筆箱の思い出 (2004.5.4)
小学校の時の筆箱への思い入れというのは、誰でも少なからずあったのではないだろうか?
いい大人のくせに、かわいいペンケースを持って喜んでいるのとはちょとちがう。
幼稚園の時に筆箱を持っていたのかどうかは覚えていないけど、少なくとも小学校へ上がると、誰でもが筆箱を持つでしょう。ほとんどは固いケースのモノですね。固くないやつというのは、布やビニールでできていて、簡単に変形するやつのことです。
自分がそのころにほしかったのは、やっぱりアニメやヒーローもののキャラがプリントされているものではあるが、それよりもまず、閉じた時の固定方式が、磁石であることがポイントが高かった。そういうものだと、表面はビニール製で、ひと皮むけてしまうと、中身は厚紙だったりした。鉛筆を収納する時も、一本一本の仕切りがあるもの、ベルト状が並んでいて、そこにはめ込むもの。そして、もう一歩ポイントが高いのは、ベルトにさした鉛筆が取りやすいように、斜めに立ち上がるもの。スティール製のモノは、ほとんど記憶にはない。それほど出回っていなかったのか、そういうのをほしがるのはもっと上の学年だったのか。
あのころの筆箱のCMでは、なんと言っても印象深いのが、象が踏んでも壊れない『アーム筆入れ』。特殊なプラスティックの箱形で、確かに丈夫。小学校1~2年あたりで、ふたをかぶせる形のシンプルなプラスティックの筆箱は、ちょっと大人の持ち物的な雰囲気もあったと思う。そして、象が踏んでも壊れないと言うことで、当然の事ながらみんなで踏んでみる実験をする。CMでは、実際に動物園の象に踏ませているが、多少ひしゃげるものの壊れない。
で、みんなでよってたかって踏んでみる。普通に踏んでみてもビクともしない。となれば、当然のごとく次は、机やイスの上からのフライングキックドロップである。結果は見事に破壊した。単純な強度はあるが、やっぱり衝撃には耐えられなかったようだ。
そういえば最近は、筆箱なんかのCMはないなぁと思い当たった。学習道具に関するCM自体を全く見ない。そういう年代が見る番組の枠でしか放映していないのか?それとも、今時はそんなものは宣伝しないのだろうか?自分らの頃は筆箱はもちろん、鉛筆や消しゴムのCMもあったし、ジャポニカ学習帳なんかのノートのCMもあったが。上に、図や絵を入れられて、下には文字を書く升目の入ったノートというのは、手にするとワクワクしたものだった(遠い目・・・)。
先日、ホームセンターでたまたま小中学校生向けの筆箱を見た。基本形は、自分が使ってた頃とほとんど変わってない。ん~~、だいたいあの頃で、バリエーションは出尽くしたのかなぁ?筆箱なんかでは、商売にならないのか?
まぁ、あれ以上斬新なものを作ろうとしても、合体したら戦闘ロボットになるような筆箱しかないか?^^;
ロープウエー (2004.5.6)
箱根名物のひとつであろうロープウエー。あれは一定間隔で運行しているので、前後にも別のロープウエーが見える。
同じロープウエーに乗っていた3~4歳の女の子が、後続のゴンドラを指さして駄々をこねた。
女の子 「アタシもあれに乗りた~~い!!」
お母さん 「いま乗ってるのよ;;;;;」
な、なんか気持ちがよくわかる^^;;。
♪よ~く考えよぉ~ (2004.5.12)
東京の新宿新大久保には、韓国系のお店が目白押し。最近は、ヨン様グッズ目当てのお客も殺到しているらしい。^^;その新大久保で、最近気に入って食べに行っている韓国料理屋がある。
24時間営業なのだが、先日11時半前に入ったためか、お客は皆無。人気のある店なのですが。
席に座って、女将さんが持ってきたメニューをツレと眺めてると、「急がなくていいから、ゆっくり選んでねぇ。」と言って、机の脇のついたての向こうに入った。そして、焦らずゆっくりメニューを見るようにと「♪よ~く考えよぉ~」と聞こえるように口ずさんだ。
そのときは笑っていたが、後で後悔した。
クソっ!「♪お金は大事だよぉ~」とノルべきだった。一生の不覚…^^;;。
「どこへ行きたいんだ?」 (2004.5.14)
まだ自分も、世間から見たら十分「子供」であった頃。父親は、外食に「連れて行ってやる」と言うことが良くあった。
小学生くらいのときなら、外食という事だけで、喜ぶに値する事だったりするかも知れないが、高校くらいになると、わざわざ表に食べに行く、という事にさほどうれしさを感じることも無くなり、かえって面倒だったりする。父親が行くというので、それでは行きますかね、という程度のことが多かったり。^^;
「どこへ行きたいんだ?」と、必ず聞かれるのだが、こちらはたいして積極的に行きたいわけではないので、「どこでもいい」と言う。すると「そういうのが一番いけないんだ!」と怒ったりする。行くと言い出したのは自分だろ!?と、こちらは解せない。
でも、こう言うのはさして珍しい光景ではないのでしょうねえ。^^;
「本物」? (2004.5.16)
調剤薬局の待合室で、ぼんやりとテレビを見ていたら、育児関係のスポット番組をやっていた。今回の特集は、子供を対象にしたクラシックコンサートの情報で、演奏者が動物の着ぐるみを着て演奏すると言うもの。ただ演奏するだけでなく、子供が見ても飽きないように工夫されたステージらしい。頭の部分はおっきなかぶり物をしているわけだし、普通に演奏するのも大変なのに、これはかなりすごいことなんじゃないか?と思ったりした。
そのままぼんやり見て、ナレーションを聞いていたら、なに?と思うような事を言っていた。「普段、本物の音楽にふれる機会の少ない子供たちのために・・・」云々。
よく言われている言い回しだろうし、普通だったら何となく聞き流してしまいそうだったのだが、本物ってどういう事だ?この場合、「クラシック」=「本物の音楽」と言っているつもりの様に聞こえた。。んじゃ、クラシック以外の音楽はまやかしなのか?
「生演奏」の事を形容しているつもりなら、まぁわからないでもないし、「クラシック音楽にふれる機会の少ない子供たち・・・」だったら、確かにその通りだと思うけど、安易に「本物の音楽」という言い方をしていたのが、ものすごく気になってしまった。
でも、「生で聞いて肌で感じる演奏」の事を言いたかったのか?という気がしないでもないが・・・。
失礼しました~ (2004.5.18)
飲食店に行くと、店員が食器を落としたり、何か大きな音を立ててしまった時に「失礼しました~」と言いますね。その本人はもちろん、他の店員も一緒に言うことがほとんどのようです。
ある日本食関係の店に行った時、「お客」がサジかフォークのようなものを落とし、「カチャーン!」と音を響かせていた。
その時、近くにいた明らかにバイトの若い男の店員が「失礼しました~~」と言った。
オマエ、それはかなり違うぞ^^;。
フリーの条件 (2004.5.20)
何度か書いてきたけど、以前、印刷製版(レタッチとも言う)の仕事で、フリー職人をやっていたことがある。
あるお世話になっていた人の息子が自分とほぼ同い年で、偶然にも印刷製版の仕事をやっていたことがあった。それで、独立しようかどうかと迷っていたらしく、そのことで相談されたことがある。社員のままが良いか、独立した方が良いか?と。
細かいことは聞いていないので分からないけど、自分の経験からひとことだけ言えることがあった。もし、悲観的な性格だったら、フリーになるのはやめた方が良いけど、楽観的ならばたいていは大丈夫でしょうと。
人それぞれだから何とも言えないし職種にもよるけど、悲観的で、何かことあるごとに気に病んだり、被害者意識的な部分があると、とてもフリーではもたないと思う。もちろん「個人」でのフリーの場合であって、会社経営や、やむにやまれずと言う場合はこの限りではないけど、楽観的にやれなかったら、社員でいた方が良いとは言ってみた。社員とフリーと、選択肢があるのなら、その方が良いんじゃないかと。その点ではハズしてはいないと思うけど・・・。
しかし、楽観的かどうかのことはいいとして、独立するための実力の問題はどうなのか?とも言っていた。聞いていて、それは違うだろうと。フリーになるとかプロになることで迷っているのだったら、それ相応の力が既にあるというのが前提になっていないとおかしい。それは前提中の前提であって、その上でどうするのか?でなければ話にならないだろう、と思って聞いていたのだった。でも、結構そういう事を普通に言う人は少なくなかったりする。そういうのは「迷う」以前の問題であろうに。
誰だっけ? (2004.5.22)
あれ?よく見る顔なのに、思い出せない。誰だっけ?・・・・
という経験はよくあること。ただのド忘れの事もあれば、知っていると思い違いをしていることもある。
思い違いというのは、知っている人に似ていることもあれば、全然誰にも似ていないのに、知っている顔だと勘違いしてしまうようなケース。この場合だと、相手の顔の問題である事が多い。いわゆる「いがちな顔」である。
結構多いのが、良く行く店の店員さん。いつもは、その店の制服を着ている姿を見ていて、街中で普段着の時にすれ違っても、顔は見覚えあるのに誰だっけ?というケース。これは多い。これは着ているモノが違うからだけではなく、仕事着と普段着での印象の違いと、その本人の表情の違いなのだろう。営業スマイルという意味じゃなくて、仕事、それも客相手の仕事をしている時と、普段の顔はやはり違う。
面白いところでは、芸能人。メジャーな人や主役級の俳優ならば、見た瞬間にその人のことを認識できるのだが、地味な脇役俳優や、妙に庶民的な芸能人だと、生で見かけた時に見覚えのある知人と勘違いしたりする。
うっかり挨拶をしてしまいそうになったこともあったような。^^;;
じゃんけん (2004.5.26)
先日友人と、ジャンケンのかけ声の話になった。(ジャンケンは「じゃん拳」とも書き、一説ではシナ語の「両拳」ではないか?という事らしい。)
さて、全国的には「じゃんけんぽん!」が一般的なかけ声でしょう。小学校の頃は、主に高学年で「チッ・ケッ・タ!」と言うのが普通だったが、少なくとも東京界隈では、いくらか聞かれるかけ声らしい。中学に上がってからは、そういうかけ声は無かったので、主に小さい子供の間のかけ声なのだろう。
昔、日テレ系の萩本欽一氏司会の「スター誕生」で、審査集計の間に一般人が遊んでいるコーナーがあって、その中で「チッ・ケッ・タ!」というかけ声でジャンケンをしている子供がいた。欽ちゃんには、そんなかけ声があるのがとても意外だったらしい。「チッ」「ケッ」「タ!」
のそれぞれが、何かを表しているのか、単なる気まぐれのゴロから発生したのかは不明。
「最初はグー」なんてのは、それよりずっと後の世代の事で、そういえば、最近ではそれさえも聞かれなくなったような。
子供の頃、父親が
「じゃんけん ほかほか北海道~♪ あいこで アメリカ・ヨーロッパ!」
と言って手を出していた。軽くフシをつけて言うのだが、「晴~~れた空~~ そ~~よぐ風~~♪」と完全に雰囲気が一致する(曲は違う)ので、その辺りの時代のモノかと。かけ声の内容からすると、高度経済成長のまっただ中で、海外旅行もいくらか自由に行けるようになった頃のニオイはするが。「じゃんけんぽん」の「ぽ」が「ほかほか」になまって、韻を踏んで「北海道」で、「あいこ」の「あ」で「アメリカ」なのだろうけど。
ジャンケンは、なんかしら各国にあるようで、面白いところでは確かアフリカ大陸方面だったと思う。「アリ←○○←象」の順に強いのだけど、真ん中のが何だったのか忘れた。で、ジャンケンは勝ち負けがループしているので、象より強いのはアリになる。一匹なら踏みつぶしてしまえばいいけど、集団で耳にでも入られたら、象もひとたまりもないと言うことらしい。
モンゴルには、片手の指を一本出すだけのジャンケンがある。五本の指のどれかを出して、その上下関係で勝ち負けが決まるので、一般的な3つの要素のジャンケンではなく、持ち駒は5種類である。当地で、遊牧民に何度も教わって対戦したりしたが、慣れるまではなかなかわかりづらく、結局覚えてないのだった。
大阪に3年ほど住んでいたのだけど、サラリーマンでジャンケンをする機会というのは、それほど無かったと思う。一般的なじゃんけんのかけ声だったのかどうか、その辺のことは全く覚えていないのだった。
アンメルツ (2004.5.28)
先日、記憶にないくらい実に久しぶりに「アンメルツ」なるモノを買った。むろん「ヨコヨコ」の方で、商品名にも「ヨコヨコ」と書いてあるが、今時横向きになっていない、縦型のやつがあるのだろうか?
さて、どの程度効くのか疑心暗鬼であったけど、とりあえず首筋を中心に塗ってみた。サーッと一回塗ってみても、さほど効くという感じがないので、何往復か塗ってみた。
すると、しばらくすると効いてきた。効いてきたなんてもんじゃなくて、ヒリヒリしすぎて耐えられなくなってきた。刺激が強い場合は石けんで洗い流すと緩和する、と書いてあるけど、水で拭くだけでも大丈夫だろうと、濡らしたタオルで拭いた。
最初はひんやりとさっぱりとして緩和されるのだけど、すぐに猛烈な刺激がフッカツする。タオルで拭くことを繰り返しても、状況はいっこうに改善されないので、結局石けんで洗い流して事なきを得たのだった。
久しぶりに、たぶん20年近くぶりに塗ったので、その効き具合や塗り方を忘れていたのだろうけど、じわじわと効いてくるのを知らずに、一気に何度も塗ったのがいけなかったようだった。何しろ、さわるとベットリと手につくほど塗ってしまっていたのだから。^^;その後は、一度塗りでほど良い刺激がある。でも、効いたような刺激はあるけど、肩こり解消にはなりまへんなあ。当たり前か^^;;。
そういえば、あの古来から変わらぬ「キンカン」。あれが肩こりにも有効だと知った時は驚いた。完全に虫さされ専用なのだと思っていたし、虫さされと肩凝りなんてまるで結びつかない。
肩こりにも有効だというのは、何かで読んだか聞いたかして知ったのだけど、常備してあるキンカンのラベルを見て二度びっくり。確かに「キンカン」の商品名の上に「虫さされ 肩こりに」と書いてある。
思い出せば、CMでもちゃんと「虫さされ 肩こりに」って言ってたような?・・・
いかにそのことが意識に無いと、しっかり聞き流しているか、だなぁ・・