「芸術」とはなんぞや?というのは、ヒジョーに難しい問題。本来の意味での芸術とはなにか?と言うこともあるし、現代の、少なくとも日本で使われている芸術のニュアンスにはとても違和感があったり。

 アンパンマンの作者、やなせたかし氏が言うように「芸術は一番わかりやすい美しい形で大衆の中にあるのが正しいと信じます。」というくらい、本来は誰でもが日常で親しむものである、と感じるし、宮大工の故・西岡恒一氏の「職人のなかで達した人が、後世になって芸術家と言われるんで、生きているうちに芸術家と言われる人はおらんわ。」という言葉もその通りだと思う。

 まぁ、この言葉は一見矛盾するようでいてそうではない。職人の中の職人が作り出した芸術品でも、それを大衆が理解して楽しむことができるのが本来の姿なのだと思う。この二つの言葉は、芸術を作り出す側と受け取る側の両面を言っているのであるし。
 とある思想家の定義では、誰にとっても完全に同じ印象を伝えるモノが芸術のあるべき姿である、のように言っている。

 このHPの中であちこちで繰り返し書いてきたことだけど、自分は芸術という言葉は好きではない。この言葉自体が嫌いなのではなく、現在使われているようなニュアンスでの「芸術」が嫌いなのだ。
 送り出す側(芸術家さん)も受け取る側(つまり一般大衆)も、妙に高尚なものとしてしまっている。たとえが適当でないけど、お寿司の立場に似ているかも。本来は大衆的な食材であったのに、なんだか特別な高級和食のようになってしまった点などが。そして、回転寿司や激安店などが台頭してきて、妙にポップで軽い食べられ方をするようになった点なども、ある意味似てるかも。(いや、やっぱり例えが変か^^;;)

 日本で絵が妙な芸術扱いを受けているのは、美術教育がおかしかったのもあるが、美術界そのものが家元制度の様になってしまっている点もあると、その方面に所属している人から聞いた。加えて、左脳中心教育で、絵がちゃんと描けなくても、成績にも仕事にもさしたる影響がない、という勘違いもその一因か。
 ある種の障害が無い限り、誰でも見たモノをそれなりに描けるようになる。そのことについては重要視しない教育だったからであって、本来は見たモノを描けないのは識字障害と同じ類と考えて良いと言う美術教育家もいる。主催している教室でそのことについてレクチャーすると、ほとんどの人はちゃんと描けるようになり、誰でも「確かにその通りだ」と納得してくれる。(ただし、本人の要求水準が高すぎる場合は、ちゃんと描けているのに納得しない人もいる。えてしてプライドの高い人に多いが。)
なんだか美術界の陰謀で、国民みんなに絵をちゃんと描けないようにして、「芸術」としての権威付けを施したいのか?と思いたくなってしまうほどである。
 というと、ちょっと言い過ぎで、現場の美術の先生は真摯にみんなを指導している人が多い。(一度に指導する生徒が多すぎるのがかわいそうだけど)

 マスコミや美術界が「芸術家」「芸術品」と呼ぶものの基準もよくわからなかったりする。自分が作家や作品をどう見るか?は、単純に好みで良いと思う。いくら名画であっても、好みでなければそれで良いし。好みではなくても、客観的に見てすばらしい作品だ、と判断できる場合も多い。
 でも、それでも理解に苦しむモノはたくさんある。一部のマニアの評価ではなく、世界的な評価を得ているもので、理解に苦しむモノは多い。これは誰でもそう感じるモノは多いでしょう。自分が顕著にそう思うのは、草間弥生氏のこと。あまり個人的な作家の作品を否定する事はしたくないが。
 草間女史のことは、5年ほど前に知人から借りた本で知った。それまでは名前さえ聞いたこともなかった。かなり昔から著名だったのに。
3年くらい前だったか、偶然テレビで彼女が作品に使う布地を買う様子が映し出されていた。そこで見た初老にさしかかった草間氏は、人間的にかわいらしい人だという印象だった。でも、作品ははっきり言って自分は嫌いである。まぁ、版画などでは「いいな」と感じるモノもないではない。でも、彼女の作り出す、特に立体物は気持ち悪く、見ていても不快感をもよおすモノでしかない。確かに客観的に見て、きわめて個性的な作品であるのはわかる。でも、それが何故に「芸術品」なのかは、未だかつて理解できない。それでも、海外の著名な美術館が作品を所蔵するほど評価されている「芸術家」なのだ。

 ほかにも、多くの人が一度は目にしたことがあるであろうもので、作家名は忘れたが、男性用の小便器を寝かせてサインをしたオブジェ作品というのがある。いわゆる「問題提起」としての作品という意味合いが大きいようだが、どう理屈をつけたところで、あれを芸術作品の範疇に含めているのは、理解が及ばない。現代アートでは、単純に作品だけではなく、それのバックボーンの思想や説明が必要なモノが多く、それをも含めて理解をしてこそ、というモノが多い。個人的には、作品そのものだけで勝負するべきではないのか?と思ってしまうし、展示物で、あれこれ説明がついているものでも、めんどくさくて読まないので、「なんのこっちゃ?」というのが多かったり^^;。本当に優れた作品なら、作品以上の説明が無くても、伝わるモノはあるはずだと思うのだけど・・・。

 そういうのを見ていると、やっぱり自分には美術界が言うところの「芸術」は、理解できる資質を持たないな、と実感したりする。