オープン価格  (2005.2.21)

 最近、どんどん商品の価格表示に「オープン価格」が増えている。日本でこのような方式になったのは6~7年前からだったと思うが、欧米ではオープン価格表示が一般的らしい。

 何故に「オープン価格」という表示になったかと言えば、いわゆる二重価格の防止にある。これはなんぞや?と言うと、以前はメーカーの小売り希望価格というのもがあり、それが一般的な「定価」となっていたが、販売店の方では安売り合戦なんかが盛んで、「定価」とはかけ離れた値段設定になっていたりする。そのため消費者から、割引感を強調するための二重価格ではないのか?という苦情が殺到したためだという。つまり元々の定価は、高めに設定されていたのではないか?ということですな。
 本来、商品の販売価格というのは、小売業者と消費者の相互関係の中で形成されるモノで、実際に売られている実勢価格と希望小売価格が、市場においてかけはなれてしまっている場合は、希望小売価格そのものは不当表示になってしまうおそれがある。それでメーカー側は希望小売価格の表示を自主的にやめて「オープン価格」にするのだそうだ。

 もうこうなると、値段は販売店に直接聞くより調べる方法がない。メーカー側は絶対に教えないからである。というより、いくらで売るかは販売店が決めることなので、メーカー側にはわからないということになる。
 ある大手家電メーカーのホームページの問い合わせ掲示板には、消費者が「おおよその値段で良いから教えてくれ」という質問に対し、答えを拒否している。「~~~~~ お問合せいただいてもお答えできません。(判りません)」と。

 電車の広告や新聞雑誌の広告、あるいはネットで商品を調べても、ことごとく「オープン価格」と表示されてると、それだけで憤慨し、購入候補から外してしまうのは、誰でも経験があるのでは?欲しいモノがあって、それを調べた場合、知りたい情報のかなりの部分は値段なのだ。その情報掲載を拒否しているのだから、なんなんだ?と思ってしまう。
 ある友人は、オープン価格という方式が始まった経緯を説明し、消費者にとってよりよい方式なのだ、と言っていたが、それは教科書的な説明をして自分で悦には入っているだけで、本当にお前はそれで不便はないのか?と思ってしまった。
 量販店のホームページなんかだと、もちろん販売価格は載っているし、雑誌などではオープン価格と書いていても「実勢価格」も載せていることもある。

 しかし、やっぱり消費者からの「わかりにくくて不便だ」という声が多かったと言うことで、東芝の子会社が以前のような「希望小売価格」表示に戻すという。かと思ったら、ビール業界ではオープン価格の方式に流れるらしい。どないすんねん??まぁ、ビールの場合は、泥沼の値引き合戦でリベートのやりとりやらなんやらが横行している背景の問題もあるらしいが。

 自分としては、オープン価格にする理屈は理解できるが、商品比較をするときには大いに不便であって、オープン価格表示のメリットを感じることはない。それよりも、いくら販売店が勝手に値段をつけて良いからと言っても、メーカーから仕入れる卸値が、販売店によってそれほど違うことは無いのだろうから、その情報を公開したらどうなんだ?と思うが。そこまで情報を透明にしてこそ、消費者のために利益のある表示になるんじゃないか?と。

ラジオの夜  (2005.2.25)

 ラジオを良く聴くようになったのは、中学一年の頃。当時、萩本欽一氏の「欽ちゃんのドーンといってみよう!」を聴きたかったのであった。テレビで大ブレイクした「欽ドン」の前身番組である。全国の民法で放送していたが、関東のニッポン放送だと、平日の21:40から10分間やっていた。当時はまだ全然プロ野球には興味がなかったので、夏に野球中継がのびて番組が飛んだときは地団駄を踏んだもんだった(遠い目…)。
 テレビに進出したのはかなり後になってからで、それよりもだいぶ前からラジオで「欽ドン」を聴いて楽しんでいたので、なんかテレビに進出して、チャラチャラと媚びるように一般ウケしているのを観るのは良い感じはしなくて、全く観なかったのだった。

 その「欽ドン」がきっかけでどんどんラジオ中心の生活になり、テレビよりもはるかにラジオを多く聴くようになっていった。大学を卒業し社会へ出てから、少しずつ聴く時間も減っていき、サラリーマンをやめる頃には、朝の目覚まし代わり以外にはほとんど聴かなくなっていた。それでもラジオに対する郷愁のようなものはいつも感じていたり。

 沖縄は石垣島へ行ったとき、路線バスでは車内にラジオを流していた。いまはそんなことは無いとは思うが。流していたのはNHKの沖縄局。夏の暑い日中、のんびり路線バスに揺られながら、当たり障りのない地方の昼のラジオ番組を聞き流すというのは何とも良いものだった。しかも、途中で流れた曲がダ・カーポの日本の歌だったりしたので、なんともはや涙がちょちょぎれる。別に涙はしなかったが。
 同じ頃だったと思うが、甲子園大会に沖縄水産が出場していたとき、バスの中ではその実況中継が流れていた。沖縄水産のランナーが出たり、逆に守備の時にピンチを押さえたりすると、車内のばっちゃんたちは拍手喝采をしていた。その様子を眺めていると、ひとりのおばちゃんが「ごめんねぇ、うるさいでしょ。なんだかルールはわからないんだけどぉ、勝ってるみたいだから^^」なんて言っていた。

 中高校生時代、夜は深夜までもっぱらラジオを聴いていたわけで、その合間にたまにテレビを見るという感じだった。ラジオの無い生活など考えられなかったし、ラジオをいつも聴いているという同級生は珍しい存在ではなかった。
 ひとりだけ、「ラジオなんかじゃ、どこへ目をやって良いかわからない」と言ってるやつもいたが。試験勉強のお供ももちろんラジオだし、寝るときのお供も「オールナイトニッポン」か「パックインミュージック」、もしくは地方の放送を雑音に紛れて聴いていたりもした。ごく一部しか知らないと思うけど、広島の「あっちゃんのミッドナイト広島」を聴いていたときもあったっけ^^。一番聴いていた地方局は、大阪の毎日放送。時々東北放送も聴いていたかな。AM放送は、夜になると遠くまで電波が届いたりするのだ。東京にいて、九州の放送がかすかに入ったときもあったし。新聞の番組表に載っていないので今はどうなってるかわからないけど、日本短波放送なんかも好きだったなぁ。公開放送の会場に何度も行ったこともあるし。学校から帰ってきて、家にいるときは夕方からずっとラジオを聴いていた。

 今は、夜は10時からのニュースをテレビで流しているくらいで、ラジオは全く聴いていない。このテレビのニュースも流しているだけで、いつも見ているわけではない。興味をそそられる時に画面を見るくらいである。
 先日その時間帯に、なにげにラジオにしてみた。なんとなく自分はFMは好かない。音質はもちろんFMの方がいいけど、なんかリスナーに媚びるための選曲の合間に、おざなりのおしゃべりがあるという感じがするのだ。もちろん、そうでないのが多いのもわかっているけど。なので、以前同様AM放送にした。テレビではニュースが主体の時間帯でも、ラジオは若もん向けの流行番組(って言うか??)が中心だったりするのは昔と同じ。そんななかでたまたま聴いたのは、リスナーからの電話を交えて、いろいろな問題を考える番組だった。
 ん~~、なんかいい!やっぱりラジオはいい!何より、ラジオが流れる部屋の時間は、流れがゆったりとしている。映像に頼れない分、まだテレビよりもしっかり番組というものをつくっている感じもする。パーソナリティとこちらの距離も、ラジオの方がはるかに近い感じもする。
 これはやっぱりいいなぁ、、と言うことで、次の日もラジオにしようと思って番組表を見ると、なんかしょーもないものしかやってなさそうだったので、その日はやめた。でも、少しずつまたラジオに戻るのも良いかなぁと思うのだった。

最高です!  (2005.2.27)

 一昨年からだったろうか?プロ野球のヒーローインタビューで、「最高です!」のフレーズが流行りだしたのは。発端は、巨人の阿部捕手だと思う。「今の気分は?」とか「ファンの皆さんに一言」と言われて「最高です!!」と答えるあれである。
 これを初めて聞いたときから、とても違和感があったのだ。このフレーズは、以前渋谷あたりで良く聞いた。裁判などのその後を聞かないからどうなったのか不明だけど、天行力(てんぎょうりょく)というイカサマ霊能力を駆使していた、福永法源が代表を務めた宗教「法の華」で、よく使われていたフレーズだったのである。
 10年くらい前、渋谷のセンター街、交差点、至る所に白装束を来た若者がうろうろしていた。胸と背中にゼッケンをつけ、そこには「最高です!」の言葉がプリントされ、自分の「宣言」のような言葉も書かれていた。もちろん福永法源にだまされていた信者たちである。
 本拠地は静岡か山梨だったと思うけど、東京本部のようなモノが渋谷にあった。鍋島松濤公園という小さな公園の向かいに、でかい寺のようなモノが建てられていて、なんかどっかの寺が出来るのか?と思ったら、「法の華」だったのだった。その近くにも、「○○研究所」のような名前を付けた系列の団体もあったし。その建物が出来る頃から、白装束の連中を見るようになった。

 ある時、友人数人と渋谷の居酒屋へ向かっていた。もう終電が終わろうという時間だったが、ひとりがとてもその時間では帰れない距離だったので、朝までいられる店を探していた。そのとき白装束の女の子が近づいてきた。うつろな目をして、それでも「最高です!」と力無く元気いっぱいに。なんだ?勧誘か?と思ったら、抱えている紙の束を差し出して、これに書いてくれと。よく見ると写経の用紙だった。一枚の紙に般若心経が薄く印刷されていて、それをなぞって書くだけだった。まぁ、一般的な写経の部類かと思う。
 とにかくこれを書いてくれるだけで良いという。なんでも、これを全部書いてもらわないと(道場に)帰れないというようなことだった。年を聞くと19だという。もう零時をまわろうという時間に、白装束1枚でうつろな目をして、19の女の子がこんなことをさせられているのである。まともな宗教なわけがない。
 こちらは30を過ぎた男3人、女2人のメンバーであったが、気の毒になって手分けしてその紙に書いてあげながら、説得した。
「こんなものいくらでも書いてあげるから、もうこれでやめな」
「こんなことやっても、みんな法源のじじいのためにしかならないんだよ」
「こんなことやってても全然幸せでもなんでもないでしょ?」それにこたえて「最高です!」と焦点の合わない目で元気に弱々しく言う。
「もうこんなのやめてみんなで飲みに行こう!」と言うと、また「いえ、最高です!」と言う。

 結局、持っていた紙の写経を全部書いてあげたのだと思ったけど、彼女はまたよろよろと歩いていったような。何を言ったか忘れたけど、一連の法の華の信者がやっている活動は、法源のためであって信者自身のためではないんだ、とか、人の幸せというのは、こういう宗教活動で得られるモノではないでしょ?というようなことについて確信をつくことを言ったときは、一瞬彼女の目にとまどいの色が走った。
 あれだけ妄信的に信者が活動しているのは、本当に彼らにとっては藁をもつかむ思いであり、すっかり洗脳されてしまっても、何かのきっかけで目が覚めることがあるようだ。あのときのとまどいはその一端だったのかもしれない。

 あのころはそんなわけで、「最高です!」というフレーズ=法の華だったのだ。そんなわけで、近年のスポーツでの「最高です!」は、なんか良いイメージにはならないのだった。

蛍光灯  (2005.3.1)

 電球色の蛍光灯が販売されるようになってから久しい。いわゆる「暖色系」で、青白い蛍光灯の色ではなく昔ながらの電球の色ですね。
 自分の部屋はメインのあかりは、天井に付いている6本の蛍光灯だが、その電球色にしている。交換したのはもう5年以上前だったと思うが、初日、ものすごく違和感があった。なんか部屋の風景に現実感がないのだ。それが単にいつもの見慣れた状態のあかりではないからかどうかはわからないけど、しばらくしたら慣れて、すっかり普通になった。確かに青白い蛍光灯の発色よりは落ち着く感じはする。そう思いこんでいるだけなのかも知れないけど。
 蛍光灯と電球の光の、最大の違いは、光源ではないかと思う。色の違いも大きいけど、電球は光源が一点でそこから発散しているので、光の方向がハッキリしているし、影もハッキリです。対して蛍光灯は、ガラスの内側に巡らされた蛍光物質を発光させているので、影の映り方がハッキリしない。見え方が電球に比べて立体感に乏しくなるのはそのせいだろう。

 電球と蛍光灯の心身に与える影響は、いろいろ言われていることがあるけど、ちゃんと根拠があることなのか、思想的なモノが優先しているのかはよくわからない。でも確かに青白い光よりは電球色の方が落ち着くことは落ち着くけど、それは電球が生活の中にたくさんあった世代の感覚で、最初から蛍光灯ばかりの中で育った世代との感覚の違いもあるかも知れないし。

 今の普通の日常では、個人的には電球の方を好むけど、蛍光灯が良いな、懐かしいなと感じることもある。アジアに行ったことが多いため、その現地のあかりの雰囲気の問題なのだ。確かに電球の方が多かったりする。でも、アパートや店などの、ヒジョーに安っぽい蛍光灯の明かりが妙に心の琴線に触れるくらい懐かしい感覚もある。何となくけだるいような怠惰な東南アジアの蛍光灯の雰囲気が、たまらなく力を抜かせてくれるような感覚。
 今は時々写真などでそういうのを見るくらいのもので、それを見ると妙に懐かしいのだけど、そういうのを考えると、単純に電磁波がどうだ光の成分がどうだ人体への影響がどうだ、っていう理屈よりも、刷り込まれた記憶の方が大事なのではないか?なんて思ったり。…

「つきあって」  (2005.3.5)

 別に淡い恋愛話ではございませぬ^^。

 日本人の特質なのかどうかはわからないけど、日本人は何かにつけ、誰かについて行ってもらうという行動をとることが多い。ひとりでは心細いという精神的な根底があるのかどうか。トイレなんかでもそういうのはありますね。いわゆる「連れション」というやつです(おぉ!一発で変換できた)。これは女性の方が多いのか?あまり男では聞かないが。
 かつて国内で、どこかのイベントスタジアム建設の時のこと。建築家は、人の流れ・行動パターン、あらゆるモノを考え計算して、スタジアム内の施設も設計した。トイレの設備も足らないということには決してならないだろうと言うもくろみだった。けれど実際にスタジアムが使われると、トイレに長蛇の列が出来てしまった。原因は意外なところにあって、「連れション」という行動パターンを考慮に入れてなかったのだった。ひとりひとりの行動の読みしか考えていなかった。

 「連れション」に関しては話しに聞くだけで、実際にそういう行動をとる人を見たことはなかった。そもそも個人差のある生理的行動を他人につきあわせるというのはなんなんじゃ?ま、女性の場合は、お手洗いが社交の場にもなっていると言うこともあるだろうけど。
 トイレに限らず、普通の行動に関しては「つきあい」というのはよく見る。サラリーマンの時はいろいろな場面で顕著だった。今時はないだろうけど「つきあい残業」なんてのもそのひとつ。上司が残業しているときは特にですな。無言の突き合わせというか。おいらは平気で帰ってましたが^^。

 無理な酒をつきあわせるというのは、良い飲み方を知らない人のやり方だと今でも思っている。幸い、会社時代も飲みに行くときは良いメンバーが多かったので、帰りたくなった、時間がない、などなどの時でも、圧力的な慰留する空気というのはなく、「んじゃまたねえ」という感じであった。楽しむためなのであって、個人的な事情や体調などの問題があるときは、それを尊重するのが当たり前なのだ。
 そういうときに、先に帰ったり酒のさらなるすすめを断ったりすると、「飲み方をしらない」などとしたり顔でほざく奴がクラス会の時の同級生にいた。20代の頃だったが、「 こいつ、つまらない大人になったんだな」と思ったもんだった。

 高校の時、学校から駅までは徒歩で1km近くはあった。ある日の下校時、同級生二人と駅に向かっていた。駅までの距離の半分以上も過ぎたときに、向こうから忘れ物を取りに戻る同級生がやってきた。普通ならそのままひとりで取りに行くべきところを「つきあって」と声をかけてきた。そういう風に言う方も言う方だけど、当然のこととして一緒に行った友人も友人だった。
 なんだかごく当たり前の行動、友人として当たり前のつきあいという感じで学校に向かっていった。とても理解できなかった。特におかしなやつらではない。なんか自分は、普通のこの年代のつきあい方とは全く別の世界に生きているのか?と感じたのだった。

「のど自慢」  (2005.3.5)

 長寿番組数々あれど、日曜お昼の「NHKのど自慢」などもそのひとつ。高齢者向けの番組かと思いきや、結構若い人も好きな人が多く、出場者にも若い人は多い模様。あまり観ていないのでよく知らないのだけど。
 あの番組でチャンピオンになるというのも、大変な栄誉なようで、坂上二郎さんもあれのチャンピオンになったことがあるというのは記憶違いか??

 確かな昔の記憶なのか、つくられた記憶なのか定かではないけど、自分は田舎の畑の中にいる。何軒かの家が点在しているのだが、その家から風に乗ってお昼のテレビの音が流れて聞こえてくる。日曜のお昼で、あの「NHKのど自慢」のテーマソングが聞こえてくる。あぁ、日本の正しいのどかな田舎の日曜のお昼だな、という印象の記憶である。子どもの頃に、田舎(と言っても父親の実家の事)の埼玉の家へ行ったときの記憶のような気もするが、なんかそういうのどかな記憶にはとても良く合うテーマソングという感じがする。

パソ売り場でウズウズ  (2005.3.7)

 この気持ちがわかる人は、たくさんいるのではないだろか?

 ここでも何度も書いてるけど、パソ関係の商品は、ロクでもないものが結構売られている。書かれている性能・機能などにつられて買って、泣き寝入りした人も多いでしょう。間違いのない買い物のためには、長期にわたって安定して売られている、いわゆる「枯れた」ものを慎重に買うしかなかったり。もちろんこれはハード機器の場合で、アプリだと「枯れて」しまっているモノはもう古くて使い物にならなかったり^^;。

 かくいう自分も、何度か失敗した買い物がある。そういうものがその後も売れ筋で売られていたり。その売り場を通るとき、自分が買って失敗だと思った品物を手にして、検討しているお客を見ると、声をかけたくてうずうずしてしまう。「やめた方がいいですよ」と。もちろん声はかけないけど。パソ関係を買う人の場合、本当に良いものだと誤信している人と、冒険だとわかっているけど、試してみたいという方面がいるので、後者だったら大きなお世話でもある。そもそも、うっかりそんな声をかけているところを店員に知られたら大変だし。

 というわけで、営業妨害をすることなく通り過ぎているのだった。しかし、店側には営業妨害でも、そんなロクでもないモノを売っている企業に対する制裁は必要だとも思われ。

雪に弱い東京?  (2005.3.12)

 暖冬で雪も少ないだろうと言う予想を覆し、この冬は意外に寒くおまけに記録的な大雪に見舞われましたね。それでも平均したら、かなり暖かい冬には違いないけど。

 雪になるといつも言われるのが、都市部、特に東京の雪に対する弱さである。雪の多い地方から見たら、あざ笑いたくなるであろうほどの弱さ。何しろ2~3cm以上積もったら大雪クラスで、5cmも積もろうものなら交通などの都市機能に支障をきたすのだ。
 確かに東京は雪に弱い。でも、よく考えるとそうなのか?という疑問を感じないでもない。
 何しろ東京などは、もともとそれほど雪の降る地域ではない。だから、東北以北の都市のように、雪に対する備えも希薄である。そんな中で、その備えが役に立たないほどの雪が降っているのに、普段と同じような都市機能、つまり経済活動を行おうという方が無理ってもんではないのか?そういう状況になったら、おとなしく休むというのが「本来」だと思うのだ。悲しいかな、自転車操業の経済活動を強いられる社会では、そういうことが許されないのだが。

 今はそうでもないだろうけど、発展途上国や後進国と呼ばれていた頃のアジアでは、大雨が降ったらもうしょうがない、と言う感じだった。待ち合わせであっても、大雨が降っちゃってるから「もう今日はしょうがないな」であった。
 ある東南アジアで、現地の人と仕事の打ち合わせで待っていた日本人がいた。しかしその日はとうとうやってこなかった。翌日理由を問い合わせると、「雨だったから」で終わりだったというケースもある。現地ではそれでいいのだ。自然の前には人間はなすすべはないし、その中を無理してまで仕事をするこたないだろ、である。
 前に聞いた話だけど、日本で中国筆を売っている中国人の店では、日本人が雇われていた。
ある日、大雨になり、予報でも雨がやむ見込みはなかった。すると中国人店長は「もう今日は店を閉めましょう」と言って、みんなを帰してやめてしまった。おいおい良いのか?と日本人従業員は当然思う。でも、これ以上店を開けててもお客などは来ないから、無駄なことはやめようというのだった。だからといって賃金をカットするというわけではない。
 特にアジアに限ったことではないけど、高度経済化になる前の社会だったら、人間のペースで生きて仕事をしていたのであり、基本的に無理なことはしなかったでしょう。搾取関係のことは別にして。

 話は大幅にそれてしまったけど、東京は確かに自然災害に弱い。でも、活動のペースを変えようとしないところにも、原因があるのは間違いはないでしょう。

日常の闇  (2005.3.14)

 先日、宮崎駿氏の「トトロの住む家」という本を読んだ。住む人の心が偲ばれる、懐かしい感じのする家を探訪した本である。その中に、昔の我が家そっくりの家の写真があったので、思わず買ってしまった。庭から見た縁側や屋根の感じ、縁の下の感じなどそっくりだった。当時の我が家は昭和初期に建てられたモノだったので、その時代の住宅建築の共通部分もあったのだろう。

 本の中のひとつの家で、「あの子たち、小さいころはこの床の間の置物をとても怖がったんですよ」という記述があった。なんかとてもよくわかる。怖いわけではないけど、自分にも不気味に感じた置物や空間というのがあった。
 宮崎氏の義父の家には、うす暗いおじいちゃんの離れがあったという。「先日、成人した(宮崎氏の)息子がもらしたのだが、『おじいちゃんのアトリエの狭い通路は、何処までも何処までもズーッと続いている』と彼は思いこんでいたのだ。ぼく(宮崎)は、子供が育つには、光や暖かさだけでなく、闇や迷宮も要ると考えている。義父はそれを孫に与えてくれていたのであった。」
 前述の怖い置物のある床の間の家についても「おじいちゃんの怖い離れと、入ってはいけない威厳のある庭は、二人のお嬢さんの精神の奥で、何かを豊かにしたのは間違いない。」と、宮崎氏は書いている。

 なるほど、自分の家に限らず、子供のころの日常には、(子供にとっては)得体の知れない陰や闇があった。明るい光と雰囲気に満ちた間取りの住宅ばかりになって、そういうモノはなくなっていったが、そういう得体の知れないものというのは必要なのであろう。想像力も精神も畏敬の心もはぐくむ、大事な要素なのだと思うのだった。
 当時の我が家は古い作りだったので、建材自身がダークトーンだったし、昔の家というのは、何かが住んでいそうな「隅っこ」とかがあちこちにあった。「なにか」と一緒に住んでいるという感覚も覚えたし、ある種の「畏れ」という感覚も持っていた。いまはそういう感覚がほとんどないというのは、単に子供のころと今の感性の違い、だけではないのだと思う。

 そういえば、町にも変な人や得体の知れない人というのも時々いたし、それは今のように隔離されたり注意人物として恐れられる存在というのではなかった。変な人は変な人として、地域に受け入れられていたような。
 建前上は「多様化」が進んでいるように思われているけど、実は全く逆なのではないだろうか。単純に複雑化しているだけで、ちゃんとそれぞれを「認めて」いるのか?

苺  (2005.3.16)

 今年はなんか、売っている苺のデキが良いような気がする。
 苺っちゃぁ、昔はパックの下の方に痛んだ部分を隠して売っていたのが普通だったけど、そういうのは完全になくなりましたね。買う方もそれは了解済みで、買うときにパックの底を見て確認したり、店も今度は底にも見えないように内側に隠して見えないようにしたり。
 そんな商品がなくなったのは、やっぱ消費者の目が厳しくなったし、変なものを売るとすぐに客を逃してしまうからでしょうけどね。それはそれで良いことだけであって、お客あっての販売者なのは間違いない。んでも、なんか、、消費者へのサービス精神というよりは「こびている」という雰囲気に感じて仕方がない。あらゆる業種に言えることだけど。元々日本は、共産国家と違って、「売ってやる」という態度はなかったけど、それにしてもなんか違うように感じる・・・。

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