夢の中の思考  (2011.1.23)

 何度か書いたが、自分はかなりリアルな夢を見る。ほとんど現実を生きているのと変わらないくらいのリアルな夢が多い。でもそれも、あくまで映像がリアルなのである。夢の中で「声」や「音」が聞こえるという事はあまり記憶にない。もちろん夢の中ではそれなりの会話やいろいろなモノを聞いているから、夢の中では感覚の感じ方が違うのだろう。
 確かニューエイジ系の本だったと思うが、昔読んだ本の中で「夢の中で自分自身の手を見たらきっとびっくりするだろう」と書いてあった。そういえば夢の中で自分自身や自分の身体を見ることはまずはない。そんなことを意識していたら数ヶ月後に自分の手のひらを見た。別に普通の手だった。びっくりも何もしなかった。
 そういえば夢の中で自分の顔を見る事ってないよな、と思って意識していたら、しばらくして鏡の中の自分の顔を見た。ちょっと現実とは違う顔ではあったが特別に驚くようなこともなかった。
 そのまた数ヶ月後か数年後だったかと思う。ハッキリと相手の声を聞いた。その声はなぜか松本伊代だった記憶がある^^; 特にファンでも何でもないが。強いて言えば松本伊代の全盛時代が自分がアイドルに夢中になる年代だったくらいで。
 夢の中で匂いや空気感を感じることもそんなにはない。そういうモノを感じたときはとても印象深い。起きた後にその感覚を感じたことを驚くくらいに。
 
 昨年か一昨年あたりだったか、頻繁に夢の中で「文字」が読めたことがあった。夢の中で町中を歩いたりして、看板の文字を見たりしてはいるのだろうけど、あれは風景の一部みたいなもので、意識して「文字」が認識できた経験を持つ人は少ないのでは。自分のは、手紙などに書かれた誰かの直筆の文字を見てそれがハッキリ日常での日本語として読めたり、印刷物の文字が読めたりすることが度々あった。

 さて数日前の夢で、今までに記憶のない夢を見た。登場したのは二人のミュージシャンで、現実でも面識のある二人だった。一人は現実と同じ顔立ち。もう一人は別人の顔だったがその人である。一人と会話をしているとき、もう一人の事を自分が思い出し「彼はこのやりとりをこう思っているのでは?」と頭の中で考えていたのである。
日常だったらごく普通の思考なのだけど、夢の中でハッキリと「目に見えるやりとりとは別の、頭の中だけの思考」を認識できたのはなんだか印象深かった。よく考えたらきわめて珍しいのではないか?と思ったのだ。
書いていることがわかりにくいかもしれないが、つまり夢の中では、夢の中で考えていることとやっていることの区別が曖昧なことが多い様な気がするのだ。先日の夢は、現実の生活と全く同じように、言動と頭の中だけの思考をハッキリ別々に認識できたのだ。じゃぁ今までにそんなことはなかったのか?と言われるとわからないのだ。わからないというのはそういう区別が夢の中では曖昧なのではないかと思ったり。だからそれを認識した夢を見たのがとても印象に残ったのだろう。

 漫画家のつげ義春氏は、ちょっと気持ち悪い漫画を多く描いている。それは氏が夢で見たモノを漫画にしたモノらしいが、なるほど夢で見そうな設定と展開だなと合点はいくが、この漫画を受け付けない人は多いだろう。その中には氏の代表作でもある名作もあるのだが。

 前述の夢の中の思考を認識できた次の早朝、ちょっとおもしろい夢を見て目が覚めた。まだ起きるには相当早い時間だったけど、なんだか頭の中で勝手にその夢の続きが連想されてしまい、ほとんど寝付けず寝不足の一日となってしまったのであった。

「お役所仕事」の神髄  (2011.2.5)

 良く「お役所仕事」という事が言われいろいろなネタにされたりもするが、自分は今までにそういう対応に出くわした記憶はなかった。ところがつい先日そういう対応を受け、キレてしまった。
 この近所で住民票や印鑑証明などをもらったり、健康保険関係の手続きをしようと思ったら、下北沢駅前のタウンホール地下にある北沢出張所へ行く。かつてそこが出来るまえは、駅とは反対方向にあるもっと小さな出張所へ行っていた。
 この新年の1月3日に婚姻届を出したのであるが、もちろんまだ窓口は冬期休暇中でやっていない。その場合宿直の職員に渡すのである。世田谷区役所に行けば年中無休で普通に受け付けているらしい。
 いろいろ二人で相談してこの日に提出することに決めたのだが、万が一書類に不備があったら水の泡なので、事前に北沢出張所の戸籍係で必要書類をもらい、記入してチェックをしてもらっていた。そしてそれらの書類をそのまま出せばOKの確認をもらった。自分は父親の郷里である埼玉県東松山市が本籍であったのだが、常々不便は感じていた。婚姻届に関する問い合わせに行ったときそのことも話したら、一緒に転籍もすれば手続きが一度で済んで良いと言われたのでそのようにした。連れ合いはもちろんそのまま自動的にこちらの本籍になり、すべての手続きはそれだけで完了すると言われていたのである。

 1月3日は母上の誕生日で、祝いも兼ねて毎週行っている介護病院への面会もその日にした。いつも昼過ぎに新宿発(または高田馬場発)の西武新宿線に乗るので、その前に宿直室に行きチェックもしてもらって無事に婚姻届の提出が終わった。その後なにも連絡はないので無事に受理されたことになる。

 さて、自分は本籍が変わったので免許証の訂正が必要で、そのために住民票が要る。連れ合いも名字、本籍、住所が変わるので同じく。そのために北沢出張所に住民票をもらいに行った。印鑑登録はしているので、その登録カードを持って行けば機械で自動で取れるのだが、連れ合いも同じ世帯になっているはずなのでそれで二人分取れるはずだった。
 ところが画面に出てくる名前は自分と母上の二人なのである。戸籍や世帯の役所での詳しい扱いは知らないのだが、母親とは別戸籍になっても世帯は同じだからわかるとして、連れ合いの名前が無いのはおかしい。
 窓口で婚姻届などをすでに受け付けてもらっている事や、機械で連れ合いの名前が出ないことなどを聞くと、応対に出た中年の女性職員もおかしいわねと言う反応で、いろいろなやりとりの後で「奥さんの転入届けも出してますよね?」と聞かれた。
小生:「は?それは出してませんよ。先ほど話した書類だけですべて自動的にそのような処理はなされると戸籍係で言われたので。」
職員:「いや、転入届けを出さないと奥さんの住所は前に住んでいたところのままです」
となった。
 実際はもっとやりとりは複雑だったのだ。なにしろその職員の言っていることが的を射ないのだ。「以前住んでいたところ」と「現在住んでいるところ」と普通に言えばいいのに、なんだか忘れたが単語は通常の単語でも言い回しが役所の書類的で何がどっちなのかまわりくどいのだ。
 結局「(ここは)戸籍係とは部署がちがうので、戸籍係のことはわかりませんが」と言われた。その後も何度も「戸籍係のことは知らない」を繰り返す。婚姻届は受理されているのか?と聞いても「戸籍係でないとわかりませんが」と言い、数メートル離れた戸籍係へ問い合わせるという事もしようとしない。あちらの部署とこちらの部署は関係ないから、別件はあちらへいってちょうだい、という態度なのである。
 キ・レ・タ!
「あのね!こちらの出張所でこれこれの書類を提出すれば大丈夫と太鼓判を押されたんですよ!それを部署がちがうからわからないとか、こんな大事な事でそんなお役所仕事の対応じゃ困るんですよ!!」
そこまで言っても、そう言われても困るという顔をしている。
小生:「じゃぁ戸籍係で聞いてくれば良いんですね!?」
職員:「いえ、調べて参りましょうか?」
小生:「当たり前です!」

 2~30年前の今よりもっと世間知らずの自分がアルバイトでこういう仕事をしていたとしても、こちらの不手際だから内部で調べようとするだろう。それが当たり前だと思う。役所の職員だってその仕事のプロなのだ。プロとして恥ずかしい応対をしていることになる。

 さてさて「戸籍係でないとわからない」と言っていたのに、なんと後ろの自分の部署のパソコンで確認している。それで結局婚姻届は間違いなく1月3日に受理されているが、連れ合いは前の住所のままで別世帯に住んでいることになっている。転入届けが提出されていないからである。しばくぞオマエら。
 こればっかりは書類を出さないとどうにもならないので書類をもらって帰って、夕方に連れ合いが駅前についでがあったので提出してきてもらった。そのときに新しい健康保健証が二人分発券された。考えてみればその事も忘れていた。ハッキリ言って最初の戸籍係の不手際だが、当初何度か問い合わせに行った頃、複数の職員に同じように最初のいくつかの書類だけですべてOKだと言われていたのだ。つまり戸籍係は婚姻届の受理に関する事しか関知していなかったのだ。関心がなかったと言いたいくらいである。そんなことで良いのか?今回の住民課(と言うんだっけか?)の対応も同じく特別に狭い専門的な事ではなく、一般的な住民の手続きに関する事で、他の部署に関する事を住民に教えてくれなくて何のための職員なんだ?人間じゃなくて機械でもいいわけじゃん。
 まぁ、戸籍係に婚姻届が受理されてその後住民課に処理が回ると、連れ合いのそれまでの印鑑証明が無効になることなど、いくつかの他の部署に関わることの説明はあったが。あ、いや、それはこちらが「妻の印鑑証明はどの時点で無効になるんですか?」と聞いたからだった。

 いやいや、とにもかくにも今回は典型的な「お役所仕事」の神髄を教えていただきました。そういう点では「いい仕事」を見せていただいた。別に弁護してあげるつもりはないが、いままでは何かの用事で出張所に行ってもいつも誠意ある行き届いた応対をしてもらっていた。でもこれからは気をつけないと手続きに抜かりのある事があると思ってかからないと。

アイディアとやる気  (2011.2.13)

 「暇になったらやろう」と思っていて、実際に時間に余裕が出ると、じゃあ思っていたとおり充実してしっかりやれるのか、と言うとそうでもなく、忙しい合間を縫ってやる方が時間というモノはしっかり確保できて有効活用できる、というのはよく言われること。
 前に雑学として書いたのだが、本来人間は「やる気」が備わっているわけではなく、あれは「出てくる」ものなのだそうだ。やる気を出す方法というのがある。

 自分はイラストレーターを生業としているので、依頼されるとまずいくつかのラフ案をクライアントに示して、その中から本番に描く絵として選んだり、またはさらに意見を出し合って煮詰めていく。ファインアートと違ってイラストは「絵を作る」要素が大きい。
 良く月イチや毎週連載のモノのイラストを担当することがあるが、最初から全部のアイディアがあるわけではない。そもそも例えば週間モノだったら、毎週文章原稿が送られてきて、それに合うイラストを考えるので、毎週毎週が勝負になる。イラストレーターになりたて(どういう状態をそう言うかは難しいが)なら週間モノはかなり怖いと思う。本当にちゃんと毎週ちゃんと描けるのか?と、経験がないから自信が持てないだろう。でもある程度経験すると「なんとかなるさぁ~」と思えるし、実際にちゃんと何とかなる。プロの立場としては「何とかなる」ではなく「何とかする」のである。「出来ると思います」ではなく「やります」がプロだからだ。
 アイディアを売り物にする商売の人で、泉のごとく次から次へとすばらしいアイディアを出すプロがいる。自分もそう感じていたが「よくそんなにアイディアを出しちゃって枯渇しないものだ」と。でもあれは次々に出していくから、また新しいモノが生まれるのだ。(才能の話は置いといて)
出し惜しみしたり、ストップすると出なくなるのだと思う。

 レベルの違う話で恐縮ですが、自分はHP上でこのようにエッセイを定期的(?)にアップしています。最初の5~6年は1~2日に1回というハイペースで書いていた。今は5~10日に1回である。それに割く時間が以前ほど取れないというのもあるし、あまりに頻度が高いと大量になりすぎると思ったのでもある。ネタが尽きたら困るとも思った。
でもやはり頻度が低くなると書けなくなってくるのである。ハイペースでアップしていた頃は、アップ「待ち」状態になるほどに書けたのに、ローペースになるとネタに困るようになってきた。これはネタがなくなってきたのではなく、出さないから次が生まれないのだと実感する。

 これは「やる気」と同じで、やればやるほど「やる気」というものは出てくるのだが(下記参照)、アイディアなどもそうなのであろう。仕事で描くイラスト以外にも、好き勝手に描く絵もあるのだが、本来描くのはめんどくさいタチなので、描かなくても良ければいつまでも描かない。毎秋に新作個展を設定しているので、それに向けて描かなければならないモノもあって、「描こう」と思って描き始めるとどんどん描けたりする。面倒と言っても描きたいモチーフはたくさんあるのだ。ただ実際の行動に移したり描いたりするのが面倒なのだ。描くのが好きとか嫌いとか言うのと「面倒」というのは、説明が難しいけどちょっとちがう。
 というわけで、やる気もアイディアもやり出せばどんどん出てくるのはわかっちゃいるけど始められない♪というのが自分だったり。
もちろん仕事としてのイラストやデザインはそんなことはありませぬ(キッパリ!)
今までに締め切りをオーバーしたり、レベルの低いモノ、クライアントの意向と違うモノを納品して困らせたことはござんせん。
 でも、締め切りにかなりの余裕がある仕事が時々あるのであるが、それじゃぁとってもすごいモノが出来たり、サッサッと早々に納品できたりするのかというと、意外にそんなこともなかったり。他の作家の事はしらないが、締め切りに余裕があるとなかなかアイディアが出ないことが多い。で結局早急な締め切りでも余裕のある締め切りでも、大きな差はなかったりもする。


やる気の出し方

池谷 「やる気」を生み出す脳の場所があるんですよ。側座核(そくざかく)と言いまして、脳のほぼ真ん中に左右ひとつずつある。ちょうどリンゴの種みたいなちっちゃな脳部位です。ここの神経細胞が活動すればやる気が出るのです。ところが、側座核の神経細胞はやっかいなことになかなか活動してくれないのです。どうすれば活動をはじめるかというと、ある程度の刺激が来た時だけです。つまり「刺激があたえられるとさらに活動してくれる」と言うことでして……やる気がない場合でもやりはじめるしかない、ということなんですね。そのかわり、一度はじめると、やっているうちに側座核が自己興奮してきて、集中力が高まって気分が乗ってくる。だから「やる気がないなぁと思っても、実際にやりはじめてみるしかない」のです。
糸井 やりはじめる前に、やる気がないのは当然なのですか?
池谷 はい。やっていないから、やる気が出なくて当たり前です。作業しているうちに脳が興奮してきて、作業に見合ったモードに変わっていくという。
 掃除をはじめるまでは面倒くさいのに、一度掃除に取りかかればハマってしまって、気づいたら部屋がすっかりきれいになっていた、などという経験は誰にでもあると思います。行動を開始してしまえば、側座核がそれなりの行動を取ってくれるからです。
 側座核は海馬(かいば)と前頭葉に信号を送り、アセチルコリンという神経伝達物質を送っています。この物質がやる気を起こします。実は、ぼくたちの身のまわりにはアセチルコリンのはたらきを抑えてしまうものがたくさんあります。いちばん顕著なのは、風邪薬、鼻炎の薬、下痢止めの薬などですね。だから、今日は勝負の日だという時……たとえば受験とか初デートとかの時には、「風邪をひいてるからちょっと飲んでおくか」という判断は、まずいかもしれません。頭がぼーっとしてくるし、ついでに眠気まで出てくるから。
 今はアセチルコリンのはたらきを抑える成分の入っていない風邪薬もあるので、薬局で薬剤師に「脳のアセチルコリンを抑えない薬をください」と言えば親切に教えてくれるはずですよ。ちなみに、アセチルコリンのはたらきを抑えてしまうのは、有名なもので言うとジフェンヒドラミンやスポコラミンなどです。興味があったら薬の箱の裏の線分表示で確かめてみてくださいね。それが入っていたら眠くなります。
(池谷裕二・糸井重里著 『海馬~脳は疲れない~』)

加湿器の音楽  (2011.3.1)

 この冬も7~8年前に買った加湿器を使っている。プラズマクラスター付きのやつである。CMでは、有名人やいろいろな施設で使っている様子が出てきてプラズマクラスターが良いことを宣伝しているが、具体的に何がどう良かったのかを全然示していないのがCMとしてはイマイチかと思ったり。

 さて、今の最新式はそうでもないだろうけど、うちのは「うるおい」というモードにするとかなり音が大きい。おそらく内部のファンの音だと思うのだが、テレビの音量を上げないと聞き取りにくいほどの騒音である。その音の中に、いつも音楽が聞こえる。

 話は変わるが自分は、他人が気づかない地震前の地鳴りが聞こえる。聞こえる周波数が若干他人と違うのかも知れない。別に予知能力で地震を予知しているのではなく、ハッキリと地鳴りが聞こえるので、地震が発生するのを数秒前に察知できる事が多いのである。加湿器の騒音の中に音楽が聞こえるのもそういう理由があるのか?と思ったりする。
 具体的にはオモテの雑踏の中で遠くで鳴っている音楽がかすかに聞こえる感じに近い。音楽が聞こえるのに気づいたのはこの冬なのだが、近くの家からの音楽かテレビの音が聞こえるのか?と思ったほどである。聞こえるのは洋楽かJpopの雰囲気が多い。知っている曲(実在する曲かどうかは別)というわけではなく、音楽のある部分が繰り返し聞こえるのである。同じ加湿器なのにそのときによって聞こえるものが違う。 もちろん何か異次元のものが聞こえているのではなく、加湿器の音とそのときの部屋に満ちている音の周波数との干渉でいろいろに聞こえるのだろう。
 日本人は他の言語を扱う民族とは脳の使い方が違うというのは、以前から知られている。ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット、数字等々を同じ言語の中で混在して扱う特殊すぎる言語のため、通常の言語脳だけでは足りずに他の部分も総動員していて、特殊な脳の使い方をしているのだそうだ。季節の虫や鳥の鳴き声を愛でたり意味のある鳴き声にとらえたりするのは日本独特で、それは脳の使い方のせいらしい。
 自分が加湿器の音の中にそんな音楽を聴いたりするのも、そういう事なのだろうなと思ったりするのであった。

胸焼け  (2011.3.9)

 意外なのかも知れないけど、今までに「胸焼け」というものを経験したことがない。なので、他の人が胸焼けについて話しているときも、どういう状態なのかが分からないのである。どういう状態か分からないのに「胸焼け」を経験したことがないのが分かると言うのも、よく考えたらおかしいのかも知れないけど。

 お酒には割合強い方だが飲むときもそんなに量は飲まないので、酒で胸焼けすることはないと思う。普通胸焼けは食べたものによってなるんだっけか??
 あ、ただ以前に逆流性食道炎になったことがあり、そのときに幽門から食道にかけてが焼けるようにつらかった。あれが胸焼けの一種なのかも?あのときは最初に行った近所の医者は、胃が痛んでるのだろうからコーヒーなどを控えるようにと言われた。 その後コーヒーを控えてもすぐに同じ状態になり、別の医者でバリウムを飲んでのリアルレントゲンを看てもらって、逆流性であることが判明した。通常は幽門が逆流しないような構造になっているのだが、自分はそれがちゃんとしていなくて逆流しやすいのだそうだ。
 「どうすれば治るのか?」と聞いたら、生まれつきのもの(幽門の変形)で治らないので、一生つきあうしかない、と。でもその後同じ症状になったことはなく、その頃だけの事であった。

 というわけで、強いて言えばそのときがいわゆる「胸焼け」に相当するものだったのかどうかは定かではない。胸焼けと言うよりも胃の上の部分が削られるように苦しかった。胃液で焼かれた食道の膜同士が蠕動でこすれ合うので、まるでやすりとやすりが削り合っている激痛だった。

 9年ほど母上を介護している間は、まったく飲みに行く機会はなかった。最近は時々あるのだが、やはり飲み慣れていないと、いくら強くても最初のうちは酒になれていなくて酔いやすい感じだった。何度目かで慣れたのだが、やっぱり胸焼けというものには遭遇しない。いや別に、一生経験せずに済めばそれで良いのだけど。

誇れる国民性?  (2011.3.12)

 未曾有の大災害で連日連夜の報道が続いている「東北地方太平洋沖地震」であるが、(不謹慎な言い方だけど)ある程度震災は見慣れた我々に、津波の恐ろしさを再認識させた。近年各国で津波災害は発生しているが、やはり国内で発生した事による「実感」が大きい。

 今回の災害に限らず数々の災害のたびに、海外の人たちから驚かれることがある。日本人である我々はその事について言われると「そうか」と気づくけど、言われないと意外に意識はしないことだと思う。
 それは、災害で混乱した状況になっても「略奪」や「暴動」が起こることはまずありえないと言うことなのだ。海外で災害が発生して混乱すると(治安が守られなくなると)、必ずと言って良いほど商店を襲ったり何かしらの暴動が起こる光景を目にする(もちろん他国がすべてそうではないが)。でも日本でそのようなことはまず起こらない。あっても火事場泥棒的なせこい輩か、まれな一部の人間である。
 住居も奪われ途方に暮れている人たちは、整然と避難しお互いに助け合い、また各地からボランティアなどの支援がやってくる。極限状態になるほど助け合う光景が見られる。われわれはそれを普通の事(当然のこと)として見ているだろう。でも海外からすれば、信じられない事らしいのだ。そう考えると日本人の民族性(国民性?)はとても誇れるものと思えてくる。

 これを書き始めるときも「誇れる」ものとして書こうとしていた。でもよく考えると「誇る」ことなのだろうか?むしろ当然のことなのではないのか?つまり略奪や暴動が起こる方がおかしい(あってはいけない)事なのであって、それが起きないのを誇るというのはおかしいような気がしてきた。
 確かに現在の世界の中で見たら、誇っていい国民性だとは言えるのだろうけど、本来的な意味では、そういうのが「誇れる」というのは、それだけ悲しい世界情勢だということの裏返しでしかないのだ。


とはいうものの、やはり誇っても良いことだと思う。特に今回のような前例のない世界最大級の災害でも、「日本人は冷静に礼儀正しく行動して助け合っている」姿は、「他の国では考えられない」と驚嘆の眼で海外は見ているようだ。中国では当局に操作された書き込みかどうか分からないが「GDPで追い抜いたように見えても、日本のこのような正しく行動できる姿は、中国では50年後でも無理だろう」と伝えている。

ショールームにて  (2011.3.19)

 現在の我が家は約25年前に父親が建てたものである(もちろん実際に建てたのは施工会社ではある)。家の基本的な間取り設計は小生がやった。かなり建物は細部に至るまでしっかりと作ってあって、手抜き施工住宅何処吹く風という感じで、25年の月日を感じさせないほどにしっかりしている。
でもさすがに壁紙や外壁は改修が必要になり、昨年も半分ほどやり今年また半分をやることになった。そして風呂場のタイルが破損しているところや、浴槽の下に問題が出ている部分が有り、風呂場の改修が必要になった。同じようにタイル張りで改修すると費用も半端ではなく、冬の風呂場の寒さや全体の手入れのしやすさなどからは、今ではユニット型が主流になっている。我が家の様々な改修などは同じ施工会社に頼んでいる。この家も作った良心的な会社である。そこのススメで、風呂場の細部を決めるために某会社のショールームに行った。最初行っただけではおおざっぱにしか分からず(ユニットのタイプ別の組み合わせやオプションの説明に理解がついて行かない)最終の詰めとしてもう一度行ったのである。業者さんも「安い買い物ではないので、何度も見に行く方が良いですよ」と言うし、こちらも数万のものではないので「なんとなく」で決めるわけにも行かないと思っていた。

 一度目の見学の時は、あちらのペースでいろいろ説明されて、わかったような分からないような感じだった。いろいろ選択したときに合計金額もわかればもっとリアルに見られたと思うのだが、それも後に見積書をもらうまで分からないので余計にわからない。HPを見て分かったがオプションやいろいろなモノを選択するたびに、その場で金額はわかるのである。もらったカタログとHPで検討して、ようやくどういうタイプでどういう値段設定のものがどういうオプションを用意しているか飲み込めた。
 二度目は違う担当の女性だったが、やはりマイペース。それは特に違和感はなかったというか「こんなもんだろう」と思ったが、驚いたのは壁パネルや浴槽の色を決めるときに、基本オプションの色をたずねたのだが「○○(そのショールームの会社名)がこの色を勝手にきめているので」と何度か繰り返すのである。
 「おいおい、勝手にって、それはあんたの会社のことだろ?^^;」  まるでバイトか派遣社員とかが、こちらもその立場を了解した上で実情をバラしているのを聞いてるような雰囲気で、かなり面食らった。今回初めてそういう言い方をしたとは思えないので、誰も指摘しないのかなぁ?

節電力  (2011.3.24)

 東北関東大震災による電力不足で、東電が計画停電を混乱しながら実施している。個人個人も同じだけど、大小の店舗も少しずつでも出来るところはこまめに節電している姿が目立つ。

 話は変わるが温暖化抑制の取り組みとして、二酸化炭素削減に関して日本は麻生元総理が「2005年比15%減」と表明、その後鳩山前総理が「1990年比で2020年までに25%削減することを目指す」と表明してしまっている。
 そのニュースを知ったときは、おいおい…と思った。日本は世界的に見ても二酸化炭素の排出はかなり低いはずなのだ。工業界などが努力して削減してきたのである。そこから更に15%や25%はムチャだろ、これ以上どう削減するんだ?というのが率直な感想であった。

 で、今回の計画停電に対処するための節電大作戦なのだが、へぇ~と思うことがたくさんあった。
 電車ではこまめに車内の電灯が消される。暖房もつけていない。でも昔ってそれが普通だったような。電灯が消えてたかどうかは記憶が定かでは無いが、今回実際に消された車内の様子は、なんかとても懐かしい感じがした。暖房がついていなくても極寒の地では無いのでそれほど不自由では無い。これから先もこんな感じで良いのでは無いのか?と思う。それほど暑いわけでは無い陽気でも、車窓を閉め切って空調を入れてる昨今の電車だが、いつも「窓を開ければ良いだろ」と思っていた。夏以降も電力不足は必至だから、猛暑のラッシュ時以外はなるべく昔のように窓を開ければ良いではないのか。電灯だってそれほど必要では無いし、半分の明かりでも良いような。
 各店舗も最低限必要な明かりのみにしたり、BGMをかけていない店も目立つ。量販店では無用な照明も切っているし、照明器具コーナーの展示照明の明かりもついてないところが多い。どれもこれも、ある程度はそれで良いような事が多い様に感じる。つまりまだまだ無駄を省く道は大量にあったと言うことである。と言っても15%や25%の削減はやはりムチャだとは思う。でも、レジ袋廃止をはじめとするその他の偽りのエコ(リンク先の後半参照)(実はエコでは無い)よりも、こういうこまめな無駄をなくす意識はずっと続けるのが吉でしょう。それが経済を不活発にするから良くないなどと言うなら、そんな経済システムがおかしいのである。

 そういえば、オール電化が節電の足かせになっているらしい。かなり普及してしまい、ガスなど他のエネルギーを使っていたそれまでと較べ、膨大な電力を消費する。東電が盛んにオール電化を推し進めようとしたときに「そんなすべてを電気に一本化するような方式はまずいだろ」と強く感じていた。やっぱりそうだったのね。

マットレス比較  (2011.3.30)

 自分が寝てきた寝床は、4歳~6歳、10~22歳、26歳~現在くらいがベッドである。その間は畳に布団か、ワンルーム洋間に布団を敷いていた。
 ベッドは通常マットレスを使うが、最近はシモンズのCMで市民権を得たポケットコイル式マットレスが主流になりつつある。それ以前のモノはボンネルコイルと呼ばれる。バネを連結して、表面が一枚板の様な面のやつである。自分ももちろんほとんどの次期をボンネルマットレスを使ってきた。あ、いや、大学までは小学校の時に姉と使っていた二段ベッドを別々にしたやつで、ベッドの板の上にマットと敷き布団を敷いていた。

 自分の使っていたボンネルコイルのマットレスが、いい加減にバネがイカれてきたので、数年前にポケットコイル式に変えた。もちろんシモンズなどの高価なやつではない。最初の頃の寝心地はすばらしく良かった。身体に無理なくフィットする感じで、今までのマットレスの常識を覆した感じであった。
 ところが数週間もしないうちに枕が合わなくなってきた。ポケットコイル式は身体に沿って沈むので、身体の方が沈み、枕が異常に高く感じるようになったのだ。そして首を痛めた。 以前に首を痛めて、合う枕を探しに探す話を書いたが、これが発端なのである。

 昨年から一緒に暮らしている連れ合いであるが、ベッドとマットレスは我が家にあったモノを使っている。マットレスは古いタイプのモノでもちろんボンネルコイル。隣のベッドの自分はポケットコイル式なのであった^^。
 しかし、やはりポケットコイル式が合わない気がする。連れ合いはボンネルコイルが合わない様であった。それである日マットレスを交換してみた。
すると、どちらも交換したマットレスが身体に合ったのだ。自分は枕に対する違和感が全く無くなり腰痛も軽減し、連れ合いは背中の痛みが消えて、むやみな寝返りがなくなったという。
 ボンネル式の方が畳の上に布団を敷いた感じで固いのだが、それも心地よく身体にもとても良い感じがする。
 以前良く通っていた整骨院の院長に、ポケットコイルとボンネルのマットレスはどちらが良いのか、と聞いたことがある。院長は「ん~~~…。何とも言えないんですよねえ。」と、つまりどちらが合うかは人それぞれだと言うのだ。他の整体の先生も同じ事を言った。そういえば以前、某大手デパートのベッド売り場で枕を探していたとき、売り場のおばちゃんとマットレスの話になり「ポケットコイルはあまり良くないのよね。…って、ここで売ってるのに言っちゃまずいか^^;」と言っていた。このときは品質の事か身体への影響の話かはわからなかったが。

 ネットで調べてみてもらうと分かるが、まず間違いなくポケットコイル式の方が優れていることになっている。ポケットコイル式の方が高いので、販売店での両者の比較については、もちろんポケットコイルを勧めるのはわかるが、純粋に両者を比較しているサイトでも、ボンネル式の方が良いと書いてあるのを見たことはない。せいぜいボンネルの方がリーズナブルで通気が良い、ということぐらいである。

 というわけで、これからも自分はボンネル式を愛用し、よほどでなければポケット式を使うことは無いだろう。自分にはポケットコイル式は合わないのである。別に世の中の主流がそちらになっていくから逆らいたいわけではない。ホントだってば;;。

三日後の体調   (2011.4.6)

 またまた今回の都知事選にドクター中松が立候補した。日本では選挙運動中のホッピング靴や数々のちょっと外れた言動でキワモノ扱いの気があるが、ご存じのように世界的な発明家なのである。特許数はエジソンを遙かに超え、身の回りの昔からあったんじゃないのか?というような便利グッズのかなりのモノは氏の発明品である。代表的なモノには石油ポンプがあるが、氏の発明したポンプは、実は一般的に普及しているモノとは仕様が違う。
 また、最近はすっかりパソコンでも使われなくなって久しいフロッピーディスクであるが、あれを発明したのも中松氏と思っている人が多い。実は氏が発明したのは似てはいるが違うもので、フロッピーの原型は既にIBMが作っていて、中松氏の発明品がフロッピーに似ていて特許関係が抵触しそうなので、IBMがライセンスを買ったというか契約したのである。と、いうことらしい。

 それにしても膨大な偉大な発明をした人であることには変わりは無い。欧米ではとても尊敬されていて、アメリカ大統領戦に出馬したら間違いなく当選するといわれていた。アメリカ野球のメジャーで、始球式をした最初の日本人でもある。
 発明家というのはすごい発明がある人ほど「おいおい…」という発明も膨大にある。 中松氏はかつて「選挙に当選する発明」なるものを発明した。どんな内容か知らないが、本人が一度も当選したことが無いのはどうしたことか…。

 あ!都知事選に立候補している人なので、あまり立候補者について書くのは好ましくないのだけど、けなすとまずいがそうでは無いから良いのだろう。ちなみに自分としては都知事にしたい人かどうかはここではノーコメントである^^。

 知っている人も多いと思うが、中松氏は昨年「イグノーベル賞」を受賞している。イグノーベル賞はノーベル賞をおちょくった賞というか「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる。しかし単なるキワモノ賞ではなく、イグノーベル賞を経てノーベル賞を受賞した研究者もおり、ノーベル賞にはかすりもしなかったがすばらしい研究もあるのである。
 中松氏の研究は34年間にわたって、自分の毎日の食事をひとつ残らず記録(撮影)し続け、同時に自分の体調なども記録したのである。それによって食事が身体にもたらす影響を分析した研究が評価された。その研究で分かったことのひとつに、食事の影響が身体に表れるのは3日後であると判明したというのがある。
 そういえば自分でも思い当たる。もうかなりになるが毎日ヨーグルトを摂っている。立花隆氏の本でいろいろな科学研究所を訪問レポートしたモノだったが、その中で腸の健康(強いては身体の健康)にはビフィズス菌が大事であるとあった。まだ世の中ではそれほどビフィズス菌は認知されていなかったと思う。自分は胃腸があまり強くなかったので、それを知って試しに「飲むヨーグルト」を摂取し続けた。すると3日目から胃腸の調子が良くなったのである。それが今でも続いている。
 また、ナッツ類が急に食べたくなって毎日食べていたら(量も多かったので)3日後におでこにブツブツができた。風呂に入ったとき何気におでこに手をやったらブツブツが出来ていて驚いたのだった。
 その他にも何かを食べたり飲んだりして3日後に身体にその影響が出ているのを体験していたので、中松氏の研究成果を聞いたときに思い切り腑に落ちたのだった。

 ちなみにその中松氏の研究結果では、人間は健康であれば144歳まで生きられるという。半端な数字はどう導いたのか知りたいところだが、30年以上前にもどこかの研究者が「人間は事故や病気で死なない限り120歳まで生きられるようになっている」と書いていたのを読んだことがある。しっかり記録(出生記録)がとられている人では、だいたい世界的な長寿は120歳前後で亡くなっているので納得のいく数字ではある。中松氏の事務所では、90歳の営業マンがバリバリ働いているとか。
 中松氏は現在82歳だが、自分の理論通り144歳までは生きる目標を立てている。あと62年か^^;;

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