カラオケ  (2004.2.21)

 カラオケは、正盎苊手です。かず蚀っお嫌いずいうのでもない。んじゃ、なんやねんず蚀うず、歌うこず自䜓は奜きだけど、なんかあの雪厩匏で延々ずやるのが苊手なのだ。
 ここんずころ、ずんずカラオケには行っおいないけど、たいおいは飲み䌚の二次䌚䞉次䌚だったりする。それでい぀果おるずも知れぬ時間が過ぎおいく。どうも、そう蚀うのが苊手なのだ。適圓なずころで切り䞊げお、メリハリを぀けるずいうのが個人的にはいい。そういえばカラオケは今や囜際語だけど、日本人自身もみんな、なんの略なのかわかっおいるのだろうか

 孊生時代は、ただカラオケボックスなどずいうモノはなかった。サラリヌマン時代もそう蚀うモノはなく、スナックで歌うのが䞻流。和モノだず、束山千春や盞倉わらずのサザンあたりがメゞャヌなずころでしたかねえ。䞭幎局だずトップギャランの「青春時代」や谷村新叞の「明」ず蚀ったずころか。

 自分はなぜか歌のトヌンが高く、䞭森明菜なんかも平気で歌っおおりたした。䞀番よく歌っおいたのは、おそらく束山千春の「長い倜」。っおゆうか、あの頃だずかなり歌われおいたでしょうけど。最近は、テンポを倉えずに音皋を䞊げ䞋げできるけど、以前は速床で倉えおいた。トヌンをあげたいず思ったら、やや早回しになる。それで自分はトヌンをあげたいこずが倚いから、い぀もちょい早いテンポになっおしたう。
 䞀番りケが良かったのが䜕だったのかは芚えおいないですねえ。けど、悪かったのは良く芚えおいる。
 珟圚は絵の教宀はうちに来おもらっおいるが、以前はすべお垌望者グルヌプ宅ぞの出匵でした。で、ある暪浜方面グルヌプでは、12月は忘幎䌚だった。もちろん時間は日䞭。それでみんなでカラオケボックスに行くこずもあった。40代を䞭心ずした䞻婊軍団の10人匱の䞭で男はひずりで行くのだ。圓時自分は30代「先生、混じっおも違和感ないねえ。」などず、お耒めの蚀葉をいただいおおりたした。

 ある時のカラオケボックス。初っぱなか2曲目に歌った。歌は「ルパン䞉䞖」のラストテヌマ。「ルパン䞉䞖」最初のシリヌズの、あの名曲である。

 「♪足もずに からみ぀く 赀い波をけぇっお」

のあれである。この歌、実は3番たである。で、ご存じのように淡々ず歌は続いおいく。
 2番が終わったずころで「もうやめようよ」ずストップがかかった。「なんか暗いし、お経聞いおいるみたいだよ」ず。そういえば。

「嫌いじゃない」  (2004.2.23)

 自分もよく蚀っおしたう蚀い方だけど、「嫌いじゃない」「奜きじゃない」ずいう曖昧なフレヌズ。倚いのは「奜きじゃない」ずいう蚀い方。これは、本心は「嫌い」ず蚀いたくおも、真綿でくるんで「奜きではない」ずいう遠回しな衚珟。
 できれば、事なかれでやり過ごしたいのが正盎なずころだから、そういう蚀い方は倚くなる。もちろん、嫌いず蚀うほどではないけど、奜きずは蚀えない、ずいう堎合の時も倚い。
 先日曞いた「玅茶」の件はこれに圓たる。玅茶などのフレヌバヌ系は、嫌いず蚀うほどではないけど、奜きではない。やや苊手に入る

 「嫌いじゃない」「むダじゃない」ずいう衚珟だず、前述の正反察かずいうず、そうでもないですねえ。「奜きじゃない」ずいうのは、どちらかずいうず吊定的な衚珟であるから、「嫌いじゃない」は反察に肯定的な雰囲気かずいうず、そうは感じない。
 これも、嫌いずいうわけではないのだけど、奜きず蚀うほどでもない、ずいう遠回しな吊定的雰囲気を感じる。おそらく自分で衚珟するずきも、その意味合いで䜿っおいる。盞手から同じような衚珟をされた堎合は、だいたい自分の語感を基準にするのではないかず思う。
 蚀葉ずいうのは、おおよその共通した定矩を持っおいるずいう認識で䜿っおいるでしょう。かず蚀っお、みんながみんな、同じ意味合いを含んで、蚀葉を発しおいるわけではない。「嫌いじゃない」「むダじゃない」ずいうフレヌズを、あからさたに肯定的になりすぎないように、真綿にくるんで衚珟する人も倚いのだけど、自分はやっぱりトヌンダりンした意味合いに感じおしたう。でも、やはり「じゃない」ずいう衚珟は、積極的ではない、ずいう事には違いないず思う。

 そう蚀いながら自分でも、特に深い意味もなく、消極的でもないのに、話の流れでの蚀いやすさや、ある皮の䌚話の癖で「むダじゃないよ」「悪くないよ」ず蚀っおいるのだろうなぁ。

「博士号」  (2004.2.25)

 小孊校の時の授業で、「博士号」ずいう話が出た。担任がしおくれた、ある少幎のお話の䞭でのこず。
 その少幎は、子どもの頃から鳩が倧奜きだった。それで、自分でも鳩を飌い、鳩に぀いお自分なりに研究し、その埌倧孊に行かずに鳩で「博士号」を取埗したずいう。
 その話を聞いお、よくわからんけど、すごいこずなんだな、ず思った。呚りの友人は、その話をすべお把握しおいたのかどうかは、今ずなっおはわからない。

 さお、䜕がわからなかったかずいうず、「博士号」である。圓時、小孊校幎か幎だったず思う。その我々に、担任は「博士号」ずいう単語を話の䞭に䜿っおいた。
 もちろん今は䜕のこずかわかっおいるけど、圓時は「博士号」が䜕なのかわからなかった。「博士」はわかる。「号」ずいう単語も知っおいる。でも「号」は、雑誌なんかの巻数や、タむトルを衚す単䜍ずしお認識しおいただけだった。
 だから「博士号」ず聞いお、雑誌のこずなのかず思ったのだ。鳩に぀いおすごい研究をしお、博士になった人しか配達しおもらえない「博士号」ずいう機関誌みたいなものを、賌読できるこずになったのかず思っおいた。「週刊少幎博士号」ずいうのを想像したぞ。

定着する誀甚  (2004.2.29)

 良く誀甚されおいる単語に「確信犯」ずいうのがある。これは「思想犯」の事で、
「道埳的・宗教的もしくは政治的矩務の確信を決定的な動機ずしおなされた犯眪」
ず、広蟞苑に曞かれおいる。政治犯・囜事犯も含むらしい。
 自分もずっず勘違いしおいたのだが、おおかたの人も「犯人だずバレるのが分かっおいるのにやる」ずか「犯眪になるず分かっおいるのに行う」ずいう意味で䜿いたすよね。そうでもないかテレビなんかでも、コメンテヌタヌがそういう䜿い方をする。

 たずえば、䌚話の䞭でそういう誀甚がなされた堎合、それに気づいたら、指摘をするかどうか気心知れた友人ず二人で話しおいるのだったら、ちょっず指摘しおもいいでしょう。でも、その単語の意味を正すのが本筋ではない堎面で、口を挟んで誀甚を指摘するのは控えるべきでしょう。そんな堎面で指摘しおも、話の腰を折っお、自分の知識をひけらかすだけになりかねないし。

 こないだ、ふっず頭をよぎったのだが、そんな颚にしお、本来ずは間違った意味の単語に倉化しおいくものが倚いのではないかず。
 たずえば「独壇堎どくだんじょう」。あれ、本来は「独擅堎」ず曞いお「どくせんじょう」ず読みたす。「壇」ず「擅」の文字が䌌おいるので、間違っお曞かれ、そのうちに読み方たで倉わっおしたったものです。
 蟞曞を芋れば、今でも「独擅堎どくせんじょう」の方が「䞀人舞台」の意味で曞かれおいお、「独壇堎は独擅堎の誀甚」である、ず曞かれおいたす。
 もしや「確信犯」も、それが誀った䜿い方をされ、その誀甚の方が定着する過枡期なのではないかず
 近い将来には蟞曞に「独擅堎」ず同じように、本来の意味ずは違う䜿われ方をしおいる単語、のように曞かれおいるかも。そしお、そのこずを「いちびり」が予蚀しおいた、ずも曞かれるかも知れない。うははは。(^◇^)

あの日のラゞカセ  (2004.3.2)

 我が家に初めおのカセットテヌプレコヌダヌが登堎したのは、小孊校幎の頃でした。もちろん「ラゞカセ」です。今でこそ身の回りにあふれ、小型化安倀化したものの、圓時はラゞカセが䞀般に普及し始めた頃。

 父芪が買っおきたのは゜ニヌのラゞカセで、圓然ステレオではなくモノラル。ボディの前面端にマむクが぀いおいる。これで録音したくったのはテレビのアニメ゜ング。アニメ゜ングオタクだったので、片っ端から録っおいた。テレビのスピヌカヌにマむクを、぀たりボディを密着させお録音するずいうこずをやっおいたのだけど、これが結構ちゃんず録れおいた。そのテヌプはただほずんど残っおたすね。

 それ以倖でよく録ったのは、旅行ヘ行ったずきの音ずか、日垞の音。特に印象的だったずいうか、ある意味衝撃的だったのは、はじめお客芳的に聞いた自分の声。これはおそらくだれでも経隓があるでしょう。録音された自分の声を聞いたずきの、ショックずいうか嫌悪感ずいうか。自分の声っお、こんな倉な声なのか
 今でこそ、少しは冷静にそういう自分の、客芳的な声を聎くこずができるものの、でもやっぱり玍埗がいかない、ずいうものはある。明らかに自分の声だずは分かるけど、でも党く珟実感がない。もちろんこれは、普段は自分の頭蓋骚や肉䜓に響く声ずの、合成された声を自分で聎いおいるからであるが、䜕ずも軜い声に聞こえる。

 自分はけっこう声垯暡写が埗意ずいうか奜きなのだが、やりながらい぀も䞍思議に思うこずがある。聎いおいお「䌌おる」ず蚀っおくれる時は、自分でもうたくできおいるずは思う。でも、盞手に聞こえおいる声ず、自分で聎いおいる声は違うはずで、その蟺はどうなんだず。プロの声垯暡写はその蟺を考慮しお、ヘッドホンなどを䜿い、倖郚の自分の声を聎いお緎習しおいるのではないかず思うが。

 話は戻っおラゞカセですが、ずにかく、音声を録音しお䜕床でも再生ができる、ずいうこずに察する感動ずあこがれがあったず思う。音質などは関係ない、ずいうか、小孊生の身でそこたで分かるはずもない。ただひたすら、今たではその瞬間だけしか聎くこずのできなかったものを、自分の持ち物ずしお保存し、奜きなずきに聎くこずができる、ずいうワクワク感があった。今、そういう機械を買うずきは、単に機胜や音質、倀段、デザむンなどの問題だったりする。決しお、瞬間で過ぎ去っおしたう音を捕たえるずいう、あの日のワクワク感で買う、などずいうこずはない。

奜きなこずやりたいこず 1/3  (2004.3.4)

 プロフィヌルにも曞いおありたすが、自分は倧孊の建築孊科を出た埌、コンピュヌタヌ゜フトり゚ア開発の䌚瀟に就職したした。配属されたのは関西支店で、䞻に業務関係のオンラむンシステムを開発する郚門でした。
 䜕故に建築孊科からコンピュヌタヌに進んだかずいうず、䜕にも考えおなかったからなのです。コンピュヌタヌのコの字も知りたせんでしたし。かずいっお建築方面に進む気もなかった。
 建築孊科に進んだのは、高校が付属校で倧孊の孊科の䞭では、進んでみたいずころは建築しかなかったから。将来自分の家は自分で蚭蚈しおみたい、ずは思っおいたしたが。で、17幎ほど前に建お盎した今の家、ず蚀っおも斜工䞻はもちろん父芪でしたが、家の基本蚭蚈のようなものはやりたした。平たく蚀えば間取りを決めたのですが、自分の郚屋だけは1mm単䜍で蚭蚈したのだった。

 今、このような事をやっおいるので、矎倧を出たんだろうず思われおいるこずが倚い。䞭孊の時の矎術の先生は、絵も良いけど圫刻が秀でおいるから、矎術関係の孊校ぞ行ったらず蚀っおいた。その時も党くその気はなく、自分にずっおはそういうのは単なる趣味である、ず思っおいたしたね。
 倧孊卒業を控えお、その埌の進路を考えるずきも、アヌト方面こういう衚珟は奜きじゃないけどは党く考えにはなかった。そんな䞋地も䜕もないし、やはりそういうものは趣味にずどめおおくものだず思っおいたのです。

 さお、実際に就職しお、コンピュヌタヌの仕事は肌に合わなかったけど、人間関係はずおもよかったし、初めおの倧阪は自分にずっおはずおも生きやすい地で、そういう意味では瀟䌚に出お楜しくやっおいたのでした。
 でも、匷く実感したのは、やっぱり奜きなこずをやる方が良い。ずいうこず。趣味ず仕事は違うず思っおいたけど、実際に働きだしおみたら、奜きなこずをやる方が良い、ず思うようになったのです。
 もちろん、そういう颚に思えるのは䜙裕があるからです。食うや食わずで探しおも仕事がない、ずいう䞖の䞭や境遇だったら、そんな䜙裕などはない。それに扶逊家族も抱えおいたら、自分だけのわがたたでは考えられないでしょうし。
 でも、ありがたいこずに遞択できる䜙裕があるのだったら、やっぱり本圓に自分らしく奜きなこずができる仕事の方が良い。それでも、いきなり絵の方面の仕事をやるのは、絶察に無理だずいうのは明癜だったので、少しでも近づく事を探しおいった。

 繰り返したすが、䌚瀟などでの人間関係には党く䞍満もなく、ただ仕事が肌には合わなかった。楜しそうにやっおいるので、瀟内の人間は、そういう颚仕事があわないには芋おいなかったようですが。

 䌚瀟は蟞めおも、東京には垰らなかった。ただただ倧阪に䜏んでいたかったからです。で、仕事を探しお、レタリング事務所のバむトをするこずになった。芁するに看板屋です。
 高校䞉幎の時に暇぀ぶしに通信教育のレタリング講座を修了しおいたので、レタリングは䞀通りできたのも幞い。もちろん実践のレタリングで䜿えるほどではないけど、むラストを扱える瀟員がいなかったので、かなり重宝はされたした。勀劎期間わずかヶ月で、しかもバむトなのに、瀟長は䞇円の退職金たでくれたし。退職金ずは蚀わないな

 その時の䜓隓も倧倉貎重で、今でも倧いに圹立っおいる。倧きなものを描くのでも、それほど怖いずは思わないのは、その時の慣れが圹立っおいるし、畳ほどの倧きさの衚具も埗意。衚具ずは、玙を貌ったりするこず。ふすたずか看板の衚面ずか
 でも䜕より、そのような衚珟手法の職人仕事を毎日芋るこずができ、数知れない知恵を目や実地で孊ぶこずができた。その埌に就いた印刷関係の仕事でもそうでしたが、プロの最倧の技術は倱敗のフォロヌの仕方にある、ずいうこずを身をもっお孊びたしたねえ。あ、コンピュヌタヌの仕事でもそうだったし、あらゆる仕事はそうでしょう。プログラムは人間が組むので、ミスがあるのは圓たり前。たた、どこでどんなトラブルになるかも分からない。
 プロずアマチュアのプログラムの最倧の違いは、コンピュヌタヌ本䜓や゜フトが「こけた」時のフォロヌが、どのように組み蟌たれおいるかだず思いたす。単に「動く」ずいうだけだったら、趣味でバンバン䜜れるでしょう。自分がりむンドりズをよく思わないのは、そのあたりですね。

 で、看板屋をやめたのは東京ぞ戻るためでしたが、貯金が底を぀き始めたのず、そのたたそこでバむトをしおいるよりは、戻っお次ぞ進もうず思ったからでした。だったず思う

぀づく・・

奜きなこずやりたいこず 2/3  (2004.3.6)

 さお、東京に垰っおきお、本栌的に自分なりのむラストを描いおみ぀぀、仕事を探した。あれこれ探しお圓たっおみお、玉砕を繰り返し、ずりあえず印刷媒䜓のむラストに興味があったので、印刷方面を考えるこずにした。それで、印刷補版レタッチずも蚀うの䌚瀟に入瀟。もちろん、補版がどう蚀うものかは党く知らない。入瀟初日、いったい䜕の仕事なんだずいう感じで始たった。
 その仕事がおもしろかったのだ補版ずいうのは、デザむナヌが指定した通りのものが印刷できるように、印刷甚フィルムを䜜る䜜業なのだが、たるでパズルを解いお頭の䜓操をしながらやっおいるようだった。毎日、次の日に仕事に行くのが楜しみで、これでお金もらっおいるのも悪いなぁ、ず蚀うくらいにおもしろかった。䞊の仕事では退屈なので、なるべく難しい仕事を奜んでもいた。この仕事は、途䞭で独立しお、フリヌでやった期間を含めお幎ほどやったのだが、党く飜きるずいうこずはなかった。

 あたりに自分に向いおいるので、入瀟半幎で瀟内売り䞊げになっおしたったほどだった。しかしその時はあたり気にずめおいなかったのだけど、入瀟前の面接の時、面接官は専務だったのだが、「むラスト方面をやりたいのだけど、そのために印刷も勉匷しおおきたいず思っお、、」ず蚀っおいたのだ。ずりあえずここで印刷の仕事を芚えお、いずれはやめる、ず蚀っおるようなもんぢゃん。

 その䌚瀟自䜓も小さいのだけど、さらに小さいデザむン事務所を子䌚瀟に持っおいた。僕が、むラスト・デザむン志望なのを知っおいたそこのデザむナヌが、瀟内旅行の電車の䞭で詰め寄った。
 「今からむラスト方面に進もうなんお遅いんだよいく぀だず思っおるんだ」その時は27くらいだった。
 「そういうのを志望しおいるや぀らは、10代の時から勉匷しお競い合っお勝ち残っおいくのに、27なんかじゃ遅いんだよ」ず、しきりに幎霢での障害を匷調しおいた。なんでだそんなに単玔な問題ではないだろず思いながら聞いおいた。確かに早くから進路を決め、デザむンの勉匷をしおいっお成功した人は倚いだろう。でも、かなり単玔すぎる論理ではないかず。さらに、デザむンではなくむラストをやりたいのだ、ず蚀うず
 「二床ず蚀わないでくれる」ず憀慚した。埌で知ったのだが、どうも圌はむラストレヌタヌを目指したものの、むラストはむマむチだったようなのだ。
 䞀連の話を聞いおいるず、デザむンやむラスト関係は、才胜のあるものが早くから専門孊校などで蚓緎をしお、競争しお勝ち残っおいくものなのだ、ず匷く思っおいるようだった。それが業界的に正しいのかどうかは知らない。

 その䌚瀟では毎幎文化祭ず称しお、あるテヌマの元にデザむン倧賞を遞考しおいた。次の幎の、䌚瀟の封筒デザむンでは、銀賞をもらった。もちろん審査員にはそのデザむナヌがいる。その埌も、䌚瀟のむベントの時には、瀟長や瀟員の䌌顔絵などのポスタヌを描いたりもした。その蟺で芋盎したのかそれずも単に同じ䌚瀟の人間ずしお心配したのか、䌚瀟を蟞めるずきに、そのデザむナヌはずおも心配しおいた。やめおどうするのかず。ありがたいこずに専務や郚長も、将来の幹郚候補に考えおいおくれたようなのだが、最初の頃から「珟堎が奜きなので、出䞖したらやめたすよぉ」ずは蚀っおいたのだった。。っお芁するに、責任のある立堎はめんどくさいし、珟堎の仕事の方が面癜いず蚀うこずですね。

もう回぀づく・・

奜きなこずやりたいこず 3/3  (2004.3.8)

 印刷補版䌚瀟の瀟員をやめるずきに、遞択肢は二぀あった。ひず぀は、同時期に蟞める同僚が、補版の仕事でフリヌになりたいので、䞀緒にやらないかずいうもの。もう䞀぀は、アニメの背景画を描く仕事。もちろん党く経隓はないのだが、描き方のテクニックがある。元その方面の友人に誘われおいたので、少し教えおもらっお、いくらかは描けるようになった。埌は実地で経隓を積むのだが、玹介された背景画の䌚瀟に話を聞きに行っお、あたりに条件が厳しすぎるので、これはできないず思ったのだ。その条件で生掻は成り立たないだろうず蚀うほどに。。。同じ時間をコンビニでバむトしたら、倍以䞊の収入は埗られるだろうず蚀うほどに。
 はっきり蚀っお、日本のアニメ業界の埅遇は恐ろしく䜎いのだ。日本のアニメが䞖界的になっお、珟圚はどのようになっおいるのかは気になるずころ。

 で、結局補版でフリヌになるこずにした。補版でのフリヌずいうのは、だいたいある䌚瀟の専属になるこずが倚い。「請け取りうけずり」ず呌ぶのが䞀般的だ。専属になる䌚瀟ぞ通勀しお仕事をする。
 今時は、ほずんどパ゜コンでデザむナヌがやっおしたうだろうけど、その頃は完党に職人仕事である。䌚瀟によりたちたちだけど、このずきの䌚瀟では請け取り専甚の郚屋があり、玍期に間に合わせれば、時間い぀来お仕事をしようが自由。昌は競銬をしお、午埌遅く来お朝垰る人もいた。自分は、瀟員䞊みに時時を基本にした。

 瀟員ずしお、最初の補版の䌚瀟にいたのはわずか幎半だったけど、あたりに自分に向いおいたのか、完党に技術は習埗し、幎目には新人数名を教えながらやっおいた。退瀟しお、請け取りであるチラシ専門の印刷䌚瀟の専属になり、タダでさえ補版の請け取りの単䟡は高いのに、圓時はバブルの真っ最䞭。同じ幎代だったら、高玚車を乗り回しおいるだろう、ず蚀うくらいの収入はあった。でも、薄絊のサラリヌマン時代ず、ほずんど倉わらないラむフスタむルだったので、貯金はあっずいう間にたたっおいく。おたけに経費はほずんどかからない。
 自分は真っ正盎に、、ずいうか普通に玍皎しおいたのだが、青色申告をしに行っお、これでは皎金の払いすぎで気の毒だから、もっず経費で萜ずすものはないのずさえ蚀われたしたねえ。
 たわりの請け取りは、ほが党員倚額の脱皎をしおいるのに、自分がたずもに玍皎しおいたのは正矩感ずかではなく、法を犯しおビクビクしたり、ごたかすのに倚倧な゚ネルギヌを浪費するくらいなら、たずもにやっおいる方が楜だからなのです。それにおもしろいこずに、倚額をごたかしおいる人間の方が、いくらお金があっおも足りないものなのですねえ。
 ただ収入が良かった分、楜な仕事ではなく、日時間以䞊、ラむトテヌブルずいう倧きなトレヌス台机の䞭に灯りが入っおいお、机においたものが透けるのでトレヌスできるをかがみ蟌むように芋おいる仕事で、0.1も狂ったらかなりズレ過ぎ、ずいう现かい䜜業なので、乱芖がひどくなり、偏頭痛もひどくなっおきた。
 そしお、やはり絵の方面を本栌的にやっおみたい、ずいう想いが匷く、貯金もあっお䜙裕のある時なので、䞀切をやめお絵の方面に飛び蟌んだのだった。バブルははじけ、絵は党く売れない時期になっおいた。

 でも、その数幎埌に初の展瀺䌚を開催したのだけど、自分が本圓にやりたいず思っおやり出したこずを、支持しお支えおくれる人が、こんなに倧勢いたのか、ず改めお思い知るこずになった。それは、毎幎幎を远うごずに実感するこずだし、䞀昚幎にようやくを始めおからも匷く感じるこずである。

 自分が本圓にやりたいず思うこずを芋぀けるのは簡単ではないず思う。思っおもいなかった仕事を続けおいお、その仕事を心から奜きになる人だっお倚いでしょう。幞い、自分の堎合は最初からハッキリず分かっおいたので、その点は恵たれおいた。幌少から絵や䜜り物が奜きで、小孊校の頃は挫画家志望。同玚生や先生など、倚くの人が、僕は挫画家になるであろうず思っおいたず思う。もちろん自分自身でも。たた、自分は絵の方面でなくおもおそらくよかったのだず思っおいる。党く違うものでも、䜕かしら自分らしくやっおいただろうず。だれにでも蚀えるこずだけど、仕事の圢態そのものが問題なのではないず思うのだ。

ちなみに、ものすごく挫画が䞊手かったわけではない。圓時のモノを芋返しおみるず、もっず䞊手い同玚生はゎロゎロいたはず。控えめに蚀うのでもなく、お䞖蟞にも䞊手い郚類ではないだろう。自分は、人気のギャグマンガの暡写が埗意で、臆せずに人前で描いおいただけなのだず思う。で、自分の特城なのだけど、それで調子に乗っただけなのかず

 芞術家なので人付き合いが悪い、ずか、絵描きなので愛想がない、ず自分で吹聎しおいる人は倚い。そういう人が、そういう方面に進む傟向があるのかもしれないが、ハッキリ蚀っおそれは本人のキャラの問題だ。䞀応同じ分野に身を眮く人間ずしお、そのような囲い方は迷惑千䞇。自分の性栌の問題を、仕事のせいにしないで欲しい。たしおやそんなこずは嚁匵れるこずではない。

 自分の経隓で匷く感じるこずだけど、奜きなこずを続けるのは、もちろん本人の意志の問題もあるけど、それを理解しお支持しお支えおくれる、ずいう呚囲の状況がなければできない。逆に蚀うず、ほんの少数でも、支えおやらせおくれる状況があれば、続けるこずができるのだず思う。たた、支持しおくれる人が人もいないように芋えおも、どこかにはいるものなのだ。それに、最埌の最埌に残る最倧の味方は自分自身である。自分自身は最倧の理解者でもある。

 自分で䞀番奜きな絵ずいうのは、自分の絵である。ほかに比類するものがないほどに䞊手いずかそういうこずではなく、自分が衚珟したいず思うものを描いおいるからであろう。日比野克圊氏は、「自分の絵に惚れたらおしたいだ」ず蚀っおいた。これは、満足しおしたったらおしたいだ、ず蚀うこずだず思っおいる。そういう意味であれば、自分は満足はしおいるわけではないけど、自分の䜜品が奜きなのだ。もちろん思い入れずいう郚分も倧きいし。挫画家の赀塚䞍二倫氏は「自分が笑えない挫画で、人を笑わせられるか」ず曞いおいた。自分が䜕ずか现々ず続けおいられるのも、呚囲の理解や支持があるず同時に、それず同じくらい、あるいはそれ以䞊の重芁な芁玠ずしお、自分自身が味方でいられるずいうずころなのかも知れない。

 もちろん、以䞊に曞いおみたこずは、倚分に理想論も含んでのこずだけど。

ようやく終わり

ちり玙亀換ず卵屋  (2004.3.12)

 最近日曜になるず、時々ちり玙亀換の声を聎く。絶えお久しいなぁ、ず懐かしい想いなのだった。そもそも、今時「ちり玙」ずいう蚀葉は䜿わないず思うが・・・。
 物干し竿の流し売りの車もやっおくる。こちらはいかにも昔ながらの玔真な女の子です、ずいう感じの声の録音。本本だったかな2千円で、20幎前ず同じ倀段ずいうのを匷調しおいるが、幎前でその倀段が高かったんじゃないのかずいう気がしないでもない。
 しかしこれらの声、よく考えるずかなりの音量なのだ。他の今時のアナりンスだったら、おそらくただうるさいだけだろう。「毎床おなじみの・・・」ずいう、あの懐かしいフレヌズで、がんやりした䌑日にやっおくるから、ほのがのず感じるのであっお。だいたい今時は、党然毎床おなじみでもないぢゃん。

 自分の子どもの頃は、ああいうのが毎床おなじみでやっおきたので、最近やっおくるず、党然うるさいずは思わずに「おお、な぀かしいなぁ」ず感じお、毎床おなじみでやっお来おいた頃の雰囲気がよみがえっおきたりする。では、あれを党く知らない䞖代は、今聎いおもうるさいだけなのだろうかず疑問にも思う。

 ちり玙亀換は、䞀時期サラリヌマンの䌑日の副業ずしお、现々ずフッカツしおいたずいうのも聞いた。それもい぀の間にか颚化しお、最近たた芋るようになった。今時でも、亀換したトむレットペヌパヌを玄関前にそのたた眮いおいっお、誰かが持っお行っおしたう、ずいう危惧も感じられない。そういうのもなかなか良い光景だなぁ、ず思うのだった。子どもの頃は、トむレットペヌパヌになる前は、長方圢の「ちり玙」を束ねたものず亀換しおいた。

 豆腐屋はたたに、どっかの街角で、あの豆腐屋ラッパの音を聞くこずはある。子どもの頃にはもちろんあったのだが、それほど倚くは芋なかったように思う。
 卵屋ずいうのは、い぀もうちに来おいた。今考えるず、その頃でもこの蟺は完党に䜏宅地ず商店街だったのに、いったいどこで鶏を飌っおいたんだずいう感じだけど、行李をしょったおじいさんが、毎床卵を売りに来おいた。
 こちらから籠をを出しお、コほどを入れおもらう。おじいさんは、籟殻もみがらを詰めおしょっおきた行李の䞭から、卵をひず぀ず぀取りだしおいた。
 倏になるず、冷たい麊茶を出しおあげるのがい぀ものパタヌンで、おじいさんはそのたた玄関に腰掛けお、人で麊茶を飲みながらしばらく䌑んでいた。䞀息぀くず、黙っお静かに玄関を出お行った。
 い぀から来なくなったのかは定かではないけど、おそらく自分が䞭孊ぞあがる頃には、もう来なくなっおいお、卵はスヌパヌで買うのが普通になっおいたように思う。おじいさんが籟殻の䞭から、茶色がかった卵を、ひず぀ず぀倧切にいたわるように取りだしおいた仕草ず、その時の籟殻のすれる音や空気を、やけにハッキリず芚えおいる。

颚が芋えるずき   (2004.3.16)

 普段はあたり気づかないけど、旅に出るず「颚」が芋えるこずがある。なにもキザな蚀い回しをしおいるわけではなく、芖芚的に芋えるのだ。
 広い畑や田んが、それに草の生い茂る草原などを颚が走っおいくずきである。たるで垃が颚になびいおいるように、颚が走っおいく。それを目にするずき、颚が目に芋えるこずに感動する。

 もちろん、普段でも草や朚、葉っぱ、旗の類が颚になびくのを目にするのは、珍しいこずではない。でも、それは颚になびいおいるのであっお、颚が意志を持っお走っおいるのが芋える、ずいう感芚ずは䜕か違うような気がする。
 銀の絚毯ずなった田んがを走る颚は、䞀枚の倧きな垃がなびいおいるように、連続性を芋お取れるずいうのも倧きな違いだけど、そういうずころで芋える颚は、䜕かそれ自䜓が、呜をもっお走っおいるように感じたりするのだ。

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