今年の目標  (2003.11.13)

 小学校一年か二年の時、年明けに「目標」を書く宿題があった。
 それまで、落ち着きがない、と良く注意されていたので、「今年は落ち着きをなくす」と書いた。
 当然、母上に訂正された。
 正しく表現しているつもりだったのだ。(^^;

そういえば、家族のことを書く宿題で、「おじいさんは目が遠い」と書いたことも…(遠視かよ!)

感動の押し売り  (2003.11.15)

 どうも今の世の中には、感動をありがたがる風潮が大きすぎる気がする。ありがたがるというか、感動したがるというか。マスメディア側にも、無理矢理感動させようという卑しさを感じる。
 ドラマや映画ならば、それで正しいと思う。役者や作家だって、観る人や読者を感動させたいと思って製作するのは当然だと思う。ただ、ここでおかしいと言っているのは、ノンフィクションやドキュメントに関してである。

 特に、20数時間テレビのやり方は、個人的には好きじゃない。このような内容でこのように進行すれば、視聴者を感動させるという方程式がわかっていて、それで感動を押し売っている姿勢が見えるから。
 この辺に関しては、そういう見方をするのはひねくれている、と言われるかもしれない。そもそも、その番組のための予算をかけた大キャンペーンはなんなんだ?と感じてしまうし、おそろいのシャツや、その他諸々にかけた費用を募金にまわしたら、相当な額になるだろう?とも、いつも思ってしまう。
 募金額そのものよりも、1人でも多くの人が参加することにも意義はあるのだろうけど。どうせやるなら、民放各局共同でやっても良さそうなのに、まるで対抗するように番組を作っているのも…。
 まあ、この辺は偏見で書いていることは断っておきます。それらの番組を、一度もちゃんと観たことはないからです。

 勝手な考えではあるけど、ノンフィクション、つまり事実を伝える場合は、プロデュース側が観る人に感動を与えようと言う作り方は、邪道だと思っている。伝える側は作為を廃し、事実をなるべく脚色しないで伝える義務がある。真実を伝えたあと、視聴者の考えにゆだねるべきだと。
 観る側も、感動するノンフィクションを観たがっているのはわかる。世の中が荒れて、乾いた心を潤したいという気持ちもあるだろうけど、安易なモノで感動してしまうという浅さもあるには違いない。

 中学2年の頃、東京のラジオ局のニッポン放送がキー局となって、萩本欽一氏をメインパーソナリティーにした「ラジオチャリティ・ミュージックソン」というのが放送された。目の不自由な方々に対する支援のために募金を募る24時間番組で、クリスマスイブの正午から翌正午までの番組だった。今でもパーソナリティーが代わって、続いているのだろうと思う。ラジオやテレビで、24時間番組というのが広まったのは、これがきっかけだと記憶している。
 自分も共感し、確か数百円を銀行から募金しましたねえ。
 そういえば、当時はどうだったか忘れたけど、銀行からの振り込みで募金をするときでも、しっかり振り込み手数料は取られるそうですねえ。小さな子供が、わずかなお小遣いを募金しに行って、その金額より高い振り込み手数料を取られたという話を聞いたことがある。何考えてんだか?銀行さん。

 さてそのラジオ番組は、2~3年ほど聴いていた。その後聴かなくなったのは、当初の感動に慣れてしまった、という事ももちろんあったのだけど、なんか方向性が違ってきたんじゃないのか?と感じたのだと思う。
 最初の頃は、目の不自由な人たちのおかれている状況を、たくさんの人に伝え、一つでも多くの音声信号機を設置したい、という強い思いを感じた。そのために一生懸命に呼びかけているのを感じた。まぁ、その後も、一応ポリシーは同じなのだろうけど、何となくそこに感動を与えようというニオイも感じたし、登場する芸能人の選別や登場の仕方にも、営業的なモノも感じた。
 聴く側が、最初の感動に慣れて離れていってしまうのを、引き留めるためにエスカレートしていく、ということでもあるのか?また、視聴する側も、感動するために作られたそのようなモノに、感動するのが血も涙もある人間だ、みたいな精神的な強制も無いだろうか?

英語の教科書  (2003.11.17)

"Is that a horse?"
"No,that is a flower."

とか、

"Her name is Kate.
She is a girl.
She is a teacher."

とか。

 初めて授業で英語を習ったのは、中学一年だけど、教科書に書かれていた例文には、上のようなモノもあったでしょう。
 こんな尋常ではない会話が不自然でない地域があったら、是非メールでお知らせ願いたい。

「友達」と「親友」  (2003.11.19)

 小学校中頃だったと思う。授業の中で、「友達」と「親友」の違いは何か?をクラスで考えさせられた。
 おおかたの定義は、「友達」は「時々遊ぶ仲間」で、「親友」は「良く遊ぶ仲間」といったモノだった。「時々」と「良く」の違いも、「良く」はほぼ毎日で、「時々」は「2~3日に一度か、それ以上の日数に一度」という感じでした。

 考えてみたら大人だって、この違いをちゃんとわかるように定義できるだろうか?何となく、違いを認識しているのだと思うけど。ましてや、小学校中頃の年齢では、語彙や概念の少なさもあって、なかなかピンと来るような定義は難しい。
 お互いのコミュニケーションの道具が、「遊ぶ」と言うところに置かれていたのもおもしろい。遊ぶという言葉の中には、単純な「遊び」だけではないモノも込めていたのだと思う。

 そのくらいの年齢では、語彙や概念がきちんと確立しているわけではないから、うまく表現は出来ないでしょう。でも、あえてそれを考えてみるというのは、とても良いことだったと思う。
 その時はどういう結論が出たのかは、全く覚えていない。というより、教師側からの結論じみたことなどは出さず、あえて集約した結論も出さず、これからも考えていくきっかけを与えたのではないかと思う。
    
 近年ありがちな、「友達は何人いるか?」とか「好きな人と嫌いな人を書きなさい」なんてロクでも無いのに比べたら、はるかに有意義ですね。
 小学校に上がるときの定番の歌で「友達100人出来るかな?♪」等というのは、少なく深くつきあうタイプの子供には、突き落とされるような歌ではないのか?

FAX用紙  (2003.11.21)

 以前、知人との電話で。
 いったん切ってから、ファックスを送るという事になった。ところが先方は、ファックス用紙を切らしているという。

「あ、でも、そっちは紙があるんでしょ?だったら、一緒に送ってくれるわよね。」

そ、そりゃぁ、大発明だ;;;

おいおいまったく;;;  (2003.11.23)

 良くモノを置き忘れる。物忘れをするようになったわけではない。元からなんかアホなのだ。

 細かい物忘れは、目立たなくて気づかないのかもしれないけど、目立つモノ忘れは、例えば、しっかりとメモをして、忘れないようにしっかりと置いておくと、それをしっかりと忘れて行く。財布や鍵、携帯なんかと一緒に置いてあるのに、しっかりとメモだけ忘れて行く。また、これは大事だから、忘れないようにと特別に仕舞うと、いつもしまわないところだから、もうどこだかわからなかったりする。

 何なんだ?と思うこともある。例えば、財布をどこかに置き忘れたとする。部屋の中にあるのは間違いないとわかっていても見つからない。普段、置くようなところをくまなく見ても、全く見つからない。いらいらして、探しまくり、何気に目をやった場所にあったりする。
 どう考えても、そこに置くとは全く考えられないところに置いてあったりする。これはもう、どう考えてもわからない。座敷わらしのいたずらと考えないと説明もつかない。でも、自分で置いたのだというのは察しがつく。やりかねないから。

 大事なモノなのに、それを持っててちょっと自分の位置を変えたときに、そのまま手をついたところにひょいと置いてしまったりもする。そうして、また探し回ることになる。

 大事なものと言えば、どうしてこうなる?と言うのも多い。以前、竹炭をもらって、何かを作ったら?と言われたので、それに白で絵を描いて売ろうか?と描き始めて見た。まず、簡単に洗って、新聞紙を敷いた床に並べた。うっかり壊してしまわないように、その上に新聞紙を重ねた。すると、大事な竹炭は見えないので、何気にその上に足を乗せてしまって、大量に踏み割ったりした。

 木工で、細かい部品を作っていて、木片が机にあふれたので、その小さい部品はちゃんと横にのけといて、ちゃっちゃっと掃除をする。そうすると、机の上はすっかりきれいになってしまっていることが多い。横にのけた部品もそのまま一緒にはいてしまうからである。大きな燃えるゴミのくず入れの中から、慎重に探すことになる。

 我ながら「何でこう馬鹿なんだろ~な~;;;;;;」と嘆くことしきりである。

二年越しの・・  (2003.11.28)

 今週、東京・飯田橋で開催中の新作個展。毎年この時期に必ず開催しているため、この時期の区切りのイベントとして心に留めていただいている人も多いようです。
 いま、このHP上でも公開中の「絵草紙・石の唄」。公開したのは、昨年の個展直前でした。昨年の個展には、本の体裁にまとめたかったのだけど、何とかぎりぎり間に合った形でした。そして個展では、一冊の見本を作ってお目見えさせることが出来た。

 昨年の個展開催中、1人の初老のおばさんが入ってきました。それまでも毎年同じ場所で個展をやっていて、何度か入ってきた人だと思う。何となく見覚えはあった。そして、「石の唄」を手にとってゆっくり見ていた。
 「これは売ってないの?」
 残念ながら、やっと一冊作るのが間に合っただけだし、手作りで作って売ると言うことは、その時には考えていなかった。
 「残念ねえ、もし売ってもらえるようになったら教えてね。」と言って、芳名帳に連絡先を残して行きました。

 年が明けて2月に、行きつけの画廊喫茶でも同じ作品での個展を開催。そこでも、「石の唄」の見本を置いていた。結構評判もいいらしく、マスターも「これ、とてもいいよ。作って売りなよ」と言うので、手作りしてみることにした。
 すぐに例のおばさんの事が頭に浮かんだが、「売ります」と連絡をするのも、気が変わっているかも知れなし、押しつけることになるかも知れない、と気が引けてしまっていた。どっちにしろ秋になったら、おばさんが来てくれた場所で個展をやることは決まっていたので、そこに呼ぼうと思った。

 その個展から一年後の今回の個展に、おばさんはやって来た。ちゃんと、あの本を置いていた個展だと覚えてくれていた。入り口で挨拶して、「今度はあの本を売ることが出来ます」と言うと、おばさんは納得した顔をして、本を眺めた。ひと通り、ギャラリー内の作品を眺め回し、本を置いてある場所を離れ、そこに気持ちがない雰囲気だったので、忘れたか、それとももう気が変わったのだろう、と思った。しかし、おばさんは再び本の元に歩み寄り「これ、頂くわね」とお金を出した。

 偶然にも、その場には「石の唄」の文作者である女性が来ていた。いきさつを話すと、そこまでして欲しいと思ってくれていることをとても喜んだ。そして、目の前で自分の書いたモノを買ってくれるのを見て感激し、おばさんに「あ、ありがとうございます」とお礼を言った。
 「去年、売ってって言ったのに、売ってくれなかったんだもの」とおばさん。
 昨年の個展でやり残した事が、二年越しでやっと成就された。

個展開催に思う  (2003.12.1)

 今年も、秋恒例の新作個展を無事に終了しました。通算32回目の展示会(個展は20回)という、我ながらやりもやったりという数です。著名でもないのに、これだけの数をやってこれたというのは、やはり観に来て支えてくれる大勢の人がいるからに他なりません。前にも書いたことだけど、これはきれい事を言っているのではなく、現実問題として、来てくれる人がいないと成り立たないのだし。

 展示会というのは、通常1週間ですが、あっという間です。初日、二日目くらいは、まだ始まったばかりという気持ちでも、すぐに中日になり、あっという間に最終日になる。特に個展の場合、作家として、来てくれた人を相手にするのは自分一人。まんべんなく訪問がなされた場合は問題ないけど、まったく違う分野やグループの人たちが同時にくると、それはもう大変。同時には応対できないので、それぞれに気を使うことになる。ただでさえ、1日に何十人も会うので神経は敏感になってるのに、そういう状態が続いた日は、帰ったときには神経が逆立っている。いら立っているとかいうのではなく、神経が敏感になりすぎているというか・・・。
 幸いなことに、自分の個展に来てくれる人たちは、割合そういう場合でも、お互いに打ち解けてくれる場合が多いので助かっていますが。

 最終日には、やはり駆け込みでやってくる人は多い。そして、終わりの時間が近づくと寂しくなる。自分の場合は、秋の新作個展は、ひとつのイベントになっているので、ああ、今年の個展も終わっちゃったか・・・という感じですね。

 始めて展示会をやった9年前は、もう神経の使いっぱなしでした。来場者があればあったで、それが飛び込みの知らない人であっても、作品を見てどう思っているのか?がとても気になった。もちろん知った人が来ればそれなりに気になる。会場は1階で、道行く人がよく見えるのだけど、当然の事ながら、入らずに過ぎゆく人の方がはるかに多い。そういうのも、入る人の方が少ないと気になったり。
 でも、2回目からは、それらのペースがよくわかっているので、ほとんど気になることもなく一週間を過ごせるようにはなった。
 展示会は慣れているので、片付けは会場の持ち主が驚くくらいの早業である。そして、かなり遠方でなければタクシーに積んで帰るのだけど、ほぼ虚脱状態ですねえ。

 展示会を開催する目的というのは、作家それぞれであろうと思います。自分の場合は、「知ってもらう」という目的です。自分のやっていること、描いているものなどを知ってもらう。そこから、何か広がりがあるのが一番良い。だから、作品は売れても売れなくてもいい。そりゃ、最低赤字にならない程度には売れたほうがいい。でも、たとえ完売したとしても、それでおしまいだったら意味はないと思っている。そういう個展は意味がないのではなく、自分の目的の場合はそうなのです。
 売れるか売れないかではなく、そこから人なり仕事なり、その他いろいろなつながりが生まれることが、自分にとっては大事なのです。そもそも、額に入った絵がまったく売れないこのご時世だし、自分の絵は基本的に売れるタイプではないと自覚もしているし。

 秋の個展は新作出品の恒例行事です。もうすでに、来年の同じ時期にやることは決まっています。今回6回目(6年目)のライブをやってくれたお二人も、すでにそのつもりでいてくれています。ありがたいことに、この時期の季節行事に考えてくれている人も大勢います。また、そうやって設定しないと、なかなか自分での新作を描かないという怠け者でもありますので。^^;;。

番組製作のポリシー  (2003.12.3)

 日テレの視聴率操作で再び議論に上るようになったが、相変わらずテレビ番組製作の、レベルの低さが目立つ。
 前にも書いたことだけど、特にバラエティーでの製作者側の甘えは目に余る。タレントたちの、楽屋話の垂れ流しに過ぎないような番組のなんと多いことか。
 ドラマにしても、内容よりも誰が出てるかが一番の問題でしかないでしょう。結果、観る対象は限られてくる。あるコメンテーターが言っていたが、今のテレビ番組は、家族みんなで観て楽しめるものが少ないと。それぞれの番組をおもしろいと思う世代とかが違いすぎると。

 バラエティーにしても、出演タレントと共演者の関係や、楽屋ネタ、またそれ以前のエピソードを知らないと面白くもなんとも無い物が多すぎないだろうか?こういうのは、明らかに製作側の手抜きでしかないと思うのだが。
 初めて見た番組でまともな芸人の芸を楽しめるものが、あまりに少ないのでは。

 お笑い系というのは、決してバカではできない商売であるはず。はっきり言って、今はバカが芸能人になりすぎのような気がする。また、製作者側が、ポリシーがなさ過ぎるというのが大きいでしょうね。
 先日の、ダイエー王監督を侮辱するコントが放送されたのも、倫理観のなさもさることながら、作る側のポリシーのなさを慮実に示しているケースでしょう。ポリシーもなにもないから、二流芸人の低級なネタを、平気で電波で乗せてしまうのだろうし。基本的に、誰かを貶めることで笑いを取るというのは、レベルの低いやり方には違いないでしょう。たまにはそういうものだってあってもいい。たまには、、、。
 なんだか、あちこちで言い古されたことなんだけど、もう他に言うことがありませんねえ。だったら、テレビなんか観なければいいだろ!と言われるのがお約束ですが、ハイ、そういうアホくさい番組は観ておりません。

 放送のハードの面の進歩には目を見張るものがある。チャンネルなどの選択指もドンドン広がっていく。でも、毎度言われることだけど、ハードの進歩に反比例して番組というソフトのレベルは落ちていく一方。今回の視聴率操作が、その辺りをしっかりと考え直すターニングポイントになることを願う。無理だろうけど。

セキュリティシステム   (2003.12.5)

 以前、某大手警備会社の、社内体操を作る仕事の手伝いをしたことがある。仕事にふさわしい体操を作るため、警備の仕事の現場も見学した。夜、無人の銀行の中を見回るのについて行ったりしたのだ。監視カメラには、警備員について回る、正体不明の輩が数人映っていたことでしょう。

 警備員の仕事は、不審者を見つけた場合、いち早く通報することであって、決して捕まえようとしたりしてはいけない。そういうのは、ただのスタンドプレーであって厳重に注意を受ける。

 さて、うちの同じ地元に、その会社の会長が住んでいるらしい。もちろんその会長の家には、自社の強力な警備センサーが付けられている。
 しかしまもなく、もちょっと鈍感なんセンサーに換えたという。なんでもセンサーが敏感過ぎて、風が吹いただけで警報がなってしまったとか。

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