われるだろうけど、それは、よくわかってなかったからなのでした^^;。ウインドウズが何者かも知らなかったし、マックがクリエート関係で使われていると言うことはかろうじて知っていても、単にその世界にマック好きが多いくらいにしか認識していなかったし^^:。知り合いの税理士事務所によく遊びに行っていて、そこには業務用のワープロが置いてあったが、ウインドウズが話題になったころ(たぶんWin95)、こういうワープロ専用機にもウインドウズが関係があるのかと勘違いしていたり。

 始めた当初、自分の周りにパソコンをやっている人は、ほとんどいなかった。それ以後、徐々にパソコンを始める人が増えてきて、時々買うことを相談されることもあった。そういうときに言うのは「本当に必要が無いんだったら、あまりおすすめしないなぁ」だった。今もそう思っているが、パソコンが便利でいろんな事をやってくれて、日常生活にゆとりができる、なんて大ウソだし。どんどんよけいな事をやり出すし、ある意味便利でも、やらなくて良いこともやるようになったり、やらなくてすんだこともやらなくてはならなくなったり、またよけいな出費が増えたり。マイクロソフトも、どんどん無くてもいい機能を投入して、それを積んだパソコンを買わざるを得ない事になっているし。確かに自分の場合、パソコンを使うことで、いろいろ便利になり、手作業や手持ちの道具ではどうにもならなかった事ができるようにはなった。こうやって、HPやネットを通じて、たくさんのいい広がりも得た。それは、自分の場合、パソコンを使う目的がはっきりしていたという部分もあったと思う。もちろん、漠然と始めて、それでネットやメールなどで良いつながりを得た人もたくさんいるでしょう。

 ん~~、何が言いたいのかわからなくなってきたけど、ススめるにしても、ここのメーカーが良いとか、これなら大丈夫と言えるモノがほとんど無いというのもかなり異様な状態の気も。他人の使っているパソを見て、このままなら後で困ることになるなぁ、とわかっていてもどうにもできないことも多い。
 ウイルスの対策に始まって、データーのバックアップやいろいろな事で、それをわかってもらうにはかなりの解説が必要だし、そもそもそれを自力でやれないと意味がないので、結局言いたくても黙ってみていたり。最初だけやってあげても、後がわからなければ意味がないし、自分がいつも手助けすることもできないし、と。

 今から4年くらい前には、あと数年もすれば「パソコン」はほとんど姿を消すでしょう、という考察があった。携帯がどんどん普及して、それでメールもネットもできるし、似たようなもっと身近な機械が増えるから、パソコンのようなモノは不要になってくるだろうと。今のところその予測は全く外れているような。一向にパソコンが姿を消しそうな気配はないし。

 パソをやっていて困ることのひとつに、どんどん新製品が出ることがあげられる。自分の使っているスキャナーは一般人には高額で、モデルチェンジしたからといって、買い換えてみようか、などと言うことのできるものではない。プリンターもA3用だとやすいものではない。今使っているどちらも、すでに製造も終了し販売もされていないけど。そして、画質などの面では特に不満はない。それでも、それより画質の良いものがどんどん出てくると、手持ちのモノの画質が悪いのではないか、と、メーカーの思うつぼの心理状態に陥ったり。いかんいかん、と思いつつ、少なくとも壊れるまでは使い切ろうと思うのだった。しかし、パソコン関係の場合、壊れなくてもパソコンや周辺機器が対応しなくなるという卑怯な手を使ってくるからなぁ・・・。

 そういやプリンターの場合、インクの質が良くなり、プリントしたモノが50年とか100年はもつ!なんてうたっているものも増えてきた。まぁ考えたらわかることで、店員も苦笑しながら認めていたが、そういう製品が出てまだ1~2年なので、だれもその耐性を確認した者はいないんですがね。あくまでメーカーで年数を圧縮した実験をおこなっただけで。ちゃんとやっていればだけど。50年の耐性!と言ってたモノが10年で色あせてしまっても、その頃にはその製品は遙か昔のアイテムになってるだろうし、メーカーだって今の体制ではあるまいし。

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