お疲れ様でした (2007.4.15)
先日、とうとう炊飯器とトースターを買い換えた。炊飯器は、自分が仕事で大阪に赴任していた時に買った物。もう20年以上も前のモノなのだ。当時のモノとしては普通だったのだろうけど、単純に炊飯と保温しかない。今時ではこういう形状は、まず見あたらないだろうという基本形。それを東京に帰ってからは、実家で使っていた。確かそれ以前は、我が家ではガス炊飯器だったような。
炊飯器はとうにボロボロであったのだ。フタの後ろと前の水滴受けは、5年以上前からガタガタで合わなくなっていたし、フタの内側に内ブタが付いているのだが、それを取り外しできるようになっていたパッキングも、昨年に風化して外れて、内ブタを手や箸でつままないと開けられなくなっていたのだ。それでも何となく使い続けていた。特に理由はなく、まだ十分に炊けるからなのだ。買い換えたって、高級器でなければ安いのはわかっていた。でも、お釈迦になっていないので使っていただけで、特にどうのこうのとは考えていなかった。
先日、姉が泊まりに来たとき、あまりにもボロボロの炊飯器に驚き、なぜ買い換えないのかと不思議がっていた。それで、あぁそうか、んじゃもういい加減に買い換えるかな、と買い換えたのだ^^; 買い換えるなら、ついでにトースターも買い換えようと決意。こちらもおそらく30年は使っている。オーブントースターではなく、パンやピザくらいしか焼けないトースターなのだ。今時はそんな単体機能のモノはないだろう^^。これも写真のように、もう風化しかかっていたのだけど、別に問題なく使えていたので使っていただけなのだ。
ちなみに、貧しくて買い換えられなかったわけではないので^^;;
新しい炊飯器とオーブントースターは、両方で11000円。炊飯器は、炊飯と保温が出来ればそれだけで良いのだ。なにやらいろんなモノが作れるなんて機能はいらない。トースターも、ほとんどパンとグラタンくらいしか焼かない。だから、出来るだけ安いモノを買おうとしたのではなく、最低限の機能のモノを選んだのだ。でも、オーブン機能が付いてて助かるのは、特殊粘土を焼くとき。10年ほど前、オーブンで焼く特殊粘土にはまった事があり、でもうちにはオーブンがないので困ったのだった。オーブントースターなど数千円も出せば買えるのだけど、すでにあるトースターが十分使えているから、買おうという気持ちも起きなかったし。
ようやく家電としての仕事を終えた彼らは、世田谷区の粗大ゴミとして収集される。各200円の手数料なり。
最近ずっと2階の天井裏の物置を整理している。ずっと面倒で整理していなかった不要品が満載だったのだ。その中に、ガス炊飯器もあり、今回一緒に処分することに。
長い間お疲れ様でした^^
超~! (2007.5.1)
久々に聞いた気がする。先日、本屋街神保町のとある喫茶店に入ったときのこと。キャラキャラしゃべりながら席に着いた2人の女の子。春休みの女子高生のようだった。
「うそうそ!超~かわいい~~!!」
「・・・そうそう、で、超~○○じゃん!?」
などと、「超」のオンパレード会話なのだった。最近は、以前ほど聞かないような気がしていたのだけど、まだまだ超健在だったのね^^;
想定外を想定しない社会 (2007.4.4)
そうかそうかそうか・・・ 今更ながら、ふっと気づいて、何がおかしいのか腑に落ちた。
日本の今の社会というのは、経済至上主義で、とにかく経済成長第一、国民の命はずっとその下、という社会に成り下がってしまったのは、承知している。つい先日、某大臣の「女性は子供を産む機械」発言が、野党やワイドショーの好都合なエサになっていたけど、考えたら社会そのものが、国民を機械としか見ていないのじゃん。今の制度の日本を支えている(良い意味でじゃない)のは、会社という組織の集団に見える。その会社たちは、最悪の事態には良く備えている、、ようだ。たとえば、大災害が起きた場合にどう備えるか。企業買収にはどう備えるか。。等々。でも、そこで働いているのは、人間であるという考えは微塵も持っていないのがよくわかる。人間はあくまで生き物であり、心身両方に波があり、時には病気にもなったり、よんどころない事情で働けないことだってたくさんある。そういう事があり得ると言うことを微塵も考慮に入れていない。つまり機械としか見ていないのが今の企業社会なのだと、当たり前のことを忘れていた。機械がフル回転して達成できるノルマを人間に課し、調子が悪くなるということは想定されていない。普通の人間が先ほどのように、普通に働けなくなるという事は想定外なのだ。
個人的にアメリカという国家は好きではない。アメリカ人ではなく、アメリカ政府が嫌いなのだ。開拓という明るい表現で、先住民を抹殺して回った侵略も、末永く残る汚点である。ま、それはさておいて、開拓時代のドラマなどでは、新しくできた町でいろいろな職場ができ、そこで働く人がちょっと風邪をひいただけでも「いかんな、帰って休め」というのが当たり前に描かれている。それを見たときに、とても新鮮だった。あくまで、みんな幸せになるために働いているのであって、会社のために働いているのではない、ということか。日本でも、高度成長初期の頃を描いたものでは、家族に病人が出たときに「帰って(看病して)やれ」と上司が促す場面があったりする。これも、本当なら実に当たり前の光景のはずなのに、今ならあり得ないとても新鮮な描写に感じてしまった。
そういう頃の当たり前の事が当たり前に見られる世の中になれるのだろうか?というと、これは行政単位を小さくするしかありえない、と思ったり。自給自足できる範囲の社会が、大きすぎるのが一番の原因なのではないかなぁ。行政単位も大きく、会社の規模も大きく、だから、責任の範囲も大きすぎるので、人間の許容範囲を超えてしまっているのかと。ありゃ?タイトルとずれてる^^;おまけに、特に今更書かなくても、みんなわかってるし、おそらく何度も言われていることだけど・・・
圏外でも。。 (2007.5.8)
携帯電話が圏外になっている空間での、女二人の会話。
「ここ電波届かないんだぁ」
「ホントだ、あたしのも圏外」
「あ、でも、あたしと○○ちゃん(相手のこと)のは、近いから大丈夫なんだよね?」
・・・・・・・・・・・・
トランシーバーかよ!!
その彼女は、○○ちゃんの携帯にかけようとしたけど、当然かけられるはずがなく、「え!?なんで~~??」と驚いていた^^;;
ベルリンの壁 (2007.5.16)
まさか自分の時代に起こると思わなかった事のひとつに、ソ連崩壊があった。そしてその前のベルリンの壁の崩壊も。
また、世界情勢に関することで感動した出来事といえば、ベルリンの壁の崩壊と、フィリピンのマルコス政権崩壊の瞬間かな。マルコス政権の崩壊(亡命)は、ほぼ実況中継に近かったし。フィリピン騒動の時は、NHKニュースで「園田 矢」というおっさんアナウンサーが頻繁に出てきたのだが、「矢」は何と読むんだ??と、その度に疑問だった^^;
さてさて、ベルリンの壁であるが、最近読んだ本の中に驚くべき記述があった。ベルリンの壁は、ドイツが東西に分裂したあとに、東ドイツ政府が建てたモノだった。東ドイツ政府も、西ドイツに大量の逃亡者が出そうなのはわかってたんでしょうね。
ベルリンの壁は、1961年の8月13日に作られはじめた。
えっえぇ~~~~!!!???
これって、おいらが生まれた日じゃん!!^^;;
道徳 (2007.6.4)
道徳の授業が復活するそうな。学校で「道徳」を廃止したのが良くなかったとか、某大国は道徳を教えないから良くないとか、いろいろな意見も聞かれるけど、もっと普通に考えてミソ。
社会や大人、政治家にまったく道徳心も倫理観も見られないのに、子供に「道徳」を教えても無駄だろうに。若年層の「道徳心」が劣化していると見えるのは、ひとえに社会や大人を見て育ってきたからに他ならないだろ。人生の先輩が生きる見本とならずに、何を学校で教えたって無駄だと思うぞ。
東京名物 (2007.6.14)
意外なことに(?)東京生まれの東京育ちなのだけど、東京土産、名所、名物、と言ったらなんなんだろ?とよくわからなかったりする。
仕事で大阪にいた頃、頻繁に東京出張があり、課内の土産を買うときに「東京みやげって何がよいんだ??」と全然ピンと来なかったのだった。「銘菓ひよこ」は全然違うし、雷おこしや人形焼きなのか?とかなり迷った。東京ピーセンも良いけど、認知されている名物なのかどうかはさっぱりわからん。
んなもんで、雷おこしを買っていったら「アホか、こっちには岩おこしがあるわい」と言われたり^^;; で、いまだに何が適当なのかはよくわからないのだった。
東京を観光案内する機会はまずないのだけど、名所を聞かれたときも困った。やっぱ東京タワーなのだろうか?それとも皇居か?
このどちらも行ったことがないという東京人は珍しくないでしょう。自分も皇居へ行ったのは、多分20代の頃が初めてだったかと。東京タワーも社会へ出るまでは1回行ったことがあるだけ。原宿や六本木も名所という気はするけど、おそらくそのどちらも、東京へ遊びに来る人の方がよく知っていたりする。大阪から遊びに来た元同僚に、六本木を案内してもらったこともあるし^^;。六本木どろこか、自分の地元の下北沢でさえ、どんな流行の店があるのかよく知らなくて、これも大阪から来た元同僚に教えてもらったこともある。
果たして東京は、名所になり得る所がたくさんあるという事なのか、あるようで何もないということなのか。
前から一度試してみたいと思っているのは、「はとバス」ツアーの参加だったりする。あれは、意外に東京人に人気なのだそうで。知ってるようでよく知らない東京を、新鮮な目で回ることができるとか。心配は、行った先で、よく知っている人たちがいる所に出くわさないかどうかか^^;
寝顔 (2007.6.25)
電車で座って寝ている若い女性で、気のせいか最近、堂々と顔を上げているのが増えている気がする。ま、やたらに平気で電車で寝るのは日本人くらいだと思うが、顔を他の乗客にさらして、口開けてアホ面で寝ている男は珍しくはない。女の場合、よほど爆睡して自分の痴態に気づいてないケースを除けば、普通は顔をさらさないようにしているモノだったのだけど。
行動に性差がなくなっているのか、自分の寝顔に自信があるのか、、と思ったが、これは他人は石と同じなのだな、と。車内で堂々と化粧をしている、恥知らずな女云々などと言われて久しいけど、顔をさらして寝ているのもこれと同じなんだろな。他人が見てたってかんけーねぇよ、知り合いでもねえし、と。
札束勘定 (2007.7.7)
もちろん、こういう事はお札勘定のプロである銀行でもやっていたのだけど、銀行では今でも最後の一枚を鳴らすのかなぁ?
先日銀行の人に聞いた話で、今では昔のように大量の札束を手で勘定することはなく、すべて機械だとか。テレビとかの映像でしか見たこと無いけど、プロのお 札勘定の仕草って実にカッコ良い。もうそんな見事な手さばきを見ることはないのかな。
昔はレジのおばちゃんのお札勘定の仕草だって堂に入ったもので、凛としてるというか、レジのプロの誇りみたいなものを感じたものなのだけど。今はおっかなびっくり勘定している人も多いし。
ようこそ! (2007.6.17)
店に入ったときのかけ声で「いらっしゃいませこんにちわ~!」などの類が、不自然な日本語でおかしい、と何度も書いてきたけど、もうすっかり市民権を得てしまったらしい。おかしいと思いつつも、こちらもすっかり慣れてしまったし。
と、油断していたある日の昼。とある居酒屋定食屋チェーン店に入って驚いた。「ようこそ!いらっしゃいませ~~!!」の大連呼なのであ~る。そ、そうきたか^^;; これは「いらっしゃいませこんにちわ~」よりもさらに奇妙な日本語だと思うのだが。いや、日本語としては奇妙ではないけど、ああいう場で迎えるかけ声としてはえらく不自然というか。
なんなんだろね。自分の店の独自のかけ声を作ろうとしてるのか?もう普通に「いらっしゃいませ!」でい~じゃん。「ようこそ!いらっしゃいませ~~!!」の大連呼があまりに不自然に聞こえて、さらにうるさいので、飯がまずかったぞ。