このHPのギャラリーを見てもらうとわかるように、自分の絵の中では「色鉛筆画」が圧倒的に多い。
 元々透明水彩も好きだったのだが、透明水彩というのは実はもっとも難しい画材のひとつなのである。それでなかなか人前に出せるような作品を透明水彩で描けるようにはならなくて、ずっと色鉛筆で通してきた。
 近年、水彩画が増えたのは、そろそろ人前に出しても良いかなというモノが描けるようになったからだけど、色鉛筆画での表現に飽きたり、限界を感じる部分もあった。

 とはいえ、今でも表現したいモノによっては色鉛筆を使うことも多い。ただ、当初とは明らかに違う部分がある。最初のころは「色鉛筆画」を描いていた。また、水彩ならば「水彩画」を描こうとしていた。ほかにも「パステル画」を描こうとしていたり。
 今は同じような画材を使っても、たとえばすべて色鉛筆を使った絵であっても、それは「色鉛筆画」を描いているわけではない。あくまで「画材としての色鉛筆を利用」して、結果的に「色鉛筆画」になっているにすぎない。単なる言葉遊びのようにも聞こえるが、気持ちの上ではこれは大きな違いなのである。

 以前だったら、まず前提に「色鉛筆画を描く」ということがあった。最初から「色鉛筆画」を描こうとしているのだ。今は、何をどう表現したいかによって、「画材としての色鉛筆を使うことを選んでいる」にすぎない。その描きたい雰囲気を出すのに適した画材が色鉛筆だったということなのだ。だから、描くモノによっては水彩やパステルを選ぶ。結果的に、水彩で描いたモノを他人は「水彩画」と呼ぶだろうし、自分でも慣習に従って「水彩画」と表記する。
 でもそれは、そのときに適した画材として水彩を選んだのであって、水彩画を描くことを目的とはしていない。一枚の絵に、複数の画材を用いるのはとても難しい。だから、水彩なら水彩、色鉛筆なら色鉛筆のみを用いる場合が多いので、水彩画、色鉛筆画、パステル画、と分類はできる。でもやはり、自分の中ではあくまで、目的のためにどの画材を用いたのか?の違いである。前述の、まだまだ水彩を人前に出す勇気も無かったころは「水彩画」を描こうとしていた。

 ほとんど色鉛筆だけで描いていたころは、色鉛筆にこだわっていたわけではないのです。ほとんど独学同然でやってきて、画材の扱いもちゃんとできず、唯一色鉛筆の技法で自分が表現したい世界を何とか表現でき、それなりに見えるモノが描けただけだったのだ。
 それでそれなりに色鉛筆画で上達していったのだが、表現に限界もある。描いてみたいけど、色鉛筆の技法では描きにくいモノが多くなってきた。また、色鉛筆技法でとてもうまそうに描けるモチーフを選ぶという、本末転倒なケースも多くなってくる。結果、描くモチーフが偏ってくる。描くモチーフにこだわりがあって偏っているわけではないのだ。
 これは、水彩やパステルなどの、ほかのそれぞれの画材を中心に用いている人の多くが、それぞれの画材で陥っているケースだと思う。
 透明水彩ならば、きれいなぼかしや透明感を出すテクニックを駆使することが中心になってしまうケースがそれだろう。それで、そういうテクニックを上手く出せるモチーフを選んで描く、ということになってしまったり。練習ならば、それはそれでいいのだけど。もちろん、その画材の持ち味を最大限に発揮する技術は、身につけてじゃまになることはないけれど、それにとらわれてモチーフを選んでいるかどうかは大きな違いだと思うのだ。

趣味で楽しんで描いている人が、その画材の特徴、たとえば水彩のぼかしなどを上手く表現することにとらわれて描いていて、でもそれで楽しんでいるのだったら、それはそれで当然かまわないと思う。本人がそれで楽しんでいる自覚があれば結構なことで。そんな個人的な楽しみにまで、それは違う!などと意気込むのはお節介というもの。あくまで、それで行き詰まってしまったりしたときの話です。

 自分がモチーフによって画材を変えるようになったのは、そのようなことにとらわれない事を意識していたわけではなかった。振り返ったら、いつの間にかそうしていた。木工などの作り物も展示に出すようになって、もう何でもありでみんなも支持してくれたという事から、ひとつの方法に対するとらわれが無くなったのだと思う。そしてそのこと(画材は単なる表現の道具である事)に改めて気づいたら、描くことが少しは楽になった気がする。

 誤解のないように付け加えると、画材にこだわるのを悪いと言っているのではない。ひとつの画材を追求して極めるというのも、とても大事なことだと思う。
 どんなことでも、利用するものをよく知る事は大事であって、水彩なら水彩絵の具にこだわって水彩絵の具を極めることと、自分の絵の表現を極めることは矛盾しないと思う。これも言葉遊びになりかねないけど、こだわることと「とらわれる」ことは違う。
 それに自分も、色鉛筆画を要求されることは少なくなく、その時は「色鉛筆画」を描く。その場合は、色鉛筆画としての何を要求されているのか?は念頭にあるし、色鉛筆の画材の特徴をふまえた絵を描く。そういうのは芸術家ではなく職人だ、という言い方をする芸術家さんもいたが、なにやら芸術家というのは職人よりも優れていると思っているのだろうか?自分は芸術家だとは思っていないし、芸術家になりたいと思ったこともない。むしろ職人にあこがれる。と、見当はずれな話になってしまった^^;。

 また、絵を描きたいという初心者にとっては、画材を特定するというのもひとつの方法だとは思う。そんなことには関係なく画材にとらわれることなく、自由にやれば一番良いのだけど、なかなかそうもいかないのが実情で。自由にやればいいのだと言ったら、「そうなんだ♪」と急にのびのびとやれる人は、きわめて希ですね。
 自分が主催する教室では、全くの初心者に色鉛筆から入らせるのは、結構有効だったりする。もっとも、最初から色鉛筆を希望してやってくる人が多いのでそうしているのだけど、そういう人でも、徐々にその人に合う画材というのが出てくるので、変わっていく人も多い。
 楽しみのために絵を描きたい人は、画材にこだわるとかとらわれるとか、ここに書いたことを気にすることは無いと思うけど、上達するにつれ、大方がそのとらわれに陥ってしまうでしょう。
 そのときに、画材に対するとらわれがあることを認識し脱却するために、ここに書いたことが参考になるかもしれないし、そもそもがこれは単に自分の考えであるので、これを一般化して良いものかどうかはそれぞれの判断でしょう。(逃げてるかも?^^; そんなエラそうなこと言えるのか?という面も・・・。)
 そして、これが参考になるとしても、頭ではわかってもやはり自分で感情的に納得できないことには、モヤモヤは晴れないかもしれませんが。

 ただ、そういうことにとらわれてしまうというのも、悪いことではないと思う部分もある。自分にとっては、今は今で良い(現在の自分に相応)と思っているから、とらわれていた時期もあったというのは、ある意味必要な時期だったのかもしれないと考えても良いし。それが無かったら、今の自分の描き方や意識は違うモノだったかもしれず、全く納得のいかない状態の中でさまよっていたのかもしれないし。