普段「才能」の一言で片付けれらてしまう能力は多くの場合は「スキル」であるというのをつくづく感じる。
自分もイラストの仕事を続けてきて、「絵心」とか「才能(生まれもった才能)」と言われることが多くいつも違和感を持ってきた。
有り合わせの材料で瞬時に美味しい料理を考えて作ったり、お客の話を聞いて適切な花をあつらえるベテランの店員さん等も、「才能があるから」と簡単に言われてしまったりするけど、数多くの有機的な経験を積んで、それがスキルとなって効果的なモノを提供できるわけで、生まれつきそんな能力があるわけでは無い。
もちろん、そのことが好きかどうかというのはあるけど、やむにやまれずやらざるを得なくてスキルを身につける人も多いでしょう。
だから簡単に「才能がある」と片付けてしまうのは、時に失礼な言い方になったりもするでしょう。
そういうスキルを身につけた人は、他の人もキチンと経験を積めば同じ様に出来るというのをわかってたりもするし。
ワークショップや教室などで先生に教わって、でもやはり先生のクオリティにはかなわない、やっぱり先生の才能(またはセンス)はすごい、と言われるケースも良く聞きます。
それもある意味勘違いで、その先生には遙かに膨大なスキル(引き出しの構築)があるわけで、短期間で教わっただけでは光るモノはあったとしてもスキルの量が違いすぎます。
そこを勘違いしたままだと「やはり自分には才能がない」と思わせてしまったりもあるわけで、スキルという概念を教える必要もあるのでは。
自分は何度も書いてきたように、イラストの仕事を始めたのは極めて遅い年齢でした。
イラストレーターという職業絵描きは、好きで(あるいはファインアートで)描いているのとは違って、依頼主の要望を把握して適切に表現する能力が必要とされます。
これは向き不向きの問題もあるけど、自分は好きで描いているだけだと表現の限界というか、好きなモノしか描かないという状態になりがちになる。
依頼によって描くと、苦手なモノや思わぬモノを依頼されてそれを実現する面白さややりがいもあったりします。(近年だとなぜか乗り物イラストを多く依頼されたり(≧∇≦))
それによってオリジナルで描く絵の幅も広がるのを感じる。
そういう積み重ねで絵の表現の引き出しが増えていくのを感じて、才能の一言で言われがちなモノは実はスキルの積み重ねであると強くハッキリと実感したりしました。
それまではスキルと言っても一般に言われるような漠然としたイメージしか無かったような。