でかい?  (2007.12.18)

 自分の身長は177cmなのであるが、今時でも背が高い方かそうでもないのかはよくわからない。平均よりは高いのだろうけど、取り立てて高いという意識はないし。
 バスケやバレーボールは問題外だけど、他のスポーツ選手の身長を見てみると…。自分が高校くらいまでは、例えばプロ野球選手でも、180cmを超えるとやや大きい方だった。王や長嶋も180cmは無かったのではないかと。今だと180cm以下だと「小さい」選手になるかな。そういう人たちと比べているわけではないけど、試着するとか、特別に何かと比較する事でもなければ、普段自分の身体の大きさを実感することはそうあるわけではない。横幅がある人は実感するだろうけど^^;

 そんな自分は意外にでかいのではないか?と感じることがたまにある。電車に乗っていて、向こうにいる男がかなり背が高く見えるとき。その男の頭が位置するところを目検討で計る。例えばつり革のどの辺りとか。それで自分が立っている所のつり革を見ると、、、「え?同じくらい?」ということがある。そういうときは結構ビックリするモノで、「自分ってあんなでかく見えるのか???」と。あれだと結構目立つなぁ、やばいなぁ。と^^;(何がやばいんだ?)

のんきなUFO談義  (2007.12.27)

 ご存じのように、日本の国会においてUFO談義がなされた。岩手などの県議会などでもUFOに関する発言が出たこともあるので、こういうのは初めてではないが「国会」では初めてだったのか?

 どうもUFO関連のこのような議論の時の「UFO」という呼び方が気になる。そもそもUFOとは"Unidentified FlyingObject"の略語であって「未確認飛行物体」のことなのである。今回の談義でも「UFO=地球外生命体の宇宙船」という前提になっているが、うるさいことを言えば、宇宙船であると「確認」されたのなら、その時点で「未確認飛行物体」ではないので、UFOではなく「宇宙船」にゃのだ。
 なので、本来の意味でのUFOは間違いなく日常的に観測されている。確認の結果、それが流星やプラズマであったり、なんらかの気象現象、車のライトなどが空に反射したモノであったりして、少数の「結局なんだかわからなかった」というものもある。そのなんだかわからなかったものが宇宙船なのかもしれないけど、なんか今回のUFO談義はひどく低レベルに聞こえるのだ。

 特に科学者はUFOを認めたがらないと思われているけど、本来の意味のUFOは、そういうわけで当たり前の現象だし、地球外の知的生命体の存在を否定する科学者は多くはないと思う。ただ、宇宙船に乗って地球にやってくるという事を、物理学・天文学的に考えてありえないと否定しているのだ。

 自衛隊や民間航空機をはじめ、今までにUFOが観測された事実は皆無である、との事だったけど、これも「宇宙船」ということなら皆無かも知れないけど、不思議な現象としてのUFOならば、膨大に観測されている。JALやANAの操縦士が、人工物に見える未知の物体を観測したという事例は数知れず報告されているし、結局正体がわからなかったものは多いはずで。

 さて、そんなわけで「地球外生命体の宇宙船」が地球にやってきているかどうか?が今回の国会での話題だったわけだけど、「そんなことを談義している場合か!?」が多くの国民の率直な感想でしょう。
 宇宙船が確認されていて、地球人としてなんらかの対処が必要になってきているのなら、きわめて現実的で不可欠な論議なのだけど、ただの現実の政治的な目くらましで出した話題じゃないのか?という感じ。おまけに議論をふっかけといて、なんとなくコーヒータイム的なひとときで済んでどないすんねん?やっぱり日本の(特にベテランの)政治家ってバカなんだな。防衛大臣も通常の政治的な時よりも生き生きしてるし。
 現状で日々の生活のことよりもUFO問題が大事なのは、宇宙人がやって来て自分の人生を変革して救ってくれる、と思っている(あるいはそうしてくれないと困る)人たちくらいでしょう。

 そうそう、いつも思っていることがあるが、撮影されたり詳細な図が公開される事がある「地球外の宇宙船」って、観測されたその時代のセンスが反映されているということ。有名なジョージ・アダムスキーの「金星人の宇宙船」、いわゆるアダムスキー型UFOは、今見ると本体の細部がデザインセンス的にかなり古く、当時の感覚の最先端でしかない。アダムスキーの撮影した鮮明なアダムスキー型UFOの写真があるのだが、現代人が見るとどうみてもプラモデルレベルなのが笑える。地球での物理学が発達して、飛行技術や流体力学の普及に沿ったUFOが逐次登場しているようにも見えたり^^;; その点を考慮してみると、やらせで撮影したやつは地球レベルの科学しか知らないから、そうなるのは当然というケースと、良く言われる、UFOはアメリカやロシアなどが開発しているために、地球上での科学の発達に沿っている、というケースとか。第二次大戦後半に、ナチスが円盤形戦闘機を開発していて、完成直前だったというのは事実で、図面やモデル機の写真も残っている。終戦後ナチスの残党がUFOの開発に携わったというのも、UFOマニアの間では有名な話で、ジャーナリストの落合信彦氏が、ナチスの残党によってチリのエスタンジニアで開発が進められたUFOについて、レポートしたモノもあったりした。

 で結局、今回の政治家のUFO談義も、何の意味もなくあっさり消えてるし・・・

繋がらねぇ~!!  (2008.1.5)

 ある所に問い合わせをしようと電話をかける。こちらの電話番号を与えるのはイヤだから、こういうときは頭に「184」を付けることにしている。

 さて、朝の営業開始時間から電話をしてみるが、ずっと話し中。PHSからかけているのだが、何度かけても話し中の音が聞こえ「おかけなおしください」と表示される。
 そんなに問い合わせが殺到するところなのか?しかし、立て続けに何度もかけて、もう10数分もやっているのに、いっこうに繋がらんぞ。・・・
なんじゃこりゃぁ~~!!と、一旦やめることに。
 もしや「184」をつけると拒否するようになってるのか?んだけど、それならその旨のアナウンスが流れるはず。それに、全部の番号がダイヤルされる前に「おかけなおしください」の表示が出るのはなんでだ?
 と、何気なくリダイヤル表示を見ると、「184」ではなく「0120」をつけてリダイアルまくっていたのだった^^;;

枕難民・1  (2008.1.12)

 前にちらっと書いたけど、自分にピッタリの枕を探しまくっていて、枕難民の日々だった。以前は合っていたとは言えない、もしくは理想からはほど遠い枕でも平気で寝ていたのはなんだったんだ?と思うのだけど、やはり気にし出すとちょっとしたことで敏感に反応してしまうモノらしい。
 過日も書いたように、メールのやりとりで高さや詰め物の部位を調整することで、自分に合う枕を作り上げるシステムを紹介した。しばらくはそこのを使っていた。他のモノもいろいろ試したのだけど、それよりも合うモノがなかなか無かったので。そこのも決してジャストフィット!というわけではなく「なんかいまいちなんだよなぁ。」と感じつつも、他にないのでとりあえず使っていたという感じ。
 ネット上で枕を探すと無数に出てくる出てくる。長年の研究で生み出して特許も取っている究極の枕とか、多くの病院でも使われている理想の枕とか、みんなが安眠できた一流ホテル仕様の枕とか。
 これだけ「これが最高!」というのが無数に存在すると言うことは、結局誰にでも合う枕は存在しないと言うことでもある。ほとんどの人が理想的と答えたという枕でも80%程度の人が理想と言っているのであって、20%はダメだったのだ。自分もご多分に漏れずその20%だった。イタリアで開発されて、ヨーロッパの多くの病院でも使われているという枕を取り寄せてみた。14日以内なら返品自由という事だったので試してみようと。写真でモデルがいろいろな寝方をして使っている様子や、理論的な事を見てみると、かなり良さそうだ。
 さて、予定よりもかなり早く届いた。開けてみると、、、でかい!横幅がでかいのはかまわないけど、縦方向が長いので、頭を乗せるとベッドから足が出そうになる。そしてやはり高さが高い。いや高すぎる。ちょうど良い高さに沈むと言うことだったが、それにしても高い。起きている段階でかなり高く感じるので、深夜は無茶無茶高く感じるはず。横寝ならばかなり良いのだけど。
 まぁ、とにかく使ってみた。ユーザーの声では、とある数名の著名小説家を中心に「すぐに寝付いてしまった」「もう手放せない」との拍手喝采の嵐なのだが、高さが気になって、全然眠れない・・・。かなり深夜になってもいっこうに寝付けないし、やはり高すぎる・・・。結局いつもの枕に変えて寝た。多くの「使用者の声」では「肩こりが楽になった」「首が楽になった」との賞賛の嵐なのだったが、自分は翌朝に首はもちろん、背骨に近い方まで痛くなった。なので、14日間を待たず、翌日には返品とあいなった。いや、商品そのものは良いモノだと思う。ただ自分には合わなかったのだ。

 んなことを繰り返し、伊勢丹の寝具売り場でやっているオーダー枕の売り場へ行ってみた。他の百貨店の枕売り場の人が、伊勢丹の方を教えてくれた。ある枕メーカーが伊勢丹限定で売っているモノで、枕の部位ごとに詰める素材と量を自分に合わせて組み合わせられる。自分は寝たときの首の下の高さが低いのは自覚していたけど、実際に計ってもらったら、平均的な成人男性の半分の高さだった。かなり低いらしい。通りでかなり低い枕を選んでも高く感じるはずで。
 売り場へ行く一週間くらい前から、冒頭で書いた枕の中身をいろいろ変えて試してみていた。その結果首や後頭部があたる部分は羽毛が一番具合が良かった。ダウンは高いけど、フェザーの羽毛は結構安く、東急ハンズで枕やぬいぐるみ用の羽毛が安く売っていて、それで試したのだった。しかし、羽毛を詰めるのはめちゃめちゃ難しい。なにしろふんわりと軽いのだ。そーっと袋から出しても、わんさかとわき出て散らばる。そして詰めるときも手を入れた周りからわんさかと散らばる。ある程度はつかんで拾って、それ以外は面倒なのでベランダから捨てた。ほどよく庭に散らばるだろうと。しかしほとんど無風だったせいで、ほぼ一カ所に羽毛は着地していた。まるで鳩の殺人現場。二度目はこれにこりて、玄関先で詰めた。余って落ちた分は、玄関マットで扇いで庭へ。ところが思ったほど散らばらず羽も純白で目立ち、玄関先の芝の上が第二の鳩殺害現場に。
 はなしがそれたけど、そういうわけで伊勢丹では羽毛で作ってもらったのだった。 (つづく・・・)

枕難民・2  (2008.1.14)

 さて、結局伊勢丹で買ったものも自分には合わなかった。これは枕の問題ではなく、やはり現在頸椎の一部を痛めているために、一般的な枕は合うわけがないという結論に達したのでした。通常枕は、後頭部にあたる部分を最も低くし、首を支える部分はそれよりも高くしている。ところが今の自分はどんなに低くてソフトタッチでも、頸椎を圧迫して刺激することがダメなようで。
 以前から首に違和感のあるときがあり、その時に使っている枕が合わない場合は、バスタオルを二枚折りにしたモノで間に合わせていた。高さ的には良いのだけど、難点は寝返りを打って横向きになったときに低すぎて首が痛くなるという点。そして、後頭部一点で頭を支えているという不安定感と、それによって首に負担をかけるということ。伊勢丹で買った枕は中が5つに分かれた構造になっている。左右がひとつずつと、真ん中が縦に3つ。そこで、真ん中をすべて抜いて、代わりにバスタオル二枚折りと同じになるタオルを入れてみた。詰め物を「川」の字に並べたわけである。
 これがなかなか具合が良かった。でも中央の詰め物を抜いてしまったので、左右の袋に頭を乗せたときに、圧力が真ん中に逃げやすくなって低くなる。ん~~、、、あちらを立てれば、こちらが立たず、、、と、ふと思いついた。んなら、タオルを使って枕を作れば良いんじゃん!と。なんでもっと早く思いつかなかったんだ。

 自作枕 で、作ってみたのが写真の枕。タオル生地のシーツをベースに、両側が希望の厚さになるまで、何枚ものタオルを重ねている。ちょっと低いかな?くらいでちょうど良かった。普通に縫ったのではすぐに糸が切れるので、革細工用の糸を使用。針も革細工用(何でそんなもの持ってるんだ^^;)。仰向けに寝るときは中央の低い部分に頭を乗せ、横向きの時には両側の高いところに乗せるのだけど、段差がきつかったり、素材的に違いすぎると違和感があって安眠を妨げると、枕販売のオバ、、おネエさんに聞いていたので、なだらかに高さが移行できるように、重ね方を工夫している。
 製作時間は約1時間半。最初は百均などでバスタオルを大量購入してこようと思ったのだけど、家の中を探してたらちょうど良いモノがあった。それが夜の9時半過ぎだったので、寝る直前に作ったのだけど、なかなか具合が良い!なんだ、最初から自作すれば良かったのか。(普通は、枕を作ろうという意識は働かないと思うが^^;)

 首の具合が悪いときに、バスタオル二枚折りの枕を使うことが度々あったが、そうで無いときは普通の低めの枕でオッケーかと。でも、今のような状態の時には非常に重宝する枕になりそうな。
 ちなみに、個展には出品しませぬので、念のため^^。(了)

一撃!  (2008.1.22)

 最近はドラマというモノをまったく見ないので、今でも同じなのかどうかわからんけど、特に刑事ドラマ関係で不審に思っていたことがある。
 背後から忍び寄って、スパナや拳銃のグリップの底などで、相手の後頭部辺りに一撃をかまして失神させる、アレである。
 アレはあんなに確実に失神させることが出来るのか?失神した方は、致命傷を負うことなく、やがて「んん~~・・・」と後頭部を押さえながら起き上がれるモノなのか?
 よほどの拳法の達人が、確実に失神するツボを心得ていて、的確な加減の打撃を加えなければ、あんなに簡単確実に、ほどほどのダメージを与えられないんじゃないのか?
 まぁ、最近の割合リアルな設定の警察ドラマを除けば、そもそも刑事ドラマそのものが荒唐無稽な内容になっているので、格闘シーンも非現実なのはわかっちゃいるが。

ポジティブ  (2008.2.4)

 先日、ふっと「ポジティブ」という言葉の意味が頭をよぎった。物事を悪く考えずに、前向きに良いように考えよう!ということで、「ポジティブシンキング」ということが盛んにいわれていた時期があった。
 その時は、一種の風潮というか流行的な感じもしたし、その考え方自体に特に疑問も持っていなかった。
 でも、先日街を歩きながらふっと頭をよぎったとき、「ポジティブシンキング」ってどうなんだ?と疑問に思ったのだった。物事を悪く考えて悲観するよりは、良いようにとらえて明るくやっていこう、というのは良いことのように思われるが、果たしてそうなのか?と。
 結局は現状からの一種な逃避でもあるわけで、前向きに見た方がまだましな感じもするが、でも、結局はどっちもどっちで、否定的でも無くむりやりに前向きにでもなく、意味づけをせずにあるがままにとらえる方が大事だろうと。
 ま、当たり前っちゃ当たり前だけど、ちょっと頭をよぎったので。。。

 ポジティブでいることがよいことなんだ、と思いこんで、本当は気分が沈んでいるのに無理矢理明るく振る舞っている知人もいた。一生懸命明るく振る舞っているのだけど、眼がつらそうで、こちらもつらくなってくる。誰だって気分の波があるのが普通なのだし。

 誰の言葉だったか忘れちゃったしうろ覚えだけど、以前読んだ本の中に書いてあった言葉。

一番良いのは、楽しい時に楽しいと感じること。
二番目に良いのは、つらいときにつらいと感じること。
最悪なのは、つらいのに意志の力で楽しいと思い込もうとすることである。

メール酔い  (2008.2.17)

 電車ではなんでもないけど、バスやタクシー内で携帯メールを打つと、乗り物酔いしそうになりません?^^;

俳句  (2008.3.1)

 俳句や川柳には一応興味はあったものの、積極的にやってみたことはない。本格的にやったらさぞ面白く自分の世界も広がるだろうとは思っちゃいるのだけど。
 そういや、サラリーマン川柳を代表として、いろんな社会的テーマの川柳があるけど、川柳と言うにはなんか今ひとつ違うのではないか?と思うものが多かった。以前、日曜朝のTBS『関口宏のサンデーモーニング』のコメンテーターをしていた浅井慎平氏が番組中で、なにかの募集川柳の事を評していた。「これって川柳って言うより、標語ですよね」。あ、なるほど。「気をつけよう ~~」と同じ感じなのね。

 さてさて、そんな自分がひょんな事から「俳句大会」で俳句を作ることになったことがある。10年ほど前のことだった。
 かつて毎年の年越しは、旅先で過ごすことを続けていた時期があった。その年は、秋田の民宿で年越しをした。自分がいつも泊まり歩いていたのは、基本的に男女別相部屋で、食事やなんかは宿泊者全員で一緒にという、古き良きユースホステルに近い民宿であった。
 秋田のその宿は、大晦日の晩に新年の干支をお題にした俳句大会が催されていた。お題はあるけど季語は盛り込まなくて良いので、俳句ではなく川柳大会なのだが。
 新年は丑年だった。自分の干支なのである。牛に関する事ならどんな言葉でも良いので、それを盛り込んで俳句をつくる。マジで俳句を作るなんて初めてのことだったのだ。そのまま「牛」を使っても良いのだけど、それだけでは芸がない。でも、当たり前で誰もやりそうもないからかえって面白いかも知れない。基本的に二編を作って出す事になっていたので、ひとつはウケ狙いにした。で、作ったのがこの二つだった。全体の語呂というかリズムも二つ合わせている。

・過ぎし日を 反芻(はんすう)しても 過去は過去
・いかにして 変装しても 牛は牛

おわかりの通り、「反芻」で牛の生態にちなんでいる。もちろん当日は「反芻」はひらがなで書いている^^;
 全員の俳句が集められ、各賞の発表になった。当日の宿泊者は20人くらいだったかと。意外なことに自分の「過ぎし日を~」が審査員特別賞(だったっけかな?)に選ばれた。賞品はカシミヤの膝掛けだった。
 それ以前も以後も、作った俳句や川柳はこの二つだけだったと思う。俳句大会の後は、宿の表に作ったいくつもの「かまくら」で年越し祝いと相成った。
 その秋田の宿の後は、常宿としていた岩手の宿へ行った。賞品の膝掛けは岩手の宿のおばさんへのプレゼントと化した。自分は使わないし、荷物としてかさばったので^^;
 秋田の宿は、その時だけしか泊まったことがないのだけど、そのときの何人かの同宿の方とは、今でも季節の挨拶も交わし、展示会などにも来てくれている。

視聴率とは   (2008.3.11)

 テレビ視聴率の意義や調査方法が疑問視されるようになってから久しい。調査対象の基準にしている家庭像が、標準的な家庭と言えるのかとか、録画して後から観る方式が増えて、リアルタイムで観ているだけを視聴率を考えるのはおかしいのではないかとか。
 新聞の投書かなんかで読んだのだ思うけど、好きな番組のほとんどを録画して、後から時間のあるときにゆっくり楽しんでいる人の意見で、録画して観ている人は多いのだから、そういうのが視聴率として計算されない今の方式はかなりおかしいだろ、と。自分もそれを読むまではそう思っていた。でも、それを読みながら「そうか?」と疑問を持った。
 考えたら視聴率というのは、番組がどれだけ観られているかの指標だけど、そのデータはスポンサーのためなのが本当でしょう。スポンサーがその番組を提供する意義があるかないかを判断するための。
 録画して観ている人のほとんどは、CMなどはすっ飛ばしているわけだから、そういう人たちはスポンサーにとってはありがたくない人たちなのだ。つまり視聴率から除外して良いのではないのか?なので、今まで通りリアルタイムで観ている人だけが、視聴率の対象になるというのは間違っていない様な気も。

雑記帳65< エッセイメニュー >雑記帳67