土砂降りの戦士たち  (2004.9.11)

 大方の人は経験があると思う。小学校の頃、雨の日に長靴を履いて行って、最初のうちは靴の中に水が入らないように気をつけているのだけど、一旦入ってしまったら最後、あとはどんどん水を入れたり、あげくは水たまりにどっぷり入れて、長靴の中を水で一杯にしてタプタプとやってはしゃいだり。まぁ言ってみれば、もうどうにでもなれ!と、テンションが上がってしまっていたのだろう。
 こんなことは子供の頃だけで、まぁ普通は大人になってからは無いと思いきや、結構ありますな。^^; ファンのチームが優勝して池や川にダイビングするケースは別にして。

 自分にもあった。大阪でコンピューターの仕事をしていた頃の社内旅行。昭和61年のことだった。
 時期の問題なのか、あの頃の社内旅行はいつも雨だった記憶がある。確か旅行先は伊勢志摩だったと思う。宿舎でスポーツ用具の貸し出しがあったので、初日着いてから有志でソフトボールをやった。最初のうちは普通にやっていた。そのうちに雨が降り出してきて、一気に土砂降りとなった。我々も一気にキレた。どうせ道具は借り物だし、後で温泉だってあるし、と言うのだったかどうか、怒濤のソフトボール大会となった。人数は両チーム合わせても1チーム分しかおらず、ほとんど三角ベースに近いような守備陣だったような。
 土砂降りの雨は一向に衰える気配は見えず、我々は奇声を上げながらずぶぬれで異様な盛り上がりのプレーを続けいていた。かろうじてルールだけはふまえていた。ストライク、ボールのカウント、アウトカウントはちゃんとわかってはいたが、果たして何イニング目なのか、おまけにどちらが何点入っているのか、勝ってるのか負けてるのかは全くわからなくなっていた。チームの人数は4人程度なので(つまり守備側も4人)、点は怒濤のごとく入る。とにかく投げて打って走ってだけの世界だったのだ。もちろん、水たまりへのヘッドスライディングはお約束。

  勝負の行方もサッパリわからないし、何イニング目かもサッパリわからない状態だったので、どういう理由で試合を切り上げたのかはサッパリ記憶にないのだが、とにもかくにも気分爽快にして引き上げたのだった。
 ゲームを楽しんだメンバーは、20代から40代までいたと記憶している。あの光景を思い出すと、男というのはいくつになっても子供なのだな、と思うのだった。;
(写真は試合後の勇者たち。後列右から3番目が筆者。)

ワンマン?  (2004.9.13)

 今ではもう、バスはワンマンが当たり前。電車でさえワンマンが少しずつ増えてきた。

 近所を走っているのは小田急バス。白と赤のカラーリングのボディで、ほとんど昔からデザインは変わらない。そういえば以前、駒沢オリンピック記念公園の体育館前に小田急の路線バスが停まっていた。え?なんで?なんで公園内に路線バスが駐車しているんだ???としばらく「???」だった。
 よく見るとそれは路線バスではなく、小田急の実業団女子バレーのチームバスだった。普段路線バスで見慣れすぎたデザインそのままのチームバスというのも、、、なんかヒジョーにダサい^^;;;。

 さて、ワンマンの話ですが、その小田急バスがワンマンになったのは、小学校低学年の頃だと思う。それ以前は車内に車掌がいて切符を切っていたんだろうけど、その記憶はない。ワンマン化したときは、ボディや車両前部に「ワンマン」と目立つように書かれていたと記憶している。
 それを見たのは繰り返すが小学校のときである。初めて聞いた言葉である「ワンマン」の意味がわからない。小田急バスは写真のような、犬を浮き彫りにしたデザインがボディにある。当然(当然か?)、「ワン=犬」と連想した。んじゃ、マンは、ウルトラマンなんかの「マン」だろうと。
「犬マン??」
この小田急バスの、イメージキャラクターのネーミングなのか?と思ったのだった。^^;;

とらわれない心  (2004.9.15)

 「とらわれのない心」という類の言葉は「悟り」に関してよく言われたりする。悟りまで行かなくても、心を平静に保ちたいとかそういう場合に言いますね(似たようなことか…)。
  だいぶ前だが、テレビにある著作家夫婦が出ていた。番組の中で、夫は妻を評して「現世欲がない」とか「物質欲がない」という類の言葉を乱発していた。「とらわれがない」とか「こだわらない」という言葉も乱発していた。聞いていて、「ふ~~ん…」という印象だった。なんだか、自分たちは一般の我々よりも、ずっと高い精神性をもっているんだということを言いたかったようだ。いや、だからといってお高くとまってる風ではなく、穏やかでいい人なんだな、という印象ではあるが。(正直言って苦手なタイプではある。なんだか俗っぽさがまるでなくて。)

 まず感じたのは、欲があるのがそんなにいけないのか?というより、現世欲がないのがそんなに偉いのか?と言うことだった。生身の人間なんだから、ない方が異常なんじゃないのか?と思ったのだ。あって当たり前じゃん、と。それに、本当にそうだったとしても、そういうことを公に自慢するという厚顔無恥さも理解できなかった。 同じように、精神世界にはまりこんでいた知人で、食欲とか性欲とか「もうそんなものはいいの(超越したの)。」と言っていたのがいた。そのときも「へぇ~、それは気の毒に」と思ったものだった^^。
  話し戻って、先ほどの夫婦だけど、そんなことを思いながら話しを聞いてると、矛盾が見えて笑ってしまった。結局「こだわらない」「とらわれない」と言うことに、かなりこだわって、とらわれているんだな…、と^^。

発表は発送をもって??  (2004.9.19)

 小学校の頃、ある漫画番組を見てて、いつも意味の分からないことがあった。テレビ東京系で、夕方6時45分から15分間、ポパイなどのアメリカのアニメを流していた(だったと思う)「マンガキッドボックス」というマンガ枠の番組である。

 その番組では、最後に毎回プレゼントコーナーがあった。応募はハガキで行うのだが、いちいち当選者の発表はなく、当選者に贈られることでわかるという。「発表は発送をもって代えさせていただきます♪」と、毎回のようにキャラクターは言っていた。見ているのは小学校低学年が中心の漫画である。こんな言い回しが理解できるのだろうか?
 当然自分は何の事やらわからなかった。「発表」という単語も「発送」と言う単語の意味も分かっていた。でも、「発送をもって代える」という言い回しの意味が分からない。「~をもって」という言い回しはわからないでもない。「代える」がわからない中心だったのだ。「変える」だと思っていたから、「発送をもって変える」では、何のことやらわからない。発表がなんで発送で(に)変わるんだ????
「?????」であったのだ。

規制の仕方  (2004.9.21)

 ライフルの銃身の内側には螺旋状の溝が刻まれている。
螺旋によって弾丸にスピンがかかり、重力や空気によるロスが少なくなり、飛距離も落ちずに命中率も上がるからである。

 ある本を読んでいて、次のような驚くような記述を見つけた。

命中精度だけの問題ではなく、国際法によっても、弾丸が回転することは義務づけられています。
アメリカ軍がベトナム戦争で採用した初期のM-16アサルト・ライフルは、ライフリングが不完全だったせいで、弾丸に充分なスピンを与えられませんでした。
そのため、弾丸は不規則に回転しながら標的となった人体に飛びこむことになり、アメリカ軍はダムダム弾を使っているという避難が沸き起こりました。
ダムダム弾というのは、命中すると先端がつぶれて、通常の弾丸とはくらべものにならないほど傷口が大きくなる弾丸のことです。
(『つかぬことをうかがいますが…(科学者も思わず苦笑した102の質問)』より)

 傷口が綺麗になるように規制する以前に、銃のような殺傷道具を規制するという発想は無いんだなぁ・・・。救いようのない国だな・・・。

バイオリズム  (2004.9.23)

 最近はあまり、バイオリズムという単語を聞かなくなったような気がする。単語はよく知っていて、自分でもよく使っていても、バイオリズムとはそれではなんぞや?というと、そんなには知られていないのでは?
 20年以上前だったと思うけど、たまたま本屋でバイオリズムの本が目に留まり、買って読んでみたことがある。
 バイオリズムと言うと、占い方面ばかりに用いられているようだが、本来は『体の高・低調リズムを、身体、 感情、知性の三つの指標であらわしたもの。』で、生まれた瞬間からそれぞれのリズムが刻まれだすという。その瞬間にすべてのリズムがスタートするが、それぞれの周期はすべて違うので、複雑に入り組んでくる。んじゃ、帝王切開やその他の手術で取り出されて誕生した場合はどうなるんだ?という疑問もあるが、よくわからない。おそらく、母胎を出た瞬間という定義なのだろう。難産で、身体全部が出るのに時間を要した場合はどうなんだ?という野暮な質問もタブーなのでしょう^^。
 バイオリズムに関してのHPは無数にあり、国際バイオリズム協会のようなところもあるので、興味のある方は検索してみてくださいな。

 バイオリズムの場合は、自分が生まれた日を基準にして、純粋に数字で計算して様々な調子を見ることができるが、それは「占い」というのとはちょっと違うんではないのか?とは思う。研究者には占い師は当然いるが、医者も多かったりする。あくまで生体のリズムなので、金運や結婚運、仕事運などはわからない^^。それを占っているのも多いが、本来は守備範囲外のハズ。

 バイオリズムが、本当に根拠のあるものなのかどうかは知らないが、確かにそれなりのリズムやパターンがあるのは感じることはある。意味もなく落ち込んだりふさいでしまう、というのは誰でも経験があると思うが、それが一定のリズムになっているということもあるでしょう。やけに頭がよく働くときとそうでないとき、感情の浮き沈みや体調の善し悪しのバランス・リズムも何かあるんだとは思う。でも、実際にバイオリズムのリズムが真実だとしても、今の世の中ではそれを上回るストレスやなんかで、根本のリズムがわからないほどになってることもあるのでは。

 ご多分に漏れず、バイオリズムには相性占いというものがある。夫婦の場合は感情と身体のリズムが近い方が良いとされ、数々の有名人夫婦についても本の中では紹介していた。破局した有名なカップルがそのリズムから当然であるとか、おしどり夫婦のリズムが合っているとか。ただ、こういうものの場合、リズムが合っていないのに良い夫婦もたくさんいるはずだし、その逆も多いはず。そういう例は示していなかったので、都合のいい例だけを出していたのかどうかはわからなかった。

 それがバイオリズムの数値にあっていたのかどうかわからないけど、定期的に気分が沈むと言うことがあった。ある時に、なんか一定周期で気分が浮き沈みしていることに気づいたのだった。当然、落ちるときは意味もなく気分が沈んでいるわけで、それが周期的のようだと思い至ったあとは、まったく気にならなくなってしまった。意味もなくふさぐと言うことがほとんど無くなったと言うことである。男にも更年期障害があることが認知されるようになったし、男にも生理と同じようなものがあるのも言われている。生理に近いような周期で、男にも心身に変化があるという。ま、女性の生理周期は月の公転周期の影響であるのだから、男にもあっては不思議ではないと思うが。

 バイオリズムを調べるのは、表を使うので計算は簡単であり、過去現在未来の特定の時期の状況を見ることはできるが、それを信じるとしても、やはりそのままそれに沿って生活するのも、忙しない現代では難しいでしょうねえ。でも、ひとつの話題としては楽しいとは思う。計算といっても、実際に数字を計算するわけではなく、周期表を当てはめていくだけで、自分でも結構計算してみたりしたけど、ん~~、よく考えたらただそれだけで終わっていたような^^;。ま、もちろん気になる相手との相性計算なんかもやってみたりした。結果的には全く当たらなかったけど^^;。というより、リズムが合うから良いカップルになるわけでもないし、リズムが合わない人とは良い友達にもなれないわけではないのですよね。奥が深いというところで落としときましょうか。 

教育にパソコン…  (2004.9.27)

 元々はアメリカで盛んに行われていたのだけど、やはり日本でもどんどんパソコンを教育に取り入れてるのはご存じの通り。幼児期からコンピューターに慣れるためにパソコンを取り入れたり、効率の良い学習のためにパソコンを・・・。そのためのソフトというのはどんどん進化している、、、というか、巧妙になってきているのだけど、それで育ってしまった世代というのはとても不安なのは確か。
 声高々に幾度となく「パソコンの中のことは、バーチャルの世界に過ぎない」と言われているのに、特に教育方面ではどんどん子供をパソコン漬けにしていないか?
 コンピューターによる学習というのは、平たく言えば○×の延長に過ぎない。曖昧ではなく、白黒ハッキリした学習がメインになるはずである。多少融通さを持たせたとしても、それはそういう幅をプログラミングしているだけで、根本的なものは変わっていない。

 教育現場に投入されているのは、ウインドウズばかりではないと思うけど、一番気になるのは一般的にはかなりな部分が、コンピューターに慣れる=マイクロソフト製品に慣れる、という事になってないか?と。
 大方のパソコンスクールも、マイクロソフトオフィスを扱えるようになるのが目標になってるんではないかと思う。自分はパソコンを使って4年以上になるけど、ワード、エクセル、パワーポイント等のマイクロソフトオフィス製品には全くふれたことがないという、珍しい存在だと思う。別に避けていたからではなく(今は避けているけど)、最初に買ったメーカー製パソには、別のオフィス製品がついていたし、オフィス製品の類を使う必要も全くなかったからである。ワードやエクセルのデータファイルをメールでもらって困ったこともある^^;。いまは、マイクロソフトオフィスのデータに、完全互換しているフリーのオフィスソフトがいくつかあるので全く困らないが。

 教育の場でのパソコンでは、まぁそんな風に特定のソフトを扱えるのがメインになるということはないとは思うが、どう考えても良いことはないと思う。でも、聞いた話しでは、大学のコンピューターの講義が、ワードやエクセルの操作法を教えるものになってしまっているケースもあるとか。
 よく言われることだけど、子供の教育や学習に大々的にパソコンを導入するのは、正しいボタンをクリックすれば物事はうまくいくという世界観(と言ったら言い過ぎかな?)になってしまうのは目に見えている。そもそも、もうそのようになっている。リセットボタンを押せば、なんでもやり直しが利くと思っている子供が増えているというのは、かなり以前から言われていたことだし。考えが古いとか、コンピューターの未来を悲観しすぎているという声も上がりそうだけど、とにかく我々はバーチャルな存在ではないのだ。
 インターネットも便利は便利だけど、いい加減な情報があふれているのも間違いない。この「いちびりTOWN」とは別に「ペンギンの達人」も運営しておりまするが、夏休みの頃になると、自由研究でペンギンをやる小中学生からの問い合わせが増えたりする。そのときに、このサイトを参考にしてくれるのはうれしいけど、ネットの情報をそのまま鵜呑みにせずに、これをきっかけに本などでちゃんと調べてください、と念を押したりします。
 一応ちゃんとした情報を載せてるつもりではいるけど、ネットで安易に情報を仕入れて終わりというのは、絶対に身にはならないし、そういうやり方は間違っていると思うからだ。なんだかんだいっても、書籍とネットの情報の信頼度は、書籍の方が圧倒的に上だと思う。新鮮さではかなわないけど、誰でもひょいと書籍で情報を発信することは不可能だし、それなりの検閲もあるし。

 自分はかつてコンピューター開発の仕事もしてきたのだけど、コンピューターはどうあがいてみても便利な道具でしかない。複雑きわまりない処理もできるが、あくまで道具である。この先、どんなに高度にコンピューターが進化したとしても、やはり便利な道具なのである。決して本当の意味で、人間の代わりにはならない。
 教育でも同じで、決して教師の代わりにはならないし、してはならない。教育の場で使うとしても、「人間」の教師が扱う道具以上であってはいけないのだと思う。

何やかやとスポーツの秋  (2004.9.29)

 スポーツの秋という言葉も言い古されたけど、やっぱりスポーツの秋。今年は特に、いい話題ではパラリンピック、考えさせるモノではなんといってもプロ野球のお家騒動ですなぁ。今年の流行語大賞は「スト」と「たかが選手」で決まりでは?(あ、いや!「ヨン様」があった)

 パラリンピックが注目を集めるようになったのは、前々回あたりからではなかったでしょうか。その前でも徐々に知られるようになったけど、本当の国際大会というスケールでみんなが観るようになったのは。
 新聞の投書だったか、パラリンピックもオリンピックと同時開催にした方がいいのではないか?というのがあった。手間や費用の面でもメリットはあるし、ドーピングなどのスポーツ精神に反する行為も、パラリンピックの選手のひたむきさを目の当たりにすることで、変わっていくんではないかと。でも、パラリンピックでもドーピングは問題になりつつあるし、健常者が障害者を装って出場するという問題もあるんですよねえ。

 さて、最初の扉をなんとか開いたかに見えるプロ野球問題。通常、労働者にストの権利があるとはいえ、あれほど需要側から支持されたストというのも歴史上まれなのではないかと思う。野球がいかに日本人にとっての国技に等しいモノになっているかも再確認されたし、プロ野球の経営者vs労働者問題の中に、我々が問題にしてこなかった部分もたくさん見えたりもしたのでしょう。今回の騒動で、一般の社会にも影響を及ぼした部分は多いのではないかと思う。

 以前、雑記帳の中で、日本のプロ野球は崩壊に向かうだろうということは書いた。ストに突入するときまでも、やはりこのまま駄目になっていくな、と思っていた。あのまま経営者側が全く譲歩をしなかったら、来年のプロ野球の開催はないだろうと思っていたし、1年のブランクはファン離れはもちろん、選手の技術の大幅な低下も招くはずだし。
 問題の発端になったのはパ・リーグの経営難だったのだけど、なんだかこの先は逆にパリーグが元気になっていくのではないかという印象がある。今季北海道に移転して大成功した日本ハムがいい例で、地域密着を目指す地盤ができつつある気がするからである。北海道は元々、ほとんど巨人ファンで埋め尽くされたような地であったと思うけど、それを日本ハムが、ほぼ打ち破ったといっていいんじゃないかな。
 新規参入の件がどうなるかわからないけど、地域密着の傾向は強くなるはずで、その点はセリーグは断然遅れている。巨人のおかげで何とかやっていけていたのが、裏目になっているとも言えるような。仙台に新球団ができたら、地域名をつけるはずで、できたら「みちのく」なんてのはいいんではないかと思うのだけど。日本ハムも現在は「北海道日本ハムファイターズ」だけど、「北海道ファイターズ」でもなんか間延びしてるので、「どさんこファイターズ」なんてのがいいなぁ^^。Jリーグの札幌は「どさんこ」をひっくり返して、それに「オーレ」を足して「コンサドーレ札幌」なんてしゃれっ気たっぷりの名前を付けてるのだから、それくらいの事はしてもいいと思うが。
 そういえば、野球熱の土地四国に球団がないのも変なのだが、来年あたりから、四国四県対抗の独立リーグ発足の動きもあるらしい。こんな風に、いろいろなバリーションがあったっていいし、選手を目指す人の選択肢も増えていいことだと思うが。

 読売によるドラフト改悪以来、日本のプロ野球には嫌気がさしているのだが、そんな地域のファンを大事にするプロができて、ファンに夢を見せる方向に向かっていくことは期待したい。経営者側は、まだろくでもない考えは捨てていないと思うけど、これだけファンと選手の力を見せられたら、もう滅多な事はできないはず。今度やったら、確実にその企業のイメージダウンにつながっていくし。スト回避の時の経営者側の共同声明の中で、プロ野球は日本国民の中に根付いているスポーツであり文化であるとか、ファンの熱心さに気づいた、みたいな、いまさら何を言うてんねん、というのがあったりしたが、その程度の認識しかなかったのだというのをさらけ出してましたね。

バッティングセンター  (2004.10.2)

 野球に興味を持ったのは、長嶋茂雄氏が引退した年の後半からで、中学1年の時だったと思う。それまではろくにルールもよく知らなかったし、通常10イニングまでやるもんだと思っていた。
 今は、プロ野球に興味を失っているのであまり観ないが、高校くらいまでは、片時もラジオからのナイターを聞き逃すまいとしていた。
 どうも、観たりするのはよくても、自分で試合でプレーするのは好きではないと気づいたのは、二十歳をとうにすぎてからだった。ベタベタの草野球で、それぞれがその場その場で自分の思うようにやるのならいいけど、なんだかよくわからない素人監督のサインで、自分のプレーを制限されるのがイヤだったのだ。要するに、チームプレーの競技が向いてないということだったりして^^;。それに、そういう草野球の監督には、自分がサインを出して試合を作る、ということに快感を感じているとしか思えないのも多いし。
 今は試合をやるなんて機会は全くないけど、よくバッティングセンターには好きで行く。大阪にいたときは、アパートの近くにあった施設によく通っていた。最近は世田谷の駒沢オリンピック記念公園近くのセンターへよく行く。今まで通った中では、一番やりやすいし、広くていいのだ。値段も手ごろ。

 ゲームに参加すること自体は好きではなくても、個々のプレーの練習は好きだったりする。それぞれの技術の習得やなんかは好きなのだ。それを発揮するところはないのだけど、自分の納得のためだけで。
 印刷会社の専属職人で働いていたころ、次の仕事が回ってくるのに、数時間の間が空いてしまうということがよくあった。そんなときでも、バイクを飛ばして、10数キロ先の駒沢のバッティングセンターに通ったりしていた。当時携帯は普及していなかったが、多分あそこにやつはいるんだろう、なんてことがわかられたりしていた^^;。
 自分が気持良く打てる施設は限られていて、左右の打席があって、程よい速球の打席があるところである。自慢ではないが、大体時速130~140キロのボールを打っている。といっても、施設によって書いてある球速と実際の球速はまちまちで、100キロしかない感じでも、120キロと書いてあるところもあるし。
 自分は生来は左利きだったようだ。それを幼少時に直したと聞かされたのは数年前だった。それまでは知らなかったけど、なんか変だな?とは感じていて、左でやったほうがうまくできることも多かった。おまけに脳の機能まで、多くの人とは左右が逆だったりする^^;。一般に、右が芸術脳で左が言語脳と言われるが、純粋の右利きの5%、左利きの30%はそれが逆になっている。んで、打撃も左に変えたらスムーズに振れるようになったし、投球動作だけなら左投げのほうがスムーズである。ゴルフはやらないが、左で振ると自分のはなかりいいフォームらしい。その代わり左では当たらない^^;。バッティングセンターでは、まず左で始めて次に右で打つ。右のほうが好不調の波は激しく、左がダメなときは、右はまったくダメである。

 140キロの球速といっても、おそらく球自体の速さではなく、ピッチャーとキャッチャー間の規定の距離(18.44m)に換算したときの速さなのだろうと思う。バッティングセンターでは、その距離は近いので。そうでなかったら、素人の自己流の自分がパカパカ打てるはずはない。もちろん、最初のうちはまったく歯は立たず、下手にバットに当たると、手がしびれ軽い打撲状態になったりした。打てるようになると、力で打つのではないとわかるけど、打てないときはむやみに力を入れてるから、失敗の時のダメージも大きかったのでしょうね。
 で、速いのが打てるのだから遅い球は楽勝か?というと、そんなことはなくまったく打てない^^;遅すぎてタイミングが合わず、ほとんど消える魔球なのだ。遅い球から始めて、次に速い球へ行くならまだいいけど、速い球を打った後に遅い球はほとんど空振りする。だから、速い球が打てるからといって上手いわけではないのだ。本当にいい打者だったら、どちらも打てる。
 ま、それでも、素人でそれくらいの高速を打てる人は、そこに来ている人でもそんなに多くはないわけで、調子よく打ててるときに後ろで感心する声が上がったりすると、当然調子にノる^^;。もちろん待ってる人がいるときは、適当なところでいったんゲージを出るが、どんどんプレーを続けるのだった^^;。そして、帰りには疲れ果ててたりする。疲れる以前に手のひらがむけかけたりも。

 自分は自己流だと書いたが、テレビでプロ選手のフォームをよく観察して、それを真似することをやっていた。プロにはいろんな個性的なフォームがあり、一見自己流のいい加減なフォームもあるが、やはりプロでやってるだけあって、基礎はできているのだ。だから、いろんな選手の物まねをすることで、そこに共通する基本は残ったのだと思う。野球に限らないが、やはり基本は体の軸だろう。
 ここ数年、バッティングセンターに行くことも少なくなっていたが、最近はまた1~2週に一回は行っている。いまどきはあまり乗る人のいない、ドロップハンドルのロードバイクチャリでやってきたのがいたら、それがワタクシかも知れませぬ^^。

パソ引越し顛末記 1/4   (2004.10.4)

 不調は初夏を過ぎたころに現れた。日ごろ、ウインドウズとリナックスをデュアルブートで使っているのだけど、作業中に突然フリーズするようになった。それまでは、とあるパソコン相談サイト特性パソコンを購入して、それにウインドウズ98と「超漢字」という、国産OSを入れて使っていた(それ以前はIBMアプティバ)。超漢字の方は、システム自体は恐ろしく軽くて安定しているのだが、自分が使いたい方面のアプリケーションがあまりにも貧弱なので、後にリナックスに変えた。
 特製パソ購入後2年以上、メーカー製パソだったら考えられないほどに安定して動いていたのだ。98もほとんどトラブルやフリーズを起こすこともなかった。途中、Meにしたこともあるけど、あまりにフリーズやトラブルがひどく、98に戻したのだった。それからは、マイクロソフトの製品としてはうそのように安定していたものだったのだ(遠い目・・・)

 さて、初夏のころから始まったフリーズ現象は、リナックス側から始まった。98でも起きたのだけど、リナックスを使ってるときに目立った感じだった。どちらかのOSでの現象なら、OSの問題と思われるが、両方で今までに見られなかった現象が起きたので、これは「機械」が原因なのは明らかであった。
 メーカー品を使うことをやめて以来、いろいろいじったりはしていたけど、自分で機械的、つまりハード面をいじれるほどのスキルはなかったのだった。せいぜい拡張ボードをつけ外ししたり、メモリを付け替えたりするくらいで、ハードディスクを取り替えることさえできなかったし。
 当初は数日に一度のフリーズが、次第に頻度が増してきた。時々、起動できない事もあった。以前、ビデオボードが原因で似たような現象があり、ボードを交換して直り、その後ハードディスクが昇天しかけたときは、友人に取り替えてもらったりもした。なので、その辺がおかしいのかと思い、何とか自力でハードディスクを取り替えたり、ビデオボードを変えてみたりしても、一向に変化はなく、できる限りの対策をやってみても何の効果もなかったのだった。
 購入したところに相談したり、ネット上の相談掲示板で問い合わせたり、考えられる対策を講じてみると、その時々には効果があり、これが原因か!やった!と、お礼の書き込みをすると、そのとたんにまた同じ現象が勃発。あるとき、ハードディスクのケーブル周りをいじると直るように見えることに気づき、ケーブルを変えたところ、嘘のように直った。ケーブルの不良で、似たような現象が起きることがあるとの事だった。
 数日以上快調に動き、今度こそだいじょぶだ~~、その旨書き込んでみよう。んでも、いつも書き込むと途端に逆戻りだけど、まさか今度はなぁ^^。でも、大丈夫そうだ。と、「解決しました」の書き込みをしてみると、程なくまたフリーズが起こったのだった。・・・どう考えても、グルだとしか思えん・・・。

 これはもう中心パーツのマザーボードがいかれてるとしか思えず、修理で対処できるものではないと覚悟。構成パーツを選定する日々の中、初夏から数ヶ月が過ぎて夏も終わりかけるころ、とうとうほとんど起動しなくなった。起動しかけても途中でストップ。5回以上試してやっと起動したり、パソに頼み込むと高確率で起動したりという日々なのだった。

 パーツ選定での問題は、現在流通しているマザーボードで、ウインドウズ98が動くものはまずないということなのだった。98が主流のころから比べたら、スペックがはるかに高くなり、あまりに早いと98はついていけなくてまともに動かないのだ。Meなら何とか動くものの、もう選択肢になるような代物ではなく、とうとう白旗を揚げてXPに移行することを決意。情報を収集して、安定して動くことが第一のパーツ選びに入った。 (つづく)

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