うざいロケ  (2004.6.27)

 先日の朝、近所でなにやら明らかに「業界人」とおぼしき連中が、一帯を占拠していた。
どうやらロケをやっているらしい。またうざったいなぁ・・・、と思い、そのまま通り過ぎた。
 駅まで用事があり、すぐに帰宅したのだけど、普段近道にと通り抜ける路地がある。そこを通ろうとしたら、道の入り口付近で若い男が、工事現場の交通整理のような棒を持って、制止する。
 「あの、、ドラマの撮影やってるんで、スミマセンがここは通らないでください。」と。思い切り迷惑そうな顔を向けてあげて、他の道へ迂回した。
 回り道は、撮影が行われているその路地の一本裏側になるのだが、そこでは機材を置いてふんぞり返っているオッさんと、若い連中がいた。
 まぁ、若い連中はなんとなくおっかなびっくりのような、よく言えば控えめな雰囲気なのだが、それ以外の仕事に慣れたような連中は、明らかに態度がでかい。
 若い彼らに対してでかいのはもちろんだけど、なんだかこの町に対して態度がでかい。「ここでドラマの撮影やってんだからね。この辺も箔がつくってもんだ。ありがたく思えよ。」という雰囲気がにじみ出てるような。まぁ、多分に被害妄想だろうけど。

 外部からこの辺に遊びに来て、たまたまこういう撮影風景に出くわしたら面白いだろうし、ワクワクするのかもしれない。
 でも、住人にとってはかなりな部分迷惑がかかっている場合が多い。短時間とはいえ、それなりの大勢の人間が占拠するのだし、邪魔でもあり、もしそのドラマが大ヒットでもして、撮影場所に来る人が増えたら、それこそ大迷惑だったりする。

 この辺で撮影するなとは言わない。でも、いくら慣れた仕事だとはいえ、住人に対してそれなりの謙虚さは見せて欲しいものだ。自分たちの世界の中だけで威張り腐ったり、大きな態度を見せるのは自由だけど、そういう雰囲気をこちらに見せないで欲しいのだ。
 あくまで個人的な意見だけど、ハッキリ言ってうざったいのだ。

自殺する権利 誰も持たない  (2004.6.29)

 (朝日新聞 平成16年6月27日(日)の投書欄「声」より)

川崎市男性 52歳

 先日、電車に飛び込む人がJR東海道線でありました。新聞記事にもならない、「日常」になりつつある人身事故でした。
 私は一昨年、人生に疲弊し自殺を考えました。自分のことしか考えられず、この先、生きていく自信も力もなくなり、自ら命を絶とうと考えました。残された人の悲しみを考える余裕さえなくなりました。
 しかし、「自分が死に、人に悲しみと迷惑を与える権利」「自殺する権利」などないと考え、どうにか踏みとどまりました。
 絶望の闇の中から生きる方法を探るのは大変でした。でも、自分に与えられた体や頭を使い、自分に出来ることを探し、行動する以外に解決方法はないのだと思いました。
 取り残された家族は、悲しみのどん底に突き落とされ、自殺を防げなかった自分を責め続けるといいます。家族の悲しみと苦悩は永遠に続くといいます。
 人には、それぞれ使命と役割が与えられています。生きていること、それだけで、社会と人に使命と役割を果たしていることを知りました。生きていることが人のためになるのです。

エスカレーターで  (2004.7.1)

 時々、トラブルで止まっているエスカレーターに出くわすことがある。その時にいつも不思議に思うこと。

 なんで、止まったエスカレーターを上り下りする時は、普通の階段のように歩けないんだろうか?必ず、ドタドタという足踏み状態になってしまう。エスカレーターの段の高さは、多くの階段とは少々違うし、材質の問題もあるのかも知れない。
 でもそれよりも、本来ならば動いているはずのエスカレーターが止まっているための、身体側のとまどい、のような感じがしないでもない。動いているエスカレーターを上り下りする時は、普通に歩けるからである。
 エスカレーターは可動式のために、階段のように完全に固定されてはいず、そのための足に返ってくる反発力とかの関係もあるような気がしないでもないが…。と、いうより、エスカレーターが止まっているからと言って、急に歩き方がたどたどしくなるのは自分だけ?^^;

冗談の言い方  (2004.7.3)

 冗談のつまらない人との会話というのは、苦痛である。冗談を言わない人が苦痛なのではなく、言うのだけどつまらない人です。オヤジギャグという言葉も使い古されましたが、そういうベタベタのダジャレギャグも困ったもんだけど、「今から冗談を言うぞ」という雰囲気を漂わせてから冗談をかまし、しかもため息をつきたくなるほどつまらなかったりする人もいる。そういう時は、なるべくそういう雰囲気に持って行かないようにするか、雰囲気を発したら会話を逃げるのが手である。^^; そもそも、そういうのは「ジョーク」でもなんでもない。本人の独りよがりである。

 大阪にいた頃、会社には堅物のM先輩(1年先輩)がいた。真面目でカタいというよりも、あまり世間を知らない上に、いろいろなことにぎこちないのである。
 ある時、他の人に「○○君は、冗談をいうタイミングがうまいんだねえ。僕が言うとしらけてしまってねえ。」と話していた。そういう人は、無理に冗談など言おうとせず、その人らしく真面目にしていればいいのだ。
 当時同じ職場には三十路手前の女性がおり、周囲の社員は20代も多かったので、そのことを気にしている面もあった。酒の席や何かの時に、冗談で彼女のことを「おばさん」呼ばわりする、と言うことは良くあるでしょう。別に本当におばさんと思って言っているわけではなく、本人がいないので軽い冗談のつもりである。その言葉を発した時に、M先輩が同じ場所にいた。
 後日、仕事中だったと思うが、その女性と何人かで冗談を言い合ってる時に、M先輩も加わってきて、「そういや伊藤君、こないだおもろいこと言うとったなぁ。△△さんがおばはん、、とか?言うとったなぁ^^。うはは・・」こいつ、何言い出すんだ?;;;と思って、「何言うてんの^^;。そんなこと言うてないやん。」と否定した。しかし、M先輩は「いやぁ、言うとった言うとった(^◇^)」と楽しそうである。冗談話に乗れたつもりなのである。もちろん、笑いつつもその女性の目は笑っていない。
 当然こちらも無性に腹が立った。冗談の言い方がわからないのなら、よけいなことを言うな!!という気持ちだ。M先輩は面白いネタのつもりだったのだろうけど、それを本人に聞かせた場合にどう感じるのか?を想像する能力に欠けていたし、冗談というものを完全に勘違いしているのだ。
 冗談で楽しむのは、テクニックや内容ではなく、あくまで雰囲気を読むという想像力だって必要なのだし。その女性のことを陰で「おばはん」呼ばわりしたのは、悪意があっての悪口ではなく悪いことだとは思っていないし、それ相応のシチュエーションであれば、冗談で本人にも言うことだったのだ。この場合なら、本人のいないところで言った事なので、それをそういう言い方で本人に聞かせるということが最大のルール違反だし、シチュエーション的にも好ましくなかった。

 つまらなくて困る、という冗談ならまだ許せる(許せないこともある^^;)が、このように本人に自覚のない害のある冗談というのも、多々あるものですにゃぁ。

海鮮丼  (2004.7.5)

 テレビの特集(たいがいテレビ東京系ね^^)でも良く、安いのにボリュームたっぷり!旨い!という定食ものが紹介される。どんぶりからあふれんばかりの天丼の天ぷらなんかもよく見るが、似たようなものに遭遇したことはある。

 都内某所で、昼は定食、夜は飲み屋になるような小さな店だった。そこで海鮮丼を頼んだ。刺身やなんかの類がこれでもか!とご飯の上に盛られていた。もう下のご飯が見えないくらいだった。まぁ、それは良いのだが、とても不便なのだ。こちとらは、上に乗っかってる海の幸を食べ尽くしてから、後でまとめてご飯を食べようなんて思ってるわけではない。海の幸を食べつつ、ご飯を食べるのだ。
 豪華盛り天丼にも同じ事は言える。どうにも、具を食べながらご飯も食べると言うことが、非常に困難なのだ。その時は、具を食べながら、何とか具を寄せたり隙間からご飯を食べていた。

 あれ、出す方は楽しいのかも知れないし、出された方も一瞬はおお!っと思うのだろうけど、非常に食べにくい。ご飯と具と別盛りで出してくれ、と言ったら怒るかな?といつも思う。^^;まぁ、それだったら、ただの定食だけど^^。

 その店では、海鮮丼はいつもあるわけではなく、おすすめ的に時々ランチメニューに出るようだった。その後も行った時に、海鮮丼がランチメニューになってることがあり、食べようかとも思ったが、別盛りにしてくれ、とも言いたいし、でもそれも言いづらいなというフラストレーションにもなるため、通過して他の店に入ったのだった。

「何?」  (2004.7.7)

 小説や映画、テレビドラマでも漫画でも、その中ではやたらに普通に見られる場面の割には、現実では絶対的にあり得ないであろう会話の仕方がある。
 これは、ずううーーーっと気になっていた。おそらく、そのおかしさに気づいたのは中学校の頃辺りか?

 たとえば、電話に出てる人の場面。
「なに?○○○で、○○○だって?」と、電話の向こうで話された内容をオウム返しに口にする。明らかに読者や画面を見ている人に、電話の相手が言ったことを説明している場面だ。もっとオウム返しの内容が長いことも珍しくない。日常で、こういう事は絶対的にないでしょう。聞き取れなかったら、「なに?もいっぺん言って。」と言うだろうし、聞こえていれば、それに対する相づちなり返事なりはしても、内容を復唱することなんてあるだろうか?あっても、せいぜい動詞くらいでしょう。「え?言っちゃったの?」「出来たんだぁ」なんて具合に。

 ドラマでは、電話でなくて会話している同士が一緒にいる時でも、ある場面から急に始まる時に、その場面の直前に相手が話した内容を復唱する事も多い。
 もちろん、その場面を設定した脚本家や作者は、そんなこと普通の会話にはあり得ないことはわかっちゃいるけど、場面の進行上、やむおえずそうしているに違いない。そういう会話が普通だと思ってやっている人はいないでしょう、たぶん。
 だから、作り物の話しの中でのことだから、ひとつのテクニックとしてそういう会話の仕方を盛り込んでいるのだ、と思っていれば良いんだけど、どうしてもそういう場面に出くわすと、その非現実さが気になってしまうのだった^^;。そこには描かれなかった、直前の相手のセリフを想像してしまうので、それとオウム返しのセリフをつなげてイメージすると、とてもおかしな事になるので…。

「あの頃は良かった…」  (2004.7.13)

 数週間前だけど、松山千春の歌を聴きかえした。今の彼がどんな歌を歌ってるのかは全然知らないのだけど、20年くらい前は好きで良く聴いていたし、DJをやっていたオールナイト・ニッポンも良く聴いていた。松山千春の歌で好きなのは、大ヒットした「長い夜」以前のものが多いかな。(昔から政治が好きなようだったけど、ちょっと首をひねるな…)

 今回少し聞きかえして、少々歌詞が気になった。松山氏の歌の中に結構多いフレーズなのだけど「あの頃は良かった」という類の言葉である。
 失恋ソングとか、人生を振り返る年齢を想像して書いた詩だと思うが、過去を懐かしむものもあれば、あの頃は良かったのに・・・、という感じのものも多い。歌を作った年齢からしても、やはりもっと年を経た人を想像して描いたと思われる。ある意味、そのころの松山氏の、詩のパターンにもなっていた。

 特に珍しくないフレーズだけど、何故に気になったかというと、自分の経験からして、そのように「(現在を憂いて)あの頃は良かった・・」なんて思うのは、現状の自分を受け入れることが出来ない状態だからである。ま、文字にして書けば当たり前なんだけど^^;。
 現状の自分の状態に納得がいかない、自分が嫌いだと思っていると、まだましだった過去か、まだ見ぬ未来に逃避するしかない。もっと極端だと、過去世とか来世への逃避となるんだろうけど。^^;
 自分自身、高校くらいから22歳くらいまでは、自分自身がとてもイヤだった。それで、良くあるように、理想の自分の状態を空想しているか、楽しかった過去を過去の栄光のように持っているという感じだった。(遠い目・・・(- -))

 今回そのフレーズを聴いていると、なんだかそういう風に今の自分を否定する状態というのは、とても寂しいものだな、なんて思ったりしたのだった。

金銀パール  (2004.7.15)

 もう、何十年(?)も前から変わらないCM。洗濯洗剤の「ブルーダイヤ」ですが、これだけ長いことCMソングの変わらないのも珍しいですねえ。
 いま出演しているのは、氷川きよし氏。「♪青い空に 君の白いシャツ 光に揺れてる 君の笑顔が~ ♪」って、こんなにクサい歌詞をクサくなく歌えて、ピッタリはまってしまうのは、現代では彼をおいていないでしょう^^。

 さて、その歌の最後が
「金銀パールプレゼント♪」。

 これも昔から同じ。要するに、抽選で金銀真珠の貴金属が当たる、ということだけど、これ、子供の時は商品である洗剤の箱の中に入ってるのだと思っていた。店頭に並んでいるブルーダイヤの中に当たり!の商品があり、その箱の中には、洗剤の粒に紛れて金銀パールが入ってるのだと思っていた。うっかりそのまま洗濯したらわからないじゃん、って。でも、指輪になってたらそれなりの大きさだから、わかるのか?買った人は、まず箱の中の洗剤の粒をかき分けて探したりするのか?と・・・。おそらく未だにそう思っているはいるに違いない^^。


▼当方で確認された「輩」達▼
えっ? 投稿者:ぽん太  投稿日: 7月15日(木)06時10分50秒
金・銀・パールって箱の中に、入ってるんじゃ~ なかったの? 知らんかった・・
裏ブタみたいなトコに、貼り付けて あるんだと勝手に 思い込んでたケド・・で、どこにあんの?

過去 輩でした^^; 投稿者:neko  投稿日: 7月15日(木)08時08分30秒
コーンフレークのおまけみたいに ビニール入りで 粉まみれに なってるもんだと
思っておりやした。^^;
でも まわりに 「あたった~!」って人 いないよ~。懸賞マニアもいるんだけど・・・・。
ほんとに 「当たり」 出してるんかしら?
っても 私も過去一回しか 買ったことないんだけど;;;

過去 輩でした・・・2 投稿者:MOTAI  投稿日: 7月15日(木)13時30分59秒
わはは~nekoさんと同じ~~袋入りの賞品が入ってると思ってた。

投稿者:ちば  投稿日: 7月16日(金)23時23分0秒
私も金銀パールは洗剤の箱の中に入っていると思ってました。しかも、「キンギンパール」という何か特殊なもの(その会社でプレゼント用に作っているもの)が入っているのかと (^^;)(「キンギンパール」で1つの固有名詞だと思っていました。)
洗剤の中にプレゼントが入っている→そんなに高価なものが入っているはずがない→金とか銀とかパールなんかが入っているとは思えないから、音しか意識していないという流れだったんですけど。

遅ればせながら~ 投稿者:ノコ  投稿日: 7月22日(木)17時52分49秒
「ブルーダイヤ」買っちゃいました!(≧▽≦)
いつも私が買ってるのより高かった^^;;けど、「キンギンパール」の好奇心に勝てずに手が伸びてしまいました。早速開けてみましたが・・・当たり券、入ってませんでした(`-´)/くそ~っ!「キンギンパール」もいいですが、特別賞の「特製きよし君型ジュエリースタンド」が気になります^^;どんなのだろう・・・
ブルーダイヤって「きよし王子様」がCMに出た時に新発売なのだと思っていました。前からあったんですね~。当たりの場合は「賞品の中の当たり券でもらえます」だそうです。もしかしたら底の方に引っ掛かっているのかもしれまへん。使い切るまで希望を捨てずに洗濯に励みます(`-´)/

「マザコン」  (2004.7.17)

 以前勤めていた会社では、毎朝朝礼があった。毎朝、社員持ち回りで簡単なスピーチをして、その後にラジオ体操。社長のお話があったのは、毎日だったか週一回だったか良く覚えてないのだけど、ある時の社長のお話
 パソコンがだんだんと一般に浸透してきた頃だった。社長はパソコンに絡めての話しをしていた。その話しは全く覚えていない。何しろ、それ以上に印象的すぎることがあったので。

 社長はしきりに「マザコン」「マザコン」と言っていた。もちろん、パソコンの事を言ってるつもりだったのだ。結局最後まで、一言もパソコンという単語は使わず、すべて「マザコン」だった。みんな笑いをこらえつつも、突っ込みを入れられなかったのだった^^;。

「和製○○」   (2004.7.19)

 日本には数々の「和製○○」がありますねえ。それも人間に限っていると思うのだけど、記憶違いか?
 芸能界の高嶋ファミリーの高嶋お兄さんが、和製シュワルツネッガーと呼ばれていたなんて全然知らなかったし、シュワちゃんが来日したおりに、高嶋お兄ちゃんがインタビューに同席して、インタビュアーが「彼は和製シュワルツネッガーと呼ばれているんですよ」なんて紹介した時は、こちらまで恥ずかしくなった。おいおい・・・という感じで。もちろんシュワちゃんは、「おーそうですか、よろしくね」と言う感じで微笑んでくれてはいたが、ランクがはるかに違うぞって感じで、見ていてヒヤヒヤ。

 和製は英語でなんというのだろう?日本風という言い方はあっても、日本語のニュアンスでいうところの「和製」というのはないんではないか?そう、「和製」は明らかに「和風」とは全くニュアンスが違いますね。なんか「和製○○」というのは、西洋文化崇拝の名残なんだろうと思うけど、もういい加減にやめないか?と思う。
 いい加減「和製○○」なんていう言い方を聞くのもうんざりするし、卑屈な感じで恥ずかしい。まぁそれでも最近はさすがに少なくなってはいるんだろうけど。

 「和製○○」なんていうのは、前述のように西洋、特にアメリカのモノを基準にしてるのであろう。アジアのモノを基準にした「和製○○」なんて、記憶にない。
 一昔前、山口百恵が一世を風靡していた時に、何でもかんでも「○○界の百恵ちゃん」なんて言っていたのとは、ちょと違うと思うし。
 そういえば、工業用ロボットにまで「百恵ちゃん」という名前を付けてたのを、ニュースで観たことあるし、そもそもロボットに人間の名前を付けて親近感を感じるのは、日本人だけだと聞いたこともある。アメリカで台風に人間の名前を付けて喜んでいる(別に喜んでないか^^;)のとは、発想は違うのでしょうね。(今回もまとまらないので、終わり^^;)

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