光がちらちら (2008.6.14)
小さい頃からそれは見えていた。目を閉じると、色とりどりの蜂の巣状の模様が、やや点滅しながら視界を移動する。もちろん見ようと意識すれば今でも見えるけど、子供の時ほど意識をしないので、ほとんど気づかない。子供の頃はしょっちゅう見えていた。その模様が不思議だったので、よく見ようとしていたのね。
目を閉じても、視界は真っ暗と言うことはなく、黒いところややや死六歩ところなどまだらになっていて、その中を黒い縁取りの小さな円が固まって、つまり蜂の巣状になっているのだ。この画像は、あくまでイメージで作ってみたもので、こんなに鮮やかに見えるわけではない。実際はよ~~~く見ないと判別は難しい。こんなのは「あ~!見える見える」という人は多そうな気もするが、どうなんだろ?この模様が、それぞれ右から左へ、または左から右へと移動し、途中で方向転換することはない。
テレビやモニターをルーペなどで拡大してみると、青赤緑の三種類の光の集まりだと言うのを知っている人は多いでしょう。いわゆる光の三原色である。この三種類の光の強弱の組み合わせで、何億通りもの色を表現しているのだけど、実は人間の網膜も同じく青赤緑の光を感じるセンサーが無数に並んでおり、それで色を関知する。もしかすると、この視細胞の並びがこのちらちら見えるものと関係あるのかなぁ、と最近思ったり・・・。
そういえば、こんなのもあった。
たとえば立ちくらみなどの目が回ったときに、視界の隅に白い光が飛ぶでしょう。漫画にも良く描かれる模様みたいに、こんな感じで→~@。そういうのはたいてい視界の隅にしか見えず、視界の外に向かって消えていくのに、ある時期それが視界の中心に飛んできたことがあった。普通そういうのが見えたときは、視界の隅にいくつも見えるはずだけど、それが一つだけ視界の真ん中とかにプワンとやってきてそこでしばらく止まって消えたり。特に何でもないときにそんなのがある時期何度も見えたので、なんだ?と不思議だった。もしや脳がいかれてたのか?^^;
「大草原の小さな家」 (2008.6.19)
最近はめっきり再放送もやらなくなったけど「大草原の小さな家」が大好きだった。NHKの夕方に再放送するのが定番だったけど、衛星なんかではやってるのかな?
初めて見たのはやはり夕方の再放送。しかもシリーズの途中からだった。再放送は何度も見ているけど、いつも知らない間にいきなり再放送が開始されているので、今まで一度も最初の話を観たことがない。
あのテレビシリーズは、最初は前編後編に分けた単発モノだった。それが好評だったので連続ドラマにしたのだとか。(まだ観たことがない最初のお話というのは、連続ドラマになってからの第一話「すばらしい収穫」である)
単発の最初のドラマは、原作に忠実に作られている。想定外の連続になるとお話が足りないのでテレビ用に作り上げたモノなのである。原作はご存じローラ・インガルス・ワイルダーが、自分の体験した実話を元にした物語。その物語の中では「大草原」で暮らしたのは一時のことに過ぎない。その「大草原」での暮らしを連続ドラマ用にお話を作っている。で、原作を実話だと思っている方も多いと思うが、実はあくまで実話を元にしただけであって、かなり脚色したり実際とは変えて書かれている。ローラの年齢自体が原作の中では話がおもしろくなるように、何歳か高く設定して変えられているとか。ま、このお話に興味のない人も多いだろうし、その辺の細かいところを書いてもしょうがないけど。
さて、テレビシリーズが大好きだったのだけど、テレビの方は父さん役のマイケル・ランドンプロデュースのキリスト教・プロテスタント布教ドラマなのではないか、という印象。どのドラマもとても好きだったけど、最終回が近づくにつれて妙にキリスト教の説教くさくなる。宗教思想が根底にあるドラマや劇画は、あくまで思想を元に物語を解釈しているものと、明らかに布教が目的のモノがあるように思う。テレビシリーズの「大草原の小さな家」は、当初から説教くさかったけど、途中から露骨に布教目的にしているように感じてしまった。その極地が最終回・・・。
テレビシリーズは、「大草原の小さな家」と「新・大草原の小さな家」シリーズが放映された。前者はローラのインガルス一家を主人公とした物語で、後者は結婚して独立したローラが主人公になっている。その前者の最終回を観てがっかりしてしまったのだ。
ローラの姉さんのメアリーとローラが嫁いだあと、父さんたちは積極的に恵まれない子供などを養子にして育てていた。その一人の子が事故で植物状態になってしまった。なんでだか忘れたけど、父さんは奇蹟を求めてその子を抱えて旅に出た。キャンプしていたある夜、一人の老人が現れた。「塔を作って神に祈れ」と。で、父さんは石を積み上げてバベルの塔の小さいのをこしらえた。老人はその塔の下に子供を横たえるように指示した。そして次の瞬間、雷が塔に落ち、続いて子供を直撃した。その稲妻で子供は復活した(!)。次の朝、父さんたちを探しに来た母さんと親友のエドワーズさんは、元気に姿を現した子供をみて目を丸くし、神の奇蹟に感激したのだった・・・・。
おいおいおいおいおいおいぉぃぉぃぉぃぉぃ・・・・・・・・・・・・・・・。な~~~~~~んて安っぽい奇蹟だよ!今までの感動のドラマシリーズが台無しだよ・・・・。神の起こした雷に撃たれて植物状態の子供が復活するなんて。。。プロテスタント信者でも眉をひそめたんじゃ?
自分はクリスチャンではないけど、このドラマシリーズは好きで学ぶべきモノもたくさんある。今でも好きなのだけど、この最終回だけは監督兼制作者マイケル・ランドンの汚点に近いものだと思っている。
なりふりかまわず信者を獲得するカルト教団のつもりならいざしらず。
「源氏物語」の日々《上の巻》 (2008.6.25)
なにやら世の中はひっそりと(ひっそりでもないぞ)源氏物語ブームだったのですね。書かれてから千年くらいということで。
日本が世界に誇る世界最古の長編小説、しかも高度な文学ということで、ちゃんと読んでみたかったのは山々なのだったけど、何しろ分量が多い上に現在では難解だと思っていたのだった。
それ以前にも「物語」はあったのだけど、明らかに「小説」として成立している文学は、「源氏物語」が世界最古ということらしい。
源氏が書かれた当時、中国は別格として欧米諸国等はまだ「野蛮」な社会で、とても文学が育つような状態ではない頃だった。そんな頃、極東の小さな島国でこんなすごい小説が書かれていたのが驚異だそうな。また純粋にすばらしい文学として、評価が高いらしい。そういえば、同じ頃に清少納言の「枕草子」という「エッセイ」が書かれていたのも驚きなのだとか。自由な表現の文学であるエッセイが書かれていると言うことは、その地域の文学がかなり成熟していないと現れ得ず、ヨーロッパが野蛮状態の時に、日本の文学がそんな高度な状態だったのかと。一般に現代以前は、女性がそういうモノを書けるというのも驚きだったのだし。もちろん男女の能力差ではなく、男尊女卑であったからで。枕草子はやはり現代語訳で読んだことはあるのだけど、偉大な文学ともおもしろいとも思わなかったような。同じような内容が何度も出てくるので、飽きてしまったりもしたし。あの時代にあれだけの自由なエッセイが、しかも女性によって書かれた意義は大きいとしか感じなかったぞ。記述内容が、当時の生活やモノの考え方などを知る貴重な資料である、というのはよくわかるが。
この春頃ふと、初心者向け個展シリーズの源氏物語を見つけたので買って読んでみた。本当は54章(正しくは五十四帖と言ふ)あるモノを強引に一冊にダイジェストしているので、かなりはしょられているのだけど、ふむふむなかなかおもしろそう。と言うわけで、現代語訳でちゃんと読んでみようといろいろ調べてみた。
源氏物語は分量が多いために、「原文」で全部を読んだ人はごく一部の研究者のみで、現代語訳でも通読した人は滅多にいないと言われる。最初から4分の1辺りの「須磨」で挫折する人が多く、そういう人を「須磨源氏」と揶揄される事も多いのだとか。元プロレスラー(A・猪木の新日プロレス)で自民党国会議員の馳浩(はせひろし)は、プロレスラーになる前は高校の古典教師だった。氏は枕草子と源氏物語が大好きで、プロレスの海外遠征の時は、必ず源氏物語の原典を持参していたという。ホテルなどで一人くつろぐときに、その本を徒然にめくって悠久の時をさまようのが何とも言えないと。シベリア抑留中に、持っていた源氏物語が絶望を癒してくれたという人もいたな。
さてさて、そんな諸々の事を知らされると期待と挫折の予感を感じるので、慎重に現代語訳を選ぼうと調べてみた。そもそも現代語訳は瀬戸内寂聴のものしか知らなかった。というか意識していなかった。橋本治の「窯変源氏物語」というのがあるのは知っていたけど、橋本氏のパロディなのでは?と漠然と思っていたくらいで。橋本氏のは通常とは違い、光源氏の告白という形で書かれているようだ。興味のある作家なので、いずれはそちらも読んでみたい。
で、今回はいろいろ吟味した結果、円地文子の現代語訳を選ぶことにした。他には谷崎潤一郎、田辺聖子、瀬戸内寂聴等々の作家の現代語訳があるが、円地氏のモノがもっとも翻訳が正確で読みやすいとの評価なので。原文のまどろっこしさやわかりにくさをできるだけ残しているのが谷崎版で、瀬戸内氏のは氏の登場人物に対する好みがはっきりと反映されているとか。
後日谷崎版を本屋でちょっと読んでみたところでは、原文の趣をとてもよく残している感じなのに、決して読みにくくはなかった。円地版を入手して読み始めた後だったのだが、谷崎版でも良かったかも、とちょっと後悔。でも、冒頭の1ページを立ち読みしただけなのであって、内容はやはりかなりわかりにくいらしい。川端康成は谷崎版へ寄せた文で「原典の趣を損なわない完璧な現代語訳」と絶賛している。ただし絶賛しているのは、谷崎版の本への言葉であって、川端は源氏を手がける遙か前の瀬戸内氏に「与謝野さんのが一番簡潔でいいんじゃないですか。谷崎源氏は訳と言うより、原文そのままの感じがする。円地さんのは、あれは円地さんの小説源氏だね」と言っている。この場合、谷崎源氏が「現代語訳」にはなっていない、という事なのかと。でも「完璧な現代語訳」と評したんだよな?・・・ なんか他所でも川端は谷崎版をこきおろしてる。京の都の物語なのに「谷崎源氏は江戸町人ことばの源氏だ」とも。ちなみに、川端も源氏フリークで、現代語訳を手がけていたらしい。自死で未完成に終わったが、川端が完成させていたら、何を言っているのかわからない(難解という意味ではない)川端版源氏が登場していたはずだという評価もある^^;
橋本治のは一見軽い。「枕草子」の現代語訳では、冒頭の「春は曙・・・」を「春って曙よ!」と訳した人である(桃尻語訳と呼ばれていた)。一見、軽んじて訳してしまっている様に見えるが、古典を現代によみがえらせることに作家生命をかけていると言っても言い過ぎではない奇才であり、優れた文学に生まれ変わらせているとの評価も高い。
少女漫画になった「あさきゆめみし」もあるが、これが侮れないという。なにしろこの漫画についての論文もあり、かなり原作に忠実に描けているとか。(源氏物語に関する論文は、今でも年に300本出されているとか) もちろん、細々と間違いはあるようだが、入門にはかなり良いらしい。ただ、特に女の登場人物がみんな同じ顔で、見分けが難しいという難点もあるようで。
(つづく・・・)
「源氏物語」の日々《中の巻》 (2008.6.30)
閑話休題。円地文子訳は、当然普通に書店で手に入るのだろうと高をくくっていたら、なんと円地氏のは絶版。円地訳によるダイジェスト版があるだけ。フルバージョンのは単行本も文庫本もどちらも絶版で手に入らない。おぃおぃ・・・。しかも呆れたことに発行元の新潮社のHPはきわめてアクセシビリティが悪く、本が探しにくい。大手出版社のHPのくせに書籍検索などもできないのはどういう事だろ。
ならばこういうときはいつも、このサイト「日本の古本屋」が頼りなのだった。古書店が本の状態を書いている場合、本の状態を正確に書いてある。カバーに破れあり、とか汚れありとか。なので、少々悪い状態で書かれてあっても「こんなはずじゃなかった」という事はまずないし、そもそも売り物にもならないようなモノは売らない。
で、探してみたら、円地文子訳の単行本10冊揃を所蔵している古書店が見つかった。しかも安い。絶版本なのに10冊で2800円(送料別)である。本当は文庫版が欲しかったのだけど、全巻揃いで扱っているところがないので、単行本で購入した。
届いた本は、書いてあったとおりカバーの状態は日に焼けてるし少々悪いが、カバーを外した中身はとても良い状態。入手困難な書籍なのでかなりのお買い得かと。昭和52年出版で当時1冊千円。絶版の希少本なのだから、セットで数万円でもおかしくはないのだが。まさか絶版本であることを書店側が知らなかったとは思えないし。他の古書店でも3500円前後のモノもあったり、1万円というのもあった。本のオビや挟まれていた月報などが揃っているとか、なにかプラスアルファがあるようで。まぁ単純に絶版だから高くなるわけではなく、需要の問題だとは思う。でも、他の古書店へ売りに行っても、2800円よりも高く売れるんじゃないか?
読み始めてみると、評価通りかなり読みやすい。まぁ、登場人物の把握は難しいが。何しろ通常の小説のように「名前」で書かれていることがほとんどなく、役職や部屋の名前で書かれているし、その関係がどういうモノなのかは全くピンとこないのだから。ある女性が「姫君」と書かれていて、その次の段落でも「姫君は」と書いてあるから、同一人物だと思っていると「はぁ?」と合点がいかなくて、違う女性のことだった、というのも多い。これが原典になると、ほとんどがひらがなで書かれていて、句読点はもちろんなく、主語が省略されているのは当たり前だから、現代人にはほとんど解読不能になってしまうのであるが。
事前にダイジェスト版を読んでいたのはかなり役に立ったのだった。ダイジェスト版は強引に一冊に要約しているので、悠久の王朝ロマンがやけに忙しなかったのだが、忠実な現代語訳ではゆったりとした優雅な雰囲気を楽しめるのがとても良い。
しかししかしだ!やっぱりよくわからなくなってくる。文章は確かに現代語訳で読みやすい。でも、登場人物がわからなくなってくるのだ。当時の宮廷の役職や身分関係など全く知識はないし、登場人物がとても多い。主語が人名だったり役職名だったり部屋名だったり。また同じ一続きのシーンの中で、同じ人物を名前で書いたり役職名で書いたりするので「ん??だれのことだ?」っていうのが頻繁でイライラしてくる。原文はその主語さえほとんどないので、現代人にはほとんど解読不能なのだが、当時夢中になって読んでいた人たちは、いちいち書かれなくても、なにからなにまでわかってるわけで。ただ、当時は物語を輪読することが良くあったそうで、源氏物語もそのように数人で読み合って、このセリフは誰のモノか、これは誰のことか?と指摘しながら読んでいたのではないか、という説もある。
それでも、なんとか読み進んでいくと、やはり作品世界にも魅せられていくし、なんだかとても奥が深い作品なのだという感じも深まってくる。読み進むにつれてある種の満足感も出てくるのだが、それが物語に魅了された感覚なのか、一生読むことがなかったかもしれない、日本の大古典を読んでいるという満足感なのかは、我ながらイマイチ判然としないところ^^;
しかしまぁ~、宮中の皆さんは恐ろしく涙もろいこと。なにかあるとすぐに、涙ぐみ「袖を濡らす」。男も泣きすぎだろ。そして精神的ストレスで簡単に死んでしまうこと。宮中の血統はカゲロウの血を引いているのか?
それに物語の冒頭が「いづれの御時にか(いつの天皇の時代だったろうか)」
ってなってるが、直後に天皇名は桐壺で、その女御について書かれているのだから、桐壺の御時だろ?と、いきなりの疑問があったり。
さて、誰の現代語訳が良いかは、個人の好みの問題もあると思うが、円地訳を読んでいての印象は、なんとなく「おかゆを食べているような」読み心地。原文はもちろん現代語訳も円地訳しか読んでいないので、比較してそう感じているわけではないのだけど、なんだかそんな印象を持ちながら読んでいたのだった。
なんだかんだ言いながら、とにかく読み進めていくと、やはりこれはとてつもなく奥の深い文学なのだ、という思いが強くなる。そもそも源氏物語については全く知識はなく、光源氏というプレイボーイを巡る色恋沙汰、と思い込んでいたのだ。でも考えたら、それだけのものだったら、これだけ国内はおろか海外でも高く評価はされないでしょう。古代に書かれたというだけが一番の評価だったら、それほど評価もされたのかどうか。読み進めていくと、確かに恋愛物語でもあるが、それ以外にも多くのモノを含んでいて、読者がいろいろなモノをくみ取ることができる文学だというのがわかってきた。
光源氏のような天が二物も三物も与えたようなできすぎた貴公子が主人公だが、これは紫式部が理想の男性像を描いたのだという解釈が多い。後述するI・モリスの『光源氏の世界』では、次のように書かれている。「源氏の君は、紫式部の小説に理想の男性像として描かれるのである。それは、単に彼の容貌の故ではない。彼の感受性のせいでも、芸術的才能のせいでもない。ただ彼が、ひとたび女性に庇護の手を差し延べれば、決して引っ込めることはなかった、この一事の故なのである。源氏は、或る女に対してたとえ愛人としての興味を全く失ったとしても、彼女への援助を打ち切ることを決してしないひとだった。」
おぅおぅ!確かに読んでいて、最後まで面倒見の良いやっちゃなぁ、とはつくづく思っていた。
(もいっちょ、つづく・・・)
「源氏物語」の日々《下の巻》 (2008.7.5)
さて、源氏物語が書かれてから約一千年の時を経ているのだが、紫式部が書いた原本というものは残っていない。当時はもちろん、本を広めるには写本をしていたのだけど、現存する源氏物語の写本は、大まかに二系統の写本がある。「青表紙本」と呼ばれ、数々の写本を集めて原典に近いものに編集されているもので、もっとも権威が高い系統と、意味をわかりやすくするために言葉を加えてある「河内本」。
現存する最古の写本はオリジナルが書かれてから100年以上後の12世紀のものだが、これは写本自体が不正確で内容もそろっていないという事らしい。五十四帖のそろった現存する最古の写本は、藤原定家によるものですでに鎌倉時代(14世紀)になっている。それまでに多くの写本が繰り返されていると言うことは、当然原典からは少なからず異なってきているはずで。ただでさえ長大な物語を読むだけでも大変なのに、書き写すのだから誤記がない方が不思議だし、長い時代の間に物語を訂正したりわかりやすく書き換えたり等が行われていても不思議ではないのである。
それでも、千年も読み続けられてきたのは、それだけ奥の深い文学であるし、でもたかが千年しか経ってないんだよなぁ、という感慨も。千年っていうことは、自分の先祖が何代前の事なんだろ?と考えると、意外についこないだに思えたりも。
さてさて、そんなわけで(どんなわけだ!?)、バックグラウンドをさっぱり理解していなくて読んでみただけでは、やはり物語を読んだという気が全然しない。というわけで、当時の貴族社会の風習や歴史的なバックグランド、そして和歌もちゃんと理解してみたいと思ったのだった。いろいろ探してみて、「源氏物語の時代~一条天皇と后たちのものがたり~(朝日選書)」「和歌文学の基礎知識(角川選書)」「源氏物語の世界(岩波新書)」「光源氏の世界(筑摩叢書)《絶版》」等々を読んでから、再び別の人の現代語訳に挑戦することにした。やはり当時の事をいくらかでも知ってみると、より物語への興味も増すし、理解も進む。特に「光源氏の世界(筑摩叢書)」はI・モリス(イギリス?)によって1964年に出された本で、すでに絶版になっているのだけど、この本からはかなり広範な理解を得ることが出来た。平安朝の歴史や政治などはもちろん、膨大な資料を丁寧に考察した当時の文明や習慣などなども細かく書かれていて、この本だけでも大いに読む価値がある。
前に書いたが「宮中の皆さんは恐ろしく涙もろいこと。なにかあるとすぐに、涙ぐみ「袖を濡らす」。男も泣きすぎだろ。」に対する疑問も、この本で解けた。モリスによると「源氏の君を始めとしてその同胞たちは、感情を露骨に見せないという男性の美徳の価値が、未だ評価されるにいたってない時代に生きていた。涙は女々しい弱さを示すものではなかった。涙は、ひとが人生の美わしさ、はかなさに対し鋭敏な感受性を持つことの表れであった。戦国時代の歴史にも、涙脆い英雄がしばしば出てくるのは確かだ。だが、このように勇猛な男子が涙せざるを得ないのは、全く別の状況の下においてであった。武士は主君の死を前にして涙を流すであろう。そしてこれは、彼の悲哀が真底からのものであることの表れでもある。ところが平安朝貴人たちは、自分の恋人と離別する時がくることを思うと、そこで泣けてくる。荘厳な日の出を眺めては涙する。また誰か他の者の孤独に思いを馳せて、涙を流さざるを得ないのである。」な、なるほど^^;; 興味深い考察だ。
また、みなさん、語り明かしたりして良く徹夜をするなぁ、と思っていたのだが、これについてもモリスは明確に語っている。
「(平安朝では)時刻は水時計で計られるのである。これはしごく面倒な方法だ。特定の宮廷官吏を除いて、正確な時間の感覚を持つものはほとんどなく、総じて、時計の奴隷となる人間は全くいなかったのである。時間は正確に守られることが不可能なので、一日一日は、そこはかとなく過ぎ去る。区切りがはっきりしない。標準時刻の観念は全然なかったようである。時間がどれほど経過しているかもわからず、いま何時頃だから就寝すべきであるという考えはなかったらしい。『源氏物語』では、登場人物が会話に耽っているうちに、地平線上に日が昇ってくるということが、日常茶飯事となっている。」
本書の内容から見て単なる憶測ではなく、しっかりと裏付けのとれる資料を基にした考察であろうと思われる。
これらのバックグランドをいくらかでも理解できると、それほどおもしろくもなかった「枕草子」に対する興味も再燃してきたし、全く違った感覚で読めるのではないかと感じるのだった。
【編集後記】
またまた閑話休題。再挑戦の現代語訳のこと。次は与謝野晶子あたりの現代語訳にしようとしていたのだけど、いろいろ調べてみると国語学者で源氏物語の権威でもある今泉義忠の現代語訳がかなり良いことがわかった。一般には小説家の現代語訳しか評価されていないけど、今泉氏のは原文に忠実でしかもわかりやすく、あるネット上での評価によると「良くも悪くも、小説家のように作家の色がついていない」とある。学者が訳したという読みづらさはなく、自然な文章でもあると。新装版で文庫(講談社学術文庫)にもなっているので手に入れやすくかさばらない。
読んでみるとこれが実に良い現代語訳だったのだ。どうしてもっと一般に評価されないのだろう?画期的に読みやすい点のひとつに、シナリオのように誰のセリフかが書いてある。「源氏『○○○~~。』」のように。これはかなりありがたい。まぁシナリオ文学を別にしたら、小説家の現代語訳でこれをやると、かなり格好悪いのだろう。そしてコロコロ変わる役職名に、ちゃんと統一した名前がカッコ書きされている。先に読んだ円地訳では、読みやすいと言っても誰と誰の会話なのかがわからないことが多く、文章中の役職名を頼りに、付録の系図から探して誰なのかを理解していったりしていたので、今泉訳はこれだけでもかなり違う。リアルタイム(?)で読み進められる。まぁ強いて言えば、全体に文章が硬い感じはするが、それは必要以上に言葉を砕いていないだけで、慣れれば気にならず非常に読みやすい。
本格的に源氏物語に浸かっている日々なのだが、そのうちにこの物語にちなんだ絵を描いてみようと思うこの頃なのだった。
(やっと終了)
耳の中の水 (2008.8.4)
入浴中にシャワーが耳に入った。うぉ!この気色悪い感触は久々だ。耳をしたに頭を振ってもビクともしない。頭をたたくと「ビンビン!」と水が振動する。こんな経験はかなり昔のプール以来だ。ケンケンではねようが何をしようが、全く水は出てこない。
風呂から上がって綿棒でとることに。しかし綿棒というのは意外に奥までは入りにくい。というか、危険だから入りにくい方が良いのだが。そぉーっとゆっくり奥まで入れて水に届いた感じはするのだけど、やっぱり水は抜けない。
かくなる上はティッシュだ。ティッシュを細く丸めて入れることに。利き手と逆の耳なので、かなりやりにくいが、上手くねじ込んで届いた感じはするのだけど、やっぱり抜けない。いらだって耳を下にして頭をたたいてみるが、「ビンビン!」と水が振動する音がして脳細胞が壊れていくだけであった。
あつい石を耳に当てるという方法もあったが、そんなモノはないし代わりになりそうなものもない。綿棒でやり過ぎて少々耳の中も痛いし、もうほっとくか、いつの間にか抜けたり蒸発もするだろうと、半ばあきらめた。
そんなときにふと閃いた!こんなときのためのインターネットだろう!と。早速「耳の中 水」でググってみる。
すると、それらに関する質問があちこちにある。やはり綿棒はなるべくやめた方がよいとのこと。で、おおかたは耳を下にしてケンケンをすれば出る、と。だぁら、それで全く出ないんだよ!と、もうしばらく見てみると「ん?」という回答が。なんと、さらに水を入れろ、と。そうすると後からたっぷり入れた水とともに、詰まっていた水も一緒に抜けるのだと。いわゆる呼び水である。成功率は100%に近いらしく、同じような対処法があちこちに見られる。水泳教室の先生に教えてもらった人が多いみたい。
そうかそうか、とやってみることに。コップで入れるのは難しそうなので、スポイトがどこかにあったはず。絵の具の水調整に使っている小さいスポイトがあったので、それで水を一気に入れてみた。このうだるような蒸し暑さの毎日の中で、妙に気持ちよかったり^^; 耳を下にすると、大量の水が出た。そして頭をたたいてみると、もう振動音も聞こえず無事に水は抜けた!おぉ!久々にインターネットの有用性に感動したぞ。
と、いうわけでこれは一押しの水抜き法です。って、あまり活躍の場面もないか^^;
目隠し通風装置 (2008.8.10)
今の自分の部屋は北東の角にあり、もっとも通風も悪い。おまけに屋根の勾配の端が天井を斜めにしていて、屋根の輻射熱がもろに部屋にこもる。なので夏はたまらなく暑く、隣の部屋とは体感で3度は違う感じ。
家は20年ほど前に改築したモノなのだが、8年くらい前に北側にマンションが出来た。マンションのベランダが全室こちらを向いているため、北側の窓を開けることが出来なくなり、透明だった窓ガラスにすりガラスシールを貼って目隠しもしたりしたのだった。窓は北側と東側にあり、ドアは西側のため、普段は東西の窓とドアで通風をとるしかない。しかしただでさえ通風がイマイチなのでこれはかなり厳しかったり。
現在、家の外壁、屋根、外部木部の総塗り替えをしていて、家は飛散防止ネットで覆われている。最初の行程で高圧洗浄をしたので、その間はさらにビニールシートで覆われた。裏のマンションに向いている部分もそれで目隠しになっていたので、猛暑の夜に久々に北側の窓を開けてみた。おお!結構涼しい風が入って来るではないか!なんか妙に感動してしまった。これなら設置してあるブラインドを駆使すれば窓を開けて風を入れられるのでは、と思ったけど、そもそもブラインドでは全く目隠しにならないので、窓を開けていなかったのだった。何しろこちらは二階建てだけど、マンションは4階建て。ブラインドを上に向けても下に向けても見えてしまうのだ。こちらが見えるのが嫌というのもあるけど、向こうもベランダの奥が居間になっているので、やはりお互いに嫌だろうし。
なわけで、いろいろ方策を練ったあげく、これはやっぱり何か作るしか無いだろうと。(またかよ)
いろいろ図面を描いてみたあげく、ブラインドを二重にしたようなモノを作ってみることに。上の図がその図面で上から見たところ。板を互い違いにすることで、通風はかなり良いのに、完全に目隠しになるように配置してある。木の板で作るので、ホームセンターなどで手に入る材料とサイズを考えて、安く効率よく、なおかつ最大の目的が達せられるように考えてある。
写真上は組み立て途中で下が設置後なのである。窓の半分をふさぐために暗くなるが、通風は網戸だけと同じくらいによい!なかなかのものなのである。羽の一枚一枚も約10cmと大きいので通常のブラインドよりも目隠し効果が高いのに、通風はブラインドよりも多いような。とりあえず早期に作りたかったので、あまり耐久性や堅牢製が無いかもしれないので、冬になったら次の夏に備えて改良でもしてみようかと思っていたり。(またかよ)
空き地 (2008.8.22)
空き地については、このHP公開当初に書いていた。自分の子どもの頃には、それ以前より減ったとはいえ、空き地は適当に存在していた。空き地は一応誰かの土地所有物とはいえ、誰でも適当に憩うために利用できていた感じがする。所有権を主張するなんかしらの境界を、杭やロープなどで示している場合があっても、中に入ることに、それほどうるさくはなかったような。
あの頃と現在の、空き地の意味が最も違うのは「経済的」に無駄か有効か、なのではないか。空き地にもそれなりの税金はかかるから、単に原っぱにして置いただけでは損になる、などの感覚か。
それにしても「空き地」って無くなったなぁ・・・。中学の頃でも縦横50メートル以上の空き地がいくつかあって、草野球をやったこともある。テニスボールでなく野球の軟球でやったのだから、かなりな広さだ。過疎地ではなく世田谷の中心市街地なのだけど。今なら絶対そんな空き地は存在しないだろな。なんでもかんでも税金の取れそうなところは、血の一滴まで吸い上げられてしまうから、すぐに利用する目的のない狭い土地でも、なんかしら有効活用しないといけないからなのかしらん?イメージで住宅街の風景画を描くとき、土管の横たわった空き地を描いたら、今時はあり得ない風景になってしまうもんなぁ。
五輪野球 (2008.8.26)
というわけで北京五輪は共産党当局の強引な警備の元で、競技運営は表面上滞りなく終わった。
で、五輪野球である。星野監督が「金メダル以外はいらない」と言ったとおり、金を逃したので銀も銅もとらずに終わった^^; なんと言っても韓国の強さと日本のふがいなさが目立ったのだけど、終わってみたらある程度予見された通りとなったようで。
出発前は星野監督のリーダーシップと、選ばれた精鋭達に期待を寄せていた日本国民だったのだけど、負けると手のひらを返した批判は見事というかみっともないというか。
自分としては、選出されたメンバーが「地味だなぁ」という印象だった。ピッチャー陣はエース級が多いけど、野手陣が。あれだけ今季の活躍が鮮やかな、楽天の岩隈投手がいないのはなぜ?という疑問はあったけど、若手や国際経験の豊かな投手陣は見劣りはしなかった。でも、野手陣はあまりに地味というかどう見ても今のプロ野球最強の陣営ではないだろ?と。確かに勝負強い面々ではあるけど。(そういうお前も、終わってからの批判だろうと?^^;)
さてさて日本代表が惨敗したあとは、各関係者が言うこと言うこと・・・。
楽天の野村監督は、星野・山本浩二・田淵の仲良しトリオになった時点でだめだと思った、と。まぁ、みんなそう思ってても大会前にそんな事をいえる雰囲気ではなかったとは思うけど。北京五輪の日本選手団団長は、大会前に選手を集めてチョロッと全体練習をやっただけで勝てるほど国際大会は甘くない、と大批判。団長だったら、もっとずっと以前にそれくらいの苦言を呈してもよかっただろ。それにもし金メダルを取ってたらそんな批判はしなかったのでは。
日本のプロ野球で使っている公式球は、世界標準の球ではない。ほぼ日本だけが違うと言って良いらしい。メジャーに移籍した投手が質感の違う球に悩まされるのは良く聞くでしょう。どうもボールメーカーのミズノの圧力ではないかと言われる。
今季、韓国プロ野球は公式球を世界大会の公式球に統一し、五輪に向けてみっちり代表チームを作って練習や情報収集もし、おまけに公式戦をストップしてまで五輪に挑んでいる。プロ野球のレベルで言えば、日本はアジアではダントツのトップなのは間違いない。通常のペナントレースで戦ったら、韓国も台湾もほとんど日本に歯が立たないと思う。ただ、それぞれのトップ選手を集めた代表レベルだと、日本・韓国・台湾のレベル差は非常に小さい。その中で中途半端なプロ野球機構の協力と直前での泥縄のチーム作りでは、国家単位で徹底的に五輪にアプローチした韓国に負けたのはしょうがないというか。日本人選手は大舞台に弱いとかいう批判も多かったけど、それ以前の問題でしょう。まぁ韓国選手の場合はそれに加えて、過剰に日本へのライバル心を抱いていることと、兵役免除や軽減がかかっている(韓国人記者談)のだから、集中力は尋常ではないし。
このような事を書いても、似たような記述は他でも無数にあるのは間違いないのだけど。
それにしても、日本のプロ野球の場合は世界大会への方向性以前に、まず現在のプロ野球機構のあり方を変えないとダメだろうなぁ。いつまでも企業の広告塔で所有物というあり方では・・・。
ガマガエル (2008.8.31)
庭に20年近く使っている物干し台がある。最近のアルミやステンレス製と違って思い切りスチール製なので、思い切り錆びてきている。一緒に買ったと思われる物干しも思い切りスチール製なので、こちらも端からどんどん錆びてきている。
もう限界だな、と買い換える事を考えていたのだけど、どこに売ってるんだ?やっぱりホームセンターか?と、まずはネットで探索。どうやらホームセンターで売っているのは安いけど、安いなりのようである。そもそもがそれほど同じタイプを大量生産するモノではないので、安く売るためには材質をそれなりにするしかないようで。いろいろ検討した結果、とある物干し専門業者のモノを購入して配送してもらった。
さてようやく届いて、まずは古い物干しを撤去することに。物干し台は土台がコンクリートなので重い。その上のパイプも鉄だったので、全体がやたらに重い。その分どんな台風にも安定して立ってはいるのだけど。エッコラショ!と物干し台をどけると、おぉ!久しぶりにガマガエルがいた!。それも大きい。カエルは驚いて動いたのだけど、そこにもう一匹いる。どうやら交尾のために潜んでいたらしい。邪魔したな。^^; かといって、そのままでは交換できないので、強引に動いてもらうことに。上になっていた雄は簡単に動いてくれたのだが、半分埋まっている雌はなかなか動かない。しょうがないので、同じ位置に新しい物干し台を置くことに。そのまま置いても雌をつぶすことはなさそうだし。
しかし本当に久々にガマガエルを見た。おそらく数年前に葛西臨海公園のは虫類館(だったか?)で見て以来かも。雑記のどこかに書いたと思うけど、いつも不思議に思うのだ。うちは住宅街のど真ん中にあるのだ。いったいこのカエルたちはどこから来てどこへ移動するのだろう?
現在の家は20年前に、同じ土地に建て替えたものである。前の家は昭和初期に建てられたモノらしく庭が広く木が多かったのだけど、やはりガマガエルや小さいカエルがいた。周りの環境は建物が変わっただけで、その頃も近くに池があったわけではない。ただ隣の家に1m四方くらいの小さな池があり、そこにはヤゴがいて、子供の頃にとらしてもらったりした。でもガマガエルのオタマはいなかった。今も隣の家は当時のままだけど、ガマガエルが繁殖しているとも思えない。子供の頃はガマガエルは池が無くても地上で繁殖できるのでは?と思ったほどだった。どちらにしろ、ガマガエルが超えるには高すぎる柵があるし、道路を延々と横断して遠くからわざわざ我が家へやってきているのか。未だに謎なのである。