根暗・根アカ  (2003.4.28)

 最近はこの「根アカ」とか「根暗」という言い方は聞かなくなったけど、違う言い方をしているのでしょうか?そもそも、一時期ほどこれらの違いを、とやかく言わなくなったようにも思うのだけど。

 今から10年ほど前、まだこれらの単語が頻繁に使われていました。ある分野の人たちの間で、まるで人間は明るくないといけない、と言っているような雰囲気があった。
 根暗な人間に対して、もっと自分を出して、明るくいかないとダメだ、とまで言っていた。

 まぁ自分も、漠然と明るい方が良いに決まっている、と思っていた。ところがあるおとなしい人が、そのように諭されているのを聞いて「おい、違うぞ!」と思ったのだ。確かにその人は、内向的に見える。積極的に自分をアピールしたり表に出るタイプではなさそうだった。でも自分は、彼のそういうキャラクターに好感が持てた。
 そこでハタと考えてしまった。よく考えたら、根暗とか根アカというのは比較の問題ではないのか?というか、そのように見ているのじゃないのか?明るい人がいるから、おとなしい人が暗く見えるということもあるだろう。じゃぁ、その明るい人たちだけの社会があったら、またその中で、より明るい・暗いという比較が生まれるのではないかと。
 今さら言うようなことでもないが、だいたい明るければいいのではない。明るい嫌なヤツはいくらでもいるし、暗いけど魅力的なヤツだってたくさんいる。

 最近、あまりそういうことを聞かない気がするのは、若い世代に個性の多様性を受け入れる受け皿があるのではないか?というのは、楽観的すぎるだろうか?

事実はひとつ  (2003.4.30)

 先日新聞のコラムに「非人道兵器」という単語が用いられているが、それならば「人道兵器」などというモノがあるのか?と書かれていた。目からウロコでした。
 今回のイラク戦争でも、軍事攻撃を仕掛けることの正当性があれこれ言われた。知識人はいろいろ理屈で、軍事行使が正当か不正かを論じていた。そんな難しい駆け引きなんて分からない一般市民の声で多かったのは、「戦争は良くない」「アメリカは戦争が好きだ」などの声。
 事実はこれなのだと思う。やっていることは、軍事力を使った攻撃、大量の殺戮。この事実しかない。その事実に対して、攻撃をすることの正当性を言葉で取り繕っているだけだと思うのだ。今のうちにつぶしておかないと、それ以上の被害(テロ)が蔓延するし、イラク人民を凶悪な独裁者から救わねばならないと。

 国際政治というモノは、そんな簡単なものではない。というのは分かっている。いや、中身が分かっているという意味ではないけど^^;。ただ、駆け引きや理屈が先行して、純粋な事実そのものを見誤っている部分も多分にあるのではないだろうか?

 理屈というか正当化の上では「いい戦争」のつもりなのだけど、武器を行使して、相手を殺すと言うことでは何の違いもない。チャップリンの時代に風刺された「一人を殺すと殺人だが、大勢を殺すと英雄になれる」というのが、いまだに生きている気もする。

 「目には目を」というのも、間違って解釈されているようだ。あれは「やられたらやりかえせ」ということではなく、「相手の目を傷つけた者は、同じように目を傷つけるという報いを受けなければならない」と言っているのであって、けっして「やり返せ」と言っているのではないらしい。

「よく知らないけど」  (2003.5.2)

 人と話してて、自分には知らないことが話題に出たとき、
 「良くしらないけど・・」と、たいていの場合は言う。全く知らないのに「全然知らないけど」ではなく「よく知らないけど・・」だったりする。

 自分でその言葉を発するとき、いつも言いながら気になってしまう。「よく知らない」という言い方は「ちょっとは知ってるけど、それほどよく知っているわけではない」という意味になるからだ。
 そう言うとき、自分は良くも悪くも日本人だな、と思う。まあ、その発言に責任を取らなければならない場合ではないから軽くそう言うのだし、「全く知らない」と言ってしまっては、話をそこでちょん切る事になってしまう。それよりは「よくは知らないけど」と、やんわりとその話題に対する興味をほのめかしておくと言うことかも知れない。

 良くも悪くも日本人、と書いたけど、日本人のそういう点も含めた曖昧さというのは、本当は良いことなのだと思う。

おちょくりカーナビ  (2003.5.4)

 先日5月1日、埼玉県東松山市での個展の搬入のためにレンタカーを借り、初めてカーナビを使うことになった。先々月借りたときは、カーナビは500円でのオプションだった。整備士に促されて座席に座るとカーナビが作動しているので、オプションはつけてないはずだと言った。整備士はオプションに関することは知らなかったので、店の兄ちゃんに聞くと、今月から無料になったと言うことらしい。

 過去に一度だけ8年くらい前にカーナビの作動している車に乗った記憶がある。もちろん操作方法など知らない。並んでいるボタンと項目で、何とか起点と目的地を設定できた。・・・できたと思う。

 さて、しばらく走ると、カーナビが女性の声でしゃべり出した。
 「この先、700メートルのところで左に曲がります。」おぅおぅ、だいたいあってるやんけ。そしてまたしばらく行くと、○○メートルのところで右に入れと言う。じょーだんじゃない!混雑する環七なんか使えるか、と無視してまっすぐ井の頭通りを走る。
 しばらくすると、また指示が入る。どうやら無視したり間違った道へ行くと、ちゃんと修正して指示するようだ。当たり前だけど。^^;

 走りたい予定の道と、指示する道が違うことが多く、いちいち違う道を言われるのがうっとうしいので、折りたたんで収納してしまった。「出して下さい;;もごもご・・」とは言わなかったけど、それまで通りに指示する声を発する。音声を切らないと、画面を折りたたんだだけじゃ、指示もやめないようだった。

 搬入は5月1日。祭日ではない。カレンダーだけ見て、祭日ではないから道は混まないだろうと、その日までずっとのんきなことを考えていた。朝、レンタカー屋で「今日はメーデーですから、渋谷とか要所でメーデーの集会があって、交通規制していますから・・」と言われて初めて気づいた。

 幸い環八がちょっと渋滞した程度で、後はすいすいだった。関越、練馬I.Cから東松山I.Cまでもきわめて快適。そのまま走れば関越走行は30分弱なのだが、なぜかサービスエリアというものが好きで、ピットインして、しばしくつろぐことにした。
 さて、再び走行を開始すると、ナビも再びしゃべり出した。こいつ、エンジンをかけると勝手に起動するのか?目的地は東松山だけど、I.Cの出口の度に「○○キロ先、左側に出口です」と言う。こいつは、関係ないところで降ろそうというのか?と思ったが、後で考えると「出口だ」と言っているだけで、降りろとは言っていなかった。こいつからかってるのか?でも、途中で「5キロ誤っています」とほざいたぞ。

 インターを降りてから、詳しい道を忘れたので、ようやく役立ててやろうとしたが、どう間違ったのか帰り道を指示し出した。降りたばかりの関越に乗れと言うのだ。そんなわけで再び音声を切る。

 無事搬入を終え、車を走らせると、またまた元気にしゃべり出した。今度はまともに関越までナビゲートをした。
 I.Cが近づくたびに出口を告げるが、やっぱり降りろと言うわけではなく、ただ出口があると言っているだけのようだ。ま、高速では案内することがなく、退屈だったのだろう、ということにしておこう。

 練馬に着くと、まぁ最初のうちはまともなナビをしゃべっている。しかし、しばらくすると、「この先○○メートル、戻る道です」と。おい!!どこへ戻るんだ?今来た道を帰ってどうする?しかし、どうやら本気で東松山に帰そうとしているらしく、無視してそのまま行っても、行く先々で「戻れ!」と言う。
 とことん無視して、近所に近づくと、曲がれと指示する道はだいたい合っている。でも、右へ曲がれと言っていたところを曲がらずにまっすぐ行くと、今度は左に曲がれと言う。おい!なんやねん?いったい。どう考えても、つじつまの合う指示じゃないぞ。

 どうにかこうにかレンタカー屋に返して、最後の書類を書く。「お客様、朝、今日は寒いかどうかお聞きになったかたでしたっけ?」
 「いいえ、ちがいますよ」
 「そう言えば、今日はメーデーで道が混んでいるかも知れないとおっしゃってたお客様がいらっしゃいまして、私、ああ、そうか今日はメーデーだったんだと気づいたんですよ。」
 おいこら!お前から朝、その話聞いたんだよ!

 と言うわけで、事故無く無事に車での搬入は終わったのでした。

芸名と本名  (2003.5.6)

 自分が生まれ育ったのは、世田谷の下北沢駅近くですが、そこは母方の実家です。つまり父親は、「サザエさん」のマスオさん状態だったわけです。当然の事ながら家の表札は、母親の旧姓です。

 小さい頃は、この苗字の違いというのが理解できなかった。自分は「伊藤」姓であるが、なぜ家は「芳仲(よしなか)」姓なのか?

 小さい子供というのは、面白いことを発想して解釈に持ち出すもので、これは本名と芸名に違いないと思ったのだった。(子供一般の発想が面白いのであって、自分が特殊なわけではありません。強く「念のため」)
 自分が普段名乗っている「伊藤」姓は芸名なのであって、本名は「芳仲」であると、友達にも言って廻っていた。^^;;;;

下地のないアドリブ  (2003.5.8)

 最近のお笑いモノは、実力のないアドリブばかりで本物のお笑いがない。ジャズでも高度に洗練された実力が無ければ、本当のアドリブは成り立たないように、お笑いも同じだと思う。
 個人的な意見では、萩本欽一氏が広めた素人ブームと、漫才ブームの頃にブレイクした「おれたちひょうきん族」が発端ではないかと思っている。
 欽ちゃんがテレビなどで半素人を出していたのは、それはそれで新鮮ではあった。あのころはまだプロフェッショナルのお笑いが全盛だったから。
 でも、そのような半素人がテレビによく出るようになると、なんだか全体のレベルも一緒に下がっていくのを感じた。そして、ひょうきん族あたりからテレビのバラエティーで一般化したと感じるのが、アドリブという名のただの垂れ流し芸。番組自体も、芸能人たちの身内の宴会や雑談を垂れ流しているだけというものばかり。

 ドリフターズの面々が、長年の歳月を超えても未だに一線で活躍し、その魅力を失わないのは、お笑いのプロとして、才能の上にプラスしてしっかり訓練し、本物のアドリブもできるからだと思う。
 ドリフはバンドとしての実力も折り紙付きで、かつてビートルズが来日したときの前座を任されたのも、知る人ぞ知るである。まぁ、多少のワケありだが。
 その後に登場した勘違いタレントたちがあっと言うまに消えてしまうのも、ただの思いつき芸でしかなかったからだろう。才能があっても、それをじっくり開花させることを許さない、その場限りの番組作りをしている業界にも問題はあるとは思うが。

パチンコ屋  (2003.5.10)

 パチンコ屋には、今までに2回しか入っていないと思う。やりたいと思ったこともないし、やってみて楽しそうだとも思わなかった。もちろん、出てしまうとそれは全く変わるのだろうけど。
 でも、祭りの出店でパチンコ台が並んでいたことがあって、あれは玉を出すだけだからどんどん出る。小学校の時に祭りでやったのだけど、どんどん出るのでおもしろくて、テキ屋のおっちゃんに「お~、パチプロだねぇ」なんて言われていい気になっていたガキでした。

 さて、最初にパチンコ屋に入ったときのことは覚えてないが、二回目、つまり最後に入ったときのことはよく覚えている。今から7~8年前だったと思う。東戸塚に住む友人であり、絵の教室の参加者でもある人の子供(当時小学生)が、パチンコ屋に行きたがっていた。お父さんは連れて行ってくれないらしい。その日、他に共通の友人の女性も来ていて、駅前のパチンコ屋に一緒に連れて行くことになった。年齢的にも構成的にも、どう見ても3人家族である。

 なにぶん全く入りなれないところだから、気持ちが引いている。その女性も入ったことがないらしい。何が困ったって、玉の買い方がわからない。以前入ったときは、入り口近くに玉を買う機械があったのだけど、そうではなかった。台に座ったもののわからないので、3人して店員に聞いた。明らかに都会の盛り場に迷い込んだ免疫のないバカ家族である。

 ちょっと離れたところの壁に、18歳未満の者はどうたらこうたらと張り紙がしてある。それを指さして「お前、お巡りさんが見回りに来たら捕まるぜ」と脅すと、普段は全く素直ではないその子供はマジでビビッていた。その後も「やばいよ~、やばいよ~」と周りを気にしている。

 結局二回分くらいの玉を消費したところで帰ることにした。店内はガラガラだったので、恥はかかなかったのか、十分恥はかいていたのか、今となっては謎である。
 結論。どうにもあそこに長時間座って、たばこの煙と騒音に包まれる気にはなれない。

額売り場のおばちゃん  (2003.5.12)

 頻繁に新宿のS堂という画材屋を利用する。一番の理由はすべて2割引以上で、品数が多いからである。その他のサービスや店員の知識にはちょっと疑問はあった。ま、店舗がばかでかく、パートの店員が多いのでしょうがないと言えばしょうがないが。

 絵の額装も、そこの額売り場でやることが多く、今回もそこを利用した。額装するときには額を選ぶだけでなく中の絵を囲む「マット」もいる。色合いを選んで、絵の大きさの窓をカットしてもらう。今回、なかなか合う色がなくちょっと迷っていた。担当したのは、そこの売り場で一番年長と思われるおばちゃんである。以前から見ていて、きびきびとした仕事ぶりが、とても信頼の置けそうな女性だった。断っておくが、「おばちゃん」と書いたのは好意と敬意の表れである。
 やや黄色がかった台紙と、クリームの台紙のどちらかに決めかねて、エイや!で黄色っぽい方を選んだ。カットには約1時間の待ち時間が要るが、店を出てからも、あの黄色じゃ黄色すぎたか?という思いがあった。

 1時間後、売り場で他の店員が額の箱を開けると、額に入れてないマットもあった。
 不思議に思っているとさっきのおばちゃんが「ああ、それね、黄色すぎるんじゃないかと思って、そちらも用意してみたの。どちらでも選んでね。」と言う。
 この店でそういう気の利いたことは初めてだったし、どっちを選んでも片方は無駄になるからいいのか?ととまどってしまった。でも、やはり黄色すぎて、おばちゃんが予備に切ってくれた方が見栄えがいい。自分が迷っていたもう一方の色である。結局ありがたくクリームの方に変えてもらった。渡すときの若い店員もとまどっていたから、普段はそんなことはあまりないのだろうし、ましてやそんなよけいな気を回すことなどは考えられなかったのだろう。
 長年その仕事に携わったおばちゃんとしては、お客さんが満足してくれるものを提供したいという誇りもあるのだろう。本来のいい仕事・商売というのはそういうものだと思う。店のイメージやなんかの問題ではないのだ。

 ちょっと話はそれるけど、アメリカでは以前から当たり前だった、企業による地域社会への奉仕活動が、日本の企業でも考えられるようになったようだ。でも、要するに企業のイメージアップが目的である。なんだかんだ言ったところで、結局は商売者側の経済的利益に基づくものばかりだ。それはそれで、商売を続ける上では必要なことだが、経済優先社会が行き詰まっているのも、結局はそういう根本が変わらないから、というのも要因の一つだと思う。

 額売り場のおばちゃんのその心遣いは、お客である自分の気持ちも豊かにする。お客に頼まれたことだけをきちんとやれば、店の責任は果たされるのだろうし、今回のおばちゃんのように気を利かしていたら、経費がかさむのは間違いないだろう。ましてや、そういう行為も必要だとは店では教育されないでしょう。でも、そのおばちゃんの、行動で見せる心遣いと仕事への誇りいうのは、若い店員は吸収してほしいものだと思いながら店を出たのだった。

間抜けな電話勧誘  (2003.5.14)

 以前、訪問勧誘のことを書いたけど、最近は電話も増えてきた。その中でも逸品の間抜けさの例。

男  「伊藤様のお宅ですか?」
小生 「はい」
男  「良一(よしかず)様はいらっしゃいますか?」
小生 「いいえ」
男  「お出かけでいらっしゃいますか?」
小生 「読み方が違うんだけど。」
男  「;;;;;;汗))))))」

絵で表現することと文章で表現すること   (2003.5.16)

 自分は主に絵によって表現しています。このサイトをオープンしてからは、雑記帳などで文章も出していますが、「創作」と言うわけではないですね。
 他のところにも書きましたが、今から10年前、ある一週間に怒濤のごとくに詩を書いた。それまで、小中学校の国語の時間にだって詩を書かされても、全く書けなかったのに。何気に一遍書いたら次々に出てきた。結局、一週間で50編近くを書いたのだった。
 その一週間が過ぎると、また一切書けなくなった。書いてみたところで、完全に「作った」ような感じのわざとらしいものしか書けなかった。友人に読ませると、絵と同じ印象だと言ったので、表現の媒体が何になるかの違いなのだと実感したのだ。

 さて、今自分はこうしてホームページなんぞを公開して、そこに自分の絵や作り物を展示しています。でも、詩は置いていない。どうにも照れくさすぎるのだ。絵を見られる分には良い。絵は、未熟な部分を見られたり、おかしな表現をしているところを見られても、それはそれでかまわない。でも、詩はどうしてもいやなのだ。
 まだ赤の他人にならこっそり見せられないこともない。でも、親類縁者などが見ているかもしれないHPでの公開はどうにも照れくさすぎる。だから、いくつかの詩は、他のお友達サイトの「詩コーナー」にこっそり出したりしていた。
 「雑記帳」を本にしましょうとか、詩集を出しましょうとか言うことになったら、絶対覆面作家で行きます。って、そんな心配は皆無だけど。^^;;

 何でだろう~♪と何度か考えてみたが、よくわからない。絵に比べて、文による表現は、より明確に自分の中身が出てしまうからだと考えていた。それも、理屈をつければそう言えるだけかもしれないし。絵を公開するのも、自分の内面をさらすことには違いないのだけど、文章ほどは露骨ではないとは思う。だから、結局それ以上は自分をさらけ出すのを良しとはしていないのかもしれない。
 他の人はどうなんだろうとは思ってみても、よくわからない。絵をさらす方が恥ずかしいと感じる人は多いだろうが、それは表現がどうのということではなく、日本人によくありがちな、「自分の絵は下手くそだから」という理由によったりするから。

 ちょっと話はそれるけど、字の読み書きができない場合は「識字障害」と呼ばれる。でも、絵をある程度描けなくても「描写障害」とは呼ばれない。我々の社会が、絵などによる表現を軽視してきたからだ。ある程度の描写力は、誰でも獲得できると断言できるが、そんな能力は我々の作ってきた社会では必要とはされなかったのだ。
 その辺の事情をさっ引いて考えたら、先ほどの表現の違いによる「殻」を考えることができるのかな?と考えてみたが、やっぱりよくわからない。ま、そんなこと考えていられるほど、平和で暇なのか?^^;;;;;

 (これを書いて4年後、もういいかな?という感じで、詩も公開しています)

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