一週間の長くて短い個展を終え、改めてよく言われる「絵の上手い、下手」を考えてしまった。
 自分は、描写力という意味で絵の技量は、まだまだ浅いと認識している。そりゃ、初心者に比べたら、かなり技量はあるほうだろうし、初心者に向かって「絵は、上手い下手ではない」と言う。わかっちゃいるけど、自分のことになるとそういうコンプレックスはあるものなのだ。これはどの分野においても同じでしょう。

 ただ、自分の場合の意味する技量と言うものが、他の絵を生業とする方の言う技量と同じ意味なのかどうかは定かでない。自分の言う技量は、道具の選定から始まっているし、その段階はきわめて重要である。自分は作り物なんかもするわけで、たとえばそれに使う刃物なんかでも、完璧に研げていて、切れ味鋭く、良い仕事のできる状態でなければ気がすまない。気がすまないというより、そういういい状態の道具でないと、いいものはできない。
 「弘法筆を選ばす」というのを、弘法大師はどんな筆でも最高の文字が書ける、と解釈されることが多いが、あれはそうではなく、どんなひどい筆を使っても、その筆の最大限の持ち味を活かした文字が書ける、ということだと思う。
 ひどい筆を使っていい筆と同じいい文字を書くことは不可能だ。どんな神業の技術を持った職人でも、道具が良くなければいい仕事は不可能だからだ。最高の技術を持つ職人は、良い道具を最高の状態に保つ名人でもあるのだ。職人の「腕」というのは、そこまでを含んでいる。

 もともと作り物が好きだったためか、流れるようなさらっとした絵を描くときでも、「作り上げている」感覚は強い。絵を描く技術では、自分の場合はいい画材を選ぶところが始まりになる。いい画材というのは、高級な画材のことではなく、自分に合った道具を選ぶと言うことである。
 何しろ、いま水彩に使っている紙などは安い工芸和紙だ。画用ですらない。でもいろいろ試した結果、これが自分の持ち味に一番ぴったりなのです。筆も十数本を使い分けているが、値段はまちまち。目的によって、高いものや安物が入り混じっている。
 色鉛筆にいたっては、通常絵画には使われないような安物も混じっていて、友人が受けた色鉛筆画教室では「このような物は、絵画に適さない」と言われていたという代物まで使っている。でも、自分の絵の表現には必要なので使っている。

 水彩の場合、薄い和紙を使っているので、「水張り」ということをする。紙は水分を吸収すると伸びてたわむので、描いた紙がしわにならないように、あらかじめ最大限の水を吸わせて、板に伸ばして張って乾燥させる。そうすることで、水彩を紙に吸収させても、それ以上に伸びてしまうことは無い。そのための板も大事だし(まあ、これは安物で十分だが)、水彩をとく絵皿や筆を置く置き台、その他もろもろ、スムースに描ける準備や道具はかなり大事になる。
 絵のスタイルや、描写力、という意味の「技量」は普通に言われることだけど、考えたら、自分の場合は、描き始めるまでの段階がかなり重要でもあったのだった。
 まあ、作り物でも、いろいろな刃物を買ったり、珍しい道具があると欲しくなったり、そういう人種は道具が好きだったたりするから、その「絵バージョン」だと言えなくもないかなぁ?

 ただ、絵の技量をいう場合、その道具の重要性はあまり言われないのではないだろうか。経験上、自分のスタイルに合った道具を選ぶということは、かなり重要な要素だと思っている。思うような描写ができない場合、使っている筆などが、その描写や作者の使い勝手に合わないことも多いはずだからだ。
 水彩と言ったら、ほとんどの場合は、無条件で西洋式の水彩筆を使っていると思うのだが、それに慣れてかなりいい絵が描けるようにはなっても、本当はもっと自分の特徴をあらわせる筆があるかもしれない。
 自分は日本画の「彩色(さいしき)筆」や歌舞伎などの「隈取(くまどり)筆」で水彩を描いているが、これがもっとも自分にとって使いやすいからです。通常の洋式の水彩筆では、なかなか納得のいく描き方はできなかった。
 鉛筆やシャープペン、ボールペンなどは、どれも似たようなものでも微妙に感触や何かが違い、それによって書かれる文字にも大いに違いが出るでしょう。仕事で支給されるものでもなければ、たいていの人は、店で自分に合ったものを選ぶはず。だったら、絵を描く筆だって、同じようにどれも微妙に違うはず。絵画教室においても、一人一人違う筆を使ってたっていいはずなのです。

 絵を描く人は、描写の技術に大きな関心があるのが普通ですが、紙の選定には慎重でも、道具を選ぶことに関しては、あまり神経質になってはいないと思う。道具を見る、選ぶというのも楽しいものなので、是非そのあたりも大事にしてもらいたいとは思うのです。

 ところがここで逆説的なことを書きますが、道具と絵の良し悪しは、また別のことです。画材なんて何でもいい、とサッサッと素敵な絵を描いてしまう人は良く見かけます。
 では、一体ここまで何を書いてきたのかというと、そういう人は、「弘法筆を選ばず」と一緒で、どんな道具でも、それなりに表現ができるということだと思います。鉛筆とわら半紙しかなくても、その範囲で素敵な絵が描けたりします。
 でも、ある表現をしたいと思ったら、やっぱりそれ相応の準備と道具が必要です。鉛筆とわら半紙だけで、重厚な絵は描けないでしょう。

 自分の思うような絵が描けないと悩む場合、画材の扱いや描写で悩む人がほとんどですが、それ以前に、描きたいと望む絵に適した画材を選んでいるかどうか、というのは重要です。その辺を重要視した絵のアドバイスというのは、ほとんど聞いたことはありません。自分はまだその段階ではありませんが、自分に合った道具で納得のいくものができれば、あとは、どんな道具でも、自分のスタイルを貫くことができるのではないかと思います。


 誤解のなきように付け加えますが、良い仕事をする職人は、道具はすべて自分で手入れして状態を保つ、ということではありません。それを手入れする専門の職人も、いたりします。自分で手入れしたり、専門の職人に頼んだりして、道具を良い状態に保つ、ということです。