ヒーロー役、一転…  (2004.6.1)

 以前から不思議に思っていたことだけど、なんでかつて、子供向けのヒーロー役だった俳優って、その後は悪役が多いのだろう?と。悪役ではなくても、きわめて地味な役が多いように感じる。

 世代的にわからない人も多いと思うが、古いところでは「キャプテン・ウルトラ」。自分もちーさかったので、ドラマの設定というのはよくわからないが、パトロール用のような宇宙船で宇宙を駆けめぐるモノだったような。その船長のキャプテン・ウルトラは、その後はほとんど時代劇の悪代官でしか見たことはない。
 初代ウルトラマン、科学特捜隊の村松隊長は、やはり時代劇の小作人ばかりが印象にある。同じく初代ウルトラマンのハヤタ隊員こと黒部進氏は、やくざの幹部が多いし、ウルトラセブンのウルトラ警備隊・キリヤマ隊長は、これまた悪代官などが多いような。ウルトラセブンこと諸星ダン役の森次氏も、どちらかというと気の弱い役柄が多い。丹波哲郎氏の「大霊界」では、代議士の秘書役で憎まれ役だったが。
 だいたいが悪役でなくても、さえない役どころが多いよなぁ。もちろん、大した仕事をしていないという意味ではない。脇役というのは、主役に劣らぬ大事な俳優の仕事だと思っている。

 最近のヒーローものの事はよく知らないけど、どうも軽い感じの人が多いような。ターゲットに、子供と一緒に見るお母さんが入っていることもあるけど(お父さんが一緒に見るケースが多そうなモノは、色っぽいモノも混ぜるらしい^^)。年齢的には、昔のその役を演じた人たちと、今のヒーローたちは、それほど年齢差はないのだと思う。
 昔のヒーローや隊員を演じた人が、意外にも若かったのを知って、ひどく驚いたものだし。話はそれるが、それは自分がその人たちよりすごく年下だったからだろう。年齢差からして、完全なおじさんだと思っているのだから。でも、その印象が残っているので、いまその写真を見ても、やっぱりそんなに若いとは思えなかったりする^^;。

 今のヒーローたちも、後年は地味な役が多いのかなぁ?

ベルマーク  (2004.6.5)

 そう言えば、最近とんと見なくなったもの。まず、ベルマーク。お菓子の箱なんかにプリントされてましたねえ。小学校の時に学校で集めてたりしたけど、今でもあるんだろうか?
 それから、ブルーチップ。これは、ブルーチップ以外にも似たようなのがあったような気がした。

 ブルーチップは、地元の商店街のスーパーで買い物をするともらえて、結構景品と交換しました。確かカメラとか色鉛筆セットなんかと交換した記憶がある。
 最初に買った自転車(雑記帳のどこかにも書いた)で大量にブルーチップをもらって、すぐに大きな景品と交換できて、カメラを選んだのだと記憶している。
 安い部類のカメラであるのは間違いないから、もしや白黒フィルム専用なのではないか?なんて思ったりした。もちろん、そんな区分けはない。友人とカメラ屋に行って、「これって白黒専用ですか?」なんて聞いたのだった^^;(遠い目…)

 ベルマークはまだあるかもしれないけど、さすがにブルーチップの類はもうないでしょうねえ。各店でポイントカードを発行しているし、需要もないだろうし。

 ところでベルマークって、結局なんだったのかはよくわかっていなかった。たしか、あれを貯めると小学校とかに生徒用の備品が支給される、とかいうのだったと思うけど。それが、ベルマークを集めた学校へなのか、財政の苦しい方面へなのかも、どうだったか。集める時は、各人がビニール袋いっぱいに詰め込んで、持って行ってましたねえ。


検索したらこんなのがあったよ。
『ベルマークのホームページ』
“ベルマークとは⇒財団について”といくと、財団の歴史が出てくる。
しらなかった。。。
(2004.6.6 カモミールさん)

パーフェクト・ゲーム  (2004.6.7)

 ん~~と、、野球に興味のない人には、つまらない話題だと思います^^;;。

 先日、大リーグ・ダイヤモンド・バックスのランディ・ジョンソン投手が、史上最年長(40歳)での完全試合を達成しましたね。(時々、スポーツニュースなんかでは「アメリカ大リーグ」と表現される。でも、数チームがカナダに本拠地を置いているので、あの言い方はおかしいのではないか。)

 投手の偉業には、完全試合(パーフェクトゲーム)を筆頭に、ノーヒット・ノーランもありますね。完全試合は、一人のランナーも許さなかったという記録。ノーヒット・ノーランは字のごとく、ヒットも得点(ラン)も許さなかったと言うことで、四死球やエラーでの出塁はかまわないと言うことです。

 さて、このどちらの記録も投手個人名の記録だけが残ります。要するに、今回ならばランディ・ジョンソン選手の名前しか、一般には残りません。
 このことに、かつて江川卓氏が異論を唱えていた。(現役引退後、解説者として論じていた)
 ノーヒット・ノーランは投手の力だけで達成が可能である。だから、投手の名前だけしか残らないのは、まぁ良いでしょうという事だった。リードするキャッチャーの貢献は大きいが、理屈の上では投手がすごい投球をすれば達成は出来る。
 でも、完全試合は全く意味合いが違うというのだ。対戦する全27人をすべて三振に打ち取れば問題はないのだけど、実際はそんなことは不可能で、打たせて取る事が必要になる。だけど、野手がエラーをした場合は完全試合は達成できない。だから完全試合は投手の力だけでは絶対に不可能な記録で、江川氏は完全試合の記録には、その試合に守備についた全選手の名前も残すべきだ、と力説していた。

 日頃、ウケ狙いや意表をついた論評を得意とする氏で、現役時代は「江川る」が、わがままの意味にもされていた。しかし、素顔は非常に周りに気を遣い、周りのおかげで野球をやっていられるということがわかっていた選手なのだと思う。冷静に氏の言動を見ているとそれを実感する。(別に、大学の先輩なので持ち上げているわけではありませぬ。自分は愛校精神は薄いので^^;;)
 この完全試合へのコメントにも、目からウロコであったのだった。

 またまた野球の話から入ってしまいますが、現在の日本人メジャーの先駆者と言えば野茂英雄投手。(過去には村上雅則という、日本人唯一のメジャー経験者として、長年伝説になっていた人もいたけど。)
 そして、スーパースターとなったイチロー。この二人を指して「野球版のアメリカン・ドリーム」と評した記事を見たことがある。まぁ、その時は読んでいてそんなもんかな、という程度に読み流していた。

 日本での大実績をひっさげてメジャーに乗り込んで成功した彼らとは反対に、現在カナダのモントリオールに本拠地を置く、エクスポズの大家(おおか)投手。彼は横浜ベイスターズの投手だったが、全く実績はなく渡米し、マイナーの下の方から努力してはい上がって、現在はエクスポズのエース級になっている。二軍しかない日本のプロとは違って(一部の球団には3軍がある)、メジャーにはその倍以上の階層の下部組織がある。下の方へ行くと給料が安く、それだけでは生活が出来ないほどだったりする。

 先日、これらの選手を比較しての記事を読んだ。そこでは、前述の記事とは全く違う書き方がされていた。「多くの人は、野茂やイチロー達のように、単にアメリカにやって来て大成功を収めたケースまでも『アメリカン・ドリーム』と考えているが、この言葉はそう言うことでは全くないのだ。本当のアメリカン・ドリームとは、努力した者が報われることを言うのだ。だから、真の意味でのアメリカン・ドリームとは大家のようなケースを言うのだ。」と。

 な~~るほど!であった。何となくわかっていたつもりだけど、言われてみれば確かにそうだった。正直者や努力した人が馬鹿を見る事の多い世の中で、努力した事に見合った成果が得られるというのは、結構大事なことであり、意外にそうそうは無かったりする。まぁ、もちろん、わざわざ「アメリカン・ドリーム」なんて表現するくらいだから、そこそこの成功を言っているわけではないだろう。
 一応、自由と平等を標榜しているアメリカではあるが、現実はまったくそうなってはいないだけに、なおさらそういう基本的なアメリカン・ドリームがたたえられるのではないか。でも、改めて本当の意味を知った時、これはとても深い良い言葉なのだな、と思ったのだった。

チェーン・メール  (2004.6.13)

 世間様並に一応携帯電話を持っている。ただし正確には「携帯電話」ではなくPHSである。今や利用者が20万人を下回っている希少価値のレアものなのだ^^。
 ただ、病院内での医者・看護婦・職員などの連絡用には電波の弱いPHSが使われたり、データ通信に特化した使われ方をしている分野では、PHSの天下の様である。
 5年ほど前に、緊急連絡用に使い始めたのだけど、何故に未だに携帯に変えないかというと、、、面倒なのだ^^。それに、そんなに滅多に使っているわけではないし。

 さて、携帯利用者の間では、かなり前から迷惑メールが大問題になっているようですねえ。さすがにPHSでは、そのような被害は皆無に等しい。いわゆる「ワン切り」は今までに2件、チェーンメールも数件あったけど、迷惑メールが届いた事は一度もない。利用者の少ないPHSに、わざわざ無差別送付するのは効率が悪いのでしょう。

 チェーンメールは、いつだったか、沖縄での米兵による少女暴行が社会問題になった時に届いた。内容は、その被害者少女の恨みを晴らすためのチェーンメールで、加害者の米兵を殺すためにチェーンメールをとぎれることなく送れ、というものだった。このチェーンメールは、最初の送り主の文面を、そのまま次々に無差別の相手に送るものだった。
 PHSには、PHS同士のメールがあって、それは相手の電話番号がそのままアドレスになっている。あり得そうなPHSの電話番号を適当に打ち込めば、高確率で誰かには当たる。ただしこれは、自分もPHSでないと送ることは出来ない。それで前の人は、適当に次の相手に送っていた。

 このときの内容には、このチェーンメールは止めてはいけない、止めたものは命の危険を承知した方が良い、と書かれていた。おまけに面白いことに、こんなことが書かれていた。
「私は、秘密裏にある専門家に依頼し、今このメールがどこを廻っているかを、パソコンによってリアルタイムで追跡できるシステムを開発した。メールを止めたのが誰だかすぐにわかるのだ。○月×日、止めようとした△△市の男が何者かによって襲われ、今も生死をさまよっているのはご存じの通りだ。」な~~んて書かれていたのだ。
 思わず笑ってしまった。そんな大規模なシステム開発なんて、ある意味国家規模じゃないか?^^ おまけに、止めようとした男が襲われたという○月×日は、最初のメールが送られた日付より後なのだ。その辺の矛盾は、最初に送られたやつが気づかなかったのか?^^;

 転送されてくる、最初の文面の後には、次々に送る人のコメントも書かれていた。「なんだかわからないけど、怖いので送ります。次の人ごめんね~~」のようなコメントが、たくさん書かれていた。
 もちろん、このアホなチェーンメールは、自分のところでストップさせたが、未だに誰も襲っては来ない。まさか、寝込みを襲ってくる忌々しい蚊?そういや、ゆんべも食われたし・・・・

偉いのはどっち?  (2004.6.15)

 たいがい食べ物屋さんのバイト代は、ホールより調理場(または補助)の方が高いようです。昔はなんとなくそんなものかな?と思っていた。でも何を基準にして、ホールの方が安いのだろうと疑問に思ったら、夜も眠れなくなっちゃうのだった。(春日三球か?^^;)

 料理を運んだり下げたりするぐらいは、調理場の仕事よりも簡単である、ということなのか?しかも、どうも調理場のホールに対する態度が大きいところが多い気もする。明らかにどちらもバイトであっても、調理場の方が偉そうだったり。
 面白いことに、チェーン店などの場合は、ほとんどそう言うことはない。接客部であるホールも調理場も、ほとんど対等に見える。でも、老舗に近いところほど、調理場の方が偉いような雰囲気を受ける。あくまでも「近い」ところであって、本当のちゃんとした老舗は、それぞれが自分に厳しくやっているだろう。

 当たり前のことだけど、考えるに、接客係も調理部も、仕事内容の優劣は決めることは出来ないと思っている。一見、そのお店のメインのものを作り出す調理場の方が、仕事のランクが上のような空気があるけど、注文を受けてそれをお客さんに出すという、お客さんに直接接する方が大事だとも言えるし。
 たまに、何かの折りに、ホールの人間が調理場におうかがいを立てるような店がある。たとえば、お客が注文の変更を申し出た場合に、おそるおそる調理場に許可を求めるような感じである。あれは極めてまずいだろうと、人ごとながら感じたことがある。明らかに、ホールの人間が調理場より格下扱いであった。お客に一番近いホールがそうであるなら、調理場の方がお客より偉いことになる。つまり、お客は調理場の人に、料理を作って頂いて食べさせて頂いていることになるだろう。
 まぁ、そういう雰囲気を漂わせている店は、調理場の人間が自分たちの方がホールより偉い、と勘違いして高圧的なところが多いようだ。

 やはり、働いている時はお互い様なのである。ホールに接客してもらって、注文を取ってきてもらって、また配膳してもらわないと調理場の仕事なんて成り立たない。
 またホールは、お客さんに代わって出した注文を作ってもらわないと仕事にならない。そしてなにより、お客さんに来てもらわないとすべては成り立たないのだ。もっと言えば、お客だって、お店の人に食べさせてもらっているのだ。
 食いに来てやっているのでも、作ってやっているのでも、出してやっているのでもない。出入りの業者にだって、配達してもらっているから自分たちの仕事ができるのである。そのどこかひとつでも勘違いしている部分が生じると、商売というものが根底から、その本質を見失っていくのだと思うのだった。
 また今の世の中、あまりにお客中心で、お客にこびすぎているように思う。お客側も、自分たちの望むことを提供してくれる側への気持ちの持ち方も、考え直した方が良いと思うのだった。

夢のシチュエーション  (2004.6.17)

 夢(睡眠中の夢)については、何度か書いてきました。他人がどんな夢を見ているのかはわかりようがないのだけど、自分は極めてリアルな夢を見ることが多い。
 夢の中に出てくる紙に書かれた文字が読めたり、景色の細かいところまで見えたり、後日に思い出した時に、夢での中のことだったか、現実だったか区別の難しいほどの夢も。

 面白い夢というのもたくさん見てきた。でも、先日見た夢はこれまでにないものだった。内容は大したことはないのだけど、なんと夢の中の舞台設定というかシチュエーションが時代劇だったのだ。自分は浪人侍の様な感じだったので、おそらく江戸時代頃か。まぁ、テレビでの時代劇のワンシーンを彷彿とする感じもないではなかったので、その辺からの連想も混じっていたのだろう。
 でも、こういう設定は記憶にない。今までに、どんなおかしなシチュエーションであっても、なんとなく現在の時間とリンクしていたように思う。場所やなんやかやが、現実にあり得ない場合でも、おおよその時代は現代であったし。
 他人の夢話でも、そういう時代劇設定だったというのは、あまり聞いたことがないような。

食べ物にはこだわらない  (2004.6.19)

 自分はグルメでは全くない。料理は好きだから、それなりに工夫したりはするが、かわった材料を使おうとは思わないし、あくまで日常的な範囲での話。
 料理番組は好きだが、グルメ番組はまったく興味はなし。せいぜい、普段食べる内容の範囲で、特においしい店があるときに興味を示すくらいで。でも、テレビや雑誌で有名な店が出てきても、興味はあってもわざわざ行こうなんて滅多に思わないですねえ。
 まず、紹介されてしまったら人があふれてしまっているに決まっているし、並んでまで食べようなんて思わない。おまけに、みんなが話題にしてたら興味を失うという天の邪鬼でもあるし^^;;。

 旅行へ行くと、地元のおいしいものを食べるのを楽しみにしている人は多い。その辺も自分はまったく無頓着。まぁ、それなりに地元のおいしいものが食べられればいいけど、努力して店を探したりそのことを優先するということはまずない。
 初めて北海道に行ったのは、1985年の9月。突然思い立って行って、空路釧路へ行き、そこでレンタカーを借りた。
 そこから道央に向かって走り出して、お昼になった。特に北海道へ行ったら何を食べよう!なんてまるで考えてなかったので、何も考えずに立ち寄った食堂で食べたものは中華丼。最初に食べたのが中華丼である^^;;。 いかに頓着してないかというのが忍ばれるでしょ^^;;。
 その後の北海道の旅はすべて冬であるが、釧路へ行くことが多い。釧路駅前でたまたま入った和食屋(夜は居酒屋)の「ホッケ定食」が旨かったので、釧路へ行った時はそこでそれを食べることが多かった。
 こだわっているわけでは全然無いけど、らしい食事と言ったら、せいぜいその程度のこと何である。^^;

 なので、普段も何でも良いのだ。ただ、安いから食べるという食べ方だけはしない。基本的にファーストフードは好きではない。
 お気に入りの安い店も何軒かあるけど、それは多くのお父さん達がそうするように、安いから入るわけではなく、そこのものを食べたいから入るのである。もちろん、高いから入らないというのはある。入ろうと思ったけど、高いからやめた、、、とか。特に、周りに競合店が少ないから高いんじゃないか?と思われる店は、断固として入らなかったり。^^ 経験上そういう店は、値段にはまったく見合わない料理のことが多いので。

外国人  (2004.6.23)

 外国人を差別して表現する言葉というのは、どこの国でも古くから存在し、現在でもたくさんありますね。日本ではその昔、「毛唐(けとう)人」という言い方があり、日本人に比べてヒゲや体毛が多いので、欧米人を卑しめていう言葉だった。

 以前勤めていた製版関係の会社の古参社員のTさんは、外国人のことを表現する時に、「毛唐」と言っていた。もちろん本気で言っているわけではなく、多少冗談のニュアンスも込めている。で、もちろん国粋主義に近い人だった。(もちろんと言うことはないか?^^;)

 Tさんの息子は、当時小学校に通っていて、参観日で学校へ行った時のこと。この学校には何人かの、日本在住の外国からの子供も学んでいた。息子のクラスには、ブラジル人の子供がいた。
 この日Tさんは、家庭内での言葉の使い方には、もっと注意しないといけないなぁ、と痛感したという。教室で息子が、ブラジル人の友達をTさんに紹介する時に、こう言った。

 「お父さん! この子、毛唐なんだよ!」

人生訓   (2004.6.29)

 人生訓というか、考えてみても、自分には明確な哲学があるのかどうか?^^;;。 もちろん自分なりのポリシーがあったり、それなりのこだわりや考え方はあるけど、整然と紙に書いて表すようなものは怪しい。^^;
 こうありたいな、というものはいくつかある。 その中で、割合シンプルだけどかなり難しいことを、次の句にこめている。 (誰かの句ではなく、自分の言葉です。なんとなく『雨ニモ負ケズ』っぽい?^^;)

ほめられたとき
おだてられたときに
素直に
喜べる人になりたい

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