2001年から2010年まで9年弱に渡って母上を介護して、その後5年狭山の介護病院でお世話になりました。

徐々に軌道に?  2010.2.9

 本日は、世田谷区の福祉事業部からのボランティア訪問で見守りをしてもらった。いや、おいらではなく母上をである。ただし10~12時の二時間なので、昼飯を食べる時間も含めて慌ただしい。
 午後は、近所にいつの間にかできていた機能訓練専門のデイサービスの体験訓練に参加させてみた。本当はいきなり本格的にやらせたいのだが、先方もどの程度訓練を受け入れるかとか、いろいろなものを診たいし、母自体も行くのをいやがらないかという問題もあるので、とりあえず体験と言うことで、通常4時間近くのところを1時間半の体験。トレーニング機器を使うのは初めてだし、いきなりそんなところへ連れてこられて戸惑ったみたいだし、訓練自体も久々に本格的に動かしたのでそうとうつらかったと見える。  でも、リハビリの先生たちも「歩けるようになるまでがんばりましょう」と励ましてくれるし、こちらも「訓練しないと二度と歩けなくなるよ」と脅しているので、ちゃんと行くだろう。というより、つらかったけど「もう行きたくない」とは一言も言わなかった。今週から毎週金曜に正式に通うことになり(13:45~17:00)、デイも木曜からに決まっている。そのデイも入浴できるメリットがあるので、火曜も行かせる事にして、週二回にする。ただし、月末にはショートステイに行っていて、金曜は訓練できないのでそのときは火曜に振り替えてもよいという。で、来週火曜は病院への定期通院なので、正式に火、木にデイに通うのは来月からになる。そんなこんなで、一通りの体勢が整いつつあるのだった。
 今現在は母の介助が大変だが、それらの施設をフル活用することで、かえって先月までより自分の時間が増えることになるのだった。ん~、わからないもんだ。

 一応自分はイラストレーターをやっているが、単純作業以外の本格的な部分は、母上が寝床に入ってくれる夜の9時以降にやっていた。今は寝てくれた後は、こちらもクタクタになっていて、精神的にも余裕がないので、二つほど依頼をいただいた仕事を辞退してしまった。普通それなりの著名作家でなければ、一度断ったら次はないだろうけど、しょーがない。プロのイラストレーターのつもりなので、どんな条件の時でも最低でもクライアントの要求水準のものを出しているが、今回は作業自体ができる自信がなかったのだった。ま、しょーがない。なんとかなるだろう^^;;

 しかし、今月来月と、月間予定表の記述は母上関連の事ばかりだぞ。侍従になったつもりはないのだが。

ディサービス初日  2010.2.11

 まだまだ全然、適切な介助法を知らないせいもあって、とにかくトイレ介助がものすごく大変。イスからポータブルトイレに移すだけでも重労働なのに、その無理な体勢でズボンとリハパンを下ろしたり上げたりしなければならない。(ちなみに体操着などの下をトレーニングパンツと呼ぶが、あれは英語では赤ちゃんのおむつのことらしい^^;)

 ただでさえ一人でそれをやるのは大変なのに、手すりやらをあっちこっちつかんで離さず、自分で立つ力も気力もなく、日を追うごとにこちらの身体への負担が大きくなる。やっとの思いで座らせたときには、今夜は「うぁ~!!!」と大絶叫してしまった。腰や背中がつらすぎて。隣には壁がお互いにあるので大丈夫だろうけど、表に人がいたら聞こえてたかもしれん。そのうちに腰をやりそうな気もするが、意外にも以前からの腰痛は治った^^;自分がよくかかる腰痛は、腹筋と背筋の運動不足によるもので、適度な腹筋背筋で直ったりする。骨盤に乗っている背骨を腹筋と背筋が支えているので、その筋肉が弱っても腰痛になるみたいなのだ。だから、ただのマッサージや針治療や妙な神秘エネルギー治療なんかは効きもしない。原因を見当違いしているから。でもかわりに腰の筋肉痛になっているので、いつまでも続くとこちらがやばい。
 幸い今週から普通のデイとリハビリデイに行き始めるので、気力も戻って介助もしやすくなるとは思うのだが。骨折した肋骨はまだ完治して折らず、きつくコルセットをしている。そのせいで現れている認知症の症状もあるかと思う。それにまだあちこち痛いので、それのせいもあるだろう。足首の靭帯を痛めて歩けなくなったのだが、そちらはもう包帯がとれ、あとは弱った足の筋力をトレーニングしていくのみか。

 やっとまともにいってくれそうなデイに先週の木曜から行くはずだったのが、転倒して精神的にも鬱になって行けなくなって一週間。明日はやっと行けそうな感じでちょっとは安心してきた。そのために、ベッドから落ちないように、簡易的な落下防止の柵(幅30cmくらいのを二つ)と、ベッドから降りてまた余計な転び方をしないように、床センサーも借りた。これで万が一明日行けないとしたら、風邪をひいてしまうという事態か。でも介護を始めてから母上さんは、風邪をひいたことがないような。
 しかし、、夜更けに不安に思って見に行ったら、布団をはいで寝ていた。おいおいおいおいおいおい!!!!
 急いで布団を掛けに行ったら、目を覚まして何事だ?と反応していた。まったく、本当に風邪なんかひかれてたまるか^^;;布団の四隅をマジックテープかなんかで留めたろか。そういえば、先日も横向きで寝ていて、身体の後ろを布団から丸出しにしていたが、何ともならなかった。

 デイの車は朝9時半に迎えに来た。本人に行くことは何度も伝えており、それなりに納得もしていたが、ほぼ意識朦朧の状態で護送されていった。ショートステイ利用以外では久々に長時間の自分の時間を過ごし、4時5分の予告通りに帰宅。一週間ぶりにお風呂に入れたこともあってか、朝よりは起きている感じであった。「また来ますよ」と自分で言ったという信じられない話も聞いた。や~~~~っと、デイに関してはひとつクリア。かなり安堵した。

 帰ってからもやはり半分寝かかっているような状態だが、自分でまんじゅうを食べたりしていた。時間がたつにつれ、また昨日までの状態に戻り、また今夜から大変だと思ったが、一筋の明かりも見えたし、明日はリハビリ専門のデイサービスに行く。回復に向けてのレールも整った。当初は、まず週一回に慣れてから週二回に増やす予定だったが、今の状態になってから、最初から週二回のデイ利用(リハビリデイを入れて三回)にした。でも本人は完全に納得しているようで、居心地も介護士たちのケアもよかったのだろう。

 久々に安堵した1日であった。でも、今夜や明日の朝、また怒鳴ったり身体がつらくて雄叫びをあげるやもしれぬが^^;

強すぎた被害者意識  2010.2.?

 昨日、デイサービスに行って、ほんの若干の回復があった。自分で箸を持って食事をすることが少しはできるようになったことである。でも途中からストップしてしまい、あとはこちらが一口一口食べさせなければならない。おなかがいっぱいとか食べたくないというのではなく、何をどうしてよいのかわからなくなるのかも。寝る前に7種類くらいの薬を飲むのだが、それを飲むのは困難を極める。まず自分で口に入れられないので、ひとつずつ含ませても口でモゴモゴやっているだけで飲み込まない。そのうちに口で溶けてきたり、くちから出てしまったり。コップやすい口などを使って水を飲ませても、その水に錠剤が逆流してきたり。なもんで、昨日はご飯を一口ずつ食べさせているときに、少しずつ薬を混ぜ込んでみたらうまくいった。そんな飲ませ方がよいのかどうか知らんが。

 今朝は起きてまずベッドの横のポータブルトイレに座らせるときからが戦争である。本人は寒いから布団をはぐなと言い(部屋は暖房している)、抱き上げて向きを変えさせたりズボンやたっぷり尿を含んだ紙おむつを脱がせるときも、ひどいことをしているようにののしられ続ける。聞き流すのがこの場合のルールなのだが、もう今朝も我慢ができずに怒鳴りながらの攻防となった。途中で「じゃもう死んでくれ!」とまで言った。最近時々言うのだが、半分以上は本音である。今朝は気圧も低く天気も悪いせいか、本人の精神状態も悪い。朝から怒鳴られているから、ますます悪くなる。でも嘆いているのではなく、うつらうつらの状態なのだけど、認知症の難しいところは、そういうのがそのままの状態を表しているのか、怒鳴られたのが影響している(おそらくそう)のか、はたまた身体のどこかの不調を本人がうまく自覚できずに、違うおかしな言動になっているのかの判別が困難なところである。プロの介護士は鋭い観察でそれを見極めているようだ。
 こちらも毎日朝からクタクタで、昨日は久々に休めたけど、明日午後から月曜の朝まではずっと一人で付き合わねばならないことを思うと憂鬱になってしまったこともあるかも。

 でも、こんな状況をずっと黙々と介護している人の方が遙かに多いわけで、それに比べたら自分は短気というか辛抱がないのかなぁ、とも思うし、いいわけをさせてもらうとすれば、今までが介助自体はたいしたことなかったけど、8年あまりも1日も休まず(介護から離れる日がなく)、その長年のストレスがたまっているから、最近の一気に大変になった状況で爆発してしまうのかなぁとも思ったり。でも、爆発は反射的なものが多く、いつまでも続けているわけではない。逆に本当は爆発したいのにじっとため込んでため込んで我慢している人の方が、精神的に危なくなるのかもなぁ。

 昨日の夜は今朝と似たような状況でも、特に腹も立たずに対処ができた。おそらく1日休んで余裕もできたのだろう。よいデイならば、認知症の状態を理解して適切なケアをしてくれて本人も落ち着き、いろいろな面で回復も見られるので、デイなどに行ってもらうのは本人のためにもなるし、こちらにも必要なことだと改めて実感した。送り迎えの車の運転をしていた職員のおじさんも介護経験があるのか、介護家族の心情をとても理解している雰囲気が感じられ、定期的にこうやって休めるというのがわかっているのは気が楽になるし、お互いに離れる時間も必要なんですよね、と言っていた。

 今日は午後から3時間半のリハビリ専門デイの初日。先日一時間半の体験をしたところである。うつらうつらしているのを「でかけるよ~!おきろ~!」とマフラーとコートを着せ、我が家から歩いて3分程度のところにあるデイへ出かける。表へ出ると、しっかりと意識も顔も起きている。終了して皆をミニバスで送り出すのが4時45分なので、その時間に迎えに行く。一応5時まででもよいのだが、一人取り残されると相当不安になると思うので、その時間に来てくれと言われていた。前回よりかなり長時間で疲れているはずなのに、のんびり過ごしてきたような顔をしている。

 さて、帰って来るとやはりまた意識朦朧のような状態で、介助する僕には悪態をつく。認知症を背負った人を怒るのはタブーに近い。怒られたことは忘れても、そのときなぜ怒られたのかわからないし、悪い印象と感情は残るから。でも、今日もさんざんきつい態勢で介助して、しかもポータブルトイレに座るのに間に合わなくて、少々床に漏らしてしまっていた。ちゃんと座らせながら、ズボン、靴下、紙おむつなどを交換し、同時に床も拭いているのだが、介助されるのがまだ痛いし、あちこちつかんで手を離さなくてどうにもならず、「だからそこの手を離して!」などの強い口調になったりする。
 母上は、何でそんな乱暴なことするの、何でそんな乱暴な言い方するのと非難の言葉をこちらに浴びせ続けるので、これまた心身がいっぱいいっぱいの状態で上記のことを処理していた自分はまたキレた。「だったら早く死んでくれ!」「他の人に世話してもらえばいいだろ!!」と、最近は絶叫のごとく怒鳴る。ちなみに前述の悪態をついているときの母の目には敵意が見えたから、いままで何度も怒鳴っていたのがやはり悪い印象としてたまっていたのか。そしてそのうちにこちらを自分に危害を加える者とみなすかもしれない。
 この時点で、もう自分は限界だと思った。いつ間違いを犯さないとも自信がなくなってきた。母も壊れてきているが、自分も壊れてきているのを自覚してきた。友人は僕に関しては、介護を休める機会が増えるので、休むときと介護をするときの波が大きくなったから、一時的にキレやすくなっているのだろうと言ってくれたが、正直怖くなってきた。

 そんなことをケアマネに相談するメールを送ったところ 「お母様は1月22日からの自分に降りかかってきているものの状態を理解するのが大変になっている上に、今までのんびり自由に自宅で過ごしていたのが、ショートやデイなど集団生活が始まったので戸惑っているではないでしょうか。お母様は良一様が家族なので、遠慮ない言葉を発してしまうのです。だからと言って介護している良一様がいいよいいよって笑っていられる状態でない事も判ります。」
と指摘してくれた。

 そうなのだ!環境を変えるというのは、認知症を誘発したり悪化させたりするのを忘れていた。最近認知症についてちゃんと理解するべく本を読みあさり、そのことは何度も書いてあって人にも言っていたのに、自分が忘れていた。
 家での世話は大変になったけど、今まで失敗し続けていたデイの利用に成功して有頂天になったり、デイなどいろいろなモノを利用することで、かえって自分が介護を休む時間が増えることに気を取られていて、それが母上を取り巻く環境を大きく変えて混乱させていたことを忘れていた。そしていかにも自分が被害者のような心情になっていた。かといって、今の態勢にすることは母にとってもこちらにとってもしょうがないことではあるのだけど、母にはかわいそうな通過点になっているのは間違いない。
 そのように気づいたら、介助する気持ちにも少し余裕ができて、同じような大変さや同じ言葉を繰り返されても、でもつらいのは母上の方なのだと思えるようになった。自分は一人で介助するのに身体がきつい程度のモノである。相談したり助けてくれる友人やプロもそろっている。
 認知症の人には介護者の状態が敏感に伝わる。本当に優しく思ってくれているのか、嫌々やっているのか、精神が不安定なのか落ち着いているのか。自分は本人のためを思ってやってはいても嫌々やっていた。なにしろこれがいつまで続くのかまったく見えないから。
 上述のように気づいて、先ほど本日最後のトイレとベッドへ移動の介助をやってきた。何を言われても腹も立たず、不思議に母も「痛い痛い」は繰り返すが、無用な抵抗や悪態などはなかった。こちらが落ち着いた気持ちで介助しているのがわかるのかもしれない。と、今日はそんなところだけど、明日はまた元の木阿弥ということもあり得る^^;;

 ところで、最近は連日、時には1日二度も長い文章を書いて、仕事をしていないのか?と思っている人も多いのでは。その通り仕事をしていない^^;;こちらにしてもあまりに現状の変化が多く、手続きや連絡や介護用品を買いに走り回ったり世田谷区の福祉事業部へ行っていろいろな申請をしたり、家に帰れば母の介助や見守りばかりでクタクタになり、仕事の依頼もいくつか断ったりしたので、数週間上記以外のことをしていない。仕事意外でも絵を描いたりしていたのだが、今はとてもそんな気分もエネルギーもない。せいぜいこの場で書いて発散している程度なのであった^^;;

 そういえば認知症というのは非常にわかりにくい症状なのだが、いろいろ不思議なこともある。それまでは今の家がどこだかわからず、気持ちが不安なときは「早く帰ろう」を繰り返したし、テレビを見ても誰が誰だかほとんどわかっていなかった。それが今は混乱してうつらうつらしているのに、寝ているというわけではなさそうで、テレビの音には敏感に反応したり、出演者を見ると前は聞かないとわからない芸能人の名前がよくわかってたりする。「家に帰ろう」と言い出さないのは、それよりも混乱の方が大きいからか。

背中も泣いている  2010.2.13

 今朝は、起こす(というよりは目は覚ましている)時やポータブルトイレに座らせるところまではいつもと同じ様子。でもそれ以後は「ちょっと待って、ちょっと待って」の連発でそれしか言わず、まったく意思の疎通もとれない。気圧が低く天気が悪いのも影響しているだろうが、頭が混乱しているのが続いていて、それが今日は強くて、何が何だかわからないから待って、と言うことか。認知症を抱えた人の言動には、特に医者にとってはただの無意味な妄想妄言が多いかもしれないが、本人にとっては本人なりの理由があっての言動であることが多い。

 昨日の気づきで、今朝はそれなりに聞き流したり、母君の本当の意向を推察しながら朝の介助。トイレに座らせたものの出ないので、そのまま普段着のズボンに履き替えさせ、混乱したままでどうにもならないので、抱えてイスに移す。トイレ介助で腰と背が悲鳴をあげたまま抱えて座らせ、今までイスを引っ張る。あまりに背中と腰がしんどくてその後は隣の部屋へ行って床に倒れ込んでしまった。一時的ではあるが。週三回往診にくる整骨院の先生に「今度は僕がそちらに通いますよ」 「はい、お待ちしてます」と言っていたが、短い外出時間をあれこれの用事で忙殺されているので、とてもそんな時間はない。家庭用の電気治療器を使ってしのいでいるくらいのものである。肩や背中、腰あたりはかぶれやすいので湿布などは使えない。貼るとかぶれの方がひどくなるくらいである^^;

 利用している介護事業所の用品部の担当の方に頼んで、昨日音声モニターを持ってきてもらった。こちらが二階にいても下の音がわかるやつである。意外にこれが普通に売っていない。以前はハンズでそういうのを買ったことがあるが、今はどんなところへいっても売っていない。ネット通販にはあるが。しかも「聞こえまchu」という赤ちゃんの声をお母さんが台所などでモニターするやつである^^; そういえば、ポータブルトイレの消臭剤や有名な紙おむつさえ、近くの大きなドラッグストアでは扱いをやめている。介護用品はこれからどんどん必要になっていくはずなのに、どこもその傾向が強い。なんなんだ?

 さて、母上のそういう状態の時は悪くいえば放っておく、よく言えばそっとしておくのが一番なのが経験上からわかっている。しばらくすると「ちょっと待ってちょっと待って」が静かになっている。見に行ってみると、用意していたホットコーヒーを半分飲んで寝ていた。ドアを開けると起きて、少しは落ち着いており、テレビにも反応して少し陽気にもなっている。
 朝はいつもインスタントコーヒーとパン(蒸しパンの類)を食べるのだが、これも小さく切って薬を仕込んで食べさせる。時間はかかったが完食である。ちなみに薬をちゃんと飲み込めない人に、食事に混ぜ込んで一緒に飲ませてしまうのは、ヘルパーさんに聞いたら、それが正解だそうだ。

 また二階へあがって、様子を聞きながらこのブログを書いていると、「ちょっと待って」を時々いうが、あとは静かになったり「あふぁあふぁ!」と時々わめく。これだけ聞いていると完全錯乱状態と思われ、精神科や認知症外来に連れて行ったら強制入院だろう。でも、こちらの見立てでは、自分を取り巻く環境の激変に順応しようとしている段階で、逆の禁断症状みたいなものか、と思えたりもする。文字通り「見守り」の必要な時期か。でも「見守り」は「介護ではない」という厚労省の馬鹿役人が決めたと思われる現在の改悪された介護法で、ヘルパーさんにそういう見守りを頼むことはできない。できるのは福祉事業所などから派遣される、ボランティア介護の人。介護保険を使わないから。厚労省をかばうとすれば、そういう見守りなど諸々の介助を悪用して、ヘルパーさんを家政婦代わりに使う利用者が多かったための対策でもあるらしい。もちろん財政が足らないのが一番だけど。でも、一部の悪用者のために、その他の本当に必要な人たちを巻き込むのはどうなんだよ。何度も書くけど。

 今の母上に関しては、認知症の人の言動をそのまま受け取ってしまわないで、聞き流すのも大事なのだが、ただ聞き流すのではなく、その様子を見守って変化になれて落ち着くのを待つしかない時期なのかと思う。

山場の日曜日  2010.2.14

 何が山場かというと、ただでさえ日曜は訪問者はゼロで、自分も介護当初から日曜だけは家にいるようにして、昼飯に連れて行くようにしていた。以前は外食は面倒で、京樽などで買う弁当がよいと言うことが多かったが、ここ一年ほどはほぼ外食している。何度も書くように、下北は飯屋はそれなりにあっても、車イスでは利用不可能な店が多いし、足がおぼつかない人をわざとこられないようにしているようなデザインのエントランスの店も多い。

 さて今日は、朝はいつもと同じ7時半頃にベッドから脇のポータブルトイレに移す。起き上がらせるのも痛く、なおかつ抱えて向きを変えさせたりポータブルに座らせるのもおおごとである。座らせている間に、たっぷりと含んだパンツ型の紙おむつを替えると同時に普段着のズボンを膝の下まで履かせる。
 明日は変則でデイに行くので、リハビリの整骨の先生は本日の午後に来てくれた(年中無休の整骨院)。足はほぼ治っている。先生が何も聞かずに患部を押しても何も言わず、「ここはどうですか?」と聞くと「とても痛いです」というので、ようするにただ痛いと言っているだけなのだ^^。
 ただ、まだコルセットを巻いている胸回りが痛いので、介助でどうしても脇に手を回さないといけないのが本人には苦痛になる。それでいつものように「半殺しにする気かぃ」「そんなに殺したいんか」と口癖のように繰り返すが、一昨日までならまたキレていたのは間違いない。でも、先日書いたように今の母上は混乱に耐えている時期なのだと思っていると、なんでもなく聞き流せることも出来、そういうのを感じるのか介助への抵抗も弱く、また今日は考えたわけではなくいつもとは違う体勢で介助したのが良くて、それほどしんどくもなかった。
 本日の母親が繰り返している言葉は「全員集合」である。以前から夜に時間を聞かれるとき、8時前後のことが多く「8時だよ」「全員集合かい」などと言っていたので、今朝起きて一通り落ち着いてコーヒーを出したときが8時くらいで、それから「全員集合」を繰り返している。オバQの弟のO次郎が「バケラッタ!」ですべてのコミュニケーションをとっているのとは訳が違うが。もちろん、錯乱して「全員集合」と言っているのではなく、家族しかいないからではある。

 本日は下北沢北口の中華の日高へ行った。ここは良く連れて行く。段差はあるけど一つだけだし、イスをどけて車イスで食べられるスペースもゆったりして、味もそこそこなので。
 もちろん、外出中に「全員集合」などと繰り返してはいない。表に連れ出すと、家にいるときのうつらうつらした感じはなく、以前のように普通にしている。自分は鶏の唐揚げ定食にしたが、母君は量がほどほどのものがよいし、いろいろ品目が多いと今はどうやって食べるのか混乱する。で、ラーメンやチャーハン、天津飯(日高にはないか)にすることが多いが、チャーハンにした。といっても、通常のでは量が多く、半チャーハンでは少ないと思い、普通のチャーハンの値段でいいから量を3分の2くらいにしてくれと注文した。すると厨房から男の店員が出てきて、「それよりも半チャーハンの方がお得ですよ。」という。でもそれでは量が少なそうだからというと、少し多めにしますという。結局通常の3分の2くらいのチャーハンが出てきて、たぶん半チャーハンにはつかないスープもつけてくれ、値段は半チャーハンだった。うむ、できるな。
 表情は、家にいるときのうつらうつらではなく普通だが、やはりなかなか食べようとはしない。食べるのだという認識が欠落しているのか、どうやって何をすればよいのかわからないのかどうなのかはわからない。ちなみに、いつもはチャーハンでも天津飯でも箸で食べる。その方が食べやすいらしい。
 で、しばらく食べるのをせかしていたが、急にスプーンをとって自分で食べ出した。でもそれもせいぜい4~5口で、それ以後は水を飲むだけで食べるのをやめてしまった。おなかがいっぱいというわけではなく、説明は難しい。わかっているけど説明が難しいのではなく、こちらもわからんのだ。しょうがないので、後半はスプーンで口に運んでやると食べるのだが、何しろぽろぽろのチャーハンは簡単にぼろぼろ落ちる。スプーンの前半分だけに固めて口に運んだり、それでもそれなりにこぼすので、以外に大変だったり。隣の子供は何となく横目で不思議そうに見ていたが、他の客は、明らかに見て見ぬふりのひとや、状況を理解している人やいろいろであったようだ。ちなみに、スープだけは両手で持って飲んでいた。うちでも、ごはんの入った茶碗を味噌汁のように飲もうとすることがある^^;

危うく…  2010.2.16

 ここ数日、介助の仕方にも慣れ、自分の介助する体勢にも工夫して、母上が介助することにもなれたのか抵抗も少なくなったので、比較的前よりは楽に介助できるようになった。それでも十分しんどいが。

 でも今朝はちょっとやばかった。こちらも起きたてで、一通りの朝の準備を済ませた後にベッドから起こしてポータブルトイレに座らせ、その間に紙おむつを取り替えたりズボンを取り替えたりするのだが、今朝は天気が悪いためか、母上の方も精神的に下降傾向にあるらしく、あちこち捕まって抵抗したり、無気力に崩れ落ちそうになる。やはりこちらも起きたてだと力もあまり出ないので、余計に負担がかかる。
 久々(といっても数日ぶり)に限界的に腰や背中がしんどくて、大絶叫してしまった。その後も、普段のイスに座り直させたり服を着替えさせたりしている間、こちらは死にそうにへたりたいのに、やめてくれだのひどいことをするななどの言葉を連発されて「もうこれ以上面倒見切れないよ!」と言って、何度か座っているイスを後ろから軽く(振動が伝わらないように)蹴飛ばしてしまった。こういうのが介護虐待につながるのかなと実感してしまった。

 その後何度か呼ばれたが(音声モニターで聞こえる)、用があって呼んでいるわけではないので「こちらもしんどくてたまらないから、少し休ませてくれ」と言って二階に上がる。
 やはり自分の体もやばそうだし、いくら精神的に先日書いたように意識が改まっても体がしんどいと心がついて行けないので、後でボランティア見守りの方がみえたら整骨院へ行ってこようと思う。今までも行きたかったのだが、あまりに時間がとれなかったのだ。 今回も二時間しかないので、待ち時間・治療時間を入れたら昼飯をとる時間がないかもしれぬ。

 今日は母の病院への定期通院日で、午後は1時半始まりなのだが、予約がいつもいっぱいで3時15分の予約になっている。それでも呼ばれるまでに軽く30分以上はオーバーするだろうし、今回は往復を介護タクシーの予約にしているので、いろいろ面倒だったり。  介護タクシーは基本的に予約制で、病院の通院に使う人も多いのだが、診療中に待機させておくと待機料が劇高なので、別々に予約した方が良いと言われ、おおよその帰りの時間を見積もって予約。予約通りに早く呼ばれるか、思い切り待たされるかは全くそのときによって違って見当がつかないのだが、5時頃にしておいてそれ以上かかれば待機、かなり早く終われば早く来てくれるように努力してくれるという。全体に良心的なタクシー屋さんだった。
 ちなみにあちこち介護タクシーを調べたのだが、良いところがわからず、ケアマネにお勧めしてもらったところは、うちから100mくらい先にある個人介護タクシーだった^^;

 10~12時にボランティアヘルパーさんがきている間に、急いで整骨院に。以前にも書いたが、下手に外科に行くよりはよほど治癒が確実な整骨院である。今まで経験した多くの外科や整形外科は、レントゲンを撮ったとしてもおおざっぱな診察で、治療方針が間違っている場合さえもあった。この整骨院は、マッサージと電気さえかけておけば良いだろという整骨院が多い中、人体の構造や動きを科学的有機的にとらえ、超音波画像や細かい動きを見て、問題を見極めて、適切な治療を行う。なので自分は全幅の信頼を置いている。
 で、数年前に祝日以外は年中無休になってからは、行っても混んでてあきらめて帰るということはなく、たいていすぐに呼ばれる。 診断の結果、やはり筋肉痛が主で、幸い神経的な問題にまでは達していなかった。
 おなじみの電気治療、マッサージ、それに腰の牽引で終了。もちろん完全ではないがかなり体も楽になり、同時に気持ちにも余裕が出てきた。やはりいくら気持ちを切り替えて介助していても、身体がついて行かなかったらどうにもならないのだと実感。今日は今までで最悪の限界状態で、もう一人で見るのは無理かもしれないと思ったところだったから。
 リハビリなども行いながら、日常生活へ戻ることを目指すために入所する介護老人保健施設という選択肢もあるのだが、さらに混乱を招くことは必至で、認知症が進んで戻らなくなるのも困る。自分の身体もケアしながら、今の介護体制でなんとか母上の身体と頭の回復を(元通りには無理でも)待つように様子を見ようかと。

 午後は3時15分予約の病院通院。3時前に受付をした時点で「4~5番目ですよ」と言われたのに、呼ばれたのは50分後。どんなんやねん。帰りの介護タクシーの予覚時間との兼ね合いもあり、時計とにらめっこが続く。ようやく呼ばれたとき、先生は母の変わりように驚いていた。先日救急外来で診たときよりもずっと悪くなっているように見えるのだ。先生にはわからなかったかもしれないが、悪くなっているのは、混乱して無気力に見える状態で、会話にそれほど支障があったわけではない。診察も終わり、処方箋薬局へ。この時点で介護タクシーに予約を入れている時間よりも20分以上は早く帰れるだろうと考えられたので、運転手さんに電話を入れる。すぐ近くに来ていたらしいが、4時10分にしようということで電話を切る。ところがいつまで経っても順番を飛ばされても薬局で呼ばれない。その間にタクシーがきてしまったので、先に病院に戻り母親を乗せといてもらい、その間に薬局に戻り、タクシーは薬局のそばにやってきて待つことに。それでもなかなか呼ばれない。どうしたのか聞いてみると、同時に奥から出てきた。
 処方の仕方の問題で、救急の後に鎮痛剤をもらったときに胃薬ももらっていたが、以前からの薬にも別の胃薬がありダブっていたので、問い合わせと調整に時間がかかっていたらしい。結局、予約通り4時半でもたいした違いはなかった。余計なところでストレスをかまされてしまった。

 往復とも違う経営の介護タクシーだが、お互いに助け合ってネットワークを持っていて、自分が行けないときは、代理を頼んだりしているようだ。行きには、予定していたのとは違う名前の介護タクシーがきて、一瞬救急車がきたのかと思った。ストレッチ台も乗せられる大型車だったのだ。予定の人が来られず代理で来たと。往復ともとても良い運転手さんで、それだけが今日の通院の救いだったのだった。

相変わらずの朝  2010.2.17

 今朝も、いつもと変わらぬ朝である。昨日よりは少々起きてから身体をほぐしておいてから朝の介助に向かう。朝のやることが多くならないように、最近は前夜に出来るだけ朝の準備をしておく。
 ベッドの母を起こすまでは、母上も普通の状態である。それを上体を起こしてまずポータブルトイレに座らせるわけだが、ここから錯乱状態が始まる。とにかくまだ脇腹がいたくてしょうがないのだろう。母上の「痛い」は口癖の場合も多いので難しいが、これは本当にひどく痛いらしい。必死にあちこちに捕まり抵抗し、なんとかこちらはしんどくならない体勢で介助して座らせる。
 ここから先はもうほとんど同じ言葉の繰り返ししか言わなくなり、意思の疎通が困難になる。身体が痛いから痛い痛いと絶叫するのか、まだ頭が混乱中だから絶叫しているのか、おそらくその両方だとは思うし、ここが家で僕が家族であるという点がもっとも大きな理由だろう。他人が入ってきたり外部へ行くと多少まともになるから。今の母親の声が表に聞こえたら(絶叫もするので)、一昔前なら「とうとう気が触れた」と思われるのだろう。いまなら認知症が重くなったと思ってくれるのかな。

 今現在も音声モニターで聞いていても、「ちょっと待ってちょっと待って」や「あぁ~!」などの独り言や絶叫の繰り返しである。昨日自分の身体の治療も初めて、自分もケアしながら何とか様子を見ようと思ったけど、なんだか自信がなくなってきた。他人や介護のプロならば、それなりに冷静にケアが出来るだろうが、死ぬまでつきあわなければならない家族だと、こちらもおかしくなりそうだし、いつも書いているように、いつ間違いを犯すか本当に自信がない。

 ケアマネからは「介護老人保健施設」というのを教えてもらった。特養に移る前に一時的に入ったり、退院前に家に帰って生活することを前提に入所(入院?)し、そこでリハビリなどを行いながら帰宅に備えるのである。1~2ヶ月ほど。費用も、利用日数の割には安いので良いのだが、心配なのは帰宅を前提にしても入院というものをすると、ほぼ間違いなく認知症になったり進む点である。その場合、認知症の症状にもよるが、身体はある程度動けるようになっても逆に世話に困る事態も大いに考えられる。そうするともう最後の手段としての特養入所しか道はないのではないかと。
 一人で長期介護をしている人間の心情として、できれば「なるべく早く逝ってほしい」と何度も書いた。それは正直な気持ちだが、出来れば病院ではなく自宅で逝かせてあげたいと思ってはいる。それはポックリでも転倒事故でもよい。ポックリや老衰なら本人も逝くべき時に逝けたということになるし、事故なら事故で母の人生である。なるべくなら病院で無用な延命をするのは辞めてほしい。死ぬときが来たら自然に逝かせてあげるべきだと思うのだ。
 今週あたりケアマネと相談し、自分の気持ちもしっかり整理せねばと思う最近なのだった。

 さて、骨折していた右脇の肋骨も良くなり、それほどそちらの痛みを以前ほどは訴えなくなったのだが、最近反対側の左脇腹を異常に痛がる。そこで本日が週三回の往診日の日だった整骨師さんが超音波画像検査器で診てみると、なんとそちらも二本骨折していたことが判明。ほぼ左右対称に骨折していたことになる。今までそこは痛みを訴えていなかったのだが、なぜか今頃になって痛みを訴えたので発覚した。本当ならかなり痛かったはずなのだが、認知症の特徴のひとつに身体の不調を自分でうまく自覚できないことなどがある。そのためだったのか?骨折の仕方からして、おそらく後ろ向きに倒れたときに、背中を強く打つなどして、肋骨全体がたわんだ状態になって折れたのだろうと。倒れたときにはこちらは寝ていてボーリングの玉を床に落としたような大きな音で目が覚めて気づいたのだった。それは背中を強く打った音だったのか。寝ている状態で聞いたから本当にそんな音だったという確証もないし。当時はそんな音を聞いたと思っていたから、完全に頭を床に強く打ち付けて倒れたとばかり思っていた。(救急搬送先での検査では、頭を打った形跡はなかった)

 ただ、折れ方もさほど問題のある折れ方ではなく、クッションこそあててなかったものの、身体を一周コルセットで巻いて固定していたためか、治癒に向かっている状態だった。クッションをあてていたからかどうかはわからないが、右側はもうクッションもいらない状態なので、そのまま左右逆にしてクッションをあてての固定となった。この超音波検査はレントゲンよりも、小さな骨折を見つけるのに優れているそうだ。レントゲンだと全体を見ることも出来、映像もくっきりしてるからそちらの方が優れているのかと思ったら、超音波検査いわゆるエコー検査器の方が、立体的にリアルタイムで細かく診ることが出来、レントゲンでわからないヒビや亀裂などを発見しやすいという。(この説には異を唱える同業者もいる)

 そういえば、本日の母上は今まで以上に奇声を発している時間が多い。もちろん、他人が家にいないときだけである。何度も書くように、頭の中の混乱や訳のわからない身体の不調をどうして良いかわからず、声に出して発散している部分もあるのだろう。で、よく考えたら、最初のうちは顔を両手で覆って机にうつむいてうつらうつらしていることの方が多かった。声に出すようになるのはその数日後からで、それが度を増してきている。
 夕食前、あまりにうるさいので「そんなに大声でわめいてるのは、みんな表に聞こえてるんだよ! とうとう伊藤○○子も気が触れたか。って思われて病院に連れて行かれるよ!」などのようなことを何度か言ったら、さすがに少し静かになった^^; 自分が異常な声を発しているのも一応わかってはいるのだろう。で、さらに気づいたのは、それまではほとんど一日うつらうつらしていたのが、昨日今日と顔を上げてテレビを眺めているなどの時間が増えていることである。そんな長くはないが。夕食を食べるときは、ほぼ完全にこちらが食べさせているのだが、目をつむってても以前ほど寝込みそうな状態ではなくなってきている。身体の回復が進んだせいなのか、一気に変わった自分を取り巻く状況に頭がなれつつあるのか。
 明日は三度目のデイサービスである。で、明日は雨か雪だが、過去二回も雨だった。数年前と八年前、強固に行くことを拒否するのを無理矢理行かせてた頃と違って、病気にでもならなければ、行ってくれてしかもそれなりに本人も落ち着いて過ごせているようで、安堵できる。安堵してデイに送り出せるなんて数週間前までは全く考えられないことだったのだ。
 こちらの身体も今日も整骨院に通い、まだ二日目だがだいぶ楽になった。うまい介助の仕方もだんだんわかってきたし、今日整骨師さんが来たときにも見ていて一つ覚えた。「お!これは使える!」と。と、いいながら、明日か明後日にはまた泣き言を綴っていたりして^^;

認知症外来が???  2010.2.19

 何度も書いたように、今の母上の状態は、取り巻く環境の激変による混乱や、自分の身体の違和感などによるものが大きいのだと思っていた。でも一応認知症外来をまた受診させてみようとケアマネと相談した。
 以前行ったところはその方面では権威のはずの病院だったのに患者を人として診ないようなところで、少々そういう医療機関にはトラウマがあるのだが、ケアマネが探してくれた候補の一つに予約を入れた。医者側から、当院を受診するきっかけ(どういう経路で?)を聞かれたので、ケアマネの連絡先を教えた。
 すると、医者からケアマネには、いま母上が通院している三宿病院にはちゃんとそういう診療科があり、しかも規模も大きいのに、なぜそこで受診しないのか?と連絡があったという。なに?三宿病院に認知症外来なんてあるのか?知らないぞ。だいたい、それなら何で以前に脳外科の先生に他の認知症外来の病院への紹介状をお願いしたときに、かなり積極的に応じてくれたんだ?それに脳外科では、家族だけで医者と話す機会を与えられないので、認知症の進行具合などについては、いつもメモで先生に渡していたけど、全然同じ病院内への受診を勧められたことはないぞ。なんじゃそりゃ?
 今回受診しようとしていたところは行き帰りの介護タクシーまで予約してしまっていたのだが、受診とタクシーの両方をキャンセルして、三宿病院へ連絡してみた。返答次第ではイヤミの一つでも言ってやるつもりだった。医者同士のプライドで紹介しないことは実際にあることだからだ。
 脳外科の担当医は連絡がつかないので脳外科の看護師が電話に出た。どうやら「物忘れ外来」が出来たのは一年くらい前で、まだ新しいと言うことだった(でも、後から考えたら、それなら紹介状をもらったときにはあったんじゃないか?と思ったが)。それにしても、先週通院したときには、母の変わりように担当医も驚いていたので、その時点でそちらを紹介するべきなのではないのか?どうも医者の考えていることはわからん。

 で、とにかく担当医から紹介してもらう形で来月の物忘れ外来の予約をしたのだが、問題(一般的には迷惑な状態)があった場合は、強制入院か薬で押さえ込むつもりなんだろうな、とは容易に予想がつく。アルツハイマーやピック病の場合は、明らかに脳機能の障害なので薬物などで進行を遅らせるなどはあるのだが、認知症の場合は大事なのは症状に対するケアと家族のケアであって、薬やロープで押さえ込まれてはたまらない。徘徊に困って入院させて、「徘徊は治りましたので病院へいらしてください」というので行ってみたら、徘徊する元気もないほどぼーっとなってほぼ寝たきりになっていたという嘘みたいな話もあるくらいだから。
 そう考えると、何のために受診させに行くのだろうと自己矛盾にもなってしまったり。ま、良い先生かもしれないし(悪い先生が前提か^^;)、何か考えもしなかった問題があるかもしれないから、これはこれでよしとしよう。

 ちなみに、本日はリハビリ専門デイへ行ったのだが、見た感じの母の無気力さは、鬱かもしれないという。自分の身体が痛くて自由に動かず、前みたいに何も自分でできなくなって気力がなくなって鬱になっている可能性もあると。無気力は最近ずっとだけど、妙に暗いわけではなく、それなりに冗談を言ったり乗ったりする。今日は特に朝から無気力さが目立ったのでそう見えたのかもしれないし、本当に鬱なのかもしれない。自分がキレて怒るときに、鬱の人には言うべきでないこともぶちまけたことも何度もあるから、それも原因の一つかもしれないけど、自分でもそれはしょうがないと思っている。自分を責めてはいない。それまでを我慢して耐えろと言われたらそちらにキレてやる。

 今日は11~12時半にヘルパーさんが来ている間に、自分の身体の治療と食事で時間がいっぱいいっぱい。1時半から4時半までのリハビリデイの間は、あちこちへの予約や取り消し、調整や連絡など(もちろん皆母親関係の問題)が目白押しで気疲れして、休まるどころかいっそう疲れてしまった日だったのであった。

 普段は「親孝行ねえ」「えらいわねえ」などという的外れな誉め言葉は、逆にうざったかったりする。「大変だね」ならまだわかる。「がんばれ」と言われても困る^^;でもさすがに今日は、我ながら良くやってるな、と思ったのだった。

うまい錠剤の飲ませ方は…  2010.2.20

 母君は、一日5種類の薬(朝3錠、夜5錠)を病院からもらって飲んでいる。そのほかには、最近鎮痛剤が一錠、あとひどい便秘なので、武田の漢方便秘薬を飲ませている。便秘薬は一日でないときは一錠、二日でないときは二錠で最高四錠までふやす。
 先月までは、ある程度自分で飲む薬の管理も出来ていて、もちろん薬を飲むことには何の支障もなかった。でも今は錠剤を飲むということが出来ない。自分でつまんで飲むことも出来ないし、口に入れても口中でごにょごにょやっているだけで溶けてしまったり出したり。
 で、先日も書いたが、食事の時にうまく一服ずつもって飲ませることを発見したが、これもなかなかうまくいかない方が多い。特に便秘薬は表面がざらざらして舌触りが悪いためか、見事に手で口からつまみ出す。朝はコーヒーと蒸しパンのようなものを食べているのだが、上の入れ歯は入れずに下の歯だけで食べられるものなので、それほど咀嚼をしないためか、パンに埋め込んでうまく飲ませることが出来る。隣に住む叔母に教えてもらって、ゼリー状のものに包んで飲ませるものが薬局にあるというので買ってきた。フルーツ味のゼリーを砕いたような感じのもので、子供用である。これが全く用をなさない。よほど多めにゼリーと一緒にして、無理矢理舌の上の奥までスプーンを入れない限り、全然一緒に飲めるものではないのだ。食事は食べさせながらでも出来るので嚥下が出来ないわけではない。細かいものをどうやって飲むのかわからないのか。ゼリーに一緒にしても、スプーンにくっついてしまったり、口の中で分離してしまって、また手でつまみ出されたり。なんか良い方法はないものか。これも結構なストレスというかイライラする介助なのだったりする。繊維質をとらせるためには、イージーファイバーというお茶やコーヒー、ジュースや汁物に入れても味を変えずに飲ませることが出来るのを使っている。友人が持ってきてくれたファイブミニは、味に違和感があるのかいつも半分も飲まない。甘いのに苦いとさえ言う。

 歯を磨くのも、転倒する前からこちらがやっている、転倒前は朝は自分で勝手にやっていたが、かなりいい加減な歯磨きしかしない人なので、歯垢がつきまくり、今は下に三本の歯を残すのみである。下の入れ歯は、一本もなくなるとつけられないらしい。上は何とかなるが。往診の歯医者が月に一回程度来るのだが、歯医者からしか替えない特殊な歯ブラシを買ってそれで、以前から夜は磨いてやっていたのだ。洗面器を持たせて。今は朝の顔を洗うことから歯を磨くことまで自分ではやろうとしない。体が動かないわけではなく、たまに自分で顔を洗うことがあるから気分の問題なのか?
 そういえば、自分の体のしんどさはほとんど回復している。介助で絶叫するほどしんどいこともなくなった。正しい介助の仕方を参考にしたり、自分なりの工夫で自分の体に負担がかかることはなくなった。あとは精神的な負担か(- -;)

コルセットがスイッチ?  2010.2.23

 母上が両脇の肋骨を折って以来、胸にバストバンドというかコルセットのようなものを巻いている。やはりそれは結構窮屈なのは予想される。骨折自体はそれほどたいしたものではなく、ほぼ完治に向かっている。
 先週土曜日、ヘルパーさんが来る日で、入浴は出来ないので清拭と言って体を拭いてもらうことをしてもらっている。そのときにコルセットは外す。でも、再びつけるのは医療行為と見なされ、看護師以外はやってはいけないことになっている。なので、帰るまで外したままで、いつもその後にこちらでつけていた。もちろん家族なら誰がつけようがおかまいなしである。

 その土曜日、ヘルパーさんが帰った後も、最近には珍しく顔を上げてテレビを見ていることが多くやけに普通なのであった。体の具合も良くなり頭の混乱も収まってきたのかなぁ?と。夕食前にふと、今日はヘルパーさんが帰った後、コルセットを着け治すのを忘れていたことに気づいた。そしてそれをつけたとたんに、まるでスイッチが入ったかのように、いつものように奇声を発し「ちょっと待ってちょっと待って、あわわ、あぁあ…」の繰り返しで、姿勢も前に倒れだした。ははぁ、やっぱりこのコルセットが体を拘束して全体の調子悪さの象徴になっていたようだ。かといって、翌日は、朝からつけていてもそのような状態にはならず、全体には良くなっている方向に向かっているようだ。

 母上はひどい便秘の人生なのだが、繊維質をとらせるサプリと漢方便秘薬を使っても4日に一回出れば良い方である。そんな人生だから毎日出るのは異常だと思い込んでいる。こちらは1日出なかったら便秘の気分だが^^;で、昨日は寝る前のトイレで久々に出た。半端でなく出た。出るときは異常とも思える量が出ることが多い。こまったことに、今は自分で尿意も便意も察知できず、出ても終わりなのかどうかを判断できない。ポータブルを使っているので、臭いで久々に便が出ているのはわかった。ある程度の時間が経過して、様子からもう終わっただろうと思い、半身を起こしかけるとまだ出ている最中であった。おおかたは出たのだが、すこしずつ出続けているのが全く終わらない。おまけに半身を起こしてしまったので、ポータブルの縁に落としたものの上に座ってしまった。ポータブルトイレは、中にバケツのようなものを設置するのだが、それはたいてい白い入れ物である。あれを透明にするだけで、介助する側は出たのかでないのか、終わったのかまだなのかを判断できて便利だと思うのだが。また、ウォシュレットのようにおしりが洗えるともっと便利だが、そうすると相当な値段になるだろな。なにしろポータブルトイレは介護保険の「レンタル」の対象にはならない。買わなければならないのだ。衛生用品は使い回しに問題があるので、レンタル対象にはならないのだ。

 まだ歩けた頃は、便で失敗した頃は、ウォシュレットを使った上でお風呂に行かせてシャワーなどで下半身をきれいに洗えたのだが、今はそんなことは望めない。お湯を入れた洗面器と大量の布やトイレットペーパーを用意して、下を全部脱がせて床を濡らしながらもせっせとお湯拭き洗いである。最初に無理矢理立たせるときに「半殺しにするのか」と言ったけど、それ以後は一切文句らしい文句を言わず、「痛い痛い」と言いながらもあちこち捕まりながらなんとか立っていた。こちらもやっと治りかけてきた腰が爆発寸前で、しかもどんな体勢を取っていいやら、一人では無理だよぉ、という感じでいっぱいいっぱいだったので、「もし今、ひどい文句の言われ方を連発されたら、本当に今度こそ殺っちゃうかもしれないな」と頭をよぎったりもした。ま、次はこうすればこうなるという経験につながったなという思いもあったが。

 翌朝、数週間前から鳴き始めたウグイスが、多くなった気がした。

今日からショートステイ  2010.2.24

 いや、ワタクシではなく母上がですが。先月までは二泊三日だったが、今回から三泊四日にした。四日目に帰るとそのまますぐに土曜日のヘルパーさんにバトンタッチの体勢である。とにかくこちらが楽になる体勢はできるだけ取ることにした。二泊でも全然問題なく快適に過ごしているようなので、三泊でもおそらく本人は気づかないだろうし^^;
 問題があるとすれば、ショートステイはデイホームとは違って、ほとんどお客様扱いなのである。なので、出来るだけ自分で出来ることはやらせたり、出来るようにするようなことはほとんどしない。出来ない人には介助の手がさしのべられるだけのようである。その間まったく立ち上がりや歩く練習もしないだろうから、その点が多少心配なくらいか。簡単な体操的なものは毎日のようには行われるが。
 でも、いつも家では一人で介助しているために、どうしても力がかかって苦痛を伴うこともあり、その点はあちらは二人でやるべき介助は二人でやるだろうし、そもそもこちらとは比べものにならない介護のプロである。精神的なケアも良くしてくれるので、その点では総合的に見て預ける方が今の母上には良いのではないかとも思う。表向けと中向けの建前の違う人なので、そういう点では疲れることもあるかもしれないが、今はよい刺激かと。

 初めてのショート利用の時は、母上に対する精神的な余裕が出たような感じだった。ただそれも数日で、後は元通りだし、その後は何度利用しても慣れてしまったが^^;でも、完全に離れるというのは介護には絶対に必要なことで、最近はこちらの体にも毎日負担がかかっていたのでその点でも良い休みか。

微熱でてんやわんや  2010.2.27

 今回から三泊に伸ばした月末のショートステイ。帰宅前日に、その日は微熱があり一時38度を超えたという電話があった。チェックアウトは10時からなのだが、施設の二つとなりでやっている内科と提携しているということで、早めの9時半頃に迎えに行き、そのままクリニックへと向かった。朝の検温では36.6度だったという。水分不足も考えられるが、ショートステイでは十分な水分はとらせていたのはわかっている。聴診器で聴いてみたところ、すこし雑音があるので肺炎の疑いもあると。
 で、レントゲンを撮ることに。結果は肺炎ではないが、左肺が右の3分の2くらいの大きさしかない。下から横隔膜で圧迫されて(多少は便秘のせい?)肺が押し上げられている。その部分が多少炎症を起こしているきらいがある。とりあえず薬を飲んで数日様子を見て、また連れてくるのは大変なので、午後は往診をしていると言うことで月曜に来てもらうことに。

 今朝は6時過ぎに雨の音で目が覚めた。「あちゃー、雨か」。いつもは車イスを押して連れて帰るのだが、それが出来そうもない。おまけに体調が悪く寒ければなおのこと。ということはまた介護タクシーを使う必要がある。しかも、クリニックへ寄るので、はっきりした時間がわからない。
 とりあえず、9時半過ぎにクリニックへ入るので10:20分くらいなら大丈夫だろうと、その時間に来てもらうことにした。ところが、レントゲンに続き点滴である。通常より量は少ないけど30分はかかると。すでに来ていた介護タクシーの方に事情を説明して、1時間後にもう一度来てもらうことに。同時に介護事業所のヘルパー派遣部門へ連絡して、ヘルパーさんを短縮してもらうことに。土曜日は11時~2時の予定だったけど、12時からに。
 もうこういうときはあちこちの連絡だけでストレスと気疲れとなんやかんやで疲れてしまう。本当だったら、いつもより一日長い休みを取った後、ショートステイから連れ帰って即座にヘルパーさんにバトンタッチだったのだけど、結局また振り回されて、ほとんど何も出来なくなってしまった。本日は梅ヶ丘の個展の最終日。来てくれる人と会う約束をしていたのだけど、とても行けないのでマスターに謝っておいてもらった。ヘルパーさんが帰った後に検温してみると、37.6度に上がっていた。37.5度以上になったら飲ませる薬を飲ませ(これがなかなかうまくいかないのだが)、ベッドで安静にさせることにした。パジャマに着替えさせ、ベッドに運ぶとあっという間にいびきをかき出した。

 その後は通販で買ったものの届け物の嵐(と言っても4件ほど)である。同じ佐川急便が10分の間をおいて違うやつが来たぞ。一つは母上の新しい居間でのイスで、それを組み立ててから、崩れないように座るためのいろいろなクッションや肘掛けカバーなどを作ってつけたりしていて、本当に今日は疲れ切ってしまった。介護も2001年秋から続いているが、もう料理はいやだと思ったことは一度もない。まぁ今日は面倒だな、くらいは思ったことはあるが。でも今日は本当に疲れてやりたくなかった。と言いながら、なるべく水分をとらせるためにクリームシチューにご飯を混ぜ、飲み薬も盛り込み、ほかにはきんぴらと冷や奴という実にバランスを考えないメニューなのであった。食事前に起こしてからは、今朝までのように前屈みに倒れ込んでしまうこともなく、ほぼ完食した。まぁ、食欲はいつもある人なのだった。  あ~~~、しかし疲れた~~~~。

てんやわんやの夕暮れ  2010.3.1

 本来本日は、午後はリハビリデイに行く日だったのだが、先日ショートステイの帰りに寄ったクリニックの往診があるのでキャンセルしていた。時間を短くしてもらっていたヘルパーさんも急遽以前と同じ3時間に。

 3時半頃、先生が往診にみえた。熱はゆんべは37度くらいだったけど、今日は起きがけからずっと36.6℃。一昨日の血液検査の結果は、炎症反応と白血球の反応が強い。つまり白血球が戦っていると言う。そして栄養不足。え~~!?
 と、まぁ最近食事量が減っているし、摂取品目が減っているのは確か。野菜はよく食べているけど、タンパク質などが足りないと。年の割にはよく食べてはいると思うけど。そしてもう先週の火曜以来排便がない。一緒に来た看護師さんが浣腸をしてでも出さないと行けないと。下剤や特別な薬だと、体の排便機能に衰えさせたりするものがあるが、浣腸はそうではないらしい。
 で、夕方に60mlの浣腸を使った。市販品は通常30ml位だが、医者が処方するのはたいてい60mlなので。しかしまるで出ない。ちょろっとカスみたいなのしかでない。数十分待ってもまるで出る気配がなく、これは異常事態と判断した。以前にも摘便をしてもらった近所の内科に電話をすると、すぐに連れてくるようにと。
 あれやこれや汗だくで用意して着替えさせて、診療時間ぎりぎりに連れて入ったが、受付の女子連はまったく他人顔で談笑しながら、順番に患者を呼んでいく。おいおい、事情もわかっててすぐに連れて来いって言われたし、状態が状態なのに順番を飛ばしてでも診るべきじゃないのか?としきりに首をひねってしまった。
 カウンター内のおばさんたち(ひとりはお嬢さん)は、もうすぐ今日も終りねみたいな安堵感さえ浮かべ、一人のおばさんは相変わらず愛想の「あ」の字もない顔で「患者のことなんかしったこっちゃないわよ。」という顔で事務をしている。知人もこの愛想の悪いおばさんとけんかになったと言うが、自分もいつも受ける印象が悪い。
 愛想の良い方のおばさんに、苦しんでいるんですけど、先に見てもらえないんですか?と聞くと、次に呼ぶという。

 診療室に呼ばれてから先生にそんなことを意見したら、ちょっと憤慨した感じで「私は一人しかいないしベッドもあいてなかったんだからね。こちらも一生懸命やっているんだよ。」となだめられた。ま、救急外来じゃないのだからしょうがないとはいえ。ただ、それならそれで受付の方もなにか気遣いとか説明をしたって良いんじゃないのか?と、いつもこの医院では思う。
 それで摘便を始めたのだが、大腸まで便が来ていないという。これではいくら浣腸しても意味がないのだった。一週間出ていないと言うことで急遽レントゲンを撮る。すると、小腸やらあちこちに便がたまったままで全然下に降りてきていない。これは下剤か降下剤を使うしかないというので、降下剤(というのかな?)をもらうことに。それで便が下に降りるようにするわけだが、もしそれでも出ないで腹痛を訴え嘔吐感も出てきたら腸閉塞なので、すぐに救急車を呼ぶようにと。

 帰るといつもの夕食時間の少し前だった。非常に疲れていた。栄養も足りないというので、牛肉と豆腐をたっぷり使ってすき焼き煮の卵とじにして食べさせた。無気力感や混乱している感じは、単純に怪我や環境の変化によるものが一番の大きかったと思っていたが、なにやらあれこれ複雑に入り組んでいるのか?
 今日も母親に関するデイやらヘルパーさんやらいくつかの予定をキャンセルしたり変更したりの連絡をあれこれしたり、その合間にこんな状態で毎日が振り回されている。よく自分ももっているな、と感心したり。でも疲れててこんなもの書いてるより休んだ方が良いんだろな^^;

超便秘!  2010.3.2

 通常でも母上の便通は4日に一回くらいでましな方である。それが一週間は出ていない。ゆんべ診てもらった近所の内科は、先日診てもらって昨日往診に来てもらった内科とはよく知っているらしく、本日薬をもらいに行くことを告げると、レントゲン写真を持たされた。行ってみると、すでにファックスで連絡もいっていた。

 先日毎月のかかりつけ病院でCTをとったときは、年の割に脳の萎縮はないと行っていたが、以前他の認知症外来を受けるときにもらっていたMRIを今日の医者に見せると「かなり萎縮している」という。どっちやねん?確かに見る限りは萎縮してみえる。この医師は神経内科で、認知症も扱うのだがケアマネの担当外地域のため存在も知らなかったため、いままでの候補に入っていなかった。入っていたらなかなか良い先生だし、ここに最初から来ていただろう。
 で、12日に三宿病院の認知症外来を予約しているのだが、せっかく予約したのだから受診を勧められ、紹介状ももらった。病院の認知症外来の場合、病院で診断し町医者のそういう方面へ紹介するのが普通だそうで、またこの医院に逆輸入されてくることになるのだった。ちなみに神経内科と心療内科の違いは何なのか聞いてみたら、心療内科は精神科のことだそうだ。やはり日本では偏見が多いためか「精神科」とはなかなか表示しないとか。神経内科では、主に脳が起因の病気を診る。認知症、アルツハイマー、ピック病などである。

 診断されずとも認知症であることは百も承知。あとはアルツハイマーやピック病とかもあるかどうかだったり、認知鬱もあるかもしれないのが問題。今現在のさらに問題は、便が大腸以前にたまってガスもたまっていること。おそらく本人は体の不調として感じているはずだが、どこがどう不調なのかを認識できずに様子がおかしいのかもしれない。骨折もまだ完治はしていないし、立位もとれる状態ではないし、踏んだり蹴ったりで、ただでさえ飲ませるのが困難な薬がどんどん増えていく。
 医者も薬剤師も水をたくさん飲ませるようにと言うが、本人がなかなか飲まない。特に薬剤師は安易に言う。たくさん一緒にお話をすればのども渇くし自然と飲むようになったりしますよ、とか言ってくれるが、お話になる状態ではないし、そんなに接していてはこちらが壊れるのである。こんな時は他人が接してくれるのが本人にとってもこちらにとっても非常に良いのだろうけど。

 あれやこれやと次々と問題が出てきて、ますます世話をする自信がなくなってきた。本日薬をもらいに行った医師も「(老人介護保険)施設に入所させるのがいいんじゃない?」と言った。入院という感じではなくベッドで過ごすのでもなく、リハビリしながら普段の生活に戻れるようにする施設である。通常一ヶ月程度入所して、病院の退院から家へ戻る橋渡しや、特養に移る前段階で入所したりする。
 医師は、こちらの様子や生活の状況を聞いて、もう限界だと感じたようだ。体力はもちろんだけど精神的にもたないだろうと。「自分でもいつ虐待や介護殺人にいたってもおかしくないとは思ってますね」と言うと頷いていた。ただ、自分なりに心配しているのは体は元気に戻っても全く違った環境で過ごさせることで、間違いなく今以上に認知症は早く進むだろうということ。元気になって認知症がひどくなると、どちらにしろ手に負えなくなるのではないか、という不安が非常に大きいのだ。う~~む。
 便秘は認知症でいろいろな問題を起こす基本的なものである。それのせいが大きいのかもしれないが、いつもは行きより元気に帰ってくるデイで、今日は半狂乱にみえる状態だった。すこしぞっとした。どちらにしろ認知症はどんどん進んでいくのだから、プロに任せて入所させる方が良いのかなぁ?・・・・

 

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